夢惑う世界 草紙<蜃気楼> |
蜃気楼 その198 | 発行日 2018年6月24日 編集・著作者 森 みつぐ |
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季節風
まもなく夏至を迎えるが、ここしばらく初冬の寒さが続いていた。それでも季節は、確実に進んでいるようだ。札幌市内の民家や街路樹としてエゾノコリンゴが植えられ、ボケも植えられているので、この辺りでも最近、エゾシロチョウが翔び始めている。
その寒さも一段落して、平年並みの暖かさまで持ち直してきているので、花々もこれから一斉に成長を加速させるだろう。母の庭では、植え替えたアヤメが4年振りに大きな紫色の花を咲かせている。そして大きなクレマチスの花も咲き始めた。 |
言いたい放題
先日、今年初めてと言うか、9か月ぶりのジョギングをした。引っ越しの準備や整理に追われて、今年のジョギングは2ヶ月以上遅れての再開である。その日も風がやけに強くて、止めようかどうしようかと迷いながら、いつもの通り室内で体操を終えて、やはり行こうと着替えたのである。
外に出て走り出したが、どうも地面を蹴って走っている感じがしない。足と体がアンバランスなのか、走るのがぎごちないのである。400〜500m走ると息もゼーゼーしてきた。これでは、8km走れそうにもない。取り敢えず、走れるところまで走ろうと思い、息を整えながらゆっくり走った。10分位走っていると、少しはバランス感覚が良くなり、足と体もしっくりしてきたようであった。
最初、途中で近道をして帰ろうと思っていたが、今日予定していた初めて走る8kmの道程を休んでもいいから走ることにした。こういう時に限って、信号は青ばかりである。2度の赤信号での待ちはあったが、多分、今までで一番時間が掛かったかも知れないが完走することができた。次の日、足に筋肉痛までではないがやはり張りがあった。でも次回からは、もう普通通りのジョギングとなるだろう。 |
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つくしんぼの詩
一軒家に引っ越して周りの家々の庭を見ていると、何とも見事に野菜を植えて、支柱も立てている。そのうち一軒の大きな庭は、多分元は農家だったような感じで、庭は耕されて畑のようで、整然と野菜が植えられていた。多くに家の庭には花壇もあるのだが、野菜を育てるのが楽しみのようである。
毎日、成長してゆくものを見ることも楽しいことであろう。小さくても庭があることに感謝しなくてはならない。私の庭には、ミニトマトとピーマンが2株ずつ植えられ、その他に6月になってから花の種を植えたが、中旬の寒さのせいか、やっと芽が出てきたのもあるが、なかなか伸びて来ない。殺風景な庭のままである。 |
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虫尽し
今年は、5月中旬にこの春初めての定山渓に行ってきた。林道に入ると、いつもと感じが違っている。道が、やけに広いのである。当然、路肩の草木は無くなっている。どうも林道の拡幅工事をしているようであった。
昨年、やっと見つけたミヤマカラスアゲハの植樹であるキハダも切られてしまったようで見つからなかった。両脇の路肩びっしりに生えている植物たちに多くの昆虫がいるのに、非常に残念である。ところがカエデの葉裏に、びっしり黒い物が付いているのを見つけた。よくよく見るとアブラムシである。こっちにもあっちにも・・・真っ黒だ。 |
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情報の小窓
『荒唐無稽で実際には根拠がない「好き」について、釈尊が説かれる真理を理解した方が人生に役立つと思います。好きということの意味は、人が楽しみ・幸福を感じるものごとや、行為なのです。それは、他人に何と言われようとも止めたくはないものです。しかし、「好き= 善い」ということにはならないと、明確に理解したほうが良いのです。好きというのは、ただ単に何かに病みつきになることです。強いて言えば精神的な病気の一種かも知れません。それでも人は、「好き」ということで幸福を感じるのです。』
サンガ「一日を変えるブッダの教え」アルボムッレ・スマトサーラ著 |
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