夢惑う世界 草紙<蜃気楼> |
蜃気楼 その29 | 発行日 2001年12月16日 編集・著作者 森 みつぐ |
||
季節風
日が暮れるのが早い。仕事が終わるときには、既に外は闇の世界になっている。明るいうちに歩いて帰りたいものである。落葉樹は、もう多くが葉の色を変えて周囲に撒き散らしている。私は、落ち葉で埋め尽くされた雑木林を歩くのが好きだったが、この辺りでそんな場所を見つけることはできない。
民家の庭々には、12月になっても様々な色彩の花が咲き競っている。野草図鑑を見ても、そんなきらびやかな花々は載っていない。庭に隅っこには、大きな葉のヤツデが白い小さな花々をいっぱい広げていた。“うん!これがいい!” |
言いたい放題
とうとう静岡空港は、工事再開へ向けて走り出した。知事選前に知事は、空港建設は住民投票に従うようなことを匂わせる発言をして再選を果たした。ところが空港の建設是非を問う住民投票条例案は、自民党の反対多数で否決されてしまった。そして知事も簡単に、その結果を受け容れてしまった。
政治家の選挙前のリップ・サービスを看破れなかった県民も県民だが、期待した県民を物の見事に裏切る方も、何をか言わんやである。更に、この続きはあった。学識経験者?たちの「静岡空港専門委員会」の設置である。最初から、見え見えの政策だった。空港推進のお墨付きを得ることが目的の推進委員会だったのである。
本当に静岡には、空港が必要なのだろうか。多分賛成している経済界や観光業界は、潤う部分があるだろう。しかし、利用客は伸びず赤字額は、年々増え続けることになるだろう。そして米国同時テロの影響は、まだまだ続くことになる。この付けを払うのは、一体誰なのだろうか。最後は、知事の再選に一票を投じ、それが恰も空港建設の是非を問う住民投票の結果とだぶらせてしまった愚かな県民の肩に伸し掛かってくる。 |
||
つくしんぼの詩
車がやっと擦れ違うことができる幅の道を、自転車に乗っていた。手前には、お年寄りが道の真ん中を自転車に乗って走っている。こういう光景を見る度に思うのだが、非常に危なかしい。車が来ないことを祈りながら、私も無理に追い越さないように後ろを走った。
お年寄りが少し右に寄ったので、私が左に出ようとしたらお年寄りも左に寄ってきた。私がブレーキを掛けて止まったら、お年寄りは、止まることもなくゆっくりと私に倒れてきた。まるっきり自転車を操ることできないのである。幸いにも怪我はなかったが、車だとそうはいかないだろう。私は、いつでもすぐ止まれるスピードで走っているつもりなのだが。 |
|||
虫尽し
ブラジル中央部のリオ・プレト・ダ・エヴァの町からタクシーで、チョウのいる森林に連れて行ってもらった。20分位走ったところは、川の畔だった。ここからカヌーだと言うのだが、漕ぎ手がいない。
已むなくタクシーの運転手が櫂を取ったが、2mも行かないうちに恐ろしくなって引き返した。カヌーのバランスを取るのは、非常に難しい。素人には操ることは出来そうもない。傍で見ていた人を含めて大声で笑ってしまった。結局、私は、その近くにあった森林の中に潜り込んだ。 |
|||
情報の小窓
『マテリアリズム(経済至上主義)の立場にたつと、経済的に優位にたつ地域の文化が「優れて」いるとみなされて、劣位にある地域の政治家、経営者、官僚、知識人の一部が、経済発展という市場の目標をかなえるために、「優れた」文化の自国への移入を奨励するようになる。』
岩波新書「市場主義の終焉」佐和隆光著 |
|||
Copyright (C) 2001-2002 森みつぐ /// 更新:2001年12月16日 /// |