夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その33 発行日 2002年4月21日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 窓の外では、ツツジが満開である。近くの公園では、紫色のフジの花が、これまた満開である。
 休みの日、朝窓を開けると、近くでハチが飛んでいた。よく見ていると、なんとクマバチ(キムネクマバチ)だった。フジの花には、2〜3匹まとわり飛んでいる。すごい!こんなところで、クマバチを見るとは、思ってもいなかった。確かに山野より市街地の方が、花がいっぱいである。住処に適したところもあるかも知れない。クマバチが、同じ軌跡を描きながら飛んでいる。
 そんなところをアゲハチョウとクロアゲハが、翔び越えてゆく。ここは、街中である。
  言いたい放題
 パレスチナとイスラエルの構図は、今や、アフガニスタンとアメリカの構図そのものになってしまった。これも、ひとつのアメリカン・スタンダードかも知れない。暴力の連鎖は、暴力では断ち切れない。長い歴史の中で、再び繰り返されることになるだろう。
 イスラエルは、パレスチナをテロと言う。この構図は、これからも異国間で、異民族間で、異宗教間でアメリカン・スタンダードとして正当化し、暴力による制圧が行われる。人が人を傷つける。これが人間の性なのか。いくら叡智を振り絞ってみても、サルの域を超えられないのが人間である。アルカーイダがアメリカと結託?して、新たなアメリカン・スタンダードを作り出してしまった。人が人を殺傷することを正当化する論理を作り上げてしまったのである。
 米国同時テロによるアメリカのタリバン(アフガニスタン)への攻撃は、パレスチナとイスラエルの構図を一歩進めてしまった。
 自爆テロは、悲惨である。でも、それは追い詰められた人間の最後の手段である。自爆テロでしか訴える手段が残されていないと考えるのが妥当だろう。
 アメリカン・スタンダードが、正しいとは限らない。争い事の根源を残したままの暴力による解決は、一層問題を複雑にしてゆくだけである。
  つくしんぼの詩
 事の真意は定かではないが、とうとうクローン人間が誕生しそうである。生命科学が発達して、人間も家畜並に自由自在に増殖できるようになってしまった。
 しかし、それは肉体だけのことである。人間には、肉体と同等、否それ以上に心の占める部分が大きい。肉体がクローンだとしても、心はクローンとはならない。肉体と精神(心)を切り離したとき、医療技術は、既に患者のための医療ではなくなってしまっている。
  虫尽し
 先々月、ツマグロヒョウモンの幼虫を育てるために、花屋からスミレを買ってきて与えていた。虫の部屋に置いていたのだが、ある時、幼虫を見ていたら近くで動く物がいる。よくよく見ると小さなゾウムシである。スミレに忍び込んでいたのだろう。それからひと月、またゾウムシがいた。それにアブラムシもいっぱいいる。花もいっぱい付いていたが、虫もいっぱい付いていたみたいだ。
 それにしても、このゾウムシ、害虫のコクゾウムシだよ!
  情報の小窓
 『道元禅師は、「放てば、手に満てり」と教えています。しっかりと握っているうちは、握ったものだけが自分のものですが、手を開いてその握りしめたものを放ち開いたとき、その手には、全世界が乗ることになります。言葉を換えれば、執着を捨てたときに、真に満ち足りた心を得ることができるというのです。』
 NHKこころをよむ「禅のすすめ 道元のことば(上)」角田泰隆著

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