|
|
||
枝から枝へ | 外灯で待ち伏せ |
夢惑う世界 草紙<蜃気楼> |
蜃気楼 その35 | 発行日 2002年6月23日 編集・著作者 森 みつぐ |
||
季節風
今年も、すっかり梅雨入りした。沼津の市街地でも、多くの民家の庭々には、様々な品種の紫陽花が色鮮やかに咲き競っている。ひとつひとつ、いつ見ても、美しい。そして路上では、長い尾を振り振りしながら歩き廻っているハクセキレイを良く見かける。少し開けた芝のある空き地があれば、ムクドリが群をなしてしきりに餌を啄んでいる。
市街地でも、多くの植物が見られる。世界中の植物が、所狭しと植えられているのである。そんな植物は、昆虫たちでいっぱいである。ユウマダラエダシャク、ホタルガ、カノコガ・・・。季節とともに楽しい世界が巡ってくる。 |
言いたい放題
ついに鈴木宗男議員が、あっせん収賄で逮捕された。しかし、本人は、相変わらず容疑事実を否認している。多分、鈴木氏本人は、“絶対、法に触れることはしていない”と信じて疑っていないことは、確かなことと思われる。お国のために、国民のために滅私で働いているのだと。
この構図は、頻繁に報道を賑わしている腐った大企業の管理職の構図でもある。会社のために、労働者のためにと信じて疑わず違法行為を繰り返す。当然、彼らにとっては、労働者よりも会社の方が大事だから、会社にとって一大事の時には、労働者にそのリスクを負わせる。そのことが法に触れようとも、会社のためにが全てなのである。少なくても表向きは、飽くまでもそうである。しかし結局は、地位や肩書きへの保身や執着心がそうさせる。多くの日本企業は、この構図が成立している。労働者に対する違法行為は、何ら珍しいことではないのである。彼らにとっては、会社存続のためには、必要なことなのである。この会社のために何でもすることが、会社への忠誠心の強さを表しているのである。これからの日本にとっては、このような古い形質を削ぎ落としていく必要がある。
鈴木宗男議員は、このような古い形質を遺した人間であった。このような人間は、国を駄目にする。国民を駄目にする。日本には、このような人間が、まだまだうようよいる。 |
||
つくしんぼの詩
4月から学校は、週5日制になった。学力低下が声高に叫ばれる中での、ゆとり教育の始まりである。
しかし土曜日の光景は、何ら変わっていない。どうしてだろうかと、自分の子ども時代を考えてしまった。私は、今でもそうなのだが、実は子どもの時から出不精なのである。よく母親から、“遊びに行っておいで!”と言われたものである。子どもの中には、自分自身から行動的になることが、難しい子もいる。休みの日にも、周囲に見守る人が必要となるのである。子ども同様、週5日制は、周囲の大人にも必要となる。それを大人が拒んだとき、学力低下の声だけが、ひときわ大きくなってゆく。 |
|||
虫尽し
プエルトリコの山奥にあるコテージ風のホテルに泊まっていた。夜になると、外灯が灯り始める。すると、周囲から目立たない小さな昆虫たちが集まってくる。そして、それを“待ってました”とばかりヤモリも集まってくる。ここでは昆虫は見かけないが、ヤモリだけは一杯いる。ジャンプして、枝から枝へ移ったりもする。朝になると外灯の辺りには、虫は1匹も残っていない。
ヤモリに見つかる前に、私も物色しておく。“ヒカリコメツキを食べたらダメだよ!” |
|||
情報の小窓
『乳幼児期の子どもに一生懸命モノの名前を教え込んでいた私は、周りからの反応を助けにして、子どもが「快−不快」についてじっくり味わい、感情への対処方法を学ぶべき時間に、知的な「正−誤」の世界を持ち込んでいたのだ。・・・これでは、子どもが自分の中の「快−不快」をベースにした情緒的なものを、たっぷりと体験することが妨げられてしまう。』
集英社新書「感じない子ども こころを扱えない大人」袰岩奈々著 |
|||
Copyright (C) 2002 森みつぐ /// 更新:2002年6月23日 /// |