夢惑う世界 草紙<蜃気楼> |
蜃気楼 その39 | 発行日 2002年11月17日 編集・著作者 森 みつぐ |
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季節風
2週間位前になると思うが、新聞を読んでいると東京都心でもアカメガシワの木がしっかり根を張って育っているとの記事が目に付いた。悲しいかな私は、植物の方は、さっぱりである。アカメガシワは知っていたのだが、それまでは沖縄以南の南方系の木だと思っていたのである。八重山諸島を歩いていると、アカメガシワではクロカタゾウムシ、ミドリナカボソタマムシやヨツスジトラカミキリなど多くの甲虫と出会うことができる。
そう言えば、家の周りにもある。アカメガシワに似ていると思っていた木は、全て本物のアカメガシワであった。あ〜、情けない! |
言いたい放題
“伊藤忠商事は、法令遵守を誓った「誓約書」を全社員からとる”との記事を読んで思わず笑ってしまった。各企業は、企業倫理規定なる物を作って法令を遵守することを唱っているのではないだろうか。対外的な見せかけだけの倫理規定は、制定した段階で大事に金庫の中に仕舞い、葬り去られてしまっていることだろう。
法令の遵守と言っても、そもそも守らす方も守る方もさっぱり法令を知らない。多分、労働基準法さえも知らないことだろう。まして不況時には、知っている法令さえも“守っていたら企業は成り立たない”とうそぶくに違いない。そして管理職には、法令よりも遵守しなければならない腐りきった企業論理というものがその企業の文化として歴然と存在しているのである。労働者は、法令の下で働いている訳ではない。この企業論理の無言の圧力の下で行動しているのである。企業は、何が何でも金儲けに徹しなければならないのである。どんな犠牲を払っても。
「誓約書」の意味は、何もない。企業の風土が浄化されない限り、何も変わりようがない。しかし企業には、自ら浄化するようなことはできなく、本来は、労働組合がその役割を果たさなければならないが、今の労働組合は、悪については企業と運命共同体となっている。
従って、いつかは雪印食品の如く消滅するしかないのである。 |
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つくしんぼの詩
10月末に東京大気汚染訴訟の判決が東京地裁であった。判決の内容については、自動車排ガス汚染の影響を狭い範囲だけにしていることや自動車メーカの責任を問わないなど、私には不満が残るものであった。
自動車に関連する諸々の問題は、個人が加害者にもなり、同時に被害者にもなると言うことと、問題そのものが国民全般に及ぶと言うことで、問題をより複雑にしている。
便利さよりも追い求めなければならないことが幾らでもあるはずなのに。彷徨う心は、科学文明の奴隷と化してしまったのか。 |
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虫尽し
アメリカ南部ジョージア州の小さな町ダルトンに行ったとき、郊外の林内を流れている川沿いの小径を見つけた。朝早く草花は、昨晩の雨でしっとりと濡れて朝陽を照り返していた。
やがて陽は昇り草木が乾き始める頃には、何処からともなく沢山のイトトンボが現れていた。5種類にもなるイトトンボたちである。そして、川に沿って延びていた線路を、汽笛を鳴らして貨物列車が通り過ぎていった。 |
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情報の小窓
『教養があるということは最終的にはこのような「世間」の中で「世間」を変えてゆく位置にたち、何らかの制度や権威によることなく、自らの生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけてゆくことができる人のことをいう。』
講談社現代新書「教養とは何か」阿部謹也著 |
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Copyright (C) 2002 森みつぐ /// 更新:2002年11月17日 /// |