夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その49 発行日 2003年12月14日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 まだ寒いという訳ではないが、ちょっとは冬らしくなってきた。
 今年も、訳の分からぬ幼虫を拾ってきては育てた。幼虫のまま死んでしまったものもいたが、蛹となって今、冬を越す準備に入ってしまったものもいる。虫さんの部屋には、クロアゲハの蛹1匹、ツマグロヒョウモンの蛹1匹、ヒトリガ?の蛹1匹、ツツジの葉を食べていたガの蛹1匹、ハバチの蛹?(幼虫のまま)2種類2匹などが居座っている。さて、来春、無事羽化してくれるのだろうか?
 窓の下では、今年も赤いアロエが咲いている。もう死に絶えたかと思っていたカネタタキが澄み渡った青空の下で微かに啼いていた。
  言いたい放題
 その昔、公害と云えば肉体そのものを蝕むものであった。そして、いつしか肉体を超えて公害は、精神をも蝕んでいった。それが私は、公害だと思っていた。
 しかし、最近思うに公害は、肉体面から精神面へととっくにターゲットを移し換えていたのである。肉体へと攻撃する公害はなくなった訳ではないが、企業の私たちを取り巻く環境への配慮が浸透して、陰を潜めてきている。しかし一方、企業では、弱肉強食という競争至上主義が浸透して、労働者への締め付けが激化している。もともと精神的に弱い人間には、積み木崩しのように崩壊してゆくしかない。それが現代の公害である。
 その昔の公害は、企業の外に向けられていた。しかし今は、内に向けられている。公害は、陽的なものから陰なものへと姿を変えて、今でも猛威を振るっているのである。蝕まれているのは、労働者たちである。そして公害は、家庭へと持ち込まれる。それは、そこで止まらず地域社会へと拡大してゆく。
 今やこの公害は、国全域に蔓延している。精神的苦痛に見舞われた人々は、その原因が公害であることに気付かない。原因の全てが自分自身に起因していると思い込んでしまっている。それは、間違いである。問題の根源が、企業にあることを見極めなくては対策そのものが間違ってしまうだろう。
 私たちは、何のために生きているかを問い続ける必要がある。
  つくしんぼの詩
 2002年度、企業において有給休暇の付与日数が過去最高の18.2日にも関わらず、取得が8.8日となり過去最低であったとのことであった。
 益々成果主義が進む企業にとっては、当たり前の結果であろう。企業にとっては、そのための成果主義なのである。有給休暇は給料と違い、いくら与えても労働者に取得されなければ、企業は儲け物である。
 労働者に有給休暇を全て消化させることのできない企業には、国はペナルティを課すべきである。この国を病んだ国にすべきではない。
  虫尽し
 南インドのベッロール近郊での採集も終えて、てくてく道を歩いていた。
 そうすると数m先で黒い物体が、道を横切ろうとしていた。“なんだろう?”と思い近付いてゆくと、牛の糞を転がしているフンコロガシであった。一つの糞に2匹がへばり付いて転がしている。どちらかがずる賢いこそ泥なのだろう。いつかはこの糞も、そのこそ泥に奪われてしまう。“それならば!!”と思い、進行方向側にへばり付いていたこそ泥と思われる側のフンコロガシを掴まえてしまった。ピンハネしようという輩がここにもいた・・・?!
  情報の小窓
 『土曜も日曜も関係なく働きつづけて、おまけに休みの日も必ずどこかに出かけていかなくては気がすまないタイプの人がいます。こうした行動の人を駆り立てるのは、自分の感覚を麻痺させて、刺激を与えつづけ、内的空虚さを見つめまいとする隠れた動機なのかもしれません。』
 NHKこころをよむ「生きがい発見の心理学「自分」を生きる「運命」を生きる[下]」諸富祥彦

Copyright (C) 2003 森みつぐ    /// 更新:2003年12月14日 ///