夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その58 発行日 2004年12月24日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 先日、出勤途中に電線に中形の鳥が数羽止まっていた。渡り鳥のツグミみたいである。ここ沼津にも冬鳥が色々訪れるのだが、鳥は、余り近付くことが出来ないので名前がよく分からない。尾っぽのオレンジ色が鮮やかなジョウビタキも民家の庭で見つけた。だんだん冬らしくなってきた。
 ところが、私のジョギングコースに植えられているムクゲが、蕾を膨らませている。もう花の季節は、終わったと思うのだが、また花を咲かせているのかな?
  言いたい放題
 12月にもなると日が暮れるのが一段と早くなり、夕方ジョギングしている私にとっては、走りにくい日が続く。何故、走りにくいかというと、歩道が歩行者にとって歩きやすい構造になっていなく、車にとって快適な構造になっているからである。そしてもう一つは、やはり車の運転マナーが非常悪くて、安心して歩けない(走れない)のである。
 最近、横断歩道を渡ろうとすると立ち往生している車を時々見かける。青信号で、車は走る。青信号が点滅し始めると(黄信号になると)、スピードを上げて突き抜ける。赤信号になっても、まだ突き抜けようと前の車の後ろにぴったり付いて走る。そして、とうとう横断歩道上で動けなくなって、歩行者の邪魔をする。
 先日ジョギングをしていたら、横断歩道上に止まっている車があった。車を信用していない私は、いつもなら車の後ろを横切るのだが、車が余りにも横断歩道のど真ん中だったのと、赤信号なのに動き出すはずがないと思い込み、前を横切った。もう少しで通り切るところで、急に車が発進してきた。思わず手を差し出したが、止められるはずもない。しかし相手もやっと気付き停止した。睨み返して遣ったが、知らん顔のままであった。
 昨今の理解に苦しむ事件も、この運転マナーの低下も根は一緒であろう。携帯電話のながら運転の罰則強化が11月から始まったが、まだまだ見かける社会なのである。
  つくしんぼの詩
 公立の小中高生の自殺者が、5年ぶりに増加したとのニュースを聴いた。
 子どもの時は、後になって考えると、ほんの些細なことでも“死にたい”なんて思ったことは、しばしばあったように思う。しかし、一晩寝てしまうとすっかりそのことを忘れてしまう。いつまでも、それを引きずることはなかったように思うのだが、どうであろうか。家族が、学校が、地域社会がそれを克服させてくれた。
 さて今は、どうであろうか。家族が、学校が、地域社会が、更なるダメージを与える構造となっていないだろうか。難しい問題である。子どもたちの心は、今も昔も変わっていないだろう。ならば・・・。
  虫尽し
 ジャマイカのポート・アントニオの丘の上にあるホテルは、場所がら夜、外灯が点くと楽しい昆虫採集ができる。
 いろいろなところを旅していると、ホテルでいろいろなゴキブリたちと知り合いになる。とは言っても、ゴキブリがそんなに多くいるという訳ではない。特に、ごみごみとした都会のホテルに泊まるときは、日本で見かけるゴキブリがいるので、いい感じはしない。今夜も食事の後、ライトを見回していると緑色の虫がいる。触角がやけに長い。”あっ!ゴキブリだ!”
  情報の小窓
『子どもがキレて校内暴力を起こし、教師が家庭訪問しても、教師と相談するのは母親ばかりです。父親はというと、その母親の後ろで自信なさそうに黙っているか、身をちぢめているだけです。母親が子どもに暴力で突破されると、ほとんどの父親はなすすべがありません。父親は日常的に影が薄く、子育てや家事や労働でも父親の姿をほとんど見せていないために、子どもから見ると「母親以下」の存在でしかないからです。だから子どもは、悪いことをしても父親の前でも平然としていることができるのです。』
 岩波新書「子どもの危機をどう見るか」尾木直樹

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