夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その61 発行日  2005年4月24日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 昨年よりは、やはり季節は遅れ気味なのだが、今年も、ツツジが咲き始めた。鮮やかな紫色のフジの花も咲き始めた。しかし、まだ大きなクマバチの姿は、見ていない。残念ながら、街中では、初蝶の代表種であるモンシロチョウは少ないので、まだ見ていないのだが、ナミアゲハが強い風に逆らうように羽ばたきながら翔んでいた。
 あちこちの路地では、愛苦しいスミレの花が咲いている。先週、旅立ったツマグロヒョウモンの雌は、今頃、何をしているのだろうか。すっかり、この街中にも根付いてしまった。今後も、元気に棲み続けて欲しいものである。
  言いたい放題
 2〜3週間経ってしまったけれど、NHKで“格差社会についての討論番組”を放送していた。国際化、国際標準と言われ続け、競争至上主義が根付き、固定した一面だけを照らして成果主義がはびこる中、勝ち組、負け組という二極化の格差社会が生じてきているのである。
 能力には、個人差があるのは当然である。そして社会で要求される能力は、日増しに金儲けをするという一面に長けた能力が問われてきている。そして、それが現在の生きる力?なのであろう。負け組は、頑張りが足りないと言われる、チャレンジ精神が足りないと言われるが、個人では、どうしようもないことは、確かにあるのである。
 私の場合は、競争至上主義にも、金儲けにも、勝ち組・負け組にも興味を持っていない。そのような価値観で人生を生きていないので、お金に関しては、ある程度の生活が出来れば、それ以上を望んだりしない。
 しかし格差社会では、最低の生活さえ難しい社会弱者が生じてきている。仕事とさえ見つかれば、最低の生活が出来るはずなのだが、その仕事に就けない人が増えている。問題は、そこにある。
 日本社会は、子どもを育てられなくなっている。人の心を育てられなくなってしまっている、その結果なのかも知れない。
  つくしんぼの詩
 交差点で赤信号の時、車は、歩道の手前に停まり、歩行者の邪魔にならないようにする。ところが、信号機のない交差点では、車は、堂々と歩道まで乗り出してきて、車道に出るまで、ずっと歩行者の邪魔をする。そのことが、ごく当たり前のように。
 歩行者という弱者をいたわろうという思いやりを失ってしまった。強者の論理だけで、世の中が動いてゆく。そして、弱者は、ここでも切り捨てられるのである。
  虫尽し
 エチオピア南部の山の中腹にある緑に囲まれたホテルに泊まった。エチオピアで予想もしてなかった緑である。
 まだホテルの部屋が掃除してなかったので、外で待つことにする。庭には猿の群が訪れていた。そして近くの花には、日本でも沖縄に棲んでいるメスアカムラサキの雄が止まっていた。“写真に撮っておこう!”早速カメラを取り出して、ばっちり写真を撮った。ところがホテルの外での採集では、一匹もメスアカムラサキに出会わなかった。採りたかった!
  情報の小窓
『まず、自覚的消費者です。むろんのこと、どの国の消費者にとっても商品・サービスの値段は安ければ安いに越したことはない。しかし、いったいそれは何故安いのか、そう厳しく問う消費者のことを、私は、「自覚的消費者」と呼んでいます。イノベーションはじめ正統な理由、適正な利潤(従業員への適正な報酬の源泉)などが守られ、その上で値段が安いのであれば、それは大いに結構。しかし、たとえば生産者が生活費さえ賄うことができないような、また貧困に苦しむ第三世界から不当な安値で買い入れ、略奪資源によって作られたものであれば、それはいかに破格の安値であろうと「私は買いません」と、そう意思表明できる消費者のことです。』
 日本放送出版協会「NHK人間講座 「共生経済」が始まる 競争原理を超えて」内橋克人

Copyright (C) 2005 森みつぐ    /// 更新:2005年4月24日 ///