夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その78 発行日   2007年1月21日
編集・著作者     森 みつぐ
  季節風
 我が家の南側の空き地に家が建ってから、冬になると、朝と夕方しか陽が射し込まなくなってしまったのだが、最近、徐々に、陽が射し込む時間が延びてきた。また、夕方のジョギングが走り終わる頃には、日はとっぷり暮れていたのだが、先週頃から、やはり徐々に、日が長くなってきたのを感じ始めた。
 毎年、冬のジョギングでは、数回手袋をしていても痛くなるようなことがあるのだが、今年は、まだ一度もない。今日もまた、スイセンやパンジーの咲く舗道を、のんびりと走る。そう、のんびり季節を感じながら、日溜まりの中を走るのがいい。
  言いたい放題
 労働基準法を形骸化させようとする動きが政府で、活発になっている。日本政府は、完全に強者である企業の手先となり、弱者である労働者の労働強化を図ろうとしている。日本版ホワイトカラー・エクゼンプションと言われる制度の導入である。
 一部の事務職を法定労働時間規定から切り離して、死ぬまで働けと言うのである。今までは、残業代は払うから死ぬまで働けだったけど、これからは、残業代は払わないけど死ぬまで働けになる。もし、死ななかったら、そのときは、仕事の成果分が支払われることのなる。企業にとっては、人件費削減につながる良き制度であろう。
 制度導入においては、年収900万円以上等々の条件を付けて、対象労働者のハードルを上げてはいるが、当然、いつの日か、そのハードルは引き下げられることだろう。そして悪知恵を働かせて経営側は、その制度を悪用することだろう。例えば、労働基準法で言うところの管理職でもない労働者を管理職に仕立て上げ、法定労働時間規定を外して残業代を払わないようなことは、いとも簡単に行ってしまうように。
 この制度が導入されると、更に多くの家庭が崩壊することだろう。今や日本政府は、強者と手を組んで、弱い者いじめを公然と行い始めている。
  つくしんぼの詩
 なんともイヤな世の中になったものである。バラバラ殺人事件が、立て続けに起きた。それも兄妹間で、夫婦間で。何故、こうも簡単に人を殺してしまうのだろうか。当の本人にとっては、切羽詰っての発作的なことだったかも知れないが、人を殺して問題解決をしようと思うこと自体が異様である。
 日本社会が豊かな経済になってきたとともに、変質してきていることは確かなようである。経済至上主義が社会にもたらした負の側面を検証すべきなのだが、国は、更なる国民への負担を強いることに腐心している。なおざりにしてきた心は、もう取り返しがつかないところまで来ていると言うのに。
  虫尽し
 タイ北部のチョムトン郊外の水田脇にある林で採集していた。
 林には、ウラキシロチョウが翔び廻っている。藪の中を翔ぶ雌を見つけたので、その後を追ってゆくと、葉裏で休息しているビロウドセセリを見つけた。まずは写真を撮り、おもむろに網を手にして、ひと振りした。カサカサと乾いた音が鳴り響く。"えっ!何!!"網の中では、セセリではなくカトリヤンマが迷惑そうに羽搏いていた。"まあ、いいか!"
  情報の小窓
『カントは、「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」という格率を、普遍的な道徳法則として見いだしました。「目的として扱う」とは、自由な存在として扱うということです。自分が自由な存在であることが、他者を手段にしてしまうことであってはならない。すなわち、カントが普遍的な道徳法則として見いだしたのは、まさに自由の相互性なのです。・・・(省略)・・・たとえば、私たちが環境を破壊した上で経済的繁栄を獲得する場合、それは未来の他者を犠牲にすること、つまり、たんに「手段」として扱うことになります。』
 岩波新書「世界共和国」柄谷行人

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