夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その96 発行日 2009年1月25日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 1月下旬から2月中旬にかけて、もっとも寒い季節のはずなのだが、先日、札幌では、一日中、雨の日もあった。日長は、確実に、日に日に長くなっている。札幌に引っ越してきてから2回目の冬、雪上のジョギングにも慣れて、寒さと降雪に問題なければ、真冬でもジョギングはできそうである。今週、夕方のジョギングでは、走り終わっても、まだ薄明かりが残っていた。これから、更に、日は長くなってゆくだろう。
 それにしても、この冬は、暖かい日が多い。去年、真冬には、凍り付いていた巾3m位の水路は、全く凍る気配が見受けられない。雪祭りも近いというのに。
  言いたい放題
 昨年末からの急激な経済不況は、雇用の不安をもたらした。そんな折、経団連の方から雇用を守るという視点から、一つの労働を複数の労働者で分かち合う「ワークシェアリング」の導入も一案でないかとの問い掛けがあった。
 以前にも労使間で、「ワークシェアリング」について議論されたときがあった。このとき私は、「ワークシェアリング」について賛成であった。私の言う「ワークシェアリング」は、多様な働き方の一つとしての「ワークシェアリング」であった。仕事に掛ける時間よりも私的なことに掛ける時間を優先する私にとっては、給料が減っても私的な時間が増えることは、この上ない幸せであった。ところが、この議論は、景気が回復するとともに断ち切れになった。
 そして、今回もまた話題に上った。経営側の求める「ワークシェアリング」は、不景気において労働者の解雇を避けるための、緊急避難的な「ワークシェアリング」である。これは、これで“いつから「ワークシェアリング」に入るか”などの条件を労使間で決めれば、案外、いい案ができるかも知れない。ただ、問題なのは、非正規労働者の扱い方である。多様な労働形態としての派遣労働を強く要望する人もいるが、その人たちは、ほんの一握りの能力ある人たちである。多くの派遣労働者は、不安定な生活の中で、怯えて毎日を送っている。この問題の方を真っ先に解決しなければならないだろう。
  つくしんぼの詩
 冬の雪道は、足元に気をつけながらの歩行となる。雪道は、歩く度に凸凹が広がり、更に歩き難くなってゆく。除雪車が入り、歩道の雪が綺麗に取り除かれると、歩道の凸凹の雪面が、氷のすべすべした面となって、今度は、滑りやすくなってしまう。何はともあれ、雪は厄介なものである。
 お年寄りは、小さな歩幅で、滑らないように恐る恐る歩くことになる。滑って転んで、骨折してしまうと、お年寄りには、その後の大きな痛手になってしまう。そして駐車場からは自動車が、一時停止もせずに、歩行者がいるのに、その目の前を我が物顔で擦り抜けてゆく。
  虫尽し
 スンバワ島の山林で採集していた。乾季の後半なので、少し乾燥気味なのだが、何とか昆虫はいる。
 チョウの採集で網を振っていると、網にアリがいっぱい付いてきた。獰猛なアリでなかったから良かったが、網を振る度に、べったり付いてくる。周囲を調べてみると、多くの葉に群がってアリが付いていた。網を振るよりも、網からアリを払い除けるのに時間ばかりがかかってしまった。
  情報の小窓
『自己愛性という問題にしろ、全く自己愛性が失われ、神や国家のために、人々が身命を惜しげなく投げ打つ社会は、やはり異常である。といって、他人にも共同体にも無関心で、自己愛と貨幣だけを信じて、ばらばらに暮らす社会も、健全とはいえない。/二者択一的な両極端ではなく、その中間に常に軌道修正し、バランスを保つことが肝心なのである。・・・(省略)・・・/現代の日本社会は、共有する価値観や公共精神の喪失により、過度に自己愛的で、ボーダーライン的となった社会に陥っている。その流れが行きすぎず、バランスを取り戻すためには、自己愛と貨幣という最小単位に、「今」という一瞬一瞬の存在に、分解されてしまった人間性を、もう一度築き上げ、つなぎなおすことが必要に思える。
 平凡社新書「人格障害の時代」岡田尊司

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