難波寺 阿弥陀个池に棲る亀も、日なた恋しく 水を出でつつ
春の日の けぶる日よろし。池寺の尼が餌を養ふ亀を 見つつも
なには寺 堀江の岸に売る亀も、みなから買ひて 池に放たむ
町なかの寺ののどけさ━。つづきつつ 夕鳴く鳥も はろけくなりつ
たなそこを拍てば こだまのしづけくて、亀は浮き来れ━。水の底より
池のうへの 稚木の花のたもちつつ、今は 昏れゆく色となりたり
春の日のたそがれ久し。難波でら みあかしの色 まださだまらず
ひそやかに すぎにし人か━。なには寺夕庭白く なりまさりつつ
わが如く 言ふこともなく世にありて、あり果てにけむ人も あるらし
いきのをに思ひひそめて ありしかば、逢うふこともなく 人はなりつも
人しれぬ若き思ひの人 死ぬと 聴きつつ居れば、呆けゆくごとし
まどゐする家の子どもと ある我を わびしと言ひき。人と知りつつ
よき母も よき父も なほ憂かりけり。かなしと思ひき。人と知りつつ
宵早く とざす庭かも。石宮の夕花ざくら 甚に散りつつ
山のうへは、空せまくして静まれり。音するものは 枯れ山の末
隧道の工事とまれる水境━。峰々けぶる二方の山
ひたつちに やまこの立てし布幟 茜さめたり。荒山の霜
村びとの心蔑しきあらがひを よく聞き知りて、われ さびしくなれり
春深き 山の桜も散らむとす。かかはりおほくなれる 村かも
村山の雪消おくれし芝原の 桜は、草の花の如く 咲く