浅間嶺の 麓高原 から松の 林は黒し 春来ともなし
から松の 夕深渓の 渓かけて 汽車うねり出づる 白き湯けぶり
この雨や 芽立の萌黄 かをすかに から松の原を 行けば湿り来
山かげの 田を鋤く人は 馬持たず 高き犂もて のびあがり鋤く
雨の間は 急き鳴く蛙 しきりなり 早や夕づきし 障子にひびけり
軒並は 旅籠の名のみ ゆゆしくて この追分の 宿も荒れたり
馬子ぶしの 古き追分 夕陽さし ぺんぺん草の 二三本の花
旅ごころ 今日うら安し 子を抱きて 絵馬のかずかず 眺めまはりつ
雲のごと 市にむらがる いななきは 北佐久の馬 小県の馬
みすずかる 信濃の駒は 鈴蘭の 花さく牧に 放たれにけり
母が目を 離れつつ 仔の馬は 薄のあかき 穂にかくれけり
観音の 太鼓とどろく 夜のほどろ 下田はるかに 啼く蛙あり
観音の 春はあけぼの 紫の 甍の反りの 隅ずみの鐸
起きぬけに 新湯にひたり 恙なし 両手張りのべ 息深うをり
観音の 金鼓ひびけり 湯に居りて のどかよと思ふ 耳あらひつつ
観音の 平鐘の緒長く こきたれし ながき春日も 暮れはてにけり
七久里の み湯の湯川は 橋竝に 蒲団干したり 春の日をよみ
日のあたる 築地のもとに 絮ふかき 御形が咲きて うれしき御寺
春山の 下田の畔に 来る鳶は おどろきやすし 翼伸し立つ
観音の 甍ながめて 帰るころ 早や夕明る 田螺がころころ
山ゆけば 蕗畑多し 蕗の葉の 畑にあまるは 路へ萌え出ぬ
雲あかる 山の真洞に 啼くこゑは 丹の頬の子雉子 早巣立つらし
雉子啼く 蔭山なだり こもごもに 茅萱萌えたり 丹つつじはまだ
早蕨の 柔毛の渦の 渦巻は 萌えづるただち 巻きにけらしも
ひようとして 寒き風くる 山はなに 上衣いそぎ着けぬ 氷沢