北原白秋

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まこと見る 三笠の山の朝霧は まさしく寒し 奈良に来てあり

三笠山 冬来にけらし 高々と 木群が梢を い行く白雲

鳥毛雲 風吹き乱り み冬なり 三笠の山の ここや裏岨

朝ぼらけ 春日野来れば 冬木には 二段白く 霧ぞ引きたる

森の手に 寒き校倉 足騰り 正倉院は 今ぞ大霜

山茶花の 朝霧ゆゑに 傍行く 鹿の子の斑毛 いつくしく見ゆ

耳朶の 中白の鹿子 雫して 朝見あげゐる 山茶花の霧

頼めなく 夕かがやかし 神無月 わかくさ山の 日あたりのいろ

つれづれと つくばふ鹿の いくたむろ 夕光の野に あらはにぞ見ゆ

鹿のかげ ほそりと駈けて 通りけり かがやき薄き 冬の日の芝

冬薄日 うらなく遊ぶ 鹿の子の うしろ蹤きつつ 我も寒かり

二月堂 つくばふ鹿の つれづれと 目も遣るならし 寒きこの芝

秋の鹿 群れゐ遊べど 寄り寄りに 立つもかがむも 角無しにあはれ

冬ちかき 池のほとりの 夕日向 うつらとどまり 鹿ぞ立ちたる

夕日洩る 木の間に見えて かぼそきは 連なき鹿の 影ありくなり

鹿のこゑ まぢかに聴けば 杉の間の 一木の黄葉 下明るなり

群の鹿 とよみ駈け来る 日の暮を ひたととどまり 冬は幽けさ

春日野の 夕日ごもりと なりにけり さむざむと立つ 鹿の毛の靄

いつまでか もとほる鹿ぞ 夜の街の 家竝の庇 霜くだるなり

庇間や 奈良の夜ふけに 顕つ影の 大きなる鹿の もそと来てあり

猿沢の 柳の眺め さびにけり 余光暫ある 興福寺の塔

池向ひ 築地に明る 冬の陽の け寒き下坂 鹿歩りき見ゆ

和歌と俳句