岐阜県美術館再訪
4月29日、やきもの作家の伊藤慶二さんによるワークショップ「土とあそぶ・《面》(つら)をつくろう」に参加するため、岐阜県美術館に行きました。岐阜県美術館では、5月8日まで「伊藤慶二+林武史」展が行われていて、その関連ワークショップです。また、ワークショップに参加するとともに、時間があれば作品鑑賞もさせてほしいと事前に申し込んでいました。
西岐阜駅からタクシーで美術館に到着、方向を聞いて歩き出すと間もなく同じくワークショップに参加するという親子連れに出会い、その方の案内でワークショップの行われる実習棟に行きました。すでにかなりの人たちが来られていて周りはにぎやかです。参加者は30、40人くらいで、子どもたちの声も多数聞こえます。それに美術館のスタッフ数名とボランティア数名が加わります。私には学芸員のAさんが随時説明などをしてくださり、また岐阜大学で工芸を専攻しているという学生さんが見えない人の鑑賞の仕方を見学したいということでずうっと側で見てくれていました。
初めに伊藤先生からごく簡単にワークショップの内容について説明がありました。かなり年輩の方のようで、朴訥な感じの話し方で「ゆっくりイメージして自由に作ればいい」というようなことを話されました。その後企画展会場に移動して、伊藤先生の面(つら)シリーズの鑑賞です。先生の作品も参考にして自分の作品のイメージを作ってみましょうということのようです。作品は10点ほどあるようですが、どれにも触ることはできず、私はAさんにごく簡単に説明してもらいました。どれも抽象的な作品のようで、口・鼻・目が孔や盛り上がりで示されているだけのようです。私は以前に触ったことのあるズビネック・セカールの顔の作品を思い出したりしていましたが、伊藤先生の作品はもっと平面的で印象もかなり違っているようです。もちろん1点でも触れられる物があれば良いのですが、一般のワークショップでは無理なことなのかもしれません。
それから再び実習棟に戻り、各自作品製作です。まず一人一人に粘土の塊が配られ、それを粘土板の上に伸ばしながら竹串や箆なども使ったりして、皆さん思い思いにいろんな面を作っていたようです。ワークショップは10時に始まり3時半までとなっていましたが、12時くらいには参加者のほとんどは作品をだいぶ仕上げていたようです。昼食を各自とった後、午後1時からワークショップを再開、1時半過ぎには作品製作を終え、各自の作品を1箇所に並べてそれを参加者全員が見て回るということになりました。この時も私は皆さんの作品には触れることはできず、Aさんにちょっと説明してもらったりしました。にこにこ顔のものが多く、なかにはリボンをつけたりなど、かわいらしい作品も多かったようです。ちなみに私のは、新聞紙を下に入れて顔を立体的にふくらませ、口には上下に歯を並べ、鼻は三角にとがり、目は大きく見開いた、たぶんちょっと怖そうな顔を作りました。髪も上に大きく逆立つようにしたかったのですが、粘土が少なくてそんなに逆立ったものにはできませんでした。その後何人かの子どもたちが、自分の作品についてどんな思いで作ったかを発表したり、他の人の作品で良いと思ったものについて感想を話すなどして、2時半くらいにはワークショップは終了しました。
今回は一般の人たちを対象としたワークショップに参加できて、私にとってはとても良い機会になりました。私が作っていると、しばしば子どもたちが見にきて、私の作り方などをよく観察し、どうやってそのように作れるかなど質問があったり、ちょっとした交流になったようです。また学芸員のAさんは、美術館が視覚障害者のために作っている「所蔵品鑑賞ガイドブック」を子どもたちに見せたりしながら、見えない人たちも触ったり言葉で説明してもらったりして鑑賞しているというようなことを話していました。ただ残念なことは、お手本とすべき伊藤先生の面シリーズの作品にはまったく触れなかったことです。少しは想像はできるものの、結局先生の作品の特徴などたいして分からないまま、自分勝手に作品作りをしたような気がします。
昼休み、およびワークショップ終了後4時過ぎまで、Aさんの案内でいろいろな作品を鑑賞しました。
まず、「伊藤慶二+林武史」展の中の作品では、それぞれ1点ずつ、伊藤先生の「沈黙」シリーズの「室」と林先生の「石間」を触って鑑賞することができました。
伊藤先生の「室(むろ)」は、長径40cm余、高さ20cmほどの楕円体の上面に、横幅20cmくらいの長方形の箱を埋め込んだような形をした陶の作品です。楕円体の表面は全体にゆっくりした凹凸と細かいざらざらがあって、石のような手触りです。やや左側には長い割れ目もぐるうっと走っています。上面の入れ込んだ箱の部分は、古びた薄い金属板のような手触りで、箱の中の左側が一段高くなっています。全体の印象から、私は墓石とそれに埋め込まれた棺のようなものをイメージしました。
伊藤先生の作品としては、この「沈黙」シリーズのほかに、「HIROSHIMA」シリーズ、「尺度」シリーズ、そして最近の「面」シリーズや「祈り」シリーズの作品群が展示されていたようです。
林先生の作品としては、「石間」を体感することができました。「石間」は全体としては茶室のようになっていて、周りは美濃和紙のリトグラフ(これには触れられません)で囲まれ、靴をぬいで中に入ってみると、そこは正に「石の間」です。6畳くらいのスペースに、厚さ10cmくらいで一辺が20cmくらいから50cmくらいまでのいろいろな大きさ・形の御影石が2段に積み重ねて敷き詰められています。上の段の石の表面はつるつるしていて、中央当たりに円いふくらみや突起があったり穴があったりします。そして、上の石は固定されていないために、歩いたり座ったりするたびに、少し揺れて下の石とぶつかってカタカタと音がします。狭い空間だとはいえ天井までの高さが高いためなのか、かなり大きな音がします。茶室とはいっても、落ち着いて茶を喫するわけにはいかないようにも思いますが……。何とも変った発送だとは思いますが。実際に触れることはできませんでしたが、企画展会場には、「水田」とか「林間」という題の、御影石を多数立ち並べたような作品もありました。
その他に林先生の作品としては、先生が美術館のスタッフや子どもたちといっしょに作った「春―美濃」(土と焼き物を重ねて作った台のようなもの)や「月に吠える」(日干し煉瓦を積み重ねて作ったピラミッドのようなもの)などの作品が庭に数点配されていました。
その後、触れて鑑賞できる彫刻作品を数点解説してもらいました。エミリオ・グレコ「マリア・バルダッサーレ」、ヴァレリアーノ・トルッビアーニ「夜の番人」、天野裕夫「ティオティワ亜カン」、柳原義達「風の中の鴉」、天野裕夫「重厚円大蛙」、ルノワール「勝利のヴィーナス」の6点です。このうち前3点は5年ほど前に岐阜県美術館を訪れた時に触って鑑賞したものです(
いつでも鑑賞できる美術館――岐阜県美術館の先進的な取り組み )が、「マリア・バルダッサーレ」の台から伸びた左腕、「夜の番人」の奇妙な組合せと形そしてソックスの編み目まで細かく表現する技、「ティオティワ亜カン」の動物と建物ないし自然と人工とが渾然としたふしぎな感覚など、とても懐かしく思いました。以下に、新たに鑑賞した 3点について紹介します。
●柳原義達(1910-2004): 「風の中の鴉」(1981年、ブロンズ)
この作品は、これまでに何度か触ったことのある「道標」シリーズの鴉と類似していました。長さは1メートル近くもある大きなものです。太いくちばしが大きく前に伸び、上と下のくちばしがしっかり強く噛み合っていることがよく表わされています。顔はちょっと斜めを向いているようです。4本の指でしっかり岩をつかんで立っています。羽は閉じているようですが、あちこちに凹凸があります。これは、強い風が羽に吹き付けていることを表わしているとのことです。強い風の中、それには負けじと、くちばしから尾までぴんと伸ばして、しっかりと岩の上に立って前を指し示している感じです。
●天野裕夫(1954- ): 「重厚円大蛙」(1996年、陶)
これを触った時、何か亀のような動物なのかとも思いましたが、上のほうはそれとはまったく違って四角をいろいろ組み合わせたようになっていて、不思議な印象を受けました。この作品が、「ティオティワ亜カン」と同じ作家によるものだと聞き、動物と建物、自然と人工が合わさったような作品という点で共通していると感じました。
大きな 4本の足で支えられた蛙の背には、城とも思えるような建物が組み込まれています。前にある口は横に細長く空いていて、その隙間からは中に小さな蛙が見えるそうです。さらに大きな蛙の後ろにも、小さな蛙が後ろを見張るかのようにちょこんと乗っています。とくに私が面白いと思ったのは、右側面のアンモナイトの形をした渦巻き状の浮き出しと、それと対称的な位置にある左側面のアンモナイトの化石の雌型のような凹みです。これが加わることで、自然と人工だけでなくさらに地球の歴史までもがこの作品で渾然一体となっているように感じました。
●ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919): 「勝利のヴィーナス」(1914年、ブロンズ)
これは庭園に展示されていた作品です。50、60cmほどの台の上に乗っていて、そのままでは胸くらいまでしか届かなかったので、踏み台を用意してもらってその上に上がって触りました。裸体の女性像です。お腹も胸も大きく、豊満な感じの女性のようです。右手にりんごを持ち、左手は伸ばして布を持っています。その布は下まで垂れて広がっています。右足で立ち、左足はかるく曲げて膝の下当たりに広がった布があります。顔は、とても彫りが深く、鼻や目が大きい感じです。
ヴィーナスといえば、あの愛らしい少女のようなヴィーナスを想像してしまいますが、このヴィーナスはまったく違いました。自分の体の素晴らしさをあたかも見せ付けようとするかのように、体はやや前に倒し加減の姿勢になっています。また、右手に持っているりんごですが、これはギリシア神話のパリスの審判の話(ペレウス王の結婚式に自分だけが招待されなかったことを恨んだ不和の女神エリスが、宴席に「最も美しい女性に」と記された黄金のりんごを投げ入れたため、ヘラ・アプロディテ・アテナ(ローマ神話では、ユノ・ヴィーナス・ミネルヴァ)の3女神が美を競い合うことになる)にあるりんごではないかとのことです。ヴィーナスがその美の争いを制して、勝ち誇るかのようにこれ見よがしに、りんごを掲げ持っているように思われます。
その後、熊谷守一やルドンを中心に、所蔵品展もごく簡単に案内してもらいました。
熊谷守一の作品では、「ヤキバノカエリ」が視覚障害者用のガイドブックに触図として載っており、また「雨来」は立体コピーで用意してくれていたので、鑑賞のためにとても参考になりました。「ヤキバノカエリ」は、長女を結核で亡くし、焼き場で火葬した帰り道を描いたものです。道を歩いている二女、長男、それに作者が描かれています。3人とも、顔は丸いだけで目鼻は描かれておらず、中央の長男が胸に持っている白い骨箱がとくに目立っているようです。(ちなみに、この絵に描かれている二女のカヤさんは、現在豊島区立熊谷守一美術館の館長をしておられるとのことです。)「雨来」は、かえるが4匹描かれているだけの単純な作品です。顔の向きや足の開き方が、それぞれ少しずつ異なっています。雨を期待してうれしそうな感じです。立体コピー版では、体には数本やや傾いた横線が入っていますが、これは筆遣いを表わしているとのことです。解説してもらった作品では、その他に、「蝋燭」「菩薩」などが印象に残っています。
今回「所蔵品鑑賞ガイドブック 2008年度版」を頂きました。その冒頭には、「岐阜県美術館は視覚障害者の方々のご来館をお待ちしています。会館日にはいつでもご利用いただけますし、スタッフが鑑賞のガイドをいたします。所蔵作品の展示では、約10点の彫刻を、手で触って鑑賞できます。絵画については、対話でガイドをいたします。」と書かれています。なんと素晴らしいではありませんか。これだけはっきりと具体的に、視覚障害者を積極的に受け入れることを明記しているミュージアムは全国的にも少ないと思います。前回(2006年)、岐阜県美術館を訪れた時に頂いたガイドブックにも内容としてはほぼ同じことが書かれていましたが、括弧書きで「来館前に電話でご予定をお知らせください」と書いてあります。「事前予約」から「いつでも」になったわけで、これは美術館側の対応としてはかなりたいへんなことで、それだけに大きな前進と言えます。今回もAさんはじめ回りの人たちの協力で充実した一日を過ごすことができました。ありがとうございました。
(2011年5月17日)