「ねえねえ、菜花ちゃんっ!」 「どんなトッピングにしたのっ!? どうして、教えてくれないのよっ、意地悪〜〜〜〜!」 「ええ…?」 「内緒だよ〜、恥ずかしいもんっ」 …だって。春菜ちゃんに話すと、30分後には、どどどっと100人くらいの人に知れ渡るんだもん。もう10年以上のつき合いだもんね、春菜ちゃんのこともよく分かってる。その上、春菜ちゃんのママもすごくて、フラワーアレンジメントの生徒さんにべらべらとしゃべっちゃうのだ。 でも、春菜ちゃんは何を勘違いしてるのか、過剰に反応してくる。 「えええっ! 恥ずかしいって…一体どういうことよっ! まさか…『今日はケーキよりも私を食べてv』とか書いてあるんじゃないでしょうねっ!?」 「…ち、違うよっ!」 おいおい、いくら何でもそれはない。そんなことお店のパテシエのお兄さんに頼めますかってっ! 「じゃあ、何なのよ〜」 春菜ちゃんはしつこく食い下がってくる。ああ、ピアニストになるのはやめて、芸能レポーターになればいいのに。その方がよっぽど天職だと思うけどなあ…。 「あとで写メール送るから。それで、いいでしょ?」 あたしがそう言うと、春菜ちゃんは渋々と承知してくれた。でも、ふつふつと本能の血が騒ぐらしく、思わせぶりの視線であたしをのぞき込んでくる。春菜ちゃんもそんなにのっぽじゃないけど、何しろあたしが人並み外れてちびなので、どうしても見下ろすかたちになる。ちょっと威圧感。 「で、でもさっ! とうとう解禁日が来たのね〜。いやんっ、岩男くんってば、今日廊下ですれ違ったけど、何食わぬ顔だったわよ。でも、頭の中は妄想が渦巻いてるのねっ! あはは、楽しいなあ…」 「解禁日って…」 「ね、ねえっ! 今日はもう早速? ケーキを持ってお邪魔して、そのまま…きゃあああああっ! 明日の朝、もう菜花ちゃんはオトナになってるのねっ! いやん、どうしよう…」 身体をねじって、喜んでいる。怖いよ〜春菜ちゃん、まるでオヤジだよ。あたしはそんな親友を白い目で見つめた。 「…あのねえ、春菜ちゃん」 「岩男くんちはおばあちゃんがいるのよ? そんなこと出来るわけないじゃない」 「あ、そうか…」 そうだよ〜、今時高校生がえっちするなんて、普通の親だったら驚いても受け入れちゃうかも知れない。「避妊だけはしっかりしなさい」とか言ってさ。でも、敵はおばあちゃんだよ? 昭和ひと桁生まれだって言ってたよ? 彼女にとってはあたしはいまだに「幼稚園カバンを斜めがけにした菜花ちゃん」なのだ。いつもミルクココアを出してくれるし。 「それに、今日はふたりで図書館に行く約束をしてるの。ケーキはその前におやつに食べようかなって…」 「えええ〜〜〜〜っ!! 図書館っ!!」 だ〜か〜ら〜…、いちいちそんな風に大きく反応しないでよ。軽くたしなめようとしたのに、春菜ちゃんってば、ぶんぶんと学校指定のカバンを回しながら(当たったら、痛そう…)叫ぶ。 「図書館って…、だって、あの裏には。例のペンション風のおしゃれなプチ・ホテルがあるんじゃない。そう言えば、ウチのクラスの美咲ちゃん、この前彼氏と行ったんだってよ? すごく可愛かったって。いいなあ〜、じゃあ、菜花ちゃんの初えっちはそこで決まりねっ!」 「あの〜、春菜ちゃん…」 「あそこのオーナーって、パパのお友達なの。商工会で一緒なんだって。すっごく仲いいんだよ、冷蔵庫に割り引きチケットが貼ってあるもん」 ラブホのチケットを冷蔵庫に貼ってしまうその神経が信じられない。ウチには多感なお年頃の子供が3人もいるんだからね。…それに、たまにそれが増えたり減ったりしているのはどういうことだろう? やっぱ、使っているんだろうか…想像したくない。自分の親のそう言うことって、誰だって嫌だよねえ。でも、パパの場合、容易に想像出来そうなのがもっと嫌。 「うわっ、さすがっ! 菜花ちゃんちはどこまでもオープンなのねえ…」 「だから。春菜ちゃんが想像していることなんて、何もないの。あたしはみんなとは違って、清らかに生きるんだから。岩男くんだって、そんなこと絶対に考えてないよ?」 「えええええ〜、そうなの? ゴールデンカップルの初えっちなんて、この上ないおいしいニュースなのに。つまんないなあ…岩男くん、本当にそんな感じなかった? 彼のことだから、『18歳になるまでは駄目だよ? 結婚出来ないからね』とか言ってると思ったんだけど…ああ、ぬか喜びか…」 …当たってるけど。あら、言ってなかったのに。あたしよりも岩男くんの心理に詳しいというのもどうよ? 「それにさ、菜花ちゃん今って、日程的にもベストなんじゃないの?」 「う〜ん…まあねえ…」 ウチの学校の家庭科の先生は、高校1年生の授業で基礎体温をつけるように指導してくれる。基礎体温は何も、妊娠可能な期間を知るためのモノだけじゃないのだ。思春期の女の子は体調が不十分のこともあるし、今は無理なダイエットなどがたたって、無月経とか多いみたい。そう言うのは放置しておくとゆくゆく困ることになるそうだから、早めに分かった方がいいんだって。 「あと、1週間で生理だから。丁度、今が高温期だわ」
生理の第一日目を初日として、次の生理の第一日目までがひとつの周期。生理が終わって、しばらくは「低温期」となる。身体も動きやすくて、アクティブな時期だ。そして、毎日体温を測っていると分かるんだけど、ぎゅーんと上がる時期があるのよね? 最初に自分のグラフを見た時は感動した。それが排卵期の前後。まあ、この日、と断定するのは素人には難しいけど、ぎゅーんとあと3日4日たてば、「排卵」は終わってる。 一度だけ、岩男くんとふたりでいる時に「ピルを飲もうかな?」と言ったことがある。別に「誘ってる」とかそう言うつもりはなかったんだけど、何だかちょっと不安になって。このごろは扱いやすい種類のモノが出ていることもあって、お友達の中でも飲んでる子がいる。望まない妊娠をして中絶をするよりも、ずっといいんだって。 お友達の話を聞くと、付き合いだしてすぐにそう言う関係になる子はすごく多い。あたしたちくらいの男の子はやりたい盛りの10代後半。それが当たり前のことなんだって。 でも、あたしがピルの話を出した時。岩男くんはものすごい怖い顔をして、絶対に駄目って言った。 「あのね、菜花ちゃん」 「ピルには、いいこともたくさんあると思うよ。望まない妊娠を回避することが一番だけど、そのほかにも貧血・良性乳房疾患・骨盤内感染症・子宮外妊娠・良性卵巣嚢腫・子宮体ガン・卵巣ガンなどを予防するメリットがある。でも…その反面に困ったことだってあるでしょう? …これだけのことを、教科書を見ることもなくすらすらと解説してしまう。やはり岩男くんはすごいと思う。基礎体温のことだって、話が出た時にあたしのグラフを見せてあげたことがある。 「へえ…本当に、こんな風になっているんだねえ…」
何度も頷きながら興味深く見入っていたけど、もうあれは半年も前のことだ。28日周期だから、少しずつ前にずれてくる。岩男くんがあたしの今の体調を知るはずもない。 「ああん、もったいないわね〜そりゃ、岩男くんのことだからきちんと避妊はしてくれるでしょうけど。こんなにバッチグーな日程はおいそれとはないわ」 バッチグーって…。別に、岩男くんが逃げる訳じゃないし。来月もその次もこの先ずっとに「高温期」はやってくるんだから、何も今日必死にならなくてもいい気がする。 「重ね重ね…残念で仕方ないけど。まあ、そう言う時はちゃんと教えてよね? 私たち、親友でしょ? 菜花ちゃんの幸せは私の幸せよ、それだけは忘れないでねっ!」 「…はいはい」 ああ。あたし、春菜ちゃんの初えっちの話も、その後の話も…何度聞いたか分からない。春菜ちゃんの最初の彼は大学生だったから、えっちもすごく上手だったんだって。まあ、上手いとか下手とかよく分からないけどさ。むしろその次の彼氏が同級生で、その上童貞を捧げられてしまったから、もう大変だったと言っていた。気がついたら自分の方がリードしていて、泣きたくなったって。 坂の下で別れる。これからピアノのレッスンだというのに、一体何を考えているんだろう…? 絶対に何かを期待している背中を見つめながら、あたしはふうっとため息を付いた。
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「明日から、テストでしょう? …大丈夫?」 「うん、図書館に行くの、岩男くんと」 「ふうん、そうなの」 「ねえ、菜花ちゃん…」 「そのTシャツは顔映りが今日はいまいちみたい。ほら、前あきのノースリーブのがあったでしょう? それにカーディガンの方が可愛いし、知的だわ」 「へ…?」 「それに、ゆらゆら揺れるイヤリングも良くないわ。ちっちゃいのがいいわよ。あと、髪の毛もポニーテールは…」 「え〜?」 …もう、せっかくすぐに出かけようと思ったのに。何よ〜。 でもママはにこにこ笑いながら、あたしを二階に行かせようとする。 「そうだ、岩男くんちに最初に行くんでしょ? じゃあ、持っていって貰いたいものがあるの。ママもそれを支度するから、その間に着替えちゃって」
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岩男くんが生徒会長で、あたしは1期目が書記、2期目が副会長。副会長は2人いて、そのうちのひとりだ。学校生活の全てのスケジュールから考えれば、大したことないかも知れない。でもてきぱきと議題をこなしていく岩男くんのりりしい姿を間近に見るのはとても素敵なことだった。 …それだけじゃないよ。 ウチの学校は何故か文化祭が5月にあるんだけど。その時に実施される「ミス西の杜コンテスト」…どういうことか、今年もあたしが選ばれてしまった。そりゃ、中等部の時は3年間キープした。でもこういうのって、彼氏が出来ると不利かな〜ってちょっと思ったのよね。 でねでね。…ああ、思いだしても嬉しくなっちゃう。 講堂のステージに上がったあたしにでっかい花束を手渡してくれたのが、なんと岩男くんだったの。普通はコレ、文化祭実行委員長の役目なんだよね? でもみんなからの要望でそうなったんだって。さすがにみんなの目の前で、ほっぺにちゅーとかしてくれなかったけど、もう胸がいっぱいになって涙が溢れて来ちゃった。 「おめでとう」
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「あっ…ああっ…! 菜花ちゃんっ…!」 ばたばたばた。何だかものすごい地響きがして、岩男くんがお玄関まで飛んできた。どうしたの、涼しい10月に大汗なんてかいちゃって。あたしが目をぱちくりさせていると、岩男くんが心なしか赤くなったほっぺをひくひくさせながら言った。 「と、とりあえずっ…、上がらない?」 「あ。…うん」 「これね、お持ち帰り時間30分でドライアイスいれて貰ったから。今なら冷え冷えだと思うよ? お紅茶いれて食べようよ」 「あ…ああ、そうだねっ…」 「おばあちゃんは? …お買い物?」 「岩男…くん?」 「うっ、うわっ!!」 …がっちゃ〜ん…! あたしがお台所をひょいっとのぞき込んだ瞬間に、お客様用の白いカップがひとつ床に落ちてはじけ飛んだ。 「…あ、大丈夫?」 「ご、ごめんっ! いいよ、怪我でもしたら…」 「…岩男…くん…?」 あんまりにも心配になって下からのぞき込むと、俯いたままだった岩男くんが観念したように顔を上げた。 「あ、あのねっ…あのね、菜花ちゃん…っ!」 左手も伸びてきてあたしの右手は岩男くんの両方の手にぎゅうーっと包まれていた。かがんだままの姿勢で、何が何だか分からないあたしは目をぱちくりすることしか出来ない。 岩男くんは、何だかとっても辛そうに何度か深呼吸をした。それから、震える声でこう言ったのだ。 「実は…おばあさんが、紅葉狩りに出かけたんだ。夜まで戻らないんだって」
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