『菜花ちゃんも……あるでしょ、なりたい自分。お互いに、それを目指してみようよ』 それは岩男くんがあたしに出した宿題。ずっと岩男くんのことだけを追いかけて、見失わないように必死になっていたあたしにとって、いきなり知らない場所に投げ出されたみたいな衝撃だった。 岩男くんがいない場所でも、あたしはちゃんと輝ける。憧れの先輩・田中さんのように、颯爽と生きていける大人の女性になってみよう。そしたら、きっと岩男くんもあたしのことを認めてくれる。それまで頑張らなくちゃ。 ――でも、三年近く経って。 あたしの心の中は、まだ岩男くんでいっぱいだった。仕事に打ち込みたい、そう思いつつも出来ない。いつでも心の一番大切な場所に岩男くんを置きたかったから。 仕事も家庭も、全部を手に入れたパパみたいにはなれないのだろうか。パパはお仕事も大切だけど、同じくらいママが大切。ううん、ママのためにお仕事を頑張っているという感じよ。
岩男くんの重大な秘密を、妹の梨花から聞いて。あたしの頭の中はごちゃごちゃだった。 今回の大阪行きに、どうしても欲しかったもの。それは岩男くんの出した「宿題」に対する答え。でも……無理。そんなにいきなり、手に入るものじゃないもん。結局は手ぶらのまま。
「――どうしたの、すごいお顔よ。菜花ちゃんがしぼんじゃったみたい」 週末までは、それでも頑張って仕事をこなした。でも今日、土曜の朝が来たら一気に脱力して。新幹線は午後だったから、朝はゆっくりで大丈夫。なかなかお布団からも出られなくて、ぼんやりと階段を下りてきたら、ママにさりげなく聞かれた。 ほっそりとした白い手。差し出してくれるミルクティーはちょっと濃いめ。――ああ、十時だ。もうパパのお店の開店時間。 「うーん……」 もうみんなとっくに朝食が済んで、それぞれの日常に移っている。窓の向こう、はためく洗濯物。お掃除もすっかり終わっていた。 ママはトーストとオムレツのプレートを並べると、キッチンテーブルの向こう側で編み棒を動かし出す。かなりの幅がありそうだから、パパのかな、樹のかな。今年の冬はまだ、新作がないから、まずはパパのだろうな。樹のを先にしたら、パパが拗ねちゃう。 「どうしたのー?」 あんまり手元を見つめていたからかな。ママはふと顔を上げた。 肩より少し下、切りそろえられた髪の毛。ほんのり明るくカラーリングして、目立たない程度のウエーヴが掛かってる。歳のせいかな、この頃髪が痩せてきたみたいで……とか言うけど、やっぱママは歳を取らない。シワもほとんどないし、ちっちゃい頃から本当に変わらないなあ。 「ねえ、ママ」 「ママって、どんな大人になりたいって思っていたの……?」 「え……?」 「なあに? 何だか、小学生みたいな質問ね。……うーん、そうねえ」 ママはくるりと首を回して考えてる。いつでも何か訊ねると、本気になって悩んでくれたりするから、ちょっと嬉しかったりするの。「うるさい」とか「あとにしてね」とか、あまり言われたこともない。ああ、ママって、あたしのこと大好きなんだなって思う。 少しの間があってから、ママはにっこりしてあたしに向き直った。 「幸せになりたいなって、思っていたわ」 「……?」 この答えには、こっちの方がびっくり。思わず、フォークに刺したプチトマトを落としちゃったじゃないの。小学生みたいな質問って言うけど、ママだって小学生みたいな回答だよ? 「ママね、色々なりたいものはあったような気がするの。結構気まぐれだったし、将来なりたいものもどんどん変わっていったな。……でもね、いつもその先には、ママとママの周りの人たちが幸せになる未来があればいいなと思ってた。みんなが気持ちよく暮らしていける空間が作り出したいなとか――なんか、気障ねえ……」 くすくすっと笑う、頬が少しピンク色。照れてるママも可愛い。 「そんなんで……いいの?」
何か、気が抜けちゃって、あたし、ぼーっとしてしまった。何それ、そんなのきちんとした大人じゃないよ。 たとえば梨花みたいに動物のお医者さんになりたいとか、梨花の彼氏くんは塾の先生になりたいって言ってるって聞いた。樹の宇宙飛行士の夢はもうないと思うけど、あの子もそれなりに将来のことを考えているはず。「幸せになりたい」なんて、漠然過ぎて、つかみ所がないよ。どこまで言っても、辿り着けない気がする。
「ふふ、いいのよ」 あたし、ママがよく分からなくなることがある。ひらりとかわされた気分になって、ちょっとムッとしちゃう。でも、ママはまるであたしの心の中まで読めちゃうみたいに、ふんわり笑うんだ。 「ねえ、菜花ちゃん。かたちがあるものばかりが『夢』じゃないわよ。……そうでしょう?」
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岩男くんは、もうがちがちと噛み合わない歯で、必死で言葉を繋ぐ。そうしている間も、ぎりぎりと締め付けられるみたいに腕に力が入って、かなり呼吸が苦しい。ああん、潰れちゃうよ〜っ、どうしたの、こんなに力一杯。いつの間に、全部脱いだんだろう。岩男くんの足があたしの太股の下でざりざりとしてる。 「何か、必死になってる菜花ちゃんが、すごく綺麗で、ストップかけるのも忘れちゃったんだ。もう、嫌ならやめてくれればいいのに、どうしたんだよ、菜花ちゃんは……!」 岩男くんの肩が大きく震えて、もう一度かすれる声で「ごめん」って言った。あたしはもう、苦しくて苦しくて。声が出せない状態。ようやく腕が少し緩んだかなって思ったら、次の瞬間に、ふわっとおしりが持ち上がった。 「……きゃうっ……!」 ものすごい、衝撃。最初は何が起こったのか、全然分からなかった。座ったまま向き合って、抱きしめられている状態なのに……うわ、何っ!? 「ご、ごめんっ! 言わなくちゃいけないこととかっ、いっぱいあるのは分かってるんだけど。もう、我慢出来ないんだ……!」 ひゃあっ! いつの間にか、岩男くんがしっかりとあたしの中にいる……! いつも、すごい存在感なんだけど、今日のは……ええと、もっとすごい。ぐーっと内側の壁を押し広げていく圧迫感。胃が腸がぎゅうぎゅうと押し上げられて、喉につかえて来るみたい。 やぁん、いきなりなの!? こんな、前触れもないなんて、初めてだよ。 「行くよっ、菜花ちゃん……!」 ぐるんと、視界が反転して、岩男くんがあたしの上に覆い被さってくる。繋がった部分はもうきっちりと収まっていて、そのまま宙ぶらりんになっても抜けないくらいぴっちり。行くよって……ちょっと、と思っていたら、岩男くんは抜けるはずのないそこを、強引に動かし始めた。 「あっ……ううんっ! ……やあっ……!」 いっ、入り口が裂けちゃう! もう身体の中央、脳天まで貫かれてる気分。「感じてる」とか、そういうありきたりな感覚はとっくに通り過ぎて、自分の身体が内側から麻酔なしの改造手術をされているみたい。こんなコトしてたら、身体中が歪んじゃう。 ……っていうか、もう、息が出来ないよっ、苦しいよぉっ……! 「あっ、ああっ、菜花ちゃん! 菜花ちゃん……! くっ、くぅっ……!」 うわん、ベッドが大きく揺れる。 これって、振動が下の部屋まで伝わったりしない? 何か従業員の人がびっくりして飛び込んできたらどうしよう。背中の下がぐらぐらと安定しないのって、かなり怖い。マグニチュード7.5の大地震、そして、上からは岩男くんの動きにあわせて、大量の雨が降り注ぐ……って、これは汗だよね? うわ、うわああ、もう頭がぐっしょりだよ? 額から、汗がどんどんこぼれ落ちてくる。 や、やあっ! もう、駄目だってば! 腰から下が、砕けちゃう。助けて、もうっ! 「いっ、岩男く……んっ!」 必死にしがみつく。ぬるぬるの肩、そして首筋。このままだとどこか深いところに堕ちていってしまう。怖いよ、引きずり込まれそう。 どうしちゃったの、岩男くん。いつもと全然違うの。だって、いつもは途中で止まりながら、ゆっくりゆっくり身体をほぐしてくれるじゃないの。あたしの身体は岩男くんの起こす波で心地よい快感に漂っているはず。 「あっ……はあっ!」 頭の中が泡立って、もう何も考えられなくなる。ぶくぶく、無数のあぶくが、辺りを漂う。あたし、無重力の空間にいるみたい。
ごめんって、いままでごめんって。何故だか、岩男くんが何度も何度も謝る。あたし、そんな悪いことされた覚えもないのに、岩男くん、これって泣いてるの? ……それとも全部が汗? 足を大きく開かれたり、持ち上げられたり、ひっくり返されたり。どんな格好になっても、岩男くんの動きが止まらない。あたしはもう、どうにか突き落とされないように耐えることだけを考えていた。振り切られたら戻ってこられない、大波小波。いくつもいくつも越えて。 ふたりの息が上がって、喘ぐ声がかすれて。とうとう息しか出なくなって。
「うっ……、ううううっ……!」 唸る断末魔。あたしを覆っていたもうひとつの物体が大きく震えて、しなって、そして静かになった。 「あっ……はぁっ!」 一呼吸置いて。岩男くんが溜まっていた息を吐き出す。それと一緒に、とろっと下の方が生温かくなった。 不思議な感触に、よろよろとそこを見る。あたし、気が付くとまた座った姿勢で、岩男くんに必死で抱きついていた。ふたりの繋がりあっていたところ、一瞬見て、すぐに目をそらす。うわ、生々しい……! ぱっと顔を上げたら、そこにはほっぺの真っ赤な岩男くん。もう一度、今度はゆっくりと、汗だくの胸に抱きしめられた。すごく速い心臓の音。ああすぐ傍にいるんだなって思うと、それだけでホッとする。のど仏の辺りが、こくんと音を立てた。 「……透さんに、叱られちゃうかな?」
テーブルの上。今回のパパからの「贈り物」が封も切らずに置かれていた。
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汗だくでどろどろだったから。もう一度、シャワーを浴びたの。バスルームまでは岩男くんに抱っこして運んで貰った。だって、足と腰ががくがくで、とても立ち上がれる状態じゃないんだもの。そして、赤ちゃんみたいに身体の隅々まで洗ってくれる。シャボンの泡でいっぱいの手のひらがやわらかくやわらかく肌を滑って、眠くなっちゃうくらい心地よかった。 こんな風にしたの、初めて。いつもだったら恥ずかしくて絶対に断るのに、今日のあたしはすごく素直だった。
「うん……まあ」 最後の方は絶叫マシーンに揺られてるみたいで訳が分からなかったけど。いつもよりももっと岩男くんが近くて、本当にひとつになっちゃったみたいだったよ。最後は、身体が全部吹き飛んで何にもなくなっちゃうのかと思ったけどね。 ああ、やっぱり腰が痛い。こうしてベッドの腰掛けているのも辛くて、そのままごろんと横になってしまった。岩男くんが振り向いて、髪を撫でてくれる。初めて見たよ、バスローブ姿。恥ずかしそうに着込んで「……終わったばかりなのに、これからするみたいだね」って言ったのにはぎょっとしちゃったけど。うう、今夜はもう嫌、とは言わないけど。あと2時間くらいは休憩をちょうだい。
それからしばらく、また岩男くんは何も言わなくて。あたしもとろとろと寝入りそうになった頃に、ようやく話を切り出した。 「やっぱり、菜花ちゃんがいないと駄目みたいだ」 急にそんなことを言うから。あたしはぱちっと目を開けた。ふたりの視線がぴたっとあって、岩男くんの方がふふっと笑う。何がおかしいのか、分からないけど。そのまま、仰向けに寝そべるとあたしの隣に寄り添ってきた。腕枕して、そっと額にキス。吐息が肌に落ちるだけでくすぐったい。 「そんなこと……初めて聞いた」 やっぱり、ってことは、いつも思っていてくれたってこと? だったら、もっと早くきちんと言葉にして欲しかった。ちょっと拗ねた気分になって見上げると、あったかく包み込んでくれる瞳。それだけで、胸がいっぱいになる。 魔法の呪文みたいだね。そのひとことだけで、あたしの心は一気に塗り替えられる。何で焦っていたんだろう、今関さんは仕事上のパートナーなのに。岩男くんとは全然ポジションが違うのに。 「あたしも……岩男くんがいないと、駄目みたい」
岩男くんの力を借りなくても、自分ひとりでしっかりと歩いていけるよって、証明したかった。でも、駄目。心がすれ違ってるなって思った瞬間に、あたしの世界は丸ごとガラガラと崩れてしまう。岩男くんって言う柱がないと、あたしの宇宙は確立しない。それくらい、重要なんだ。 ――ね、岩男くんは、あたしのこと大切? それだけなんだよ、心配なのは。岩男くんの心だけがしっかりとあたしを見つめていてくれるなら、きっと上手く歩ける。お仕事だって、頑張るよ。自分の出来る限りのことをしたいと思う。それで…… 上手に出来たら、いっぱい褒めてくれるよね?
「透さんと、約束したんだ」 やがて。岩男くんがぽつりぽつりと話してくれたのは、あたしの全然知らないこと。岩男くんは去年の成人式のあと、パパに誘われてふたりで呑んだんだって。そんなの……聞いてない。 パパにとって、岩男くんはずっと息子同然だった。岩男くんもパパのことを慕っていて、まるで本当の親子みたいだった。見た目は全然、似てないけどね。やっぱり、岩男くんって、どこかパパの影響を強く受けてるなって思ってた。 「菜花は、君のことが本当に好きなんだと思う。でも、君の方はどうなのかな。ひとりの人間の人生に寄り添うと言うことは、簡単なことじゃない。菜花は大切な娘だ、生半可な気持ちの男にはやれない」
――俺が唸るほど、立派な男になって見ろ。そして、俺を投げ飛ばしてでも、菜花を奪いに来い。そう言われて、岩男くんは敵わないと思ったって言う。
「……何度か言ったと思うけど、今でも信じられないんだ。どうしてオレの隣に菜花ちゃんがいるのか。いつの間にか当たり前みたいになっていたけど……よくよく考えると不思議だよ。就職して、菜花ちゃんはますます綺麗になって。ちょっと見ないでいると、また素敵になるんだ。菜花ちゃんを綺麗にしてるのは、誰か他の奴なんじゃないかって、疑心暗鬼になることも、正直あるよ」 そのまま、今度は頬にキス。どうしてそんなこと言うのって、悲しくなる。岩男くんの心の中にそんな感情があるなんて、知らなかった。いつもしっかりしていて、どーんと構えていて、あたしのこと、丸ごと受け止めてくれるのに。 「今回だってね、いきなりこんな中途半端な時に会いたいなんて言い出すでしょう? 何か良くない話でもあるのかなって緊張してたら、ホテルに着くなり……。もう、菜花ちゃんにからかわれてるとしか思えなかった。オレのこと試してるんなら、ちょっと苛めちゃおうかなって――ごめん、本当に。菜花ちゃんがそんな子じゃないって、ちゃんと知ってるはずなのに。どうかしてた」 岩男くん、とっても辛そう。何か、ゴメンね。あたしがこんなだから、ひとりで全部背負わせて。そんなじゃないよ、大丈夫だよ。あたしは丸のまま、岩男くんが大好きだよ。全部、大好きだよ。心の中で必死に叫んだ。応えてくれてるのだろうか、震える指、あたしの輪郭を辿る。
声がかすれているね。本当に心ごと、振り絞っているんだって分かるよ。岩男くんの匂いがあたしの周りに充満して、もうそれだけで十分だって思っちゃうけど。この途切れ途切れの言葉はきちんと受け止めなくちゃって、思う。こんなに一度に一杯しゃべる岩男くんは初めて。 「菜花ちゃんの相手として恥ずかしくない立派な人間になるにはどうしたらいいんだろうって、色々考えてた。でも、俺が必死にひとつのことを達成するうちに、菜花ちゃんはもっと素敵になるんだ。こんなじゃ駄目だ、一生駄目だって、少しヤケになっていたかも知れない。距離を置くことで、菜花ちゃんが離れていくなら……辛いけど、それもあり得るかなって。……ごめん、情けなくて」
泣き出しそうな瞳を見つめていたら、今出来ることがひとつだけ、浮かんだ。 そっと伸び上がって、あたしからキスする。岩男くん、最初はすごくびっくりした顔をして、でもすぐに嬉しそうに目を細めた。そして、今度は、もっと深いキス。ねっとりと絡みつく感触に、また心が浮かび上がりそう。 傍にいたいって気持ちは、ふたりで一緒。同じくらい恋しくて、愛おしい。そう……信じていい?
「決めた、やっぱり。オレ……逃げるのはやめる」 左の頬に、滑らかなシーツの感触。右の頬は岩男くんの手に包まれてる。じっと見つめられて、すごく恥ずかしい。岩男くんの真剣な目、ぞくぞくするくらい素敵。 「大きな人間になって、菜花ちゃんを丸ごと包み込めるようになろうって思っていた。だけど、そんなのは思い上がりなんだよ。菜花ちゃんを閉じこめることなんて出来るわけない。オレはオレで、菜花ちゃんは菜花ちゃんで。精一杯生きるためには、一生分の時間が必要なんだよ。自分が完成するのを待っていたら、白髪のお爺さんになってしまう。そんなのは嫌だよ」 静かに、あたしの手を包み込む。大きな手のひら、太くて頑丈な指。伝わる鼓動が、あたしたちをひとつにする。 「卒業したら、あっちに戻る。きちんと就職決めて、そしたら透さんに会いに行くよ。菜花ちゃんを下さいって、お願いに行くからね。まだ、とても透さんには敵わない、でも菜花ちゃんと一緒に幸せになりたいんだ。ひとりずつだと難しくても、ふたりなら叶う夢がきっとあるよね? ……ままごとみたいだって、言われてもいい。オレと菜花ちゃんの未来を作ろう」 こんなシーンでドラマみたいに指輪が出てきたらすごいんだけど、そんなの無理。岩男くんはあたしの左手を取ると、薬指を根元まで、ちゅるんと口に含んだ。そして、すごく小さな声で言うの。 「ここは、予約だよ」 そんな当たり前のことを今更言わなくたっていいじゃないと思うんだけど。でも、こんなのが岩男くんかもな。いつの間にか、あたしは泣き笑いの顔になってしまった。
「待っている」だけではない、「受け止める」でもない。あたしたちは、それぞれの空間で生きる違う人間。たくさんの感情を抱えて、それでもお互いがお互いを求めて。 どんなに遠回りしても、最後に帰り着く場所は決まってる。あたし、頑張るよ。岩男くんのために、もっともっと素敵になる。仕事も今よりもずっと張り切って、ぴかぴかになるから。そしたら、そんなあたしをきっちりと迎え入れてね。目を、そらさないで。 その日1日が岩男くんと一緒に始まって、岩男くんと一緒に終わる。そんな当たり前だけど素敵な「未来」が、きっとあたしたちに訪れる。互いを包み込むほどの大きな翼は手に入らない。でも、ふたりの想いをしっかりと重ね合ったら、身体と心を休める小さな「巣」が作れるはず。
も一度、やさしい約束のキス。離れた瞬間に、ふたりのおなかが同時にくううっと鳴った。 ――やぁん、こんな時に! どうして、ロマンチックにまとまらないのかしら。 ふたりで顔を見合わせて、思わず吹き出しちゃった。そうしたら今まで我慢していたものが全部こみ上げてくるみたいに笑いが止まらない。もう、涙まで出てきちゃうよ。
「せっかく盛り上がったところだけど……まずは腹ごしらえかな?」 照れ笑いの岩男くんに腕を引かれて、あたしはゆっくりと起きあがる。繋いだ手は、昔の記憶そのままにあったかかった。
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