TopNovel未来Top>キスから、夢まで。・13


…片側の未来☆梨花編その2…
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「待っていて」

 そう言われたら、待つしかないと思った。

 

 これはもう、惚れた人間の弱みとしか思えない。それに、そんなに長い時間じゃないと思ったから。今までは毎日のように会っていたのだから、多分3日4日のことだろうって。どうしてそんな風にすんなりと信じられたのかは自分でも分からないけど、そう思わなかったらあのときの私は自分自身を納得させられることが出来なかったんだ。

 聖矢くんとの限界点は、何度か感じていた。彼が「無理をしてるな」とか「本当は嫌だと思ってるな」とか、そう言う仕草をちらっと見せる瞬間はあったから。

 今までの私だったら、相手がそんな態度に出た瞬間に逃げていただろう。きちんと男子とおつき合いをしたことはなかったけど、それで正解だったのかも。……だって、こういうのって、好きでもない人とではあまりに面倒で出来そうもないよ。

 聖矢くんが相手でも、何度もくじけそうになっていたのに。

 


 予備校をさぼって、聖矢くんを誘い出した朝。私はもう諦めていたはず。「彼女」というポジションは私には似合わない。彼は罪滅ぼしのために、嫌々私の相手をしてくれてるんだって、気づき始めていたから。

 自分でも呆れちゃうくらい、必死にはしゃぐ自分。頑張らないとそうなれないのが悲しかった。もっと明るくて、ふわふわした雰囲気の人だったら、こういうの朝飯前なんだろうな。って、言うか……頭で考えてどうこうすることじゃないのに。自然に出来るものなのに。

 それでも。驚いて、不思議そうにしている聖矢くんが、こちらのペースに徐々に乗っかって来てくれるのが嬉しかった。ただ一度の、普通のデート。聖矢くんにとっては、こんなの何でもないことなのかも知れないね。でも……私はそうじゃなかった。必死だった。

 

 高く高く上がっていく観覧車。

 強引に隣に座って。夕日に照らし出されながら、今まで誰にも告げたことのなかった自分を口にした。恐くて、恥ずかしくて、このまま消えてしまいたいって思うほどだったけど。寄りかかった肩の淡いぬくもりが私を支えてくれた。

 ――おしまいにしようって、思っていたのに。

 あの瞬間の私は、彼に必死ですがりつこうとしていた。出来ることなら、もしもほんの少しでも望みがあるのなら、一瞬の奇跡に託してみようと。だって……大好きの気持ちは何にも代えられないよ。聖矢くんのやさしさにつけいろうとしていたのかも知れない。

 彼の唇が、私の額をかすったとき。最後の望みが絶たれた。そのあと、彼が慰めるようにいろいろと言葉をかけてくれたけど、もうよく聞き取れなかった。夕焼けの海に沈んでいく風景。そして私もどんどん深い場所に堕ちていった。

 

***   ***   ***


「私、あなたの彼女になるわ」

 そんな言葉が、ふたりの関係をスタートさせた。彼の答えなど聞かないで、もうこっちのペースで。驚いたり不安な顔したり、そう言うのが嬉しくて仕方なかった。

 いつでも理想があって、それに敵う人材を求めるのが常だったのに、彼の場合は違った。正直、彼は私の求める「恋人」とは全然重なり合わない人。
 彼よりも知識があったり、背が高かったり、全てにおいて優れている人を私はたくさん知っていた。「エリート中のエリート」という人間ばかりが集まっている学校に通い、予備校だってそうだった。きっと、この先に大学に行っても仕事に就いても、私の周りには同じような人間たちが集まっているんだろうなと思っていた。

 

 いわゆる「頭がいい」と言われる人間には二通りある。本当に知能が高くて何事もあっという間にこなしてしまう人、聖徳太子みたいに一度にたくさんの人の話を聞き取れるような超人がいる。その一方で、そこまでたどり着けない人間は、努力して努力してずっと走り続けなくてはならない。

 私はみんなから、前者だと思われているみたい。

「梨花ちゃんは何をしてもよく出来る」「槇原さんは器用だから」って、言われていたし、何をしても羨望の眼差しで見られた。でも……違うんだ。私の場合は努力しないと駄目。勉強だって遅れないようにするためには、予習復習も欠かさずにしなくちゃ行けなかったし、英会話をMDで聴きながら登下校したり、それなりに苦労した。

 今度は駄目だったらどうしようって、不安で不安で気が狂いそうになることだってたびたび。常に最高のポジションであるために、止まることが出来なかった。疲れていたんだ、全てにおいて。

 

 どうしてこんな風に走り続けてしまったか。その原因というか……理由は、全て岩男くんにあると思う。

 何もかもに優れている理想的な彼に追いつきたくて、私はずっと頑張ってきた。いつか彼に似合う、一番似合う人になるんだ。理想の彼女になって、岩男くんに認めてもらう……お姉ちゃんよりも、誰よりも、一番だよってきっと言ってくれる。こんなに頑張っているんだもん。

 それなのに、どうしてなんだろう。走っても走っても追いつけない。それどころか、前よりももっと距離が開いてしまっている気がして。私のどこが悪いんだろう、どこが足りないんだろうって、口惜しくて仕方なかった。

 お姉ちゃんが難なく手に入れてしまうものが、私には一生かかっても手に届かないもの。どうしてなの、どうして、私はいつでもこんな風に劣等感に巻き付かれてなくちゃいけないの。

「菜花ちゃんの妹」って言う呪縛を、誰か取り去って。お姉ちゃんよりも私の方がいいって、誰か言ってよ。早くそうしてくれないと、私、もう気が狂っちゃう。

 

 聖矢くんは変わった人だった。

 それまで私の周りにいた人は、周囲の者を蹴落としてでも自分が優位に立ちたいって思う人ばかり。たとえば「小テスト? そんなの全然準備してこなかったよ、どうしよ、今回無理だ〜」なんて口では言いつつ、実は昨晩遅くまで勉強してばっちりだとか。でも、彼は違った。だから新鮮だった。

 

 ――悲しかったら、泣けばいいじゃないか。…そっか――泣けないんだ。…いいや、だったら、俺が泣いてあげるよ。君の心が軽くなるように、俺が君の分まで泣いてあげる。

 

 滝のように降りしきる雨の夜。

 あのとき、彼だって、相当辛かったはずだ。元の彼女さんのことが忘れられなくて、ずっと引きずって。お酒に呑まれてぐてぐてになって。自分をまっすぐに立たせることすら、出来ないでいる人が――それでもあんな風に言ってくれた。

 自分を支えきれない人間は、誰かに手を貸しちゃ駄目だ。そんなことをしたら、一緒になって転んでしまう。最悪、二人して奈落の底に転がり落ちてしまう。まずは確かな足場を固めないと、そうでなくちゃ。

 ……それなのに、聖矢くんは自分のことなんて全然顧みないで、ただただ困っている人に手を差し伸べられる人だった。

 愚かだと言うのかも知れない。そんなの全然偉くないし、立派でもない。だけど、私にとっては差し伸べられた手が何よりも救いだった。私という人間をしっかりと見つめてくれる人。「菜花ちゃんの妹」としてではなくて、私自身を見て、私自身の心の裏側までひっくり返してくれて。

 付いていきたいって思ったのは、あの瞬間からだったのかも知れないね。

 

***   ***   ***


 相手が岩男くんだったら、全体重を掛けて寄りかかっても支えてくれると思う。

 でも聖矢くんは……何だか危なっかしくて。だから、私もそろそろといろんな風に手加減をしながらの日々だった。あまり強く出ると、びっくりしちゃうし。かといって、こちらが何も働きかけないと、本当に何もしてくれない。彼が歩きやすいように躓かないように。気づかれないようにリードすると言うことは、頭で考えるよりもずっとずっと大変だった。

 上手くいかなくて、沈黙が続いちゃったときなんかは、本当に泣きたくなった。どうして上手くいかないんだろうって、自分を責めたりして。上手に甘えたり、すり寄ったりしてみたいのに、全然出来ない。手を……繋ぐことだけでも、ホントに必死だった。くっつきたいって気持ちを、どうやったら達成できるか考えすぎたら、頭がぐるぐるして来ちゃったもん。

 すんなりと会話が続いていったときは、もうもう嬉しくて。家に戻って、彼が好きそうな情報を必死で調べたりした。文系の勉強なんて受験に関係ないから、正直おざなりになりつつあったけど、それも路線変更。お陰で何だか今までつまらないと思っていた教科まで楽しく勉強できるようになった。

 一瞬でも多く、笑っていて欲しかった。ぎこちなくてもいい、私のために言葉を紡いで欲しかった。私だけのために……私だけの聖矢くんでいて欲しくて。

 


 会えなくなって、程なくして2学期が始まった。

 すぐに通常の授業がびっちり、しかも課外授業まである。公立ではあるけれど、そこは近頃の少子化対策。予備校や私立に優秀な人材を持って行かれては大変だと、学校側も必死なのだ。ウチの高校の課外はなかなか評判が良くて、みんな予備校の講義よりもそっちを優先する。私も例外ではなかった。

 しばらくは久しぶりのペースに慣れるだけで精一杯の日々。だけど、ある日。私は自分の傍らにぽっかり空いた空間があることに気づいた。

 

 ――同じ学校なら良かった。

 ううん、そうじゃないんだけどね。彼と私は学年が違うんだから、学校で会えるわけはない。でも、羨ましいなと思った、すごく。

 同じ学校のカップルたち。朝、一緒に登校して、休み時間とかも寄り添って楽しそうにしていて、放課後はもちろん一緒に帰っていく。仲の良さそうな後ろ姿が、私の瞳にぼんやりと映った。

 

 隣に誰かいて欲しくて恋人を作るなんておかしい。目的が先で想いがあとでどうするの。ずーっとそう思っていた。私の中には岩男くんしかいなかったから、彼だけを高い目標に据えて努力するしかなかった。遠い手の届かない存在だと知っていたから……気が楽だったのかも。「あこがれ」だったんだなって、ようやく気づいた。

 長い間、私のほとんどを占めていた存在。それが消えて、空白が生まれて。そこを気が付いたらひたひたと満たしている人がいた。

 

 ――聖矢くん。

 会えない日々がこんなに辛いなんて知らなかった。彼は私の心のほとんどを持っていなくなってしまったんだ。何故、連絡をくれないのだろう。そりゃ、お互いに受験生だ。しかも現役の私に比べて、彼はあとのない状態。何もかも捨て去って、勉強に専念しなくちゃならないんだろう。

 でも……さ。ちょっとの時間でいいんだよ。5分だけでも会って、話が出来ないかな。それが無理なら、携帯でしゃべるだけでも。短いメールでもいい。私のことを思い出して、会いたいなって思ってくれないのだろうか。

 

「待っていて」

 そう言われたら、待っていなくちゃいけない。彼にも彼なりの考えがあるはずだ。人の心を無理矢理動かすことが出来ないのは知ってる。待っていていいのなら、いつまでも待とうと思った。

 けど、限界が来るんだよ。

 似たような声が背中からしてくる。つい振り返る、ここに彼がいるはずもないのに。恥ずかしそうに微笑んで、まっすぐと私を目指してくれる存在。それをいつも探していた。たくさんの人が行き交う雑踏の中、私が巡り会いたいのはただひとりの人だった。

 

***   ***   ***


「どうしたんだ、このごろぼんやりしているな」

 とうとう、担任に呼び出された。こんなこと、初めて。だから自分でも誉められるわけでもなく職員室に向かうことがすごく新鮮だった。窓から見える木の枝の色まで違うように見えて。そんな風に思うなんて、不謹慎だけど。

「中だるみか。だけどな、もうそんな時期じゃないだろう。ブームだか何だか知らないが、今年の獣医学科志望者はかなり多いらしいぞ。何なら、他のセンも考えてみるか……?」

 こちらの心中を探るような視線。ああ、そうかと思った。

 

 学校側の思惑というのがある。現役で有名大学に多数の合格者を出せば、それだけ学校の評判が良くなる。浪人するとどうしても手柄を予備校に持って行かれてしまうから、現役合格がとても大きなものになるんだ。自分に何が求められているのか、それは分かっていた。

 

 思えば、中学の時だってそうだった。

 3年の時の担任は、まず執拗に私立の「西の杜学園」への受験を勧めた。そりゃ、お姉ちゃんも弟の樹も通っている学校だ。私が通っても不思議じゃない。それに……西の杜の高等部の外部受験の枠はとても少ない。難関中の難関だ。だからこそ、目指して欲しい――担任の目はそう言っていた。

 私立に落ちてもなんてことない。私の成績なら、山ノ上高校は楽々だ。記念受験のかたちでもいいから……そう、担任の、ひいては中学全体の誇りとなるために西の杜を受けてくれと。

「失敗を恐れちゃ駄目よ。お姉さんだって、弟さんだっているじゃない。もしかすると、その辺も学園側で考慮に入れてくれるかも知れないし。たまには冒険するのもいいわよ?」

 親切そうにそう告げる瞳に、打算的なものが通り過ぎた。

 

 みんなみんな、私を私として見てくれない。ゲームで言えば重要アイテムのように、戦いが有利になるから重宝がられる存在なんだね。結局「駒」としての役割。

 言い寄ってくる男子だって、みんなそうじゃない。

 私を彼女にすることで、周りから一目置かれるのが目的なんだ。自分の彼女にするなら、出来るだけいい条件の揃っている女がいい。連れて歩いて得意になれる、みんなから羨ましがられるような女がいいと思っているのが見え見えだった。

「槇原さんはとても綺麗だから」「頭が切れるもんね、知的美人って君のような子のことを言うんだね」

 ……わざとらしく。持ち上げるみたいに、そんなこと言われて、どうして喜べるの? みんな、馬鹿みたいだよ。私の表面しか見てなくて。それでいいと思ってるんでしょ?

 私のどこがいいのか、はっきりと自分の言葉で言ってみて。私の幸せのためだって言うなら、どうしたら本当に幸せになれるのか、その方法を教えてよ。中途半端で置き去りにしないで。

 


 行き場のない憤り。

 その果てに、私は聖矢くんを探していた。ただひとり、私の本当に気づいてくれた人。身を投げ打って、自分がめちゃくちゃになろうとも私を救おうとしてくれる人。

 なのに彼は……私に会おうとはしてくれなかった。

 

 とうとう、限界が来て。会わずにはいられなくなって、こちらから連絡してみた。まずはメールかなって、何度か当たり障りのない文章を打ち込む。すごく短い奴。「元気?」とか「今日は涼しいね」とか。でも……返事は戻ってこなかった。

 読んでないのかなとか、思って、直接かけてみたけど、それでも出てくれない。……ううん、出るんだ。その瞬間に電源を切られちゃう。留守電にされるよりも、電波が届きませんって言われるよりもずっとショックだった。私だって気づいて、それでも声を聞かせてくれないなんて。

 

 私のこと、そんなに嫌なの? 声も聞きたくないの? セールスの電話だって、一応断るために会話するよね? なのに私とは話したくないのかな……どうして? やっぱ、もう駄目なの?

 ―― 一番だって、そう言ってくれたじゃないの。

 

 こんな風に嫌われちゃったんだから、もう会わない方がいいって分かっていた。結局、私は聖矢くんにとて、それだけの存在だったんだから。連れて歩いて気分がいいって、思われる方がまだマシだったね。聖矢くんは私の隣を歩くことすら、躊躇していたもん。

 私と一緒にいることが苦痛ならば、離れていて思い出になった方がいい。その方が、ずっと綺麗なかたちで彼の中に残れる。嫌な私を見せなくて済む。……分かってる、分かってるんだよそれは。でも、どうしてこのままでいられるの?

 

 ――こんなに会いたいって思うなんて。

 

 ほんの数日、一緒にいただけ。なのに聖矢くんへの想いはふくらむばかり。一番行きたい道を塞がれたら、私はどうなってしまうんだろう。


 

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