TopBooks書籍化のお知らせ>雨色*螺旋・後日談2



       

     

   

 雲ひとつない上天気。朝の天気予報のおじさんは「絶好の行楽日和」だと言っていた。

  だけど今日のボクらはそんな言葉に踊らされたりはしない。だって、ボクの着ている服を見てよ。幼稚園の入園式のときに買ってもらって一度しか着ていないスーツ、それにプラスしてどこかの名探偵のような真っ赤な蝶ネクタイも着けてる。こんな格好で遊園地に出かけたら、みんなの笑いものになるに決まってるでしょう?

「あの、……まだ時間は掛かりますか?」

  コーヒーのお代わりを勧めてくれた店員さんに、パパは時計を気にしながら質問している。

「そうですね、もうそろそろだと思いますけど。ちょっと様子を見てきましょうか」

  その言葉に無言で頷くと、パパは湯気の立ったコーヒーのカップを口に運んだ。ママの大好きな雑誌に良く出てくるモデルさんみたいな可愛い服を着たその店員さんが少し頬をひくつかせていたのに、ボクはちゃあんと気づいていた。この人もパパのことが怖いんだ、ボクの幼稚園の担任の先生と同じだよ。世の中の人のほとんどがそうだってことも、ボクは知っている。何たって「ものしり博士」だからね。

  ふかふかのソファー、待合室には綺麗なお姉さんが表紙で笑っている雑誌や絵本、それからママのお祖母ちゃんが大好きな女性週刊誌がたくさん置いてある。何しろここは、ママの行きつけの美容室だもん。
  パパは読みたい本がひとつもなかったみたいで、困ったあげくにテーブルの上の「ちえのわ」を手にした。でもあっという間にバラバラにしちゃって、その次のルービックキューブもすぐに六面揃えちゃって、またやることがなくなっている。
  でもな〜、そのふたつをそれみよがしにボクの目の前に置くのはやめて欲しい。やってみろよ、ってことかな? でもボク、ルービックキューブは「完全な一面」までしか作れないよ。やり方の載っている攻略本があるのも知ってるけど、そんなのに頼るのは軟弱者だから自力でどうにかしたいんだ。ちえのわは……もっと大変そうだなあ。

  とっても意地悪で顔の怖いパパだけど、今日の服はいつもよりもおしゃれ。
  黒くてピカピカ輝いてる礼服に白いネクタイ、胸のポケットから白いチーフものぞいている。床屋さんに行ったばかりの髪の毛もぴしっと決まってた。ま、そうは言ってもボクの方がずっと格好良いと思うけどね。

  パパの隣に置かれたクーファンの中では、妹の「つぐみ」が眠っている。ボクよりも五年遅れてようやく生まれた兄妹だから、とっても可愛いしたくさん遊んであげたいと思っているんだ。でも、赤ちゃんはつまらない。ほとんどの時間寝てばっかりだから。一緒にお散歩するにも、手を繋いで歩けない。早くいろいろなこと、教えてあげたいんだけどな。
  つぐみはママの友達の言葉を借りれば『お人形みたいに可愛い〜っ(絶叫)!』んだそうだ。肌の色は真っ白、お目々はくりくりで、お口もちょんと小さくて薄桃色。ウチに遊びに来た人はみんな「抱っこ抱っこ」とうるさくて、つぐみはとっても迷惑している。だけどそんな気持ちをおくびにも出さないでにこにこと笑っているあたり、ママにそっくりだなと思う。
  パパだって、つぐみのことが大好きだ。普段はお仕事で家にいないけど、帰ってくると片時も離さない感じで可愛がっている。いくらママが『抱き癖がつくからやめて』と訴えても『そんなのはアメリカ思想が間違って伝わった情報だ。子供は愛情をたっぷり与えるからこそ情緒豊かに育つ』と譲らない。はっきり言って強情すぎ、そういうときのパパはちょっと嫌いだ。

  あ〜、それにしても退屈だな……。

  目の前に置かれているオレンジジュースを一口だけ飲むと、ボクはまたぼんやりと外を見た。
  窓の向こうには、お出かけ途中の家族連れがいっぱい歩いている。みんなにこにこ楽しそう、ああいうのが本当だよなって思う。
  でもなあ、それをパパに期待するのは間違ってる気もするし。パパはああいう顔だから、諦めるしかないんだ。そりゃ時々は笑うよ、人間だもの。でもそう言うときは口の端をちょっと上げるだけ。
  長いこと、ボクはそれが男の人の笑い方だって信じていた。田舎のお祖父ちゃんは顔中をしわしわにして笑うけど、あれはお年寄りだからだろうって思ってたんだよね。でも違ったんだ。友達のパパはみんなお笑いの芸人みたいに表情が豊か。幼稚園に入ってからこっち、かなりのカルチャーショックを受けている。父親参観の日とか、にこにこ顔のパパがいっぱいいて、あれはあれで怖いよ。

「何だ、要(かなめ)。もう待ち疲れたのか」

  隣から、ぼそっとした声がする。別に不機嫌なわけじゃないんだよ、パパにとってはこれが「普通」。もうちょっとテンションが高い方が付き合いやすいなと思うけど、仕方ないんだ。

「ううん、そんなんじゃない」

  ふ〜んだ、自分だってさっきから何度も何度も時計を気にしているくせに、よく言うよ。

「人は自分の鏡」って言葉知ってる? この前、TVで難しそうな顔をしたおじさんが言ってたよ。パパは自分が待ちくたびれてイライラしているから、息子のボクもそうに決まってると思っている。全くおめでたいよね、いくら親子だからといって一緒にされたら迷惑だ。

「こんなのは序の口だぞ。今日はどこへ行っても大人しくしてもらわないといけないんだから」

  そんなの、分かってますって。ねえパパ、知らないでしょう? ボクが幼稚園でいつもなんて言われているか。

『要くんは本当にいい子ね、先生のお話も良く聞いてくれるし』
『クラスのお友達も、要くんを見習ってくれるから助かるわ』

  ……本当はもっとたくさんあるんだけどね、あんまり並べても自慢になっちゃうからやめておくよ。

「わかっているよ、それくらい。ボクはパパとママの期待に立派に応えるからね!」

  思い切り胸を張って言ってやった。だけどパパは小さくひとつ頷くと、今度は携帯をいじり出す。あー、こういう落ち着きのない態度は嫌われるよ? 分かってないなあ、パパ。いくらママがやさしくて何をしても許してくれるからって、いい気になってたら駄目だよ。

  そうそう、今日はボクの晴れ舞台なんだ。だから、とっても張り切っているんだよ。
  綺麗な花嫁さんにね、もうひとりの女の子と一緒に花束をあげに行く。これって披露宴のハイライトシーンなんだからね、立派におつとめするんだ。先週、予行練習だってしたんだよ。相手の女の子、ちょっと可愛かったな。ふふ、これは内緒。

「あ、ようやく終わったみたいです。今、こちらにお連れしますね」

  そこにさっきの店員さんが戻ってきた。パパじゃなくてボクの方を見て話しかけるあたり、かなり警戒している感じだ。一度目隠し代わりの植木の向こうに引っ込んで、何かぼそぼそ話をしている。何だろうと思っていると、そこに聞き慣れた足音が聞こえてきた。

「ごめんなさい、お待たせしました! も〜う、久しぶりで髪が全然まとまらないのっ。ホント、困っちゃった……!」

  うわっ、ママ! 何、その格好……!?

  ボクもそりゃ、びっくりした。でも隣に座ってたパパだって、相当に驚いてたよ。パパは上手に隠しているつもりなんだと思うけど、ボクにはそれくらいお見通しだ。

「ママ〜っ、すごい! お姫様みたいだ! ……ううん、お姫様よりももっと可愛いよっ……!」

  わ〜っ、嬉しいなっ! ママがいつもよりももっと素敵になっている。普段のママだってとっても可愛いし、それがボクの自慢なんだけど……今日はすごすぎ。このままガラスケースに入れてしまっておきたいくらい。

「あら、要ありがとう。そう言ってもらえるとママ、すごく嬉しいわ」

  オレンジ色のふわふわのドレス、シンプルなデザインだけどママにとっても似合ってる。苦労したって言う髪の毛だってすごく綺麗、アップしてたくさんお花が付いていてすごく可愛い。
  そんなママがにっこり微笑みかけてくれると、幸せでふわふわした気持ちになっちゃう。でも残念だな、こんなに素敵になっちゃうときゅーってしてもらえなくなる。まあ、ボクだって一張羅を着てるんだから我慢しなくちゃいけないことくらい分かってるけどね。

「やあ、小鳩。見違えたね」

  パパの言葉はかなりミステイク。だって、ママはムッとした表情になってるもん。

「あら、翔さん。それって、いつもの私が全然駄目ってこと? そりゃあね、まだ産後三ヶ月だもの。ここまで体型が戻っただけで奇跡だと思うわ」

  ぷっくりと膨らんだ頬も可愛い。でもそこに全然可愛くないパパの指がつんつんと触れる。

「そんなこと、言ってないよ。普段の小鳩だって可愛いけど、今日みたいなのもまた格別だって言いたいんだ」

  あ〜、反則っ。自分は背が高いからって、ボクに出来ないことをして点数稼ぎするつもりだな。だから大人はずるいんだ、本当に頭に来る。

「でもここまで完璧になってどうするの? これじゃあ、花嫁さんと間違えられてしまうだろう。俺も小鳩が色んな男からじろじろ見られるのは遠慮したいな」

  わざとくっつくくらい顔を近づけてそんな風に言うから、ママが真っ赤になっちゃってる。あ〜可哀想っ、またママがパパに苛められている! パパはひどいんだ、ときどき困ったことをたくさん言ってママをこんな風に赤くさせる。それも高い場所でボクに聞こえないような声でね。

「そ、そんなことないもん! 今日の主役はエミちゃんだよ? きっとすっごく素敵になってるもん。それにアキちゃんだって気合い入れてくるって言ってた。だいたいさ、招待客の何割かはウチの社員や関係者でしょ? お相手はあの須田くんなんだから」

 あのーっ、時間が迫っているんじゃなかったんでしょうか? いつまでそこでボクに聞こえない会話を続けているつもりなんだろう。

「ふふ、でも一番素敵なのはやっぱり小鳩だ。きっと今日も他の女性に見とれる暇が全くなさそうだ」

  さあ、じゃあ行こうかって、つぐみのクーファンを片手に持って歩き出すパパ。もう片手はしっかりママの腰に回されているけど、―― あのっ。もうひとり、もしもし? もしかして、ボクのこと忘れてない……!?

  慌てて席を立ちかけて、そこでグラスにオレンジジュースが残っていることに気づいて飲み干す。それから、今までのやりとりを呆然と見守っていた店員のお姉さんに「ごちそうさまでした」と頭を下げると、ボクはパパたちのあとを追った。

 

  今日は何だか、色んなことが起こりそうな気がする。でもきっと、今のパパとママにはそんな心配を思い浮かべる暇もないんだろうなあ……。
  こんなの、実はいつものことなんだけどね。いつまでも新婚気分が抜けない両親を持ったボクは本当に大変だ。全く、先が思いやられるよ。

 

おしまい♪ (091116)

 

 

2009年11月20日更新
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