TopNovelヴィーナス・扉>七夕の恋人・10


それぞれのヴィーナス◇4番目の景子

    
「……ふうん、そういうこと」

 こう言うのも「契約違反」って言うのかな。かなり緊張してガチガチになりながらもどうにか用件を話し終えると、副社長は例の如く淡い微笑をたたえた口元でゆっくりとそう告げた。

「まあ、穂高さんにはまんまと騙されたってことかな。君に限ってはそう言う理由は出てこないと信じていたんだけれど。……ま、人は見かけによらないってことか」

 多分ね、内心はだいぶ動揺していると思うの。だって、昨日の今日なんだよ。訳ありでゆっくりめに出社してみれば、どこの部署もすっかりお祭りムードが満ち溢れていた。いや、見た目はどこも変わっていないんだけど、何というか社員のひとりひとりから醸し出されるオーラがね。
  女の子たちは浮き足だってそわそわしてるし、男どもは目を皿のようにしてターゲットを探し回っているし。コレじゃあれだわ、まるで文化祭か修学旅行前の高校に迷い込んだって感じ? みんな十歳近く若返っちゃってどうしたのって言いたい。へー、意識して眺めてみれば、かなり怪しいイベントだったのね。

 ……とか何とか、感心している場合じゃないし。

「す、すみません。私としてもまさかこんなことになるとは夢にも思っていなくて」

 何かかなり失礼なことを言われている気もするけど、それは百歩譲って頭を下げた。まあ、提示された条件を受け入れて栄えある(かどうかは分からないけど)四人目のヴィーナスになるって決めたのは私自身。だけどやんごとなき理由で続けることが出来なくなったんだから、ここは何を言われようと耐えるしかないわ。
  ホントにね、昨日の今頃は彼との仲をすっきりと精算して新しい自分に生まれ変わるんだって決心していたんだもの。あんな何を考えているのか分からない人に振り回されるのはもうたくさんって、かなり投げやりな気持ちになっていた。自分にも人並みの結婚願望があるなんて思ってもみなかったけど、それこそ副社長の言う通り難しく考えることもないんじゃないかと思ったり。

「ええとそれで、差し出がましいとは思いましたが、この先はどなたか新しい方に権利を譲りたいと思います。早急に検討していただけると有り難いのですが」

 まーね、いくら上層部が企画するお祭りとは言っても、選ばれた本人に決まった相手がいるとなればすぐに代替えを考えなくちゃならないのは当然。きっと私以外にも候補は何人もいたでしょうし、何ならこっちから他薦してもいいかなと思ってた。

「うーん、それがそう言う訳にもいかないんだよねえ……」

 しかし、副社長は大袈裟なジェスチャーで私の提案に首を振る。その口調が心底呆れているように聞こえるのは私だけ? やっぱ、この人とは馬が合わないわ。絶対に直属の上司にはしたくないタイプね。……もちろん「副社長」であるこの人の近くで働くなんて、そう出来ることでもないから安心と言えば安心だけど。

「今回の話はね、ヴィーナスを穂高さんに決めたからこそ面白くなるはずだったんだ。そりゃ、我が社には他にもたくさん女性社員はいるけどね、穂高さんほど話題性のある人材は他にいないし……そうなるとどうしても盛り上がりに欠けるよなあ。うーん、困った困った」

 だーかーらーっ! 本当は何も困ってないんでしょ? この人って、どんな状況に置かれたとしても自分の立場を楽しんでるとしか思えない。全く、人生をなめてもらっちゃ困るわ。……とは言え、相手は年上で上司なんだからそんなこと口が裂けても言えないけどね。

「そうだな、いっそのこと穂高さんのお相手をウチの会社に転職させない? それでレースに参加してもらえば、全てが丸く収まるんだけど」

 おいおい、人が黙ってれば何を言い出すんだ。そんなの無理に決まってるでしょ? ちょっと考えれば分かりそうなものを。

「それは……かなり非現実的な提案だと思われますが」

 ううう、受け答えにも気を遣うわ。全く、居心地悪いったらありゃしない。この人、いつまでウチの会社にいるのかしら。もしかして今後社長に就任するとかもあり得る? うーん、だとしたらこっちが転職を考えた方が得策かなあ。

「あはは、確かに。穂高さんに一本取られたな」

 ……いやいや、そんなんじゃないから。自分の眉の辺りがぴくぴくしてるのを感じ取りながらも必死に平静を保っている。男なんてね、大抵は馬鹿で単細胞なのよ。こっちが扱いを気をつければ結構楽に操作することも可能。でも、たまーにこういう輩が出てくるんだな。

「ま、始めてしまったことは仕方ない。ここですぐにイベントを中止したら情けないにも程がある。悪いけど、穂高さんにはもうちょっと付き合ってもらうよ。吉と出るか凶と出るか、しばらくは高見の見物と行こうか」

 なっ、何ですってーっ!? それって一体どういうことよ。

 全く持って日本語の通じない相手って最悪。あんた、仮にも出版社の管理職に就いてる人間でしょ? 自分の言ってることが支離滅裂なことぐらい気付きなさいって言うのっ!

「そ、そんなことっ! 出来っこないですっ。一体何を考えているんですか……っ!」

 あああ、やっぱ正攻法で切り込んだんじゃ埒があかない相手だったかな。こっちが赤くなったり青くなったりしてるって言うのに、なんでそんな嬉しそうにしてるのよ。

「出来るよ」

 副社長は顎の下で両手を組むと、ぐいっと身を乗り出してきた。

「思わぬところで拾いものをすることもあるからね。まあ一週間くらい様子を見てみるとしようか」

 じゃ、協力をよろしくって……何を考えているんですかっ!? 呆然と立ちつくしたままの私を残して、副社長はさっさと次の打ち合わせに向かっていった。

 


「おーっ、ほっだかちゃ〜ん♪」

 ……出た。またしても、出た。

 精も根も尽き果てて自分のデスクまで辿り着くと、今一番会いたくない相手が待ちかまえていた。

 まさかコイツ、ヴィーナスを狙う不埒者のひとりじゃないでしょうね。全然そんな感じには見えないけど、何事も決めつけるのは良くないし。とは言え、一応こんな奴でも役職を与えられているんだもんなあ。普通に考えて、有り得ないか。

「ねえねえ、聞いたよ聞いたよっ! すごいじゃん、おめでとう」

 相変わらずのよれよれスーツにノーネクタイ。髪はぼさぼさ、無精髭。よくもまあ、こんなんでサラリーマンがやってられるなって感じ。やだなあ、こんな奴に友達認定されちゃって。お陰で私までが変わり者に見られてしまうじゃない。

 ―― と、そんなことを悠長に観察している暇じゃなかった! 何だか今、聞き捨てならないことを仰ってませんでした??

「……んなっ、何を言ってるのよ?」

 慌てて辺りを見回したわよ、まるで小学校に入学したばかりの子供たちが横断歩道の前で左右を念入りに確認するみたいに。
  あー、良かった。幸い、部屋には人影もまばら。PCに向かってる同僚たちもイヤホンを付けてるし、きっと何も聞こえてないな。

「やだなー、穂高ちゃん。照れなくていいじゃん。おめでたいから、おめでとうだよ」

 ぎちぎちぎち。そんな風にしてると本当に椅子が壊れるから。しかもそれ、あんたのじゃないでしょ? 他の人のを壊したら大変なことになるわ。傾いてるのを知らないで座って大怪我でもされたらどうするの。

「で、日程は決まったの? 打ち掛け? それともドレス? ……うーん、いいなあ、楽しそうだなあ……」

 その瞬間、頭の中真っ白になったわよ。何で、コイツがそんなこと知ってる? 絶対に有り得ないって。

「……」

 無理だよね、こんなのすぐに返答を考えろって言われても不可能だし。なのに奴の方ときたら、私のそんな反応が面白かったのか、いよいよ調子に乗ってくる。

「ヴィーナスを受けたって聞いたときはどうなるのかと思ったよ。俺、これでも心配してたんだよ。だって、穂高ちゃんを飼い慣らすなんてそこんじょそこらの男じゃ無理だし。怪我人が続出して大変なことになるんじゃないかって。うーん、急ブレーキ踏んでどうにか間に合ったってこと?」

 私、今度こそ顔が固まっちゃったから。いやもう、どこからどう突っ込んだらいいのか分からないから。

「ふふふ、かわいーっ! そんな風に照れてる顔も最高だな。やっぱ、恋する乙女が最強ってことか」

 

 と、そのとき。

 どどどーっと、廊下を駆け抜けていく足音たち。何とも物騒な感じで、思わずハッと我に返る。しばらくして、また足音は一斉に今来た道を戻っていった。

 

「……何、あれ」

 いいや、この際だから話をそらそう。気になったのも事実だし。そんな感じで全てをすっとぼけて訊ねたのに、男は何とも意味深な表情になる。

「そりゃ、ヴィーナスを探してるんでしょ? 先手必勝ってばかりにね。なんかなー、ヒントも何も出ていないから、あちこちで勘違いが湧いてるみたいだな。いやあ、見物見物。コレがあるから、この会社辞められないんだよなあ……」

 あっはっは、って笑ったら、奥歯の詰め物がキラリと光った。何というか、……本当におかしな男。よくよく考えたら私がヴィーナスに指名されたよりも、コイツが今まで首にならずに仕事を続けている方がずっと謎だわ。

「穂高ちゃんを選んだ男が見たいなあー、結婚式には絶対に呼んでよ。スピーチだって余興だって何だってするから」

 なーんて言うけど、もしも本当に招待したら披露宴の最中ずっと猿ぐつわをはめておかなくちゃだわ。いや、その前にそんな危険な橋は渡ろうとも思わないけど。あああ、もしも将来コイツとくっつく相手がいるとしたら、それこそ最強ね。いや、万が一に現れればって話よ。期待するだけ無駄かなあ……。

 丁度、そのとき。わざとらしく、奴の胸元で携帯が鳴り出す。一度取り出して画面を確認すると、そのまま開かずにポケットに戻した。

「そろそろ、出動しますか。……あ、そうそう。ひとつ、忠告していい?」

 よっこらせと、かけ声も年寄り臭く立ち上がり、奴は一度振り向く。にやーっと意味深な微笑みが、何とも言えない。やだなあ、今夜夢見が悪くなったらどうするの。

「この先、面倒ごとに巻き込まれないようにね。まずは早く話を進めた方がいいよ。早速指輪でもおねだりしたら? そうすりゃ、最高の隠れ蓑になるじゃん」

 


 あとから聞いた話。

 ようするにあのいけ好かない副社長と風変わりな同僚男は裏でがっつり繋がっていたらしい。何でも週に一度は飲みに行く仲だとか。やっぱ、変わり者は変わり者同士で気が合うのね。でもっ、これってまずいわよ、副社長。私には口止めしたくせに、自分があちこちに秘密をばらまいてどうするの。

 まー、忠告には有り難く従っておこうと、三日後には左手薬指にぴったりの誕生石をゲットした。さすがに彼は驚いていたけどね、「いつかは買うものでしょ?」って言ったら納得してくれた。だけどそしたら「じゃあ次は、お互いの実家に報告に行かなくちゃね」って返り討ちにあったけど。

 相変わらず、パソコンの早打ちは気持ちいい。周囲の雑音も気にならなくなるし、何より私自身が余計なことを考えられなくなるし。だけど、今は時々手を止めたときに左手のキラキラを見るのも楽しみ。こんな気分でいれば、次に訪問するときにはあの取引先の天敵上司とも上手くやって行けそうな気がするから不思議。

 そんな感じで、今日も混線模様のイベントの先行きをのんびりと見守っている。

了(080731)
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2008年8月1日更新

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