TopNovelヴィーナス・扉>憲ちゃんの彼女・1

本編で残念だった佐々木さんの恋バナ


 憲ちゃんの部屋は鉄筋アパートの三階。
  見晴らしが最高なのがご自慢だけど、エレベータが付いてないのがどうにも困る。
  それに、せっかくの眺めだって、本人はゆっくり楽しむ暇もないじゃない。仕事仕事で毎日のように午前様、たまの休みには一日中寝てる。ご飯だって、食べたり食べなかったり。いつ来ても、冷蔵庫の中にはビールとチーズしか入ってないよ。
「ぎーっ、重っ……!」
  気分は富士登山。上れど上れどさらに続く非情な階段を恨めしげに睨み付け、それでもひたすらに上を目指す私。
  わかってるんだ、こんなに苦労しなきゃならない原因の半分が自分にあることは。
  やっぱ、欲張りすぎだよね。ぎゅうぎゅう詰めのランチボックスだけじゃなくて、背中のリュックからも食材が溢れ出しそう。
  だけど、仕方ないじゃない。憲ちゃんは身体が大きいぶん、人一倍よく食べるんだから。たまにはアルコール以外のもので、胃をぱんぱんにした方がいいと思う。今は若いからある程度の無理が利くけど、そのツケは中年以降にがっつりやって来るんだよ。
  ……って、これじゃあ私、まるでお節介おばちゃんだよなあ。
  二階から三階への途中、踊り場でふと立ち止まる。気力が途切れた訳じゃない、昨日の昼休みにバイト友達に言われたひとことが脳裏をかすめたからだ。
「そーゆーしつこい女は嫌われるんだよ。いい加減、諦めたら?」
  気の置けない仲間との楽しい時間、だから彼女も思いついたままを口に出しただけだと思う。それに、この程度のことだったら、今まで数え切れないくらい言われてきたし、いまさら何? って感じなんだけどね。

 憲ちゃんと私は家がお隣同士。
  だけど、五歳も離れているから、いわゆる「幼なじみ」っていうのとはちょっと違うかも。
  私が生まれたときにはもう、憲ちゃんはすごく大きくて頼りがいがあって、そばにいれば絶対に安心だって思ってた。いじめっ子にからかわれたって、全然平気。憲ちゃんの名前を出したら、奴らはとたんに大人しくなる。
  憲ちゃんだって、私のことをすっごく可愛がってくれた。いつも一緒にいるから、本当の兄妹みたいって言われてたんだよ。
  ようやっと私が小学校に入学したときには、憲ちゃんは六年生。その一年だけしか同じ学校に通えなかったけど、あのときは本当に楽しかった。憲ちゃんは私を見つけると、どんなに遠くからでも声を掛けてくれる。そのときの誇らしい気持ちったら、思い出しただけでおしりがムズムズしてきちゃう。
  児童会長で応援団長で、地区リレーでも色別リレーでもアンカーを走る憲ちゃん。私はそんな憲ちゃんのイチバンであることが本当に嬉しかった。
  けど、そのあとは延々とすれ違いばかり。私がようやく中学生になったときには、憲ちゃんはもう大学受験。一浪の末、自宅から通える学校に受かってくれてホッとしたのも束の間、その四年後には就職に合わせてひとり暮らしを始めてしまった。
  あのときは悲しくて悲しくて、たくさん泣いたっけ。私があまりにも泣きはらした目をしているから、ご近所では「可哀想に、あの子は受験に失敗したんだね」とか事実無根のデマが飛んでいたらしいよ。
  そりゃあさ、今までだって頻繁に顔を合わせる訳じゃなかった。憲ちゃんはとにかく忙しすぎたから。だけど、夜遅く憲ちゃんの部屋に灯りが点いているのを確かめるだけで、すごく嬉しくてホッとした気分になれる。でもこれからは、そんなささやかな幸せすらなくなっちゃうって思ったら……ね。
  あまりにも長いこと嘆き続けていたら、憲ちゃんちのおばちゃんは私にお使いを頼んでくれるようになった。月に数回、ランチボックスいっぱいに詰め込んだおかずやその他もろもろを憲ちゃんのアパートまで届ける役目。あのときのおばちゃんは天使様みたいに素敵に見えた。
  そして、それから丸四年近く、私の宅配サービスは続いている。
  大人になった憲ちゃんは、やっぱり大きくて頼りがいがあって、そばにいれば絶対に安心だって思える。でもその反面、あれれ? って思う欠点もあったりするんだ。だけど、そんなことも何もかもすべてひっくるめて、私は憲ちゃんが大好き。
  ただ、残念なことに、この気持ちに同意してくれる人がひとりもいない。それどころか、付き合いの浅い深い、長い短いに関わらず、みんながみんな、ばっさりと言い切ってくれる。
「だってさ、あんたって結局のとこ『女』として見られてないじゃん」
  ……ハイ、それは重々承知しております。

 憲ちゃんの欠点、それはすごく惚れっぽいこと。
  しかも、その相手が「うわっ!」と思うくらいの才色兼備ばっか。小学校三年生の初恋の人から十五年以上も一貫してるところが素晴らしいと思う。
「彼女、すごく優しい子なんだ。バケツの水をこぼした子をかばって、一緒に片付けてあげたりして」
  当時は幼稚園に入ったばかりだった私を相手に、憲ちゃんは初恋の彼女の素敵なところを延々と語り続けた。それだけじゃない、こんな質問までしてくる。
「もうすぐ、あの子の誕生日なんだ。何をあげたら喜んでもらえるかな?」
  その頃、私はミカちゃん人形がすごく欲しかったんだよね。だから、それを素直に伝えた。そしてしばらくして、憲ちゃんはその人に振られたみたい。
  だがしかし、憲ちゃんはそれくらいのことでへこたれる男じゃなかった。あるときは転入生に、またあるときは部活や塾で知り合った他校生に至るまで、どーしてここまで! と叫びたくなってしまうくらい、次から次へと絶世の美少女ばかりを見つけてくる。
  大人になってからは「美少女」が「美女」に変わったけど、そのレベルがグラビアモデル並みであることには変わりない。新たなターゲットが現れるたびに、私は憲ちゃんから写メを見せられ、ときには本人を遠目に観察することになった。そして、またあの黄金の台詞が出てくる。
「もうすぐ、彼女の誕生日なんだ。何をあげたら喜んでもらえるかな?」
  私だって、いつまでも幼稚園児じゃない。今では相手の好みに合わせてプレゼントを選ぶべきだということも、ちゃんとわかってる。だから、相談されるたびにいつもは買わないようなゴージャス雑誌を買い込み、友人知人にリサーチをしまくった。
  お陰でブランドモノにはすごい詳しくなったよ、だけど自分ではそんなもの、少しも欲しいとは思わない。もちろん、憲ちゃんが好きになる女の人はみんな嫌い。だって、憲ちゃんの良さを全然わかってくれないんだもの。
  長年の付き合いである私は知っている、憲ちゃんがものすごく素敵な人だってことを。
  いつでもどんなことにでも全力投球で、部活も勉強もがむしゃらに頑張ってきた。そのやり方がところどころに小さな穴が開いている風船を必死で膨らませている、といった感じで、イマイチ効率が悪かったりするのはご愛敬で。
  今だって、ものすごい倍率を勝ち抜いて入社した出版社で、敏腕編集者としてものすごい偉い作家先生とガチンコでやり合ってる。私はそんな憲ちゃんの数々の武勇伝を聞くのが大好き。そして、いつでも思いっきり応援してる。
  ……だけど、友達が言うとおり、やっぱどこまでも不毛な関係なんだろうなあ。

 

つづく♪ (110805)

 

2011年8月5日更新

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