TopNovelヴィーナス・扉>憲ちゃんの彼女・2

本編で残念だった佐々木さんの恋バナ


「やほーっ、憲ちゃん! 定期便ですっ!」
  インターフォンを押してから、元気にご挨拶。ちょっと他人行儀かなとも思うけど、ここは大人のマナーを優先。もちろん、前もってアポは取ってあるし、憲ちゃんが在宅中であることはわかってる。
「おうっ、とっとと入ってこい!」
  ほらほら、こんな嬉しいことまで言ってくれちゃって。
  憲ちゃんの声がスピーカー越しに聞こえただけで、ウキウキしちゃう。私は顔がにやけるのを必死で抑えつつ、鍵の掛かってないドアを開けた。そして靴を脱ぐときちんと向きを直す。ついでに憲ちゃんの靴も並べ直してあげた。
「憲ちゃ〜ん?」
  本人曰く「寝に帰るだけ」の部屋はワンルーム。カウンタで仕切られたキッチンが脇に付いてるベッドルームが唯一の部屋だ。どーんと大きなベッドとパソコンデスク、家具らしい家具もそれだけ。
  だけど。
  狭い通路を抜けてその場所にたどり着いた私は、その瞬間、ものすごい違和感を覚えていた。
「おおっ! 助かったぞ、小夏(こなつ)。今週末は取り込んでてな、飯を調達するのも面倒だったんだ。ま、いつもどおりにテキトーにやってくれ!」
  目の前には憲ちゃんの背中。ネイビーブルーのスウェットの上下は、たぶんパジャマだと思う。
  そして、フローリングの床いっぱいに広がっているのは――
「あ、あのっ……憲ちゃん。これ、何っ……?」
  聞いてもいいよね、聞いちゃっても構わないよね。すでに丸二十二年、つまり私がこの世に生きているのとちょうど同じ長さの付き合いである憲ちゃん。今までだって、腰が抜けるほど驚かされたことは何度もあった。だけど、これには愕然。
「う〜ん、ちょっとなあ……差し迫って調べものをしなくちゃならないんだ」
  と、言ってますけど。
  何か、すっごい違和感がありまくり。私、半端なく驚いちゃってるよ!
  私の足下に投げ出されてたパンフレット、その表紙ににっこりと微笑むのは純白のウエディングドレスを着込んだ花嫁さん。その向こうにあるのは白くそびえ立つチャペル、……で、こっちはばりばりに和風な十二単……!?
  その他にもあるわあるわ、呆然としてしまうほどのウエディング関連の資料たち。それをにこにこしながら眺めてるっていったい……どういうことっ!
「えっとー、憲ちゃん……」
  まさかね、って思った。そんなはず、絶対にないよねって。
  だから、とりあえずって感じで聞いてみたんだ。
「もしかして……憲ちゃんって、結婚するの?」
  違う違う絶対にそうじゃないって、心の中で叫びつつ絞り出した言葉だった。
  そして、すぐに力いっぱいに否定してくれると信じていた憲ちゃんは、ようやくこちらを振り返って言う。
「ああ、その予定だ」
  あんまりにもあっさりと言い切るから、もうちょっとで別の言葉に聞き違えるところだった。
  私、なにかリアクションした方がいい? でもっ、そんなの無理だって。顔が固まって、表情も消えてると思う。
「――と言っても、まだ相手の承諾は取ってないんだがな」
  がくがくがく。
  私は、そんな効果音を背中に感じながら、その場にへなへなと座り込んでいた。
  ――憲ちゃんが、結婚する。
  そんな話、聞いてない。これってまさに青天の霹靂、または寝耳に水だよ……! とにかくっ、絶対絶対あり得ないことだって。
「まっ、まさかっ。この前の人と、ヨリが戻ったのっ!?」
「いや、それは違う」
  憲ちゃんは私の質問をあっさりと否定すると、自信満々に笑う。
「だけど今度の彼女こそが、俺の運命の相手なんだ」
  うっそーっ、そんなのって絶対に許せない……!
「なっ、なんでっ! 私、そんな話、聞いてないよ! どうして今まで秘密にしてたのっ……!」
  私は慌てに慌てた。
  だって、今までだったら、好きな人が出来たときには真っ先に教えてくれたじゃない。そりゃ約束した訳じゃないよ、そうしなくちゃならないって規則もないよ。でもでも、初恋のときからずっとずっと、私は憲ちゃんの恋に付き合い続けていた。
  なのになのに、こんなのって裏切りだよっ。
「いやあ、ごめんごめん。なんたって、急な話だったからなあ……」
  憲ちゃんの欠点は、もうひとつある。
  それは、乙女心にとんと疎いことだ。もう少し、女性特有の揺れ動く想いに機敏に反応することが出来たなら、あそこまでの悲惨な恋愛遍歴を辿ることはなかったと思う。
  だから今も、全然悪びれない様子で、昔みたいに私の頭をポンポンと手のひらで軽く叩いた。
「実はな、これは四年に一度の社内企画なんだ。仕事と恋愛のどちらも成就するという最強の話なんだぞ!」
  とかなんとか、とりあえずは説明してくれたわけだけど。
  その話をひととおり聞いたところで、私には訳がわからなかった。
  憲ちゃんの勤める出版社、そこでは四年に一度とんでもない社内企画が実施される。会社のお偉いさんが内密に設定した「ヴィーナス」のハートを見事射止めた社員には希望どおりの異動を叶える資格も手に入れるというもの。
  なにそれ、はっきり言って女性蔑視もいいところじゃない。そんなのって、ぜーったいに許せることじゃないと思う。
  でも、私がもっと信じられなかったのは、企画の内容そのものじゃなかったよ。
「ええと、……もしかして憲ちゃんって、仕事のために好きでもない女の人と結婚するつもりなの?」
  そうだよ、まずはそこに突っ込まなくちゃならないよね。
  もともとその人のことを好きだったとか、そういうのならまだわかるけど、全然そうじゃないみたいだし。だいたい、今回「ヴィーナス」となったその人って、まだ入社間もない契約社員だっていうじゃない。担当部署も違うから、それって現段階ではほとんど他人ってことでしょう?
  なのに、一足飛びに結婚なんて。それって、絶対に間違ってるって……!
「なんだ、小夏。お前、そんなことを心配しているのか」
  だけど憲ちゃんは、私の気持ちなんて全然わかってくれない。それどころか、どうしてそんな些細なことにこだわるのかと言わんばかりに、不思議そうな顔になってる。
「大丈夫だ、俺はこの人と決めた相手のことは一生大切にする。だから安心しろ! これでお前も肩の荷が下りるってもんだろう……って、どうした! 今から嬉し泣きか、気の早い奴だなあ〜!」 
  私が急にぼろぼろ泣き出したら、憲ちゃんはそれに反応してガハハッと笑う。なんてちぐはぐなふたり、どこまでも平行線のふたり。――そして。
  私はそのとき、ようやく気づいたんだ。自分が今の今まで、憲ちゃんの恋が成就する可能性なんて絶対にないって信じ切っていたことに。

 

つづく♪ (110808)

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2011年8月8日更新

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