祭りのあとに

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◇諸注意◇

こちらの作品は、当サイトで発表しております「未来シリーズ」の番外編になります。
『君の天使になる日まで(未来・樹編)』を
読破なされていない場合は「なんじゃこれ」となること請け合いです。

※『夢の途中 side,B』(拍手御礼作品・ただいまはアンケートお礼ページに収納)
にも目を通された方が宜しいかと存じますが、こちらは未読でも大丈夫かな??

今回は、ぶっちゃげ「君天のふたりの結婚初夜の話」。
ですので、本編のイメージを大切にされたい方や
ネタバレが怖い方はどうぞここで回れ右をすることをオススメします。

ではでは、上記のことをご理解くださった方は、ずずずっと下にお進みください。
遅めのお中元となりましたが、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。

 

2006.8 『Powder Moon』管理人*Kara
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 全ての部屋が展望台仕立てになっているロイヤル・フロア。

 贅沢に全面硝子張りを施した壁の向こうは、闇に浮かび上がる夜景。この方角からは市街地と港とを一緒に楽しむことが出来る。
  話には聞いていたしあれこれ想像したりもしたけれど、実際に体感するのは大違い。何であんな底の方に星空があるんだろうなとか思っちゃう。そう、逆立ちの気分ね。

 世界的にも名前を知られている某港近くの政令指定都市。ちなみに地元の県庁所在地だったりもする。その場所に周囲の建物を見下ろすが如くそびえ立つ高層ホテル。その最上階の一室を陣取る今の私は、まるで天上の住人にでもなった気分だ。

「あまりのぞき込むと、足下から浮かび上がっていく気分になるよ? 心外だな、姫君はこの俺様よりも光の屑の方にご執心とはね」

 ころんころんと、グラスの中で音を立てる氷。振り向けば、しっとりと落ち着いた色のスーツに身を包んだいつもの男がいた。
  ふかふかの座り心地最高のソファーにふんぞり返った相変わらずの態度、世間の荒波に揉まれても少しも丸くなることを知らないんだから呆れてしまう。
  あんまり上品な格好でポーズを決められると、思わず「ええっ、『当店人気ナンバーワンホスト』をお持ち帰りしちゃったのかしら……!?」という錯覚に陥ってしまうから怖い。

「いいでしょ、一生のうちに何度も楽しめる夜景ではないんだし。ここはもう、穴が空くほど眺めて脳裏に焼き付けなくちゃ損よ」

 対する私の方も、相変わらず可愛くない。長年連れ添って変わりばえがないのはお互い様、よくもまあ飽きもせず同じ相手と過ごしているものだと我ながら感心してしまう。

「やだなー、そんな風にしみったれた考え方。せっかく特上の気分を味わわせてやってるんだから、今夜くらい貧乏くさい思考はやめろよな」

 かっちりしたサラリーマン風のスタイルも結構似合うと思うんだけどな、社会人になってもコイツのラフな格好は変わらない。柔らかい猫っ毛を暑苦しくないほどにカットして、それが甘いマスクと憎らしいくらいよく似合ってる。

 返事をする代わりに、つんと唇を尖らせてまた彼に背中を向けた。硝子に映る今夜の私は、オレンジを基調とした優しい花柄のキャミソールワンピ。それに向こうが透けるようなショールを羽織って。ぱっと見は普通っぽいけどね、実はいつもの買い物よりも0がふたつ多かった。確かに着心地は抜群、身体の線にしっとり馴染んでとびきりの女性になった気分。
  服に合わせてお手製のチョーカーも作った。カーネリアンという天然石を主役にして、ゴールドベースにまとめて。丁度逆さまから見た孔雀の羽みたいに、大きく開いた胸元を華やかに彩ってくれる。式で身につけた白のドレス用にもフルセットで作れたし、そう言うのは楽しかったかな。久しぶりの大物って感じで。
  でもこんな服、次に着る機会はいつのことだろう。普段の仕事では汚れても平気な動きやすい服装ばかりだし。レーシーな服が流行っているこの頃でも、相変わらずシンプルスタイルに徹している自分が嫌になる。……ま、自分で選んだ道だから仕方ないか。

 こうしてふたりきりの部屋に入ってからもお互いに正装してるってちょっと変だけど、それも仕方ないのよね。ついさっきまですぐ向こうのダイニング・スペースでフルコースのディナーをいただいていたんだから。シャワーを浴びてバスローブを着込んで……なんて、絶対に無理な感じだったの。

 本当、びっくりなほど広々とした部屋なのよ。たったふたりのお客のために一体いくつの椅子やテーブルがあるの? 大体トイレが三カ所にある理由が分からない、こんなに無駄に贅沢にする必要がどこにあるのだろう。
  確かに一泊の宿泊料金も目玉が飛び出るくらい高いわ。一般家庭のひと月の生活費を軽く上回るんじゃないかしら。いくら一生に一度のことだとは言っても、若い身空でここまでの豪遊が許されるのか不安になってくる。

「今回は俺に全部任せて、一切の口出しは無用だからな」

 その言葉通りに、本当に奴は何から何まで自分で仕切ってしまった。そりゃ、三人姉弟のしんがりを務める身としては、それなりの夢も希望も膨らんでいたのだろう。だけどこんなワンマンなやり方に耐えられるのは、地球上の生物をくまなく探しても私くらいだと思うよ? 普通は女子の方がずっとずっと盛り上がるイベントだもの。

 ――純白のドレスに身を包む、世界で一番幸せな花嫁。

 会場に集まってくれた招待客の皆さんには、私がそう見えていたに違いない。まあ、……それもまんざら嘘ではないと思うわ。そうよね、長い春を過ごしていた彼とのゴールイン。本当にイロイロあったし何度も「もう駄目だ、今度こそは愛想が尽きた」と投げそうになったけど、諦めずにいられたから「今」がある。
  コイツと付き合って一番得をしたことはと質問されたら、やっぱ何事にも負けない強靱な忍耐力が身に付いたことだと答えるのが妥当だな。心臓も強くなったよ、ちょっとやそっとの衝撃ではびくともしないほど鍛えられたと思う。

「薫子」

 天の川のような夜景を背中にしょって、奴が悠然と微笑む。計算されたかのように綺麗な角度に持ち上がる口端、のぞき込めば吸い込まれそうに真っ直ぐな瞳。

「お前もこっちに来て一緒に飲まないか? ワインもまだ残ってるし、ルームサービスで何か取ってやってもいいぞ」

 こういう場面にあっても、普段通りに振る舞えるってすごいことだと思うわ。と言うか……やたらとはまってるのよね、このゴージャズな雰囲気に。すでに長い時間をこの部屋で過ごしてきたのではないかと錯覚してしまうほど、全ての小道具が彼にひれ伏している。

 でもさ、こういう状況だよ。「今日は本当にお疲れ様」とか、ねぎらいの言葉がまず最初に出てくるのが普通じゃないかなあ……?

 この男に関しては「世間の常識」と言うものが全く通じないことは知っている。いや、すでにそれは望んではならないことだと諦めていると言った方が正しいかな。
  グラスの中の琥珀色をランプの炎に透かしてみながら、一体何を考えているのやら。あれはきっと、きっと今日の「晴れ舞台」がこの上なく完璧な仕上がりで幕を閉じたことに心から満足してる表情だわ。

 ――そうか、私はコイツと一生を共に生きることになってしまったんだな。

 当然と言えば当然のことを改めて胸に刻んできびすを返すと、胸元のチョーカーのパーツが重なり合って軽やかな音を立てた。

 

◆◆◆


  慣れた手つきで注がれていくロゼ・ワイン。ピンク色の淡い色調が何となくウエディングっぽいのかな? 今日はそこら中でこのお酒にお目に掛かったし、一足早く届いた贈り物の中にも何本かあった気がする。もちろん「ふたりの夜を楽しんでください」というメッセージカード付きでね。

「まずは、乾杯」

 薄紅色に満たされた細長いグラスの底には、デザートに添えられていた赤い花が沈んでいる。「そのまま食べても大丈夫ですよ」とボーイさんに言われたけど、何となく残してしまったんだっけ。いつの間にキープしてあったんだろう、花びらの一枚一枚までが瑞々しく薫ってくるようだ。

「……お疲れ様」

 意識はしてなかったけど、どことなく嫌みな口調になってしまったかな。でもあんまり気にもしてない様子、薄い唇がグラスの縁にちょっとだけ触れる。それだけの仕草でも艶っぽく感じてしまうなんて世も末ね。こんな風にふたりしてグラスを傾けてるなんて、やっぱり不思議な気分。改めて怒濤のように過ぎていった日々を思い返してみたりする。

  誕生日が来れば、お互いに25歳。もうとっくにお酒もタバコも解禁の年齢なのよね。目の前にいる男はタバコは吸わないけど、アルコールはいける方かな? そうなんだよねー付き合い始めたのが高二だから、かれこれ8年以上もの腐れ縁になる。その間にコイツが再起不能なほどにお酒に飲まれたのは、後にも先にも一度だけ。今から丁度一年前くらいのことになるかな……。

「ま、今日は面白いものを拝ませてもらったよ。人間って本当に驚くと鼻の穴まで大きくなるんだな、いやあ見物だった」

 ゆっくりと寄りかかると、そのままどこまでも身体が沈んでいくソファー。思わずとろとろと眠りこけてしまいそうになる。しかしそんな幸せな瞬間も、悪魔の囁きによって破られた。

「……なっ……! よくもまー、そんな減らず口が叩けたものねっ。あの状況で驚かずにいられる強者がいるなら、是非お目に掛かりたいものだわ!」

 どうしてそんなに楽しそうに笑うの、人に何の相談もなしに一体どういうことっ!? もしも招待客に披露する余興として完璧に仕上げたかったら、せめて私だけにでも教えて欲しかったわよ。

 

「誰もがすぐに想像が付くような、コテコテにお約束な披露宴にしたいんだ」

 そう切り出されたときは、拍子抜けしたと言うのが正直なところ。お祭り大好きで、どんな場面でも最高のパフォーマンスを見せなければ気が済まない性格は嫌と言うほど承知していたもの。何で今更そんなことを言い出すのかと思った。

 奴の説明によればね。上のお姉さん夫妻の時は避暑地の教会での挙式だったし、下のお姉さん夫妻の時は学生結婚だったこともあってお披露目のガーデンパーティーをご実家の庭で開いただけ。それだけに(はりぼての)ケーキに入刀とか(やたら時間が掛かるだけの)キャンドルサービスとか(盛り上がってるのは本人たちだけの)両親への花束贈呈とか、そう言うのを経験してみたかったんだとか。

 まあ、気持ちは分かる。そうなのよね、「お約束」って結構いいものよ。

 こっちはまた、「ヘリコプターからパラシュートでダイビング」とか「ゴム製のスーツを着込んだ水中ショー」とかそういうシチュエーションを考えてるのかと怯えていたから、もう奴の気が変わらないうちに話をまとめてもらおうと思った。

 奴が選んだのは、地元では「ここでやったらすごいな」と一目置かれている有名ホテル。お値段も段違いにすごいみたい。さすがの私もそれはどうよと思った。どこからそんなお金を捻出するのかと食ってかかったら、「へそくりがあるから大丈夫」って。そう言えば、あのルックスを売りにして学生時代はかなり怪しいバイトとかもやっていたらしいけど。

 まあ、そんなこんなで。とんとん拍子に話はまとまって。

 夏休み明けの大安吉日、前夜まで猛威を奮っていた台風もようやく抜けて行った青空の下で予定通りの挙式と相成った。

 噂には聞いていたチャペルウエディング、それはそれは素敵だったわよ。まるでヨーロッパの古城にでも迷い込んだようなしつらえ、どこもかしこも花だらけ。某人気デザイナープロデュース・極上品のドレスはレンタルだったけど、袖を通すのは私が初めてというプレミアムだった。
  親しい顔ぶれに祝福された挙式のあとは、ホテルの会場に場所を移しての披露宴。中央にひな壇があってその周りをいくつものテーブルが取り囲むという変わったセッティングだった他は、どこと言って変わったことはなかったのね。

  目の前の扉が開くと、そこは祝福の拍手の洪水。花嫁である私は父親に付き添われて中央のステージへ。でも、先ほどまでは扉の向こうで一緒にスタンバっていたはずの男が後から付いてこないの……!

 ごくごく常人の心臓をしている私の両親はもう真っ青、一体どうしたことかとわたわたしていた。

 ここに来て、ドラマのように花婿に逃げられるのかとか思ったのかもね。私に男が出来たと知ったときも、その相手がかのカリスマ・ファミリーの末息子だと分かったときも、驚きのあまりコメントのひとつも出ない感じだったもの。

  ま、私は奴のことだからとんでもない場所から飛び出してくるのかと、あちこちをきょろきょろ見渡していたわ。ここで親と一緒になって慌てたら奴の思うツボ、またいいように喜ばせるだけじゃないの。

  それは下座の席に婚約者とふたりで座っていた「あの」兄も同様だった様子。というか、何が何だか知らないうちに、兄は私の高校時代にクラスメイトであった小川さんとらぶらぶになってるのよ! もう、全然そんなの知らなかったんだから。打ち明けられたときは度肝を抜かれたわ。
  今日は兄だけではなく小川さんまでがばかでかい望遠レンズを装備したカメラを手にしている。「後で特製の写真集を作成するから楽しみにしていてね♪」なんて明るく言ってくれたけど、一体どんな仕上がりになるか不安だわ。

 ――そしたら、よ。

 奥の扉が、突然バーンと開いてね。それと同時に会場中のスポットライトも一斉にそちらを照らしたの。もう、直視できないほどのまばゆさ。ようやく目が慣れてきて光の中の人影を確認して唖然としたわ。

 

 何、その格好。

 

 どうしてさっきまでのタキシードじゃないのよっ、一体どんな早業で着替えたの……!

 ええと、何と説明したらいいのか。そう、そうよ、おとぎ話に出てくる王子様さながらの姿。ちょうちん袖に、ブルマ型のパンツ。しかも縞々で、一歩間違えたらお父さんの柄パンだ。お約束に裏地が赤いマントを翻し、しかも……しかも、本物の生きてる馬にまたがってるじゃないの……!!

 ふかふかの絨毯の上でも響き渡る蹄の音。そのままゆっくりと私たち父娘が待つ中央ステージまでやって来た。う、馬の鼻先がすぐそこっ。何なのよ、聞いてないわよこんなのっ!

「こんなところにいらっしゃいましたか。探しましたよ、姫君」

 いや、探されてたのはあんたの方だから。

 そう言う突っ込みも出来る状態ではなかった。どこに仕込んでいるんだ、隠しマイク。芝居じみたセリフが会場の隅々にまでビンビンと響き渡ってる。ひらりと馬を下りて差し出された手に指先も届かないまま。呆然として動けないでいたのは腰が抜けていたからよ。何で、都会の真ん中に馬、白い馬っ! 

「王様、このたびはとんだご無礼を致しました。どうか我々の結婚をお許しいただきたいと存じます。私たちは、……すでにこのような関係ですから」

 ライト、当たってるの。円形のステージでどこの席からもばっちりと見えてるの。彼のお父さんが自営業なこともあって、少し多めの150人強の招待客。皆さんが見守っているのよっ……!

 

「よくもまー、あんな場面で恥ずかし気もなく。もう、友達に合わせる顔がないわよ。どうしてくれるのっ!」

 振り払う間もなく受け入れていたディープキス。あれは、とても人前ではやってはいけないような代物だったと思う。普通さ、結婚式の誓いのキスってちょっとくっつくくらいでしょ? だよね、そうだよねっ……!?

「そんなことないよ、結構うけてたじゃない。あれね、馬を借りるのも会場に持ち込む許可を得るのも本当に大変だったんだから。本当はね、黒ずくめで魔王の格好をしたかったんだよね、黒マントで。そう言う方がより意外性があると思ったんだけどなー、会場係のチーフがやめた方がいいと言うから」

 うわー、それは……不幸中の幸いだったかも。あのチーフ、人の良さそうなどこにでもいる眼鏡のおじさん風なんだけど、しっかりとこの荒くれ男の手綱を握ってくれてたのね。本当、感謝感激だわ。

「うけてたって、チビちゃんたちにでしょっ!? しかも上條さんの双子ちゃんは喜んでたけど、杉島さんちのチビちゃんは顔面蒼白で固まってたわよ。あれ、絶対に夢見が悪くなるから。もう、情操教育上良くないことはやめた方がいいよ。これからの仕事にも差し支えたらどうするの?」

 さすがに馬はすぐにいなくなったけど、コイツの王子パフォーマンスはもうやめろと言うほど延々と続いた。いつ乾杯の音頭を取ったらいいのか分からずに途方に暮れる上條のお義兄さん。2時間半の披露宴のほとんどは奴のひとり舞台で終わった。

「へえ、薫子。いいこと言うじゃん、早くも『内助の功』? いやー、見上げた奥様だね」

 ゆっくりとグラスのワインを飲み干すと、奴はすすすっとこちらに寄ってくる。私の手にあったグラスも強引に取り上げて、一口残っていたのを口に含んで。

 そのまま、……唇を重ねてくる。

「……くうっ……」

 強引に開かされた隙間から、ワインが流れ込んでくる。それほどアルコール度数が高いわけではないのに、ふわんと酔いが回ってきた。ショールははぎ取られて、キャミソールの肩ひもが外される。ゆっくりともったいぶるように、差し込まれてくる手のひら。

「ちょっ、……ちょっと待って。駄目、こんな急なの! ……何でっ……」

 なんかね、広すぎて落ち着かないの。せめてベッドスペースまで連れて行って貰えたらいいのに、そういう配慮もないらしい。ピアノを弾くように私の肌に跡をつけて、その一方で自分が服を脱ぐ早業も相変わらず。

「いいだろ、今日は記念すべき初夜なんだから。もう、ここは思う存分ね。そのために今まで我慢してきたんだから……」

 良く言うわ、我慢ってほんの二週間でしょ? それも夏休みの終わりで仕事が滅茶苦茶忙しかった上に、週末はどこかにふらりといなくなるんだから。ああ、そうか。乗馬を習いに行ってたのね、そう言うのには抜け目ないから嫌になる。

「あんっ……、駄目っ……やめて、樹っ……!」

 私の中を探るのは長い二本の指。それが違う場所を一度に刺激してくる。どうしてそんな場所まで知られているのかと不安になるほどに、無駄のない動き。恥ずかしいくらいにぐっしょりになってる。おしりの方まで回って来ちゃってて、今にもソファーを汚しそう。慌てて少し腰を持ち上げたら、申し合わせたように大きめのリネンが差し込まれた。
  でも、これって食事の時のナプキンでしょ? 何か、こんな時に使うのってヤバイ気がする。自分自身までがテーブルの上のご馳走になってしまった様な気分、とても変な感じ。

「ふふ、やめてなんて嘘でしょう? 本当はもう欲しくてたまらないくせに、素直じゃないね。そういう風にすると、お仕置きだよ?」

 わざと音を立てて吸い付かれる胸先。もう一方は空いた方の指で絶えず刺激されてもうこりこりになってる。どこもかしこも好きにされて、頭の中が泡立っていく。もう、どうしたらいいか分からない。

「やんっ、やあっ……! 駄目、もうこんなのっ……すごすぎっ……!」

 

 もうほとんど思考の出来なくなった頭の隅、何故か奴がひとりでグラスを傾けている姿が浮かんでくる。

 あの頃、こちらが何と言っても声が届かないほどに奴は荒れていた。卒業してすぐに勤めた某有名学習塾。お受験のブームに乗って急成長を遂げている前途洋々の職場だった。どうしてそんな就職口を選んだのか、私には理解できなかったけど。何か、……彼の繰り返し語っていた「夢」とは遠すぎて。

 高校時代を自分の思うがままに振る舞い続けた策士は、受験のひと月前になって志望学部を変更するという暴挙に出た。それまでは教育学部一本に絞っていたのに、いきなり経営とか情報の勉強をしたいとか言い出して。さすがのお父さんも止めたらしいけど、それなら両方を受けてやるとか啖呵切ったのね。あれにはびびったわ。でも、絶対に後には引かないんだもの。
  何をそんなに焦っているんだろうとこちらが不安になるくらい、必死にあらゆる知識を詰め込もうとしている姿が痛々しくてならなかった。ようやく就職先が決まって仕事も波に乗ったと思ったら、一年半後にいきなりの解雇。経営陣からも子供たちからも好かれていて、どこも悪いところなんてないように見えたのにいきなりの失脚だった。

 その後、どれくらい荒んだ日々が続いていたんだろう。私も自分の仕事があるし、かかりっきりというわけにはいかなかったけどかなり気を揉んだことは確か。
  彼と共に学童保育のボランティアを続けるうちに興味を持って、保育士と幼稚園教諭の資格の取れる大学に進んだの。運良く小学校教諭の免許も手に入れて、産休の補助教員なんてやっていた。子供って本当に可愛い、もうやみつきになってたのね。

「そうか、そこにも道があったんだな」

 いつだろう、どういうきっかけでそう言う話になったのか忘れたけど、久しぶりに学童保育の話が出たのね。私の勤務してる小学校の近くには学童がなくて、共働きの家庭はどこも頭を悩ませているのを知っていた。で、父兄の有志が立ち上がって、自治体に働きかけることにしたのね。最初は自分たちで民間の学童私設を作ろうと思ったらしいけど、それは現実的ではなかったみたい。
  今は署名運動をし「市」に陳情する方法を選んで、活発に活動なさっていた。懇意にしている市議会議員さんに働きかけて議会で話を出してもらうようにしていくとか。その一方で子供たちを受け入れる施設を探したり、フルタイムの仕事をこなしながらの活躍ぶりには頭の下がる思いがした。

「俺も、そこに入れて貰えるのかな……?」

 確かに学童保育で「ボランティア要員」として重宝されていた昔はある、でも今はそれとはかなり立場が違う。奴もそれは重々承知とはいえ、慣れない大人社会の中で辛い思いもしたみたい。だけど約一年が経過して、彼は学童クラブの指導員としての道を歩き始めている。

 多少の山谷はあったものの、前向きに順調に自分の進むべき進路を突き進んでいる。他人目に見ればそう思えるかも知れない。ただ、ここまでの日々に一番近くにいたはずの私ですら、槇原樹という人間がどれくらい深く悩み傷ついてきたかを理解できてない気がする。もう少し彼の「支え」となることが出来たならと不甲斐ない気持ちになることもしばしば。

 だから、……何というかな。春先にプロポーズされたときには本当にびっくりした。いつもの冗談なのかなと軽く流そうかと思ったけど、奴の表情は真面目そのもので。あんなに綺麗な瞳って、生まれて初めて見たような気がする。

 

「きゃうっ、駄目っ……駄目なの。これ以上、やめてよっ……!」

 そのあとは、声にならない断末魔。一呼吸おいて、頭の中でばちばちと何かが弾ける音がする。

 もう駄目、これが限界だからと思うのに、さらなるたかみに押しやられてしまう。腰から下ががくがくと震えて、身体の中心が火照って火照って仕方ない。たった今、波が通り過ぎた後なのに。もう次を本能で望んでいた。

「ふふ、いい顔だな。お前にそんな目で見つめられると、どうしても我慢できなくなってしまうよ。どうしてこんなにそそられるんだろうな、本当に憎らしい奴だ」

 その言葉、そっくりそのまま返してあげたい。

 本当にコイツだけなんだから、半脱ぎの情けない姿で好き勝手にされてもそれで許せちゃうのって。いつもいつもとんでもない状況ばかりにぶち込んでくれて、それでも諦めることが出来なかった。自分でもとんでもない貧乏くじを引いたと思うわ、でもその分有意義な人生を送れるんだよね?

 私を抱き寄せる手のひら、左手の薬指のお揃いの指輪。こういうのも「お約束」なんだけどね、やっぱり嬉しいの、すごく。

「さ、薫子が満足してくれたところで今度は本番行きますか。最初に断っとくけど、今夜は容赦しないからな。もう駄目だって泣いても絶対に許さない、とことん付き合ってもらうよ?」

「……え……?」

 朦朧とした頭で、かろうじてそう応えた。どうしてまた、そんなに嬉しそうに笑うの。息が出来ないくらい強く抱きしめられて、鼻先が触れ合うほどお互いが間近になる。

「菜花姉のところがひとりで、梨花姉のところが双子だろ? だったら、ウチは絶対に三つ子だ。大丈夫、自然妊娠だってあり得るらしいし。俺とお前だったらそれくらいのサプライズがあった方がいいだろ?」

 さあ、頑張って仕込むぞと片足を持ち上げられて。何が何だか分からないままに流されていく。気のせいかも知れないけど私の中で暴れ回る奴はいつもよりも存在感がすごくて、ぎゅうぎゅうと隙間なくさすられるとたちどころに気が遠くなりそう。

「な、何言ってるのよ。そんなに何人も一度に育てられるわけないでしょ、もういい加減にして……!」

 自分ではそう言ったつもりだけど、半分は息だったからきちんと伝わったかは謎。でも、私の鼻先にキスしたあと、彼はにっこりと微笑む。こんな状況には全く似合わないような、無垢な天使の微笑み。

 そう、出逢った頃から。幾度、この表情に惑わされてきたのだろう。普段は憎まれ口ばかり叩くのに、いざというときの切り札に使われて。

「大丈夫、余所の子もウチの子も全部まとめて面倒見るから。我が学童クラブは働くお母さんの味方だからね、薫子は心配する必要なんてないから。もう大船に乗ったつもりで、ばんばん産んでくれていいよ?」

 そんなわけに行かないでしょと言いたかったけど、すでに息も絶え絶え声にならなかった。私の身体の隅々までをすでに知り尽くしている男にいいように翻弄されて気が狂いそう。

 だけど、……それもまた「甘い檻」って感じでね、心のどこかで待ち望んでいる私がいる。

「……さ、薫子」

 額から流れ落ちる汗、大きな呼吸を繰り返す胸。一度動きを止めた奴が、またひとつキスを落とす。

「これでもう、今度こそ一生離さない。覚悟しとけよ、俺はとことんしぶといからな」

 

 大きな黒マントに包み込まれる刹那。

 心の中に浮かび上がった例えようのない心地こそが「愛」なのだと、薄れていく意識の中でぼんやりと思った。


おしまい (060811)
ちょこっと、あとがき?

 

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