TopNovelさかなシリーズ扉10111213


〜みどりちゃんの妹・ぼたんのお話〜
…10…

 

 

 気が付くと、バレンタインから1週間が過ぎていた。

 ハードスケジュールにもかかわらず、お肌は理想的な張りと透明感をキープ。それもこれも、素材の良さと若さがもたらす恩恵ね。あとは「何はともあれ、睡眠時間」という基本的な部分を押さえているから。

「……よし、完璧!」

 姿見の前で、今日もばっちり確認。これなら、どこから見ても完璧に美人実業家だ。あまりの忙しさに新しいスーツを見繕えないのが残念だけど。大丈夫ね、何を着てたって本人が光り輝いていればいいのよ。逆を言えば、服ばかりが目立っているようじゃ、「まだまだ」ってこと。

 

 週末を乗り越えて幾分暇になったのだろう、今日は午後から、地下に入ってるスーパーとの契約更新の話し合いがあるんだった。ここはコインパーキングに次ぐ大口のテナントだし、貰っているお家賃も一番高い。
  そうなのよね、単純に坪いくらで計算できないのが難しいところ。同じフロアであっても区画によって細かく値段設定がなされている。一律にするばっかりが公平と言うわけではないのよね。

 契約更新時に一番問題になるのが、この家賃問題。何しろそれによって、敷金や礼金も変わってきちゃうし……まだまだ市場が安定してきたわけではないもんね。テナント側としては抑えられるところは抑えたいというのが本音なんだろう。

 けどねぇ、「はい、そうですか」って簡単に承諾するわけにもいかないの。だって、貸しビルを経営するのはただお金が入ってくるわけじゃないんだよ。土地建物にはそれなりに各種の税金がかかるし、メンテナンスだって半端じゃない。まだ先のこととはいえ、「建て替え」なんてことまで視野に入れてなくちゃならないんだ。

 実は本当の更新日はまだ2ヶ月も先なんだって。何度も何度も話し合いの場を設けて、進めていくんだって聞いて驚いた。最初は腹の探り合い、次第に話が中核に近づいていく。「では、持ち帰って検討します」を幾たびも繰り返すそうだ。もっと簡単に済めばいいと思うけど、その辺はお互いが納得するかたちにしないとしこりが残るんだって。……難しいね。

 

「ま、頑張るしか、ないでしょ」

 もう一度、ルージュの色を重ねて。私は足下から快活に階段を下りていった。

 

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「ねえ、ぼたんちゃん」

 まるで待ちかまえていたかのように、ママがリビングから顔を出す。

 真っ白な胸当て付きのエプロンは、総レースの素材の上にびっしりと綿レースの縁取りが施されていて、実はかなりのお値段なのだ。もちろんその下に着てるのもふわふわのワンピース。大きくふくらんだパフスリーブはちょっと長めに肘のすぐ上まであるデザインだ。ラベンダーピンクは一番ママに似合う色。

「……なあに? 後ろ、何か付いてる?」 

 さっき「後ろ姿チェック」もきちんとしたから、そんなはずはないって分かってるんだけど。一応、切り返してみた。私を上から下までじーっと見渡したママはちょっと悲しげ。その気持ちは分かるんだけどなあ、……ごめん、仕方ないんだから。

 ちっちゃい頃からずーっと、ふわふわの乙女チックが大好きだったママ。だから、娘が産まれたら一緒におそろいを楽しもうって心に決めていたらしいのね。お姉ちゃんや私が小さい頃は、まだパパの事業も始めたばかりでお金にもあまり余裕がなかったと思う。でも、ママは安い布地を自分で仕立てて、私たちをとびきりのお姫様にしてくれた。
  そのうちに、お姉ちゃんがそういうぴらぴら系が全然似合わなくなっちゃって。そうなるとあとに残った私が頑張るしかなかったのよね。幸い、私はママと双子みたいによく似ていたから、勧められるままに何を着てもぴったり似合った。

 でもな〜、何でなんだろう。こうしてかっちりしたスーツばかりを着るようになって。それが意外にも心地よいことに気付いたんだよね。今までは勤務中は制服でも、通勤時にはばっちり決めていた。でもまさか、歩いて10分の職場でそれをするわけにも行かないし。タイトスカートの裾がチューリップラインになっているだけで、結構満足している私がいた。

「ううん、そんなことないわ。とても良く似合ってると思う。……じゃなくて、ぼたんちゃんにちょっとお願いがあるのよ」

 両手を胸のところであわせて、拝み倒しポーズを取る。まあ、ママにとってはありがちのことなんだけどね。「一緒に新作ファッション・ショーに行きましよう」とか、しょっちゅうお誘いもある。

「あのね」

 ……その次のママの言葉は、私にとって度肝を抜く内容だったのよね。

 

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「別に、ママが自分で行ったっていいのに……」

 ぶつぶつと口の中で繰り返しながら、私はいつかの大通りを突っ切っていた。一度事務所に顔を出してスケジュール確認をしたから、だいぶ時間が過ぎている。それでもやっとお店のシャッターがガラガラと開きだした頃で、人通りもまばら。いつもの賑やかさが嘘みたいな静けさだ。

 

 ――早く、全部のシャッターが開かないかな?

 つい、そんなことを考えてしまう。何でだろう、私は締まったままのシャッターがどうしても苦手。横に開く普通の雨戸ならそうでもないんだけど、グレイの横縞模様がずらりと並んでいるのはどうしても駄目なんだ。

 まだ小さい頃の記憶。私鉄の開通で一気にこの辺の地価が高騰した時。前にも言ったように、昔ながらの商店街だった駅前は、時代の波に呑み込まれようとしていた。ここぞとばかりに、甘い話を持ちかけてくる悪徳業者に引っかかってしまった店主もいたって言う。難しい話は面倒だからと、さっさと立ち退いてしまったおじいちゃんもいた。
  地元に密着したほのぼのとした街並みが急に寂れたものに変わっていく。人気のなくなった店舗はシャッターを下ろしたまま、寂しげにひとりで残っていた。地域開発、地域開発って言うけど、本当にそれが地元のためになっているのだろうか。結局は外から大型店舗が進出してきて、借り物の街が出来上がるんだ。

 パパは最後まで、駅前のお店にこだわり続けていた。でも小さな街の本屋さんでは、どうにもならない状況に追い込まれてしまって。最後の手段としていくつもの区画にまたがった広い敷地を買い取って、ビルを建てたんだ。表からは分かりづらいけど、ビルの裏手には幼稚園と大きな公園もあるんだよ。

 きっと幼心に感じたいくつもの「別れ」が、私のどこかに残ってるんだと思う。いつも周囲に誰かいないと寂しくて仕方なかったし、ひとりで何でも出来るような振りをしていても、甘える相手が欲しかった。お金なんて、それほど人間を幸せにはしない。だって、どんな大金を積み上げたところで人の心は買えないから。
  欲しかったのは「本物」、いつもシャッターを全開にして私を迎え入れてくれる。間口はちっちゃくてもいいの、奥行きがあって……どんな私でも拒否したりしない。だから思い切り羽目を外しても大丈夫なんだ。変わらずに、いつでもそこにあるもの。それに出会いたいだけだったのに。

 

 こつこつ、と自分のヒールの音に心が打ち付けられる。……大丈夫、私は強くなるんだから。夢見る少女はもうおしまいなの、これからは自分の力だけでしっかりと歩いていく。何度も何度も自分に言い聞かせて。

「……ふう」

 商店街の端っこまで辿り着いて、そこで足を止める。さらさらと笹の葉が揺れて、日だまりのその場所が信じられないほど遠くに見えた。

 

「ねえ、お願い。午後からのお客様のために、とびきりのお菓子が欲しいの。『楽々亭』までお使いを頼まれてくれないかしら?」

 ――冗談じゃないわよ……って、叫びそうになるのをかろうじて飲み込んだ。だよなあ、ママは全然知らないんだもん、今までのこと。びっくりさせたら可哀想だよ。

「え、でも。勤務時間中だし、やらなくちゃならないことがいっぱいで……」

 そんな風にどうにか取り繕って断ろうと思ったんだけど、上手くいかないの。ママって可愛らしいように見えて、案外強引なのよね。

「だって、ぼたんちゃんが行くと、あそこのおじさまは特別のを作ってくれるんだもの。普通のじゃ、失礼でしょ? ね、ぼたんちゃんだけが頼りなのよ」

 ついでにお持ち帰り用の冷やしぜんざいを買ってくるように言われた。それも含めて「茶菓子代」で領収証を書いて貰って、と言うあたりもちゃっかりしてる。なんだかんだ言ってもママは、やっぱり商人向きの性格なのよね。

 ……ま、ここでいつまで怖じ気づいていても仕方ないか。さっさと用件を済ませてしまえばいいんだわ。そうよ、その通りよ……!

 

「こんにちは〜!」

 意を決して、ドアを押す。ショーケースの向こうにいた人が顔を上げた瞬間に、私の頭の中は真っ白に染まった。


つづく (050418)


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