TopNovelさかなシリーズ扉10111213


〜みどりちゃんの妹・ぼたんのお話〜
…4…

 

 

「ホント、良かったね。おじさんの怪我、たいしたことなさそうで」

 病院って、どうしてあんなに緊張するんだろうな。真っ白い建物の外に出たときには、自分でもびっくりするくらい肩こりがしていた。だから、思いっきり伸びをしてみる。

 話には聞いていたとおり、おじさんの入院している病院はとっても遠かった。道中はちょっとした小旅行の気分になったほど。特急で着いた駅から各駅電車でひとつ戻ったそこは、駅前広場から常緑樹の緑に包まれていて、気持ちよかった。用事を済ませてとんぼがえりなんて、もったいないくらいだわ。

「うん、そうだね。程なく退院できるそうだし、この分だと考えていたよりもずっと早く店に立てそうだね」

 全体がゴム編みになってるタートルのセーターは、身体にぴたっとした細身なのに丈が長いデザイン。まだら模様の焦げ茶色が、何となく「もぐら」のイメージなんだけど、結構似合ってる。ポケットがいっぱい付いたフード付きの上着も、彼らしい。いつもは白衣の姿ばっかり見てるから、すごく新鮮なのよね。
 手にしていたお花も菓子折も全部病室に置いてきたから、お互いに急に身軽になった。見上げれば、気持ちいい晴天。空の色がこんなにくっきりと鮮やかなのも珍しいことだ。

 

 私だって。

 今日はおじさんのお見舞いってことで、控えめの服装にしてきた。そうよ、別にいつもきっちりと着込んでいるわけではないの。一応TPOはわきまえてるつもりだしね。
 丈の短いジャケットはえんじ色。ピンタックとフリルが前身頃にいっぱいに付いている定番のデザインなんだけど、飽きが来ないし何にもあわせやすくて重宝してる。ただし、今時のデザインだから、下に長袖を着られないのが残念。冬空にキャミソールだけではあんまりだから、今日は半袖のブラウスを重ねてみた。全体をサーモンピンクのギンガムで、まとめてたの。髪だって、緩く編み込みにしてある。

 待ち合わせ場所に着いたら、彼も少し意外そうな顔をしていた。きっともっともっとすごい格好で来るって想像していたんだろうな、口元がしっかり苦笑いしていたもん。もちろん、そんなことをチェックしたりはしなかったよ。こんな風に「裏をかく」のって、嫌いじゃない。

 

「自然がいっぱいって気持ちいいね、きっとここは何十年たってもそんなに変わらないんだろうな」

 彼の住んでる街も、ウチとそんなに変わらない住宅街なんだって。そりゃ、排気ガスで死んじゃうほど都会じゃないけど、やっぱり緑に囲まれた生活って憧れる。学校の遠足や校外学習なんかも、そういう場所に行く方が楽しかったもん。

「ほら、この辺の空きスペースに団子屋を作ったら楽しいかな? ハイキングに出かける人がおやつ代わりに買ってくれるかも」

 駅前のロータリーには赤いポストと、三時間に一度しかバスの来ない停留所、それから電話で呼び出さないといけないタクシー乗り場しかない。どこの駅にもキオスクやコンビニくらいあると思ったのに、そうじゃないのね。……もっともそんなものがあったところで、レジャー客でにぎわう休日以外はほとんど需要がなさそうだけど。

「でも、雨が続いたらどうするの? お客さんが入らないとつぶれちゃうよ」

 彼は自分でも「まだまだ職人としてはほんの駆け出し」って言ってる。そりゃ、腕があろうとなかろうと、手続きをすればお店の開業だって出来ない訳じゃない。だけど、急ぐつもりもないらしい。その分、あれこれと想像して楽しむことに限りはない。現実に即してないからこそ、見られる「夢」もあるんだよね。

「あはは、……そうだね。難しいところだなあ」

 こうやって眺めると、それなりに整った顔をしてるのよね。職業柄、前髪だけ少し長めの角刈り風でレトロに見えるけど、それも彼らしくていい感じ。私たち、もしかしてお似合いのカップルに見えていたりするのかな? そう思われるのも嫌な気がしないなと思ってしまうあたり、私も久々のお出かけで浮かれてるのかしら。

 

 各駅を20分も待って、特急の止まる駅まで戻って引き返す。

 病院の面会時間に合わせて出かけたから、まだまだ日は高い。途中下車して映画でも見たいな、とかそんな気分になってくるほどよ。女の私から言い出すほど、すれてないけどね。やっぱさ、こういうのって、男性側がリードしてくれるべきだと思うのよ。古い考え方かも知れないけど、黙っていても魔法のようにこちらの気持ちを分かって欲しいと思う。

 

 ――だけど、さ。なんか、違和感なのよね。

 

 何となくおしゃべりしていても、いつの間にか話題が和菓子になっちゃう。明日の天気がこうだから、配合をこんな風にしなくちゃとか。小豆も上新粉ももち米もその都度に産地の違うものを用いたり、ブレンドを変えたりするんだって。そりゃさ、男の人が楽しそうに話をしていれば、きちんと聞き役に回るのが出来る女というものよ。でもねえ、やっぱり変だとは思わない……!?

 そういえば、おじさんの病室にいるときも。途中からは私の存在なんてすっかり忘れたみたいに、ふたりの会話で盛り上がっていた。彼のお見舞いの品は、手作りの和菓子。そのひとつひとつを解説したり味見したり、とても楽しそうだった。私も話に加わりたかったけど、専門用語が多くて上手くいかないの。絶対分かるようにぶすっとしてたのに、全然気にしてないんだもん。

 ほらほら、こんなに可愛い子が目の前にいるのよ? 何でそんなに平然としているのかしら。そりゃあ、私たちは別にデートとかしてる訳じゃない。共通の知り合いである和菓子屋さんのおじさんのお見舞いに出掛けただけ。ただそれだけなのだ。だけど、だけどよ。もうちょっとこちらに興味を持ってくれてもいいんじゃない? もしかして、私が小豆や上新粉以下だって言いたいの……?

「綺麗だね」「可愛いね」って言葉は聞き飽きている。だって、そんなの下心見え見えだもん。どうにかして私をいい気持ちにさせて、自分のものにしようって必死の気持ちがどんなに隠していても分かっちゃうの。連れて歩く女が男のステータスになるんだって、そう信じてる輩も少なくない。

 まあ分かっていても嬉しいもんなのよね、これが。複雑かつ微妙な乙女心が少しも理解できないなんて、もしかして大吉くんってとんでもない間抜け? そうよね、考えてみればしばらくチェックしていても、女の影もないし。

 

 いいんだけどさ、……だけどさ。ああ、私ってば……! 何をこんなにイライラしているのかしら。

 

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「……あ、ちょっと一度外に出てもいいかな?」

 都心まで戻ってきて私鉄への乗り換えをするときに、彼はそう言った。

「表通りの『安寿(あんじゅ)』をのぞきたいんだ、きっと新作が出ているから」

 ガーデンテラスのカフェでお茶? それとも高層ビルの展望台にでも行こうって言われるのかしら……なんて思っていた期待も、次の瞬間にはもろくも崩れ去る。もしかして、……もしかしなくても、他店の偵察ですか。そんなことだろうと思ったけど、やっぱりそうだったか。

 

 何、がっかりしてるんだろうな、私。それに、こんなに落胆しながら、何でついて行っちゃうんだろうな……。

 まあ、この頃は家と「楽々亭」を往復するだけの毎日だったもん。久しぶりに『安寿』の和菓子を買って帰ろうかな? あそこって素材の味が生かされていて甘みもさっぱりと美味しいんだ。乗り換え客で賑わう駅の目と鼻の先にあるから、お値段はそれなりにすごいけど。

 

 東口はここの駅で一番大きな改札。そこから吐き出されるように外に出る。今日は平日なのに、それでも表通りはたくさんの人で溢れていた。学生が春休みに入っているっていうのも大きいんだろうな。みんな、嬉しそうな顔して、どこに行くのかしら。

 ――あ、ええと。ところで彼は、大吉くんは、どこに行ったの……?

 一瞬、他のことに気を取られているうちに、すぐ目の前を歩いていた背中を見失った。慌ててきょろきょろと辺りを見回す。人波の中から頭半分くらい飛び出ているからすぐに見つかった。……うわ、何なのっ! あっという間にこんなに距離が開いちゃって。ちょっと待ってよ、何でこっちの歩幅に合わせて歩けないの? たまには振り返って私のことを確認してよ。
 まあ、行き先は分かってるから迷子にはならないでしょうよ、だから安心してるのかも知れない。でもでも、こんなのってひどい。私をなんだと思ってるの、こんなに可愛いんだからそこら中でナンパされちゃうよ。それでもいいのっ!? ……って、いいんだろうな。それに子供じゃないもん、はぐれたって家には戻れるわ。でもでも、「一緒に行こう」って誘ってくれたのは、彼の方よ。

 いつも飄々としていて、全然行動が読めなくて。私ひとりがこんな風にぷんすか怒ってるのって、どうかしてると思う。

 

 ――なんか、もういいや。……帰ろう。

 急に自分が自分で馬鹿らしくなってきた。私ってば、何をそんなに浮かれていたのかしら。だいたいさ、大吉くんなんて、代用品だったのよ。いつも私の愚痴を黙って聞いてくれていたおじさんが入院しちゃったから、我慢していただけ。そうよそうよ、だったらさ……別におじさんがいない「楽々亭」に行くこともなかったのよね。さっさと職安で次の仕事を探さなくちゃ。

 

「――あれ、やっぱりぼたんか」

 くるり、回れ右をしたとき。突然、右腕を掴まれる。雑踏の中で、最初は声の主が誰なのかよく聞き取れなくて。ようやく振り向いて確認したときに、頭が真っ白になった。

「……あ」

 や、やだっ!? 何なの、どうしてコイツがここにいるかな。そういえば、取引先が近くにあったような気もする。でも、だからといって、よりによって――。

 呆然と立ちつくしていたから邪魔だったらしく、ぼんぼんと通りすがる人たちと肩をぶつけてしまう。そんな様子をにやけた顔で見ていた男は、余りの驚きに抵抗することすら忘れた私をずるずると歩道脇の植え込みのところまで引っ張って行った。

 

「……奇遇だな、これも運命って奴か? ふふ、なんかお前、貧乏ったらしい感じだな。その分じゃ、仕事探しも上手くいってないんだろ」

 ざらざらと過ぎていく人の波を眺めながら、男はタバコに火を付けた。匂いの強い外国製、パッケージに鷹の絵が描いてある。あまり目にしない銘柄で、手に入れるのが難しいとか自慢してたっけ。

「別に、そんなことないから。私、急ぐからあなたと話してる暇ないの」

 やっと、頭が動き始めた。この前、別れたばかりの男、かつ元上司。不思議なことなんだけど、再会って結構簡単に訪れるものなのよね。でも、こんな顔、見たくなかったわ。今の私はとにかく機嫌悪いんだし。


「ふうん、強がることないのに。まあ良かったよ、近いうち連絡入れようと思ってたしね。……ほら、これ。実は、まだ預かったままなんだよ」

 白い封筒が、それみよがしに胸のポケットから取り出される。表書きは私の手書き文字。そう、コイツのデスクの上に投げつけた退職届だ。驚いた私の表情の中に、別の何かを思い浮かべたのだろう。男はこちらを憐れんだ目になった。

「ま、そういうことだ。俺は心が広い男だから、お前のことを少しも怒ってはいないよ。お前さえ、その気ならすぐにでもやり直せるんだよ。仕事だって、休暇扱いにしてあるから明日からでも復帰できる。――悪い話じゃないと思うけどな……」


つづく (050322)


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