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有事法制と憲法第9

 

西川口教会8.18平和学習会(2002.8.18

 

◇有事法制ってなに?

「有事」法は「戦争」法

…いざ戦争というときに、米軍や自衛隊の行動が法律でしばられないように、あらがじめ法律で準備する

 

 

◇有事法制への動き、過去の経緯

 

1951年:サンフランシスコ講和条約

日本は独立し、米軍の占領は終わるはずでした。しかし、同時に結ばれた「日米安全保障条約」(安保)によって米軍はそのまま駐留することに。そればかりか、日本は「自衛力の漸増(ぜんぞう)」をアメリカに期待されることになる。

朝鮮戦争(1950年〜1953年)

 

1960年:新日米安保条約の締結

「日本国の施政下にある領域における」武力攻撃に対する日米共同作戦行動

極東有事における米軍への「基地の提供」義務

(史上空前の安保条約反対の運動が起こる)

その他、条約とは別に「在日米軍地位協定」が結ばれ、米軍にさまざまな特権が与えられる

 

三矢研究(第二次朝鮮戦争を想定した極秘研究):1963

 

ベトナム戦争

1978年:旧ガイドライン(日米防衛協力のための指針)

ベトナム戦争(1975年)後、東アジアの軍事情勢に関して自衛隊に協力を求めるようになる

 

それまでの自衛隊の防衛任務は日本の領域に限定されていたが、このガイドラインによって「日本の周辺空海域」まで拡大…「シーレーン防衛」

日米共同演習・訓練まで義務づけられる

思いやり予算:1978

 

湾岸戦争:1991

1997年:新ガイドライン

「周辺事態」と認定した際の、米軍への「後方支援活動」を追加

→日米共同作戦行動の範囲をアジア・太平洋地域まで拡大(但し自衛隊は「後方支援のみ」)

 

テポドン打ち上げ:19988

能登沖不審船事件:19993

 

19995月:「周辺事態法」など新ガイドライン関連法

米国が引き起こす戦争に日本が参戦、協力する「戦争協力法」としての性格

戦争協力法としての性格を、内閣の一存で、国会の承認なしに発動できるという「戦争権限法」という側面

(国会の承認は事後でよく、いつまでにとも定められていない:憲法9条のみならず、国会は国権の最高機関であるとの憲法の基本原則にも反する)

周辺事態は「地理的な概念ではない。事態の性質に着目した概念である」と説明され、その地域は不定。

国以外の者(民間)による協力等(周辺事態法第9条)を明記

 

アメリカ同時多発テロ:2001911

200110月:テロ対策特別措置法

911事件」を受けて制定。

「わが国が国際的なテロリズムの防止および根絶の為の国際社会の取組みに積極的にかつ主体的に寄与する」ことを謳い、自衛隊による米軍などへの協力支援活動について定めている。

この法律に基づいて自衛隊艦船5隻をインド洋に派遣。

(米英軍の艦船への燃料補給などの「後方支援」を実施)

奄美沖不審船事件:200112

 

20024月:有事関連3法案の閣議決定国会への上程

延長された通常国会は731日に閉会。衆院での強行採決は出来ず。

有事法制は継続審議に。(次の焦点は秋の「臨時国会」。)

 

 

◇今なぜ有事法制か?

 

自衛隊の海外任務=集団的自衛権の行使には、在日米軍の活動円滑化を含めて、日本国内において地方自治体と民間企業の軍事的囲い込みを行うことなしには実施できない情勢。

有事法制⇒国内戦時体制の確立は、集団的自衛権⇒海外派兵と一体をなしていると考えられる

戦争準備だとなっても、さらに個別の法律が必要になる

民間、地方自治体の「協力」から「強制」へ、罰則の適用。

「周辺事態法」の全面的な強化・補完法。

 

2002129日のブッシュ大統領の「一般教書演説」

イラク・イラン・北朝鮮の三国を「悪の枢軸」と名指し。

ことあるごとにイラクのフセイン政権を転覆させる為に武力攻撃する意思を公言。

米国のイラク攻撃に対しても積極的に協力しようとする動きか?

 

 

 

◇有事関連3法案とは、その内容は

 

武力攻撃事態法案

有事法制の全体を記す基本法案。

「武力攻撃攻撃のおそれのある場合」「武力攻撃が予測される事態」を有事に含める

国民は「必要な協力をするよう努める」

政府の「対処基本方針」の作成

首相への地方自治体・指定公共機関に対する指示権・代執行権の付与

国民保護法制・米軍支援法制の2年以内の整備

国民の自由と権利を制限する内容

 

安全保障会議設置法の一部改正案

安保会議を事実上、国会や内閣の上におく

安全保障会議の下部組織として「事態対処専門委員会」(委員長:内閣官房長官)を設置し、制服自衛官を加える

 

自衛隊法の一部改正改正案

防衛出動発令前の防御施設の構築の容認

消防法・都市公園法・河川法など20法の適用除外・特例設定

物資保管命令への違反者に対する罰則の適用

 

問題点

1.「武力攻撃事態」という新たな概念をつくって日本の海外での武力行使を可能とする

(現に武力攻撃が発生した事態、その「おそれ」のある事態、「予測されるに至った事態」の3つを含む概念。

「武力攻撃事態」であるという判断の権限を首相に与えている

2.武力行使(戦争)に、いかに地域と職場を戦争協力のために動員するかという内容

協力ではなく、強制するための罰則、および不足している関連法令の整備

国民の権利に制限を加え、義務を課すことの整備が狙われている。

19377月の日中戦争開始直後の19384月に公布された「国家総動員法」に酷似)

3.生活の中からの危機感

トラック、海運、医療、航空、の職場の人たち(最前線に立たされる現場に人たち)

 

◇有事法制 Q &A

 

・「備えあれば憂いなし」?

 

戦争は地震や火山爆発などの「自然災害」とは根本的にちがう。

地震はある日突然に襲ってきますが、戦争はそうではない。

戦争にはそれに至るまでのプロセスがある。

なぜなら、戦争は人間によって計画され、支持され、遂行されるものだから。

有事(戦争)は基本的に「人災」であり防止できるもの。

「有事」という最悪の事態を想定してそれに備える以前に、日常的に友好関係を保ち、決定的な関係に至らないよう外交努力を尽くすことのほうが、より優先されるべき重要なこと。

だいたい、有事に至るということは外交の失敗であり政府の重大な失政を意味する。

平和の為の努力を怠りながら、無責任に有事を語るべきではない。

 

国民の生命や財産」を守るのに軍事力をもってすることは全く非現実的。

電気やコンピューターが一時的に止まっただけで大パニックを引き起こしかねないような「大都市」を抱える都市型社会において、とりわけ日本のように食料や資源の大半を海外からの輸入に依存し、これだけ狭い国土に住宅が密集し、原子力発電所や石油備蓄基地が多く存在するような国において軍事的防衛などは全く役に立たない方策。(テロに対しても軍事的防衛は有効でない。世界最大の軍事国米国で911の事件は起きた)

 

また、過去を振り返っても「備えあって、その後に有事あり」というのが歴史の教訓である。

 

・万一、攻められたらどうするか?

日本が最初から一方的に攻撃される事は現実にはありえない。

起こりうるかというはなしで可能性(Possibility)はあっても蓋然性(Probability)はない。

これだけ経済が相互依存化している国際情勢のもと、日本を戦争に巻き込むだけで世界恐慌さえ起きかねない状況のもと、何のために日本を侵略するのか?

侵略・占領するうまみがあるか?資源はない。

世界に誇る工業力・技術力などはそもそも戦争によって奪うものではなく平和時に経済協力・技術協力などによって獲得する性質のもの。

戦争によって破壊され生産力・工業力が格段に落ちた日本からその国は何を得ようというのでしょうか。

さらに国際世論を交わしつつ、かつ占領している日本国民の反発を押さえ、逆に日本人の一定の支持・納得を得なければ占領は成功しません。そしてこの侵略という大きな賭けに失敗すればその政策を推進したその国の政治権力は自国内の国民の批判を受けて失脚の危機さえ迎えることでしょう。そんなリスクをおかしてまで侵略や戦争をする国がどこにあるのでしょうか?

「狂信的」で「おかしな」国が「突然」大軍を率いて侵略にくるということは現代において蓋然性がありません。

しかるべき理由もなくそのような危機感を煽ることによって利益を得られる人たちの宣伝以外には考えられない事です。(軍事費などの利権?)

 

・不審船やテロに備えるために必要?

たとえばテロは国際的には戦争ではなく、刑法上の犯罪。世界の多くの国ではテロは軍隊が出て行って解決する問題とは考えられていない。

不審船問題も一義的には海上保安庁の役割。

いずれにせよ、刑法上の犯罪に対しては警察力で対応するのが原則。

テロや不審船問題は「有事法制」とは異なる次元の問題。

 

そして何よりも、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」(前文)という国民の決意を受けたうえで、「戦争放棄」「戦力不保持」を第9条で謳っている日本国憲法を完全に否定するものである

 

◇憲法の前文と第9

 

前文:憲法全体を貫く基本的な精神を表している。

(戦争への反省をこめ、世界の民主主義や人権の発展の歩みをうけとめている)

 

1.   二度と戦争をせず、国際社会と協調して平和国家になる

2.   国民主権の原理にたつ民主的な国家になる                             ということを明確にしている

 

憲法が期待する安全保障の基本には、「平和を愛する諸国民(Peoples)の公正と信義に信頼」するという構想(考え方)がある。

日本国憲法は、安全保障の問題を一国単位は考えていない。

これは「敵」を想定して、自らの安全のみを追及する一国的・自国民中心的な「有事法制」の考え方とは正反対の立場です。

 

現代における核兵器や地球規模での環境破壊などの問題を考えるとわかると思いますが、安全保障の問題においてはもはや「国境」は意味がない、極端な表現をすれば存在しない。

私たちは安全と生存のよりどころを、国家にではなく、国境を越えた世界中の人たちとの友好に求めるべきである。

 

非武装・市民的安全保障法

仮想敵を作らないので原則的にはどこの国をも刺激せず友好を通じて紛争の原因を解決していく事が出来る。

この方式を通じてアジア地域に安全空間を広げて、ひいては世界の非武装化と軍縮への道を実現していく足がかりをも作りえる。

軍事費という巨大な非生産的費用を不要にして、その分だけ平和教育や国際協力など積極的な平和の拡大再生産を可能にする。

絶対的な防衛というのはないが、どちらが、国民の生命や財産の犠牲がより少ないか。

 

いまや「国家安全保障」から「人間の安全保障」(21世紀型安全保障)への転換期

 

現代の状況を考えると50年前に作られた平和憲法のめざすもの、目的とするもののすばらしさが光っている。

わたしたちが戦争直後に生きた世代の人たちから受け継いでいる『価値ある豊かな遺産』

 

・憲法第9条を守ろうとサポートする動き

「ハーグ平和市民会議」(1999)

1899年の第一回ハーグ国際平和会議100周年を記念する大会としてオランダのハーグで開催。

100カ国から1万人の市民やNGO、政府代表が集まり(日本からは約400人が参加)、戦争の廃絶と平和文化の創造について討議。

会議では、「21世紀への平和と正義のための課題」を採択し、19999月の国連総会に提出。

また会議では「公正な国際秩序のための基本10原則」を採択し、第1項には、「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」との原則が盛り込まれた。

日本国憲法の理念が世界の平和運動の新たな旗印として掲げられた。

 

「第9条の会」

湾岸戦争を契機に、チャールズ・オーバビー博士(オハイオ大学名誉教授)が1991年に創設。

世界中に憲法第9条の精神と理念を広めようと活動している。

オーバビー氏は次のように発言している。

「第9条の理念は、地球上のすべての人々を野蛮で愚かな戦争から解放する為に、人々が積み重ねてきた英知とそれを切望する叫び声にほかなりません。…第2次世界大戦のあと、戦いに敗れた日本への贈り物として生まれた第9条を、今度は日本からの平和の贈り物として、全世界に送り返されるべきときであります。」

 

 

◇いま、私たちは何をすべきか!

 

安全保障を国任せにしない考え方が大切。

平和に担い手は今や国家ではなく、NGO(非政府組織)や市民そして自治体に移ってきている

問題あるものについては本質を見抜いて、最初の段階で声をあげる。

そして次の段階へ準備して反対運動を作っていかなければならない。

 

わたしたちは半世紀以上憲法において「日本国民は」として宣言している平和の理念をどう具体的に示していくか、行動していくかが問われている。有事法制は私たちの安全保障観を鍛える“反面教師”

 

 

 

われわれは兄弟姉妹として

生きていくことを

身につけなければならない。

さもなければ

愚者としてみな一緒に滅びてしまう。

(マーチン・ルーサー・キング2世)

 

核と非暴力

原子爆弾がもたらした最大の悲劇から正しく引き出された教訓は、

ちょうど暴力が対抗的な暴力によって一掃されないように、

原子爆弾も原子爆弾の対抗をもってしては

滅ぼすことはできないということである。

人類は、非暴力によってのみ暴力から脱出しなければならない。

憎悪は愛によってのみ克服される。

憎悪に対するに憎しみをもってすることは、

ただ憎悪を深め、その範囲をひろげるだけである。

(マハートマ・ガンディ)

 

主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。

主はこの地を圧倒される。

地の果てまで、戦いを断ち

弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。

「力を捨てよ、知れ

わたしは神。

国々にあがめられ、この地であがめられる。」

(詩篇46:9〜11

 

添付資料 1

・日本国憲法 前文

 

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

添付資料 2

 

・日本国憲法 第二章 戦争の放棄 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

 

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

添付資料 3 

・文部省「あたらしい憲法のはなし」 より 「第九条のめざすもの」

 

 こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦争の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。

 

 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。・・・・・なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。


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