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週報短文


バックナンバー 2002年7月分


2002年7月28日

伝道とはなに?

「信徒の友」7月号に歌手の沢 知恵さんが次のように書いている。
"伝道とはなんでしょう。今の日本では、特に若い人たちに本気で伝道しようとするとき、残念ながら「これ」という答えがありません。ことばにできないほど複雑で微妙なセンスが問われるのです。・・私たち信仰者にとって伝道とは、神様から一人一人に与えられた使命のはずです。つまり、伝道にはクリスチャンの数だけやり方があっていいのです。"
 この最後の一文に共鳴した。伝道はこうでなければならないという規則も決まりもない。
 以前、老牧師に仕えていたころ、こんな話をしてくれた。
 戦後、伝道を再開して間もなく、有名なクリスチャンを講師に招いて特別集会を開いた。例えば首相を務めた片山 哲氏も招いたが、彼は殆ど信仰の話はせず、政治の話と自分の母親のことに触れた位であった。それで、講師を招いて特別集会を開くのを止めた、という。
 立派な講師を招いても期待したような話は聞けないから、特別集会は止めた方がよいというのが老牧師の考えであった。しかし、君には君の考えがあるだろうから自由にやりなさいと言われて、私は特伝を再開し、最初に講師に招いたのが横山義孝師であった。
 説教には説教固有の問題があるから簡単には言えないが、説教としてどんなに素晴らしいといっても、問題は、それを聞く人々の心にその話が届くかどうかということである。パウロは「ユダヤ人にはユダヤ人のように、弱い人には弱い人のようになった」と言っている。これは容易ではないが、今の若い人たちにはどのようなアプローチがよいのだろうか。これは沢知恵さんも言うように難しい。
 今週開かれるユース・バイブルキャンプの主講師は伊奈 聡師(喬木教会)である。彼が東京聖書学校に入学してきた時は茶髪の現代っ子だった。彼に期待するところは大きい。


2002年7月21日

元気なうちに

 先週は大いに考えさせられることがあった。参考までに皆さんと分かち合いたい。
 私たちの先輩のA牧師から4年ほど前に手紙が届き、ホ群の隠退教師のホーム建設のために献金をしたいから来て欲しいという。それは相当な金額であった。まず話を聞かなければと、静江牧師と共にすでに老人ホームにおられたA師を訪ねた。師によると、自分もいつまで生きられるか分からないが、一般の老人ホームでは心の交わりができない。信仰の友が欲しい。もし、隠退した牧師たちのホームがあればどんなによいだろうか。神様から思いがけないお金をプレゼントされたので、この献金を老人ホーム建設の一助にして欲しいという。
 それは相当額の国債であった。が、まだ満期が来ていない。満期が来たら献金させて頂くという話であった。満期まで三年以上の年月があるので、老人ホーム建設の可能性を探って行こうと考えていた。そして、折りあるごとに委員会でも話して、A師とも電話で連絡は取ってきた。いよいよ国債の満期も近づいたので、今年はプロジェクトチームを立ち上げて具体的な取り組みにかかろうと話していた矢先、A師の義妹という方から電話があり、姉が遺言を残すとのことで、ついては聞きたいことがある、という話であった。彼女によれば、A師はかなりぼけてきたこと、ホ群に献金したいと言っているが、姉が言うような金はない、わずかなものだという。驚いて師に電話を入れてみたら、六月にはあんなにしっかりしていたのに、まともな話ができないような状態であった。私は大変なショックを受けた。
 遺産から献金する場合には、遺族の意向が問題である。遺言を書くといっても、元気なうちはともかく、ボケてしまうと難しい。
 今度の場合も、まだまだお元気だからと思っていたが、こんなに急速にボケが進むとは意外であった。ともあれ、師の願いが活かされ、み心にかなう解決をと祈っている。


2002年7月14日

パウロと旅

 今日の伝道礼拝で、もう一度旅行の話をし、来週、静江牧師が「タルソスへ行き」と題してメッセージをして、それで一段落とさせていただこう。実は、タルソスには私も一度行って見たかった。私淑して止まないパウロ先生の故郷だからだ。ところが行って見ると、パウロゆかりの場所は殆どなく、井戸が一つあるくらいで、「パウロの門」も実は「クレオパトラの門」と呼ばれている。それより、街の真ん中に水量の豊かな滝があるのに驚いた。パウロも子供の頃、この川で泳いだのではないかという話のほうが真実味があって愉快だった。
 一体パウロはタルソスに何年くらい住んだのだろうか。若くしてエルサレムに上り、碩学ガマリエルの薫陶を受け、ファリサイ派の優等生になって、ついに教会を激しく迫害するようになる。クリスチャンを捕らえて投獄しようと外国まで足を延ばし、あのダマスコ途上で主イエスの天からの啓示を受けて劇的回心を遂げ、迫害者が伝道者に変えられ、使徒として立てられるまでになったのは周知の通りである。
 その後、エルサレムのユダヤ人から迫害されて一時タルソスへ帰るが、それもわずかの期間で、彼を探しに来たバルナバと共にアンティオキアに行き、40代に入ると大きな伝道旅行が続いて、ついには囚人として夢にまで見たローマへ行き、そこで殉教したと言われる。文字通り「旅に生き旅に死す」一生であった。
 そのようなパウロにとって、故郷のタルソスは懐かしい街であったのだろうか。それとも、彼を使徒と同等の神の器と認めて世界伝道に送り出してくれたアンティオキア教会が、魂の故郷だったのだろうか。
 旅に出ると日常性から離れた、旅特有の精神状態になる。旅から帰って何日かが過ぎて、ようやく日常の落ち着きを取り戻す。しかし、旅から旅へと旅に生きたパウロには、芭蕉のように「旅」がむしろ日常の感覚になったのだろうかとフト考えた。


2002年7月7日

主の御旨

 横山基生・好江両師の壮行祈祷会が5日の夜、御茶ノ水のキリスト教センターで開かれた。すばらしい会であった。まだ英国へのビザは正規には下りていないが、英国の裁判所の決定は出ているのだから時間の問題であろう。ここに至るまでの2年余りのお二人の心境はどうであったろうか。先が見えない中で、じっと忍耐して待つということは、並大抵のことではなかったはずだ。お二人がそれぞれに新たな決意を語られたが、その中にも忍耐を強いられた2年間の苦衷が語られた。しかし、それもむだではなかったことが、お二人のお話を聞きつつよくわかった。「神のなされることは皆その時にかなって美しい」とあるが、この2年間も、一刻一刻が神のご計画の中の「神の時」であったのだろう。私たちにはそれが見えないので、あせったりいらだったりする。しかし、今度のビザ取得を通してもう一度「主の御旨」を示された。
 今、S病院に入院しているO師のことも、どうしてこんなことになったのか、今は我々には全くわからない。医者からは、今後も車椅子の生活になると宣告されている。ご本人はもとより、奥様やご子息の心境を思うと、いたたまれない思いがする。しかし、このことも主の御手のなかで起こったことであれば、必ず「万事が益となるように共に働く」というみ言葉の真実を示していただく日が来るであろう。東京聖書学校を卒業した二人(横山基生、O師)の身に起こった最近の出来事を記したが、現在学んでいる16名の兄弟姉妹の一人一人にもかならず神のご計画がなることを信じている。
「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」(箴言19・21)
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(伝道の書3・11、口語訳)
「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ロマ8・28)



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