教会員向けなので、わかりにくい表現もあるかと思いますが、どうぞお読みください(金田佐久子)。
2024年12月22日
降誕日から公現日まで
12月25日を過ぎればお正月。しかしクリスマスシーズンは1月6日まで。その間、どう過ごすのか、教会暦の基本から見てみましょう。
・降誕日から公現日までがクリスマスシーズンです。降誕日の4つ前の主日から待降節(アドベント)が始まりますが、これは降誕日の備えの期間です。クリスマスツリーなどの飾りも待降節から1月6日の公現日まで飾っておくとよいでしょう。ちなみに、「クリスマスイブ」の「イブ」は「イブニング」ですから、「クリスマスの夜」の意味です。24日の日没とともに降誕日が始まり、夜中の0時にかけて行うのが降誕日最初の礼拝で、25日の朝に礼拝をして降誕日の祝いが完結します。
・公現日はマタイによる福音書第2章の占星術の学者たちが主イエスを礼拝し、世界にキリストが現されたことを記念する日です。クリスマスシーズンの12日間も、学者たちは旅をしていたことになります。…私たちも主の前へと歩み出る者として、キリストを礼拝し、全ての人のもとへと遣わされていく期間です。
・質問「降誕日と公現日の間に年末年始があるので、なかなかクリスマスシーズンであることを意識して過ごせないのですが。」
答え「教会の暦が日本の文化とぶつかるのは、仕方のないことではあります。初代教会も、日曜日に礼拝を守ることは命がけでした。日本にキリスト教が入ってきた時も、日曜日が休日ではありませんでしたから、仕事を中断して礼拝に集まったのです。世の暦と教会の暦が緊張関係にあることは、覚えておきたいことです。…」
・教会暦とは礼拝のための暦であることです。暦に合わせて聖書のどこを読むか定めたのが聖書日課です。…聖書日課は、神の民としてふさわしく生きられるように整えられています。1年をかけてキリストの救いをなぞって礼拝をささげます。毎年暦を繰り返すことで、信仰を深めて生きていくということです。… (参考「信徒の友12月号」特集)(No.1016)
2024年12月15日
台湾基督長老教会より花蓮403大地震報告
今年の4月3日午前7時58分、台湾花蓮沖合で大地震が発生しました。西川口教会でも一時期「台湾地震緊急救援募金」に協力しました。「教団新報」第5026増刊号に、台湾基督長老教会の被災と支援の報告が載っており、世界の教会から支援が届いたことへの感謝がありました。記事を紹介します。
“…台湾が大地震の災害に見舞われた際、台湾基督長老教会は世界中の普遍的な教会から多くの関心と慰問の言葉を受け取りました。…「これらの慰めと支援によって、台湾が孤立していないことを深く感じました。台湾と台湾基督長老教会がこの困難な時期を共に歩むために支えてくださったすべての方々に心から感謝します」と、陳信良総幹事は述べました。
さらに、今年の4月に台湾基督長老教会が「第69回総会通常議会」を開催した際、日本基督教団の雲然俊美議長が招かれ、「今回の台湾東部沖を震源とする地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。また、すべてのキリスト教会において、主なる神の支えと導きをお祈り申し上げます」と、支援と励ましの言葉を述べました。また、「花蓮地震が発生した際には、日本の沖縄地域でも揺れを感じました。台湾と沖縄の間には海がありますが、海底でつながっているのです」と語りました。台湾は長年地震の影響を受けている国であり、今年初めに日本で能登半島地震が発生し、多くの犠牲者と家屋の損壊がありました。台湾基督長老教会も、日本の教会が地震災害に直面している困難を深く理解し、心からの支援と慰問を表明しました。それを受けて、雲然議長は「私たちは、主なる神が創造された地球上で共に存在する運命共同体です」と述べました。…”
「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ…」(コリント一12・26)とあります。キリストの体の部分が苦しんでいるとき、関心を持ち、苦しみを共に担えますように。(No.1015)
2024年12月 8日
イエス・キリストに愛されて
先週の定例役員会で、来年の西川口教会の御言葉を提案し、了承されました。ヨハネによる福音書第13章34節「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。
今年の春のレント(受難節)からイースターにかけて、主日礼拝では、ヨハネによる福音書から十字架へ向かわれる主イエスのお姿を仰ぎながら説教をしました。次いで4月末より、ヨハネ福音書の第1章から説教を始めました。次の主日礼拝で第6章が終わります。2025年も引き続き、ヨハネによる福音書の説教を続けます。
今月の「西川口だより」(月報第678号)に、日本イエス・キリスト教団南陽教会牧師の石田高保先生よりご寄稿いただきました。内容は、11月に開催された日本基督教団ホーリネスの群のセミナー講演「教会の7つの本質 みんなが輝く教会目指して」の要旨です。講演要旨の初めのところで、ヨハネによる福音書第13章35節の主イエスのお言葉を引用しておられます。前述の34節から続けて読んでみましょう。「(34節)あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(35節)互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」。石田先生は、次のように書いておられます。
“…クリスチャンが互いに実際的に助け合い、慰め合い、戒め合う関係に努めるなら、自然と人々が教会に引き寄せられる、結果的に伝道になるという約束でしょう。そのために教会というコミュニティが備えられていると思うのです…。”
互いに愛し合って生きるよう招かれている私たちです。では、その愛はどこから来るのか。それは「わたしがあなたがたを愛したように」です。弟子たちを(私たちを)「この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13・1)主イエス。その愛を、私たち一人ひとりが豊かに受けていくことから始まります。聖霊のお助けを切に祈ります。(No.1014)
2024年12月 1日
能登のために祈りを合わせて③
引き続き、日本基督教団羽咋(はくい)教会・富来(とぎ)伝道所の内城恵牧師からの報告を分かち合います。
“昨年12月のクリスマス礼拝、そして31日に「年末祈祷会」を行い、感謝をもって2023年を終えた翌2024年1月1日、富来伝道所にほど近い場所で最大震度7を記録した「能登半島地震」が起こりました。私どもは、2007年の春に起きた能登半島地震の後、祈りとご支援を頂いて現在の会堂と牧師館を建築して以来、感謝をもって、一週一週の礼拝と、地域との交わりを大切に歩んでまいりましたので、甚大な被害が奥能登の広域に及ぶ状況に、心震える思いをもってこの数ヶ月間を過ごしてまいりました。教会員の中には家屋が被災した方…金沢方面に避難して志賀町に戻れなくなってしまった方もおられます。
そのような中、富来伝道所においては、断水の解消後、破損した給湯設備が中部教区の支援により復旧出来たことで、3月から北陸学院大学等の学生ボランティアのために、また8月からは日本基督教団主催の被災地・被災教会ボランティアの宿泊所として用いられています。震災復興の祈りのうちに結実した会堂が、再び起こった地震の後に、感謝の応答として用いられていることに感謝をいたします。
羽咋教会、また富来伝道所の外壁や内壁も所々ひび割れていますが、2007年の地震後、耐震強度の高い建物として建てられ、安全な使用に問題はありません。加えて、羽咋教会の長老が日本基督教団の委託により復興支援ボランティアの支援に関わらせて頂けることにも主の導きと信じ感謝しています。そして、今こそ地域に福音の光りを届ける教会の役割を覚え、祈りつつ復興に励んでいます。
羽咋教会、富来伝道所、また関連施設である「羽咋白百合幼稚園」や学童クラブ「羽咋ゆりっこ児童クラブ」も皆様の祈りとご支援の中において頂き感謝いたします。…”(No.1013)
2024年11月24日
能登のために祈りを合わせて②
先週の週報短文に続いて、日本基督教団輪島教会の新藤豪牧師からの報告を分かち合います。
“輪島教会は、1913年に創立しました、ですから2023年はちょうど創立110年目となりましたが、2024年の1月1日の能登半島地震によって礼拝堂は全壊となりました。そのため教会員の多くが二次避難のため輪島をはなれました、まだ住居関係のことで輪島に戻ってこられない方もいます。1月から3月までは避難所で輪島聖書教会の方と一緒に4名ほどで讃美歌をヒムプレーヤーで一緒に歌い礼拝し、4月からは、戻って来た教会員の自宅をお借りし礼拝しました。5月13日にはユニットハウスの仮礼拝堂が設置されました。元の会堂から長椅子と講壇を運び入れ、5月19日のペンテコステからこの仮礼拝堂で礼拝をささげています。またこの日に輪島では地震後初めての聖餐も行いました。礼拝の平均出席数、前年度12名、今は7~8名です。
…7月と8月には日本基督教団を通してボランティアの方たちが来て下さり牧師館の清掃や教会倉庫や書類の整理をしてくださいました。
4月以降徐々にスーパー、飲食店等が再開し始めていましたが、9月21日の豪雨の浸水によりコンビニエンスストア2店、飲食店5店ほどが閉店となりました。教会、牧師館、教会員宅は浸水しませんでしたが、家が壊れた教会員が、実家の倉庫に置いたその荷物が浸水被害のためだめになりました。また土曜~日曜は停電になり週報印刷もできませんでした。震災後、町の人たちが希望をもってがんばろうと言っていた矢先に水を差す、そんな結果の大雨でした。
礼拝堂は公費解体の予定ですが日程はまだ決まっていません、牧師館の風呂もまだ使えません。しかしながら多くの方々のお祈り、お支えに包まれていますことをあらためて思い感謝です。…ありがとうございます。「輪島のために祈らずにはいられない」その言葉を聞くたびに祈って下さるお姿と主のみ姿を思いつつ、励まされています。”(No.1012)
2024年11月17日
能登のために祈りを合わせて
日本基督教団の公式ホームページに、“先月の第43回日本基督教団総会において、能登半島地震、秋田豪雨災害の報告会が開かれました”とありました。能登半島地震被害状況の報告がアップされていて、だれでも見ることができます。報告には、中部教区の対応、現地の輪島・羽咋・七尾教会と富来伝道所の被災状況の写真と先生方からの報告がありました。ここでは、七尾教会牧師の釜土達雄先生の報告より、お祈りのお願いを分かち合います。
“…七尾教会と関連する学校法人七尾学院の七尾幼稚園・七尾放課後児童クラブの震災復興には、まだまだ時間がかかります。羽咋市にある学校法人羽咋白百合学院の、羽咋白百合幼稚園とゆりっこ児童クラブの震災復興工事も、まだまだ時間がかかります。皆様のお祈りの中に加えていただいていることが、心の支えです。
けれどもこれらの教会と関連施設のことだけではなく、能登全体のことが、気がかりです。どうか、能登のためにもお祈りください。私たちの教会が、祈り続けている愛する能登です。そこには、関連施設の幼稚園の園児がおり、保育園の園児がおり、卒業生たちがいます。放課後児童クラブに集うこどもたちがいます。そしてその保護者の皆様がいます。加えて、彼らを愛してくださっている地域の人々がいます。その一人ひとりのためにわたしたちは祈っています。そして何よりも、主にある教会員一人ひとりがいます。みんな地域のために祈っています。自分のため、家族のためだけではなく、愛する能登のために、祈っています。
私たちの愛する能登のために、これからも、私たちと祈りを合わせていただければ、本当にうれしく、感謝です。能登のこと、忘れないでくださいと、心よりお願いいたします。
…輪島教会のこと、羽咋教会のこと、富来伝道所のことも、私たちの祈りの中にあります。
皆様の、多くのお祈りと、お支えとに、心より感謝しつつ。主にありて。”(No.1011)
2024年11月10日
『いのちの言葉を交わすとき』
最近読み始めた本は、若い世代が来ないという教会の現状に問いかけるものがありました。飯島 信編著『いのちの言葉を交わすとき 「青年の夕べ」感話集』(ヨベル、2022年)です。この本は、2020年春からの、日本基督教団立川教会の月に1度の夕礼拝「青年の夕べ」で青年たちが語った言葉をまとめたものです。
刊行のことばで、飯島牧師がこのように書いておられます。
“…当初思いもしなかった展開から学び得たことがある。
教会に青年が集わなくなったのではない。彼らは求めている。しかし、彼らの問題意識を受け止め、それに応え得る教会が多くないことである。…利便性から言えば決してよくはない教会であるにもかかわらず、彼らは集まり続けた。
彼らが語る感話の内容は素晴らしかった。その内容をめぐる懇談も、また素晴らしかった。友らを信じて文字通り全身全霊を傾けて語られる感話。その一言ひとことを聞き漏らさず、慎重に言葉を選びながら応答する者たち。語る者、応答する者の姿は、心を震わせるものがあった。…”
あとがきによると、この本のタイトルも、青年たちがメールで意見を交わしながら決定したとのことです。そのメールの一部が紹介されており、印象的な言葉がありました。
“…私が…話すことができた内容は『青年の夕べ』と言う場において、聞いてくれる人がいることを知っており、そこに信頼することで初めて、『言いたい』と感じられるものだったと思っています。単に思考したことを文章にまとめた書き物としてではなく、『聴いてもらえる』と安心していたから話せました。私の感話は特に、書く時にも私の声を聴き、問いかけてくれた友の存在なくしては書けませんでした。…”
他者を信頼すること、自分の声を聞いてもらえるという安心感、真剣に自分の心と向き合う場所が教会にあるのか、という問いを受けました。(No.1010)
2024年11月3日
「人にとって“死”とは何か?」
NHK・Eテレ「こころの時代」のシリーズ「ヴィクトール・フランクル」全6話の第4回「人生という『砂時計』」から紹介します。
“四歳の時であったと思う。ある晩、眠りに入る直前にはっと飛び起きたことがある。自分もいつかは死なねばならないと気づいたからである。”
それゆえにフランクルは「人はいつか必ず死ぬならば、生きることには何の意味があるのだろう」と最期まで考え続けました。
フランクルは人生を「砂時計」にたとえました。
“砂時計の上の部分には、まだこれからの未来があります。それは、これから起こることです。そこには砂時計の狭い部分をすり抜けて下へ流れ落ちる砂が入っています。砂時計の下の部分には、すでに起きた過去があります。それは狭い部分をすでに通過してしまった砂です。そしてこの狭い部分は現在を示しています。”
普通の「砂時計」は振ると砂が動き、戻りますが、人生の「砂時計」の「過去」は落ちたままの形が決して変わらず、「過去」は永遠に保存されて残る、とフランクルは考えました。フランクルは、不幸な運命のような場合でも、人間には、そこで自分がどうそれに取り組むかという決断のための自由の場がある、と考えました。その自由な決断が、砂粒として人生の砂時計の狭いところ〔現在〕を通って、下に落ちると、それが「永遠のものになる」というのです。選択の結果が砂時計の下に記録されることになる、と言います。
“人は、自らの行動により、一瞬一瞬、絶えず自分自身を作り続けています。…生きている間は、その人の人間像は決して定まることはありません。死んだときに、初めてすべてが定まります。人間は、死ぬことで初めて世界の中に生み出されるのです。そして自分自身は、死ぬその瞬間に初めてでき上がるのです。”
砂時計のイメージは新鮮でした。神がすべてをご存じであり、神の前に精一杯生きるという信仰と響き合う思いがしました。(No.1009)
2024年10月27日
「共に仕え、共に生きる」
今年度の関東教区教師部研修会に参加しました。10月21日~22日、アジア学院へ行って参りました。主講師はアジア学院校長の荒川朋子先生。主題は「共に仕え、共に生きる—アジア学院のサーバント・リーダーシップ」でした。
学校法人アジア学院・アジア農村指導者養成専門学校は、昨年50周年を迎えました。1973年の創立以来、アジア、アフリカ、太平洋諸国等の農村地域から、その土地に根を張り、その土地の人々と共に働く〝草の根〟の農村伝道指導者を学生として招き、栃木県那須塩原市のキャンパスで、国籍、宗教、民族、習慣、価値観の違いを認めつつ、公正で平和な社会実現のために、毎年9カ月の実践的な学びを行っている学校です。今年度は13カ国から本科生20名、研究科生1名を迎えて研修を行っています。卒業生の数は、62カ国から1425名です。
アジア学院の農村指導者のための研修プログラムの三本柱は、①仕える指導者、②学びの共同体、③フードライフ。今回の教区の研修会では①の「仕える指導者」(サーバント・リーダーシップ)に焦点を当てたものでした。開会礼拝の後、約1時間、アジア学院のキャンパスツアーで、循環型の有機農業を具体的にどのように実践しているか見学し、説明を伺いました。畑や、発酵中のたい肥、鶏舎や豚舎を見ました。鶏糞はぼかし肥料にし、豚舎の排泄物はバイオガスを発生させて有効利用しているとのこと。飼料の一部は近隣のお豆腐屋さんからの「おから」。アジア学院で食糧は自給自足、調味料だけを購入しているそうです。
アジア学院の目指すリーダー像は、差別のない人間関係を築き、人々に寄り添える人です。アジア学院は学生が自主的に成長する機会を提供しています。アジア学院は農業を通して人格形成を行うので、4月から12月までの9カ月間は必要で、稲作はそれに適しているそうです。土の上では誰もが平等になれる、「土からの平和」と、荒川校長が語っておられたのが印象的でした。(No.1008)
2024年10月20日
日本基督教団のために祈ろう
毎月第3主日は、日本基督教団の「日本伝道推進を祈る日」です。今回は、今月末に開催される第43回日本基督教団総会を覚えましょう。総会資料が各教会に届きました。日本基督教団議長の雲然俊美先生の議長報告から少し紹介します。
“主イエス・キリストの御名を賛美いたします。
第43回教団総会にお集まりの皆様に、また、日々、福音伝道に励んでおられる教会・伝道所、関係学校・団体施設等に連なる皆様に、主の恵みと祝福をお祈りいたします。
また、災害に見舞われ、今この時も困難な生活を送っている方たち、ウクライナおよびガザの地域における激しい戦闘の中で日々を過ごしている方たちを覚え、主の慰めと支え、そして、和解と平和の実現をお祈りいたします。
教団は、国内外の教会に連なる多くの方々のお祈りとお支えにより、第42総会期の宣教活動を推進することができました。心からの感謝をもって、ここに報告をいたします。…”
報告されている事柄の見出しだけをあげてみても、合同教会ならではの内容です。
“1..キリストの体なる教団(教会)の形成
2.常議員会における主な審議案件について
(1)教団機構改定について (2)教団財政の問題について (3)教団出版局について (4)日本基督教団の教師論について (5)伝道資金の運用について
3.教団伝道推進について
(1)「日本伝道の推進を祈る日」の取り組みについて (2)小規模教会伝道所および教師検定試験受験者支援について (3)伝道推進室について
4.能登半島地震被災教会等支援について
5.沖縄教区との関係について
6.青年伝道について
7.カルト宗教問題について
8.内外諸教会その他との関わりについて”
総会に、主の御心が成りますよう祈ります。(No.1007)
2024年10月13日
「わたしがここにおります」
10月第2主日は、日本基督教団行事暦で、「神学校日」です。今年も教団教師委員会よりポスターが届きました。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」(イザヤ書6章8節)の御言葉が掲げられ、「教師の養成を委ねている神学校を祈りと献金で支えましょう!」と勧めの言葉があります。
日本基督教団には、教団立東京神学大学(東京都三鷹市)と、五つの教団認可神学校があります。認可神学校は、関西学院大学神学部(兵庫県西宮市)、同志社大学神学部(京都市)、東京聖書学校(埼玉県吉川市)、日本聖書神学校(東京都新宿区)、農村伝道神学校(東京都町田市)です。日本基督教団はこれらの6つの神学校に、伝道者(教師)の養成を委ねています。神学校が担っている伝道者養成の尊い働きを覚えて、主の祝福を祈ります。特に、ずいぶん前からの入学者の減少に、神学校も日本基督教団も危機感をもっています。教会に仕える教師となる人を、教会が送り出せないという憂うべき状況です。祈るばかりです。
ポスターにありましたイザヤ書第6章の御言葉から、今年の鹿児島でのこころの友伝道全国大会の講演を思い出しました。千代崎備道先生が丁寧に説き明かしてくださいました。
聖なる神を見てしまったとき、イザヤは自分の罪を自覚させられ「私は滅びた」と叫びました。そのイザヤに、神は御使いによって祭壇の炭で彼の口(言葉)をきよめてくださったのです。「誰が我々に代わって行くだろうか」との主の声を聞いてイザヤは「ここに私が」と答えます。これは僕が主人に対して使う言葉であって、「自分がする、私にさせてください」という自己主張ではありません。イザヤを始め預言者たちは、厳しい使命を受けました。預言を聞く人々が頑なにされるというのです。全知全能の神は、ご自分でおできになることであっても、人を遣わして用いてくださるお方です。無価値な存在である者が用いられるとき、背後におられる神が証しされるのです。(No.1007)
2024年10月 6日
世界宣教の日「共に仕えるために」
日本基督教団行事暦で、10月第1主日は、世界聖餐日・世界宣教の日です。現在は、月に一度の聖餐は第2主日の礼拝において執行していますので、来週の礼拝では、聖餐の恵みを新たにされたいと願います。
今年も、日本基督教団世界宣教委員会が発行している小冊子「共に仕えるために 2024~2025」を取り寄せました。世界各地で宣教師として仕えておられる先生方のお働きの簡潔な報告が載っています。仕えておられる現場も、農工科学大学であったり、現地の教会であったり、神学校であったりと多様です。「共に仕えるために」を丁寧に読みたいと思います。
また、小冊子の後の方には、日本基督教団が受け入れている宣教師の先生方のリストが掲載されています。これだけの先生方が各地で奉仕してくださっています。感謝です。
私は、現在ドイツにおられる先生方の後援会から報告をいただくことがあります。それを読みますと、日常の礼拝・伝道・牧会のほか、宣教師ならではの活動―現地の教会との交流、日本語教会のように現地にあるアジア諸国の教会との交流、ヨーロッパの日本語教会との交流、後援会への報告、日本基督教団とのやり取りなど―があります。自前の会堂はなく、人の出入りの多い教会で、教会を形成しておられます。主のために喜んで、忍耐強く働いておられるご様子に心打たれます。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16・15)。「主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すように…」(使徒20・35)。10数年前の2009年、プロテスタント宣教150周年を記念する大会が開催されました。日本は島国ですから、福音を携えて海を越えて来てくださった人がいなければ、教会は生まれませんでした。そのことを忘れてはならないと思います。日本の教会は、宣教師を送り出す教会であり続けられるように、と祈り願います。(No.1006)
2024年 9月29日
日光への旅
先週の9月26日~27日の日光オリーブの里アシュラムに参加するため、日光へ出かけました。時間がとれたので、行くときに遠回りをして群馬県みどり市の富弘美術館に寄りました。
今年の4月に、詩画作家の星野富弘さんは神のみもとに召されました。追悼企画展「ちいさなしあわせ」が開催されており、星野富弘さんの生涯をたどれるようになっていました。星野さんが愛用していた車椅子も展示されていました。最後の作品「生かされて」は2017年10月とあり、今年召されるまでの数年間は、星野さんは作品を発表できずにおられたのだと思いました。
「そうか神様に
生かされていたのか
そう気付いたとき
道端の花が
輝き始め
苦しみにも
悲しみにも
どんな小さなことにも
意味があったのを知った」
ツワブキの画に添えられていた「生かされて」の詩をメモしました。星野富弘さんの信仰のこころが凝縮されているように思い、胸が熱くなりました。
第12回を数える日光オリーブの里アシュラムは、近江八幡市にあるアシュラムセンタ―主催です。助言者は、アシュラムセンター主幹牧師の榎本恵先生。主題聖句「わたしは近くにいれば、神なのか。―主のことば―遠くにいれば、神ではないのか」(エレミヤ23・23〔新改訳2017〕)。エレミヤ書第23章、28章、36章を静聴し、分かち合いをしました。再会と出会いの喜びをいただくことができ、感謝でした。
会場の日光オリーブの里は、今年、設立20周年です。自然に恵まれた良い環境にあるキリスト教主義の宿泊施設は今や貴重な存在です。
皆様の祈りに支えられ、無事帰宅しました。(No.1005)
2024年 9月22日
週報短文1千回を越えて
20年前の2004年5月2日から「祈りの栞」の裏面に週報短文を書くようになり、先月の8月25日で、何と第1000回となりました。西川口教会のホームページには週報短文も掲載しており、ナンバーを振っているので何回目かは分かります。それにしてもよく続けることができました。主の恵みと感謝しています。
「のぞみも消えゆくまでに」という聖歌(聖歌総合版642番)をご存知でしょうか。この聖歌の折り返しが
「かぞえよ主のめぐみ、かぞえよ主のめぐみ、
かぞえよひとつずつ、かぞえてみよ主のめぐみ」
というのです。私はこの聖歌の折り返しが心に浮かび、恵みを数えるのが好きなのです。
週報短文を書き始めた頃、毎週木曜日の夕方教務会を開いておりました。そこでは、教会を見渡し、活動をふりかえり、消息を報告し、祈りの課題を分かち合い、教会形成についてコツコツ学び、祈っておりました。その中から感じたこと、教会にこだわり、教会の言葉として発信していく、と当時の自分が書いています。また、どのように受け止めてくださったか反応があれば、対話がここからも始まります、教会生活を考える手がかりになれば幸いです、とも書いています。
それから20年が過ぎました。教会の皆様の祈りと愛に支えられて、主任担任教師としての歩みを続け、週報短文を書くことができました。
最近はオリジナルの言葉はほとんどなく、引用ばかりですけれども、それでいいと思っています。新約聖書も旧約聖書の引用がたくさんあります。主の弟子たちは、オリジナリティーに生きるのではなく、主イエス・キリストの福音を伝えました。西川口教会、日本基督教団、関東教区、埼玉地区、県南牧師会、がん哲学カフェ、ゴスペル、説教塾、キリスト教カウンセリング、こころの友伝道などの活動に身を置いて、気づかされたことなど、これからも週報短文で発信し、教会形成・信仰生活の益となることを祈り願います。(No.1004)
2024年 9月15日
能登半島の教会を訪ねて②
毎月第3主日は、日本基督教団の「日本伝道推進を祈る日」です。今回は、信徒の友9月号に掲載された記事「能登半島の教会を訪ねて②」から抜粋して紹介します。
“「そんなに前のことではないのに、遠い昔のことのようで、1月のことは記憶があいまいです」。輪島教会に新設された仮礼拝堂でお話を伺ったのは同教会員のOさん。…暮らしていた家は全壊した。…仮礼拝堂はプレハブゆえ、前の道路を大きな車が通ると、一瞬揺れる。その度にOさんはビクッとする。あの日の恐怖は今も消えていない。
3月末のイースターの日まで金沢で避難生活を送り、金沢教会に出席した。…4月に輪島に戻った。家の解体が決まり、仮設住宅への入居も決まったが、経済的にも精神的にも家の再建は厳しい。仮設住宅の入居目安は2年間。これからのことを考えと悩ましいが、だからこそ、「礼拝で1週間分の呼吸をいただいています」と力強い。”
“震災からすぐ、Mさん(七尾教会信徒。長老を務める)は「能登スタイルストア」に出店している小売業者に連絡を取り始める。能登スタイルストアは、Mさんが手がける事業のひとつで、能登の食品、飲料生活用品などのオンラインストアだ。…七尾市の宅配便が再開された日に販売を開始。能登を支援しようと全国から注文が殺到し、1月だけで通常1年分の売り上げとなった。…
教会は、規模は小さくても七尾の街よりも持続可能なコミュニティーだとMさんは考える。「礼拝に力を与えられること。週に1度集まり、街の各地の状況、人の様子や公的支援の情報が共有され、何が必要かその思いを伝え合う。これは街づくりに欠かせないことです」。
…震災直前の七尾教会の礼拝では釜土牧師が、「神さまの前ではやんちゃこいていい」(「やんちゃな子どものように何でも神に訴えていい」)と説教した。何度も牧師から聞いてきた「主の御心をわが心として、それぞれの持ち場でやっていきなさい」との言葉と合わせて胸に響いている。…”(No.1003)
2024年 9月 8日
敬老祝福礼拝に寄せて~コヘレトの言葉より
今年の敬老祝福にあたり、御言葉を思い巡らして、与えられましたのは、旧約聖書コヘレトの言葉第12章1節です。
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。」
数年前、祈祷会で小友聡著「コヘレトの言葉を読もう 『生きよ』と呼びかける書」を手掛かりに、コヘレトの言葉を学びました。この御言葉は次のように説き明かされていました。
“…若いうちに創造主を知れば、歳をとって幸せになれる、とは書かれていません。…
旧約時代の平均寿命は40歳に満ちませんでした。青春期の若者があとどれくらい生きられるか、時はごく限られているのです。20歳になった若者の平均余命が60年、70年という現代とは全く意味が違います。終わりまでの時間はわずかです。その終わりを前にして、今この時を創造主から与えられたかけがえのない賜物として受け止めなさい。こうした呼びかけが、「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」という言葉に込められているのだと思います。
そういう意味では、この聖句は若者への呼びかけということでは必ずしもありません。むしろ高齢になって、あとどれぐらい生きられるかを考える多くの人たちへのメッセージだと言えるでしょう。…”
コヘレトの言葉はこのように終わります。
「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて。神は、善をも悪をも、一切の業を、隠れたこともすべて、 裁きの座に引き出されるであろう」(コヘレト12・13~14)。
死後どうなるかは「隠れたこと」であって、神の御手に委ねるという信仰告白です。大切なことは、生きている限り神を畏れ敬い、その律法(神の言葉)に従うことです。(No.1002)
2024年 9月 1日
第70回こころの友伝道全国大会
台風10号が九州に近づいていましたが、予定通り、8月26日(月)~27日(火)、日本基督教団鹿児島加治屋町教会を会場に、第70回こころの友伝道全国大会が開催されました。「信仰における確信」を主題に掲げました。参加者は21教会より74人(鹿児島県内41人、県外32人)でした。出会いと再会の喜びがありました。
第1日目は、開会礼拝で始まりました。北九州復興教会の久多良木和夫先生より「パウロとシラスの賛美と祈り」(使徒16・25~34)の説教でした。次に、赤羽教会の大友英樹先生より講演「こころの友伝道の三つの基本」がありました。今大会の特別講師は、日本ホーリネス教団池の上キリスト教会牧師の千代崎備道(ともみち)先生です。第1講演は「確信を与えるもの」(イザヤ6・1~13)。御言葉の恵みに満たされ、美味しい夕食をいただき、夜は、パイプオルガンのミニコンサート、さらに「鹿児島タイム ラテンアメリカの賛美歌を歌おう」を、会場教会の松本敏之先生が担当。南米の新しい賛美歌を教わりました。奏楽は、日本バプテスト連盟福岡西部教会の麦野達一先生のホルン演奏とギター、麦野先生のお連れ合い様のピアノで、疲れも癒される思いでした。
第2日目は、朝6時から早天祈祷会。鹿屋キリスト教会の瀬戸口武先生が証しを交えて説教され、心を合わせて祈りました。講演「こころの友伝道五つの実際」は新宿西教会の深谷美歌子先生。次いで、千代崎先生の第2講演「伝えるべき確かなもの」(エレミヤ36・1~32)でした。午後はオルガンミニコンサートに始まり、「賛美と証」は、宮崎清水町教会の山口英希先生の司会と賛美の導きで、3人の方々の実証に、心から主の御名を賛美しました。派遣礼拝は新宿西教会牧師で、こころの友伝道連合会会長の深谷春男先生より「パウロの信仰の確信 十字架と聖霊」(ローマ12・1~2)でした。
お祈りを感謝いたします。主の御手に守られて、無事に帰って来ることができました。(No.1001)
2024年 8月25日
S・K姉召される
先週はK姉の葬儀がありました。教会創立60年の「10年の記録誌」に、K姉の愛誦聖句は「ヨハネによる福音書第15章」となっておりました。次いで、愛唱讃美歌は讃美歌493番「いつくしみ深い」、讃美歌522「キリストにはかえられません」でした。
「いつくしみ深い」の1節の歌詞です。
「いつくしみ深い 友なるイェスは
うれいも罪をも ぬぐい去られる。
悩み苦しみを かくさず述べて
重荷のすべてを み手にゆだねよ。」
多くの人に知られ、愛されている讃美歌です。主イエス・キリストは私たち一人ひとりの友となってくださいます。この讃美歌に導かれて、葬儀で朗読する聖書を決めました。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。…わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネ15・13~16)
K姉の最近の約10年は病を抱えての日々で、私はよく病院にお見舞に行きました。K姉にはくよくよしない明るさがありました。帰る前に共に祈りましたが、いつも自分の病の癒しではなく、教会のため、牧師のため、役員のため執り成しの祈りをささげてくださいました。2か月前の訪問が最後となりましたが、そのとき子どもの頃の話をして、明るい性格は母親に似ていると言っていました。それと共に、友なるイエスさまに委ねる安らぎがあったと思います。
「キリストにはかえられません、
世の宝もまた富も、
このおかたがわたしに
代わって死んだゆえです。…
キリストにはかえられません、世の何ものも」(「キリストにはかえられません」1節より) (No.1000)
2024年 8月18日
能登半島の教会を訪ねて①
毎月第3主日は、日本基督教団の「日本伝道推進を祈る日」です。今回は、信徒の友8月号に掲載された記事「能登半島の教会を訪ねて①」の中から、特に会堂の被害の大きかった輪島教会の状況を紹介します。6月初旬の訪問の報告です。
“…金沢と輪島方面をつなぐ「のと里山海道」は片側通行。輪島へは向かえるが、金沢方面への道はまだ復旧していない。震災の爪痕を横目に、崩落していない部分を北進する。これでも工事が進み、「だいぶ走りやすくなった」そうだ。
コンビニで昼食を調達し、仮設トイレを使う。上水は通っているものの、下水は完全復旧しておらず、コンビニなどのトイレは使用禁止のところが多い。崩壊したままのビルや家屋、傾いた電柱の連続にぼう然とするうち、輪島教会に到着した。輪島教会は全壊、隣に立つ牧師館は崩れた隣家が倒れかかってきており、暮らすことはできない。教会から5分の避難所に今も暮らす新藤豪牧師が、周囲を案内してくださる。一帯が焼失した「朝市通り」へ向かう途中、新藤牧師に声を掛ける人がいた。その人は「避難所で知り合った教会の近所の人。知り合いが増えたのが、避難所暮らしのいいところで、こちらが知らなくても、向こうは牧師って知っていて、教会どうなった? なんて声を掛けてくれます」。数名に声を掛けられる。…
全壊した会堂から説教卓、聖餐卓、リードオルガン、そして輪島塗りの聖餐具、教会看板が運び出されていた。仮会堂は中部教区はじめ多くの方の祈りにより、5月13日に完成。説教卓などを運びこみ、19日のペンテコステ礼拝から使用を始めることができた。…
新藤牧師は避難所の廊下で、教会員宅で、とにかく礼拝を続けてきた。穏やかな新藤牧師が熱かったのは、礼拝場所を確保するために懸命だった話をした時のみ。どんな時でも教会とは礼拝する群れのことだと、改めて教えられる2日間だった。
(現地の最新状況、募金先は日本基督教団中部教区のホームページをご覧ください。)”(No.999)
2024年 8月11日
こども代表「平和への誓い」
先週、広島と長崎に原爆が投下され79年の記念の日を迎えました。被爆の出来事や記憶を継承していく必要がますます高まっています。広島の平和記念式典で、市内の小学生二人がこども代表として「平和への誓い」を述べて、希望を感じました(「平和への誓い」は1995年から)。
“目を閉じて想像してください。/緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔。/79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました。
昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。/「ドーン!」という鼓膜が破れるほどの大きな音。/立ち昇る黒味がかった朱色の雲。/人も草木も焼かれ、助けを求める声と絶望の涙で、まちは埋め尽くされました。/ある被爆者は言います。あの時の広島は「地獄」だったと。/原子爆弾は、色鮮やかな日常を奪い、広島を灰色の世界へと変えてしまったのです。
被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。/言葉にすることさえつらく悲しい記憶は、79年経った今でも多くの被爆者を苦しめ続けています。
今もなお、世界では戦争が続いています。/79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。/本当にこのままでよいのでしょうか。
願うだけでは、平和はおとずれません。/色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。
一人一人が相手の話をよく聞くこと。/「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。/仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。/私たちにもできる平和への一歩です。
さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。/平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。/そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。…”(No.998)
2024年 8月 4日
平和聖日メッセージ
8月第1主日は、日本基督教団行事暦で「平和聖日」です。教団新報に、日本基督教団総会議長の雲然俊美先生と、教団と宣教協約を結んでいる在日大韓基督教会の総会長の梁栄友先生との連名で「2024平和メッセージ」が掲載されました。冒頭部分を引用します。
“「主よ、平和をわたしたちにお授けください。わたしたちのすべての業を 成し遂げてくださるのはあなたです。わたしたちの神なる主よ あなた以外の支配者が我らを支配しています。 しかしわたしたちは あなたの御名だけを唱えます」。(イザヤ書
26章12節〜13節)
涙も枯れるほどの恐怖が、いまもガザ地区を覆います。主イエスが、愛と平和と和解をもたらすためにこの世に遣わされ、愚かなわたしどものために十字架刑となった地において、多くの無辜の命が強大な軍事力によって弄ばれるように奪われています。「わたしたちの神なる主よ あなた以外の支配者が我らを支配しています」。それは同時に、わたしどものうちにある愚かさでもあります。
しかしわたしどもは、何度でも主イエスに立ち帰り「あなたの御名だけを唱えます」。そしてどうか「平和をわたしたちにお授けください」と悔い改めと共に深く祈り求め、ここに平和メッセージを宣言します。…”
次いで、〈パレスチナにおける紛争について〉、〈日韓の歴史について〉、〈アジアの平和について〉、〈原発依存からの脱却について〉、現代に生きる私たちの課題が述べられ、平和実現のための決意表明がなされています。日本基督教団のホームページには、この平和メッセージが、日本語、韓国語、英語で掲載され、世界に発信されています。ぜひ全文をお読みください。(No.997)
2024年 7月 28日
『ホーリネスのヒント』「聖会説教」より
6月に行われた西川口教会アシュラムの助言者(講師)の島隆三先生の新刊『ホーリネスへのヒント』が届きました(島先生がアシュラムの礼拝説教のとき、この本を紹介された)。今回の教会アシュラムでは、静聴の聖書箇所はローマの信徒への手紙第5章と第6章でした。『ホーリネスへのヒント』第3部「聖会説教三編」には、きよめに関する説教(ローマ第6~8章)が記されています。アシュラムでされた説教の理解を深めるためにも、この本を読んでいただくことをお勧めいたします。 この「聖会説教三編」には、島先生が尊敬し、長年にわたって研究しておられる神学者ジョン・ウェスレーをはじめ、島先生ご自身のお証、また、他の方の証も紹介されています。
聖会説教の第一回説教『キリストと共に』(ロマ書六章一~一四節)の終わりに、ジョン・ウェスレーの証しがありました(82頁以降)。心動かされたところをまとめます。
ウェスレーは仲間と共に新大陸アメリカに伝道に行きましたが、その結果は彼の人生で初めてと言ってよい挫折でした。彼は大きな失意のうちに帰国しますが、自分の身に起きた重大事を、世間的なレベルでとらえず、信仰のレベルで考えました。ウェスレーは、陥った事態はだれが悪かったというより、自分の信仰に問題があったと捉えました。その最大の問題は、イエス・キリストの恵みを味わっていなかったこと。自分の決意や努力に頼って、本当の意味でキリストに信頼していなかったのです。1738年5月24日、ロンドンのアルダスゲートでの家庭集会で、ルターのロマ書注解が朗読され、それを聞いていたウェスレーの心は、不思議に温められました。ただ、主イエスに頼ればよいのだという主に対する信頼に導かれたのです。ただし、この体験によってウェスレーの内的問題がすべて解決したということではありません。しかし、悩みがあっても、その悩みをどこに持っていけばよいかが分かったのです。(No.996)
2024年 7月 21日
教団宣教方策会議報告書より
毎月第3主日は、日本基督教団の定めた「日本伝道の推進を祈る日」です。今年度は、今まで月刊「信徒の友」に掲載されていた各教区の近況や祈祷課題記事がありませんので紹介できず、残念です。時々、日本基督教団のホームページにアクセスして、教団からの発信情報を見ています。最近、興味をもって読みましたのは、今年の6月4日付の「2023年度日本基督教団宣教方策会議報告書」です。テーマは「日本基督教団の未来のために~機構改定で出来ること~」でした。3月に開催された会議での講演や発題は、今後の教団のため考え取り組んでいる言葉でした。その中で、特に、閉会礼拝の説教が、先日の地区教師一泊研修会で聞いたことと重なっていて、考えされられましたので、分かち合いたいと思います。
“…当教団をはじめ、日本の多くのキリスト教会の教勢は低下しています。しかし、実はそれだけではなく、宗教全体がたいへんな危機を迎えています。…新宗教団体は、いずれも1990年代が教勢のピークとなっています。そしてその後は右肩下がり…。…伝統的仏教も危機に直面しています。無住職の寺が激増しています。兼住職の寺も増えています。…もう寺も今までの仕方では成り立たなくなってきているのです。…
日本の人口減のスピードを上回る速さで、宗教全体が凋落しています。…(日本人が)超常的なものを信じなくなったわけではありません。なのに宗教団体が未曾有の教勢低下に直面している。すなわち、日本人が宗教から離れつつあるということです。
では、キリスト教会も展望がないのか‥‥私はそのようには思いません。なぜなら、キリスト教は、生けるキリストが共におられるからです。その方にこそ、大いなる希望があります。…聖書には「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」(使徒16・14)と書かれています。…生ける主の働き。ここに可能性があると言うことができます。…”(No.995)
2024年 7月 14日
次世代のために
先週から、朝の主日礼拝では、子ども説教が再開され、コロナ対応として続けていた礼拝の短縮を終えることとしました。(まだコロナ感染症は続いているので、換気は続けます。マスクは各人の判断でお願いいたします)。子ども説教の再開については、5月の礼拝教育部会で話し合い、役員会を経て決定しました。
実は、今年の4月に日本キリスト教団の教案誌の原稿依頼があり、5月は少しずつ書き始めていた頃でした。「低学年の子どもたちを想定して書いてください」との指示があり、実際に説教例として原稿を書かなければならないので、何度も吟味して、説教の言葉を求めていました。そういうなかで、主日礼拝で子ども説教を再開するときがきたのではないか、と思わされました。
主日礼拝には子どもたちが来ていない現状ですし、主イエスに「あなたがたは行って」(マタイ28・19)と命じられていますから、私たちがそれぞれの置かれたところで出会う子どもたちに、福音を分かち合うことだと思います。まずは子ども説教を再開することで、教会として、礼拝に子どもたちを迎える姿勢を整えていきたいと思っています。礼拝の説教は子ども説教を聞いた前提で語ります。これからも説教のために、とりなしのお祈りをお願いいたします。
また先週は、聖学院大学の全学礼拝に招かれて奨励の奉仕をしました。こちらは、今年の1月に連絡をいただき、喜んでお受けしました。聖学院大学では、今年度の春学期は毎週火曜日から金曜日、14時40分から15時10分まで、チャペルで全学礼拝を行っています。大学のチャプレンの先生方あるいはキリスト者の教職員の方が奨励をされますが、外部の牧師に依頼することもあり、私は初めて奉仕をしました。当日、聖学院大学のチャペルには大勢の学生が全学礼拝に集まっておりました。共に神を仰ぐことができ、感謝です。キリスト教主義学校と教会との協力も次世代の人々への伝道のために大切なことです。(No.994)
2024年 7月 7日
「人はなぜ教会を去るのか」
先週の7月1日~2日、埼玉地区教師研修会がホテルヘリテイジ熊谷で開催されました。埼玉地区教師委員の先生方の丁寧なご準備のもと、充実した研修でした。
初日の講師は、勝本正實(かつもと・まさみ)先生です。1年前にいのちのことば社から『人はなぜ教会を去るのか』を出版されました。講演のテーマはこの書名そのもので、「人はなぜ教会を去るのか」、サブテーマは「教会を去る4つの理由とそれに対する3つの対応」です。勝本先生は、神学校で学ぶ中で仏教に強い関心を持ち、伝道に役立てたいと願い、神学校を卒業後、大学で仏教(日蓮宗、浄土宗)を学ばれました。その後、神道や民俗宗教の学びもされました。神学校では比較宗教学・日本教会史を教えてこられたというユニークな経歴の方です。
私は、この本を教師研修会の前に入手して読みました。今回の講演は、著書の一部を紹介したものですが、著者から行間を聞くことができ有益でした。「比較宗教学の観点から」「信徒向けに」書いたとのことです。講演も、平易な言葉で、問いかける姿勢で語ってくださいました。
「人が教会を去る4つの理由」のポイントだけ書いておきます。
1.本人の心理状態の変化がある場合(①期待外れだった、②ほかに関心が移った(気が変わった)、③自分で何とかすることにした)
2.教会に原因がある場合(①教会内の多様な人間関係、②教会に来る人に求められる生活規範の厳しさ、③教会での信仰生活の持続の困難さ、④教会が信徒への配慮を怠った)
3.日本という社会環境に原因がある場合(①日本という異教環境の中でキリスト教信仰を守る難しさ、②日本では宗教は「救急箱」、③日本では宗教の評価・信頼度が低い)
4.宗教そのものに原因がある場合(①宗教はこの世を否定あるいは警戒するよう教える、②宗教は人間の願いをかなえる道具ではない…等)(No.993)
2024年 6月30日
「ほかの重荷を負わせない」
今年の5月15日から祈祷会・昼間祈祷会では、村瀬俊夫著『ヨハネの黙示録講解 愛と希望のメッセージ』〔2005年刊行〕を手掛かりに、難解と感じられるヨハネの黙示録の学びをしています。この書物は、村瀬先生が開拓伝道された蓮沼キリスト教会の礼拝説教をまとめたものです。村瀬先生の声が聞こえてくるような思いがして、懐かしく感じます。先週の祈祷会では、ヨハネの黙示録第2章18~29節のティアティラの教会に当てた手紙の箇所でした。説教題は「ほかの重荷を負わせない」。このタイトルのように味わい深い説教でした。
主イエスが、教会に告げてくださっているのは、「わたしは、あなたがたに別の重荷を負わせない。ただ、わたしが行くときまで、今持っているものを固く守れ」(24~25節)ということです。今持っているものとは「愛と信仰と奉仕と忍耐」(19節)です。
村瀬先生の説教から引用します。
“…この「愛と信仰と奉仕と忍耐」は、イエス様に結びつくものです。イエス様からいただく愛、その愛を受ける信仰であり、イエス様の愛から出てくる奉仕と忍耐です。そのような意味での愛と信仰、奉仕と忍耐があるなら、もうそれだけでよろしい。要するに、イエス様の愛を受けることだけを、しっかり実行していればよい、と言われているのです。そのほかの難しいことをする必要はありません。オウム真理教では、神の深みを体験するためには難行苦行しなければならない、また財産も教団に捧げて出家しなければならない、と言われました。「そんなことをする必要はない、ただ、わたしの愛を受けなさい」というのが、イエス様のメッセージであるのです。…”
昨日から第47回西川口教会アシュラムが始まりました。「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい」(ヨハネの黙示録2・29)とイエス様が言われます。御言葉を通して、イエス様の愛を受けることができますように。(No.992)
2024年 6月23日
「つながり、学び、伝えよう」
先週は、日本キリスト教団全国教会婦人会連合主催の第28期全国委員研修会に参加しました。研修会のテーマは「つながり、学び、伝えよう」、第28期の主題は「キリストにある平和を共に追い求めよう―ローマの信徒への手紙に聴きつつ―」です。全国委員以外でも参加可能とお知らせをいただき、大宮教会が会場で近隣であったこともあり、申し込みました。2日間の研修は、会場の参加者とオンライン参加者で289人でした。私は19日のみ会場の参加でしたが、大宮教会の礼拝堂は満席で、150人ほど集まって来られていたと思います。関東教区からの参加者が最も多く、次いで東京教区、そして全国各地から来られた方々で、とても活気あふれる雰囲気でした。
全国教会婦人会連合のホームページがあり、そこに、第28期活動方針が示されていました。
○主体をかけて共に聖書に聴く
〇連帯する教会婦人
・各教区・教会の宣教課題を共有する。とりわけ、婦人会活動が困難な状況にある教区を覚える
・自然災害を受けた被災教区を覚え、祈り支援する
・世界の教会婦人と共に歩む
・世代間の交流をはかる
〇機関紙『教会婦人』を活用して、教団内自主活動団体全国教会婦人会連合の理解を深める
〇隠退教職ホーム「にじのいえ信愛荘」のために祈り、積極的に支える
〇キリストにある平和を祈り続ける
〇創造主の委託にこたえ、いのちを守り、環境の保全に努める
・東日本大震災と原発事故を覚えていく
今回の全体委員研修会は、この方針に基づいてよく企画されていたものだったと思います。
全国教会婦人会連合の発足は1968年。このネットワークと活動のためには、たいへんな努力と協力がなければできません。課題は山積しています。主の祝福を祈ります。(No.991)
2024年 6月16日
主日礼拝について
定例役員会では、2ヶ月ごとにコロナ等感染防止の対応を検討しています。それと合わせて、5月からようやく、短くしていた主日礼拝の内容も見直しました。ペンテコステ礼拝より讃美歌を1曲増やしましたが、それだけで大きく変わりました。7月から子ども説教を再開して、短縮の対応は終わりとします。また、短縮するために献金の方法や報告の仕方を簡潔にしましたが、それは継続していきます。
約4年ほど、司式と説教の両方を担ってきました。その体験から、一つの流れとしての礼拝を執り行う大切さを感じています。その流れを妨げるようなことがないように配慮しています。
一つの流れとは次の通りです。
①神に近づく
私たちは神に招かれ、集められる神の民です。人の前ではなく、生ける神の前に進み出るのです。神に立ち帰る悔い改めの祈りを含めて、神の民を代表して司式者が祈ります。
②神の言葉
聖書が朗読されます。ただちに神の言葉の説き明かしの説教となります。月に1度、主の食卓(聖餐)に与かります。聖餐は「見える御言葉」と言われます。こうして、神の言葉が語られ、聞かれます。神の民である私たちは、神の言葉をいただき、養われて、生かされます。
③神の恵みへの応答
私たちの献身のしるしとして献金をささげます。頌栄で神に栄光を帰し、神の祝福に満たされて、世に派遣されます。
主イエス・キリストは言われました。
「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ4・23~24)。
父なる神が礼拝者を求めておられます。(No.990)
2024年 6月 9日
「信仰の把握と価値の転換」
5月最終週の祈祷会では、関東教区総会のためヨハネの黙示録の学びをお休みして、代わりに、渡辺善太師(1885~1978)の説教「信仰の把握と価値の転換」を味わいました。聖書箇所は、口語訳聖書ピリピ人への手紙第3章1~16節でしたが、特に7~8節に集中して説き明かされた説教でした。
“キリスト教の信仰生活というものは、「価値」に生きる生活であります。もっと正確に言えば、キリストという新しい基準によって決定された「価値」によって生きる生活が、クリスチャンの生活であります。…パウロはピリピ書に、その「価値」によって生きるということを述べております。「わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている」(3・8)…。すなわちキリストを信ずるというその価値基準が、キリストという信仰の対象によって、ピタッと一点で決まる。そして日常生活、朝から晩まで…私どものする一切のことがその基準によって「価値づけ」られる。したがって…キリスト教信仰の生活はキリストによって基準とされた価値に生きる生活だということが出来ます。…”
渡辺師はこの説教で教会の陥りやすい過ちを指摘されました。そのひとつは、律法主義、または伝統主義になることです。律法も伝統も良いものですが、それを振りかざして人を裁いたり、人を精神的に縛ったり、「今までこうしてきたから…」と言ったりして、いのちが失われると、教会は死んでしまう。もう一つは相対主義です。平たく言うと「どうだかわからないじゃないか」ということ。これでは、主体的決断としての信仰は持てないのです。福音書に教えられ、書簡(しょかん)に教えられているキリストを、私が信じて握る、そこに生きたキリストの把握があるということ。信仰をもってそのキリストを握るとき、キリストによって価値が決定されて、わが価値になる、と。大いに励まされました。(No.989)
2024年 6月 2日
第74回関東教区総会
5月29日・30日、関東教区総会が開催されました。開会礼拝では聖餐式が執行されるため、会場は以前に使っていた大宮ソニックシティ小ホール(飲食可)でした。
開会礼拝の説教は群馬地区渋川教会の臂奈津江(ひじ・なつえ)師でした。「迷わず蒔けよ、蒔けば実るさ」と題して、福音の種を喜んで蒔こうとの招きをうれしく聴きました。29日の午後に准允式があり、1人が准允を受け、喜ばしいことでした。30日の午後に、昨年度内に召された教区の教師と信徒の追悼者記念の時がありました。
今総会の重要議案の一つは、教団総会議員選挙でした。私は投票委員長の奉仕を仰せつかり、慣れないことで緊張しましたが、たくさんの方々のご協力のなか終えることができました。
毎回のことですが、教区総会議員には、前年度の教勢等諸報告が配付されます。そこには、教区内各教会の会員数、受洗者数、礼拝出席者数、求道者数、祈祷会出席者数、CS出席者数、経常収入、経常支出の数字が出ています。コロナの前から厳しい状況でしたが、コロナを経てますます厳しくなっています。教区総会の議場でも教区の将来を案ずる発言がありました。29日の夕方に、協議会「教区のこれから~財政と宣教の取り組み」が開催されました(祈祷会のため出られず)。
日本基督教団書記の黒田若雄師が出席され、30日に教団の課題と取組について説明があり質疑応答がありました。教団においても同様の課題があります。そのため全国各地にある教会・伝道所がこれからも共に立ち、互いに祈り合い、支え合って、伝道の協力を推進していくと語られました。
2023年度議長報告・常置委員会報告・各部報告・一般会計報告他、全ての報告が承認されました。2024年度関東教区活動方針・予算案・ナルドの壺献金推進の件等、全ての議案が可決されました。すべての議事を終え、教区副議長の田中かおる師の閉会の祈りによって、教区総会が無事終わりました。(No.988)
2024年 5月26日
能登半島地震被災教会の状況
本年1月1日に発生した能登半島地震からまもなく5カ月が経ちます。日本基督教団中部教区のホームページから被災教会の様子をお伝えします。
4月17日付で、輪島教会の4月からの状況が報告されていました。
“4月1日までに震災によって破損された2台のパソコンのうち、1台は買い換え(中古)、もう1台はデータの復旧と修理を行いました。これによって、輪島教会の週報作成、議事録、報告書などの事務作業が復旧しました。4月7日(日)から信徒宅において、震災後、はじめて本格的な礼拝が再開されました。8名の出席があり、祝福された礼拝となりました。14日(日)は7名の出席でした。今までも避難所において短い礼拝が行われていましたが、周りの方々への配慮等もあり、本格的な礼拝は今回からとなりました。パソコンが復旧され、週報の作成・印刷が可能となり、教会の記録としても、大きな一歩を踏み出しました。
皆さまのご支援によって、一つ一つ、教会再建へと向かっています。ただ、その道のりには、多くの時間がかかると考えております。現在、中部教区では、仮設礼拝所として、会堂と牧師館の間にある空き地にプレハブの設置を進めています。…仮設礼拝所設置→教会堂再建という計画を5月21・22日開催の中部教区総会において確認し、祈りを合わせたいと考えております。…”
5月14日付の投稿
“5月13日(月)、輪島教会仮設礼拝所の設置が完了しました。この日、輪島教会から8名をはじめ、石川地区の現地委員、教団救援対策委員、NCC、カトリック、近隣教会の方々、計31名が訪れ、共に祈りを合わせることができました。次週、5月19日ペンテコステから、この仮礼拝所において礼拝が開始されます。”
5月22日付の投稿には、輪島教会・羽咋教会・七尾教会の被災状況が写真付きで報告されていました。
主の慰めと癒し、回復を祈り続けます。(No.987)
2024年 5月19日
信仰は聖霊の賜物
本日は、聖霊降臨日(ペンテコステ)。
教会の信仰は、父なる神・子なる神イエス・キリスト・聖霊の神の三位一体(さんみいったい)の神を信じる信仰です。
ところで「信じる」ことは、大切な個人的な決断です。毎回の主日礼拝において使徒信条で教会の信仰の告白をしていますが、使徒信条が「我…信ず」(わたしは…信じます)と告白しているのも、そのことを現しています。そのように「わたしが」信じる決断をさせてくれるのは、聖霊のお働きによるのです。
コリントの信徒への手紙一第12章3節に「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」とあるとおりです。信仰は聖霊なる神の賜物なのです。ですから、だれも信仰を誇ることはできませんし、信仰者である自分を誇ることもありません。「誇る者は主を誇れ」(コリント二10・17)です。信仰は、全くの聖霊の神の恵みの賜物です。
ヨハネによる福音書第4章24節に「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」とあります。父なる神ご自身が「霊」を本質としておられます。また「ここでいう主〔キリスト〕とは、“霊”のことです…」(コリント二3・17)とあるように、キリストについても同様です。
聖霊も神として、父なる神、主イエス・キリストと共に、礼拝されるべきお方です。
ご自分を訪ねてきたニコデモに、主イエスは聖霊の働きをこのようにお語りになりました。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない」(ヨハネ3・8)。新約聖書の原文(ギリシア語)では「風」も「霊」も同じ言葉です。聖霊は思いのままに自由に働かれ、それは風のようで、どこから来てどこに行くのか、限りある人間には見極められません。聖霊を信じ、その自由なお働きに、我が身を任せるほかありません。(No.986)
2024年 5月12日
ヨハネの黙示録を読もう
今週から祈祷会・昼間祈祷会では、ヨハネの黙示録を学び始めます。村瀬俊夫著『ヨハネの黙示録講解 愛と希望のメッセージ』(2005年刊行)を用います。村瀬先生は2004年度の西川口教会アシュラムの助言者として奉仕、その後も3年続けて奉仕してくださいました。2020年に神のみもとに召されました。この本は、村瀬先生が開拓伝道された日本長老教会蓮沼キリスト教会でなされた礼拝説教をまとめたものです。まえがきから、村瀬先生の言葉を紹介します。
“…戦後しばらくは日本国内で聖書を印刷することができず、米国聖書協会の好意によって大量に印刷された絵表紙の『新約聖書』が日本に贈られ、廉価で売られていました。私が入手したのもそれです。…文語調のリズム感あふれる文体でしたから、気に入った聖句を暗唱するのにそれほどの困難を感じませんでした。それなのに、どうしたことか、ヨハネの黙示録だけは親しめず、繰り返し通読することはありませんでした。
その後、神学校に学んで伝道者、牧師となる道に進んでからも、新約聖書への関心は人一倍持ち続けて今日に至っているのに、ヨハネの黙示録だけは敬遠してしまう態度が続いていました。読んでもよくわからない難解な文書だ、という印象を持っていたからです。…
しかし、「元気なうちに、ぜひ、黙示録の解き明かしを」という教会員の声にうながされ、はからずもヨハネの黙示録の連続説教を行うように導かれました。…この難解と思われる文書にも、神が現在の私たちに語ろうとしておられる福音が満ち満ちているに違いありません。いろいろな要因で秘められているだけであり、それを明るみに出すことが現代における説教者に課せられた使命なのかもしれません。そこで、あえて「愛と希望のメッセージ」という副題を添えました。それがどれだけ果たされているかは読者の判断にゆだねなければなりませんが、筆者としては最善を尽くしたつもりです。”(No.985)
2024年 5月 5日
加藤常昭先生を偲ぶ
4月26日の午後、加藤常昭先生が逝去されました(95歳)。加藤先生は日本を代表する神学者・説教者であり、1987年に説教塾を設立され、今年1月の東京説教塾で講演されるほど、説教者養成の働きに最期まで全力を注がれました。私は2004年から説教塾生となり、そのつながりで、加藤先生は2008年と2016年に西川口教会に説教にいらしてくださいました。その後、月報「西川口だより」を加藤先生に郵送しておりました。2022年のクリスマスに加藤先生から教会宛にお手紙をいただきましたが、その頃には視力が相当衰えておられたので驚きました。地上の別れを見据えて書かれたことを感じました。
「西川口教会の皆さま 加藤常昭
主イエスの御降誕の喜びの時、こころから喜び、祝福を祈ります。
今年一年、教会報をお送りくださり、私をも慰め、励ましてくださり、ありがとうございます。困難な中、私とともに説教塾で学ぶ金田牧師とともに、祈りを合わせ、心合わせ、祈りを合わせ、礼拝に、伝道にこころをひとつにしておられるご様子に、感銘を受けます。新年、ますます励まれますように、聖霊の助けを切に祈ります。皆様のご健康が守られますように祈ります。
ウクライナの民衆が、どんな冬を迎えているか、考えるだけで心が痛みます。人類は進歩しませんね。いろいろ便利になりますが。みこころがおこなわれますように祈るのみです!
私は、金田牧師のお父上と同じ高齢となりました。来年〔2023年〕は九四歳になります。要介護3の認定を受けています。車椅子で一人暮らしです。最近は緑内障で目が見えなくなりつつあり、少し不安です。いつまで生きることを神がお望みかわかりません。幼子のように生かされればと願っております。
改めて、聖霊とみ言葉の導きを祈ります。甦りのいのちのキリストのお導きがありますように祈ります。平安を祈ります。」(No.984)
2024年 4月28日
ヨハネによる福音書を読もう
本日の主日礼拝からヨハネによる福音書の説教を始めます。ヨハネ福音書の執筆目的は福音書の終わりにこのように明記されています。
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」(ヨハネ20・31)。
右の短い文章中に、大切な語が3つあります。この福音書全体を通して繰り返され、強調されている「鍵言葉」(キーワード)です。それは「イエス」、「信じる」、「命」です。
「イエスが神の子メシアであると信じるため」とあります。「メシア」とは「油を注がれた者」という意味です。イスラエルでは「王」や「祭司」が就任式のとき油を注がれました。やがて、「メシア」は正しい治世をもって国を治める理想の王を示すようになり、更に神の決定的な救いをもたらす「救い主」を指すようになりました。「キリスト」とはメシアのギリシア語訳です。
イエスという名は「神は救い」という意味ですが、ありふれたヘブライ名です(旧約聖書では「ヨシュア」)。イエスはマリアから生まれ、ナザレでお暮しになった方です。ところがこの方をキリストとお呼びするとは。「救い主」「神の子」と称号(タイトル)でお呼びすることなのです。従って、「イエス・キリスト」と続けて口にするとき、名前と苗字を続けて呼んでいるようなことではなく、「イエスはメシアである」という「信仰告白」をしていることになります。
そして、この信仰は、メシア、すなわち救い主であるイエスに、全身全霊をゆだね、イエスだけに「救い」の根拠を置こうとする態度を意味します。ですから、この信仰を通して、神の救いがそのような姿勢を持つ人にもたらされることになるのです。「信じて、イエスの名により命を受ける(救われる)」とはそのことです。
どうか、礼拝と説教を通して、ヨハネ福音書の著者の意図した目的が実現しますように。(No.983)
2024年 4月21日
愛による共同体へ
約10年前、キリスト新聞に、細川勝利牧師による日本の教会への提言として書かれた「ジセダイの牧師と信徒への手紙」という連載がありました。最終回「この世にはない『愛』による共同体へ」の一部を、先週の説教で引用しました。大切なことを言っておられますので、来週の教会総会を前に、ここに書いておきたいと思います。
“教会は言うまでもなく愛の共同体である。ところが、我々日本人は一般に甘えを持っている。社会全体に甘えがあり…会社にも、学校の教師と生徒の関係にも、また友人関係…夫婦の間にも甘えがある。甘えが許されないような関係は、冷たいとか愛がないと思うのである。…甘えが許されないと「この教会は愛がない」「牧師は愛がない」「誰々さんは愛がない」ということになる。教会にとって「愛がない」とは一大事である。…「愛がない」と言われて、「愛があります」などと言える人はいないから、「甘え」を認めるようになる。そうすると教会は「愛」の名の故に最も「甘えの共同体」になってしまうのである。…
しかし、これは甘えと愛とを混同しているところから来ることである。…コリント人への手紙第一に、「愛の讃歌」と言われる次のような節がある。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない」(13章4節)。この「愛」のところに「甘え」を入れると、「甘えは忍耐強い。甘えは情け深い。ねたまない。甘えは自慢せず、高ぶらない」となる。これでは意味が通らない。愛と甘えは似ているようで、まったく対極のことだということがわかる。
教会はどこまでも愛の共同体である。愛の共同体となっていくためにはこの愛と甘えを混同しないことである。…
キリスト者や教会が、甘えではない愛の共同体となるとき、人々は日本人や日本社会にはない「愛の共同体」に驚き、目を見張るに違いない。つまり、愛と甘えの混同の危機は、この社会に生きる人たちへの宣教の好機でもある。…”(No.982)
2024年 4月14日
「立ち会う」こと
3月の終わりから先週にかけて、納骨式や家族葬の司式が3件続きました。それぞれの式で参列の方々から、家族ならではの心に残る出来事を伺いました。牧師とは、そのような家族の物語に立ち会う存在だとしみじみ思いました。
そのひとつが故Kさんのお連れ合いと息子さんのご遺骨の納骨式でした。Kさんは2022年2月に逝去しましたが、お連れ合いと息子さんがそれぞれ先に亡くなっており、お二人のご遺骨を市営の川口市安行霊園に預けていました。Kさんが逝去し、安行霊園を使えなくなるため、今年の2月にごきょうだいより「教会の墓地に納骨できませんか。家族一緒にさせてあげたい」との相談を受けました。役員会では事情を理解し、春日部墓苑への納骨を認めることにしました。
ごきょうだいと相談して、4月1日に西川口教会に集合し、私が運転して、まず安行霊園にお二人のご遺骨を受け取りに行き、そのまま西川口教会春日部墓苑に行き、納骨式を行うことにしました。当日、Kさんのごきょうだいお二人が来られ、西川口教会からはKさんのお世話をしたYさんとHさんが同行しました。
移動中や式後の食事の席で、ごきょうだいからはKさんの実家のこと、仕事や結婚生活のことなどを伺いました。Kさんはごきょうだいに不誠実なことをしたため、疎遠になりました。その後のKさんと出会ったYさんとHさんが、ごきょうだいの知らないKさんのこと―社交ダンスやカラオケを楽しんでいたこと、息子さんが亡くなったときのこと、教会に導かれ信仰を持ったこと、神を信じて平安のうちに最期まで過ごしていたこと―を話されました。ごきょうだいは驚きつつ、喜んで聞いてくださいました。私たちは心が温まるのを感じました。Kさんのご家族への不誠実がなければ、この日の出会いもなかったという不思議。納骨を終えて、ごきょうだいが安堵された様子に、私たちも感謝でした。すべてをご存知の主をあがめます。(No.981)
2024年 4月 7日
神の教会に仕える役員
2024年度が始まりました。本日は一般礼拝において、今年度の役員任職式を執り行います。
使徒言行録の御言葉を読みます。
「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。」(使徒20・28~32)
“教規第九八条2項では「役員は、教師を補佐し、教会の教務に奉仕する」と定めています。役員は、一般の教会員の上に立つのではありません。むしろ下にあって全体を支えます。教会の働きに仕えることが教会役員会の務めです。
パウロは…ミレトスに立ち寄り、エフェソ教会の長老会を呼び寄せて語っています。…
教会はただの人間の集まりではありません。「神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会」であり、神の群れ、神の民です。人間のものではありません。神のものです。神がお立てになりました。それも御子の命をかけてお立てになったのです。その教会を、主の御心に従って治め、仕えます。この重い務めが役員会にはあります。けれども同時に、役員に任命なさったのは聖霊です。聖霊が助けてくださいます。それに信頼をし、務めに励みます。…教会役員に選ばれ、用いていただけるのは喜びであり、名誉です。…”(参考「教会役員ハンドブック」)(No.980)
2024年 3月31日
主イエスの復活と私たちの復活
イースターおめでとうございます。
イースターは、春分以後の最初の満月の次の日曜日となっていますので、毎年移動します。イースターの語源は、「エオストレ」という春の女神の名前です。春の女神エオストレは、暁の女神でローマ神話のアウローラにあたります。キリストの復活が、死の闇を破って暁のようにこの世に光をもたらす、という意味をこめて祝い、春の祭典をキリストの復活の祭と変えていったのです。クリスマスがローマ帝国の冬至の祭りをキリスト降誕の祭に変えたのと似ています。(参考「おもしろキリスト教Q&A77」)
子供の頃、教会学校の遠足でイースターエッグ探しをしたのがイースターにまつわる楽しい思い出です。キリスト者になってしばらくしてからは、受難節(レント)をイースターの備えの時として過ごすようになりました。聖書に親しみ、説教を聴いて、イエスの十字架の意味は、キリストの復活によって分かると知りました。「十字架は分かるけれども、キリストの復活は信じられない」ではないのです。復活を信じなかったら、イエスの十字架が私たちの救いであることも信じることができません。十字架なくして復活なし。復活は主イエスの十字架の死と切り離せません。
「(キリストは)へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」(フィリピ2・8~9)。
「しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです」(使徒2・24)。
神が、十字架の死に至るまで従順であられた主イエスを、死に支配されたままになさるはずがない、これが教会の信仰です。イエスをキリストと信じ、神に属するもの、キリストのものとされた私たちも、滅びることはありません。私たちも死者の中から復活するのです。(No.979)
2024年 3月24日
2024年度地区総会報告
3月20日(水・祝)、聖学院大学チャペルを会場に、コロナ前のように、通常の埼玉地区総会が開催されました。開会礼拝の説教者は、地区委員長であり、今年3月末で岩槻教会を辞任・隠退される小林眞牧師、説教題は「福音の継承」(コリント一15・3~8)でした(この説教で語られていることが、2024年度地区宣教活動計画に反映されています)。
礼拝後、組織会を経て、議事に入りました。今回の地区総会は、地区委員長と教師の地区委員の補充者(任期1年)と地区委員の半数改選と多くの選挙があるため、投票しては議事進行、という議事運営となりました。地区委員長報告に始まり、すべての報告が質疑応答を経て、承認されました。決算報告、次年度予算も承認されました。
2024年度地区宣教活動計画に関する件(提案者 埼玉地区委員会)より抜粋します。主題は「主にある交わりを深めよう」。聖句はコリントの信徒への手紙一15章3~8節の御言葉です。
“埼玉地区…の健全な成長は、夫々の各個教会伝道所の健全さによるもの以外ではありません。
つまり、各個教会・伝道所が、如何なる「福音」を伝えているのか、それは…聖句に記されている通り、①「十字架の死が贖いの死(罪の赦し)」であり…、②「三日目に復活したこと(命の確かさ)」以外が福音の中心であってはならないのです。
それゆえ、日本基督教団信仰告白では…明確に「教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝え」との告白する事を求めています。…
また…多くの方々が「信仰の継承」を願いつつ、順調に行かないことも経験されておられるかと思います。…それと共に、前述の「福音の継承」も、より大きな事です。この両方を教会と信徒が正しく担い、祈りつつ歩む地区でありたいと願っています。…各教会に色々な課題があるでしょうが、先に申した福音(救い)を喜び、感謝して受けながら、夫々に与えられた課題を喜んで担う者でありたいと願います。…”(No.978)
2024年 3月17日
多様な出会いを続けて
毎月第3主日は「日本伝道の推進を祈る日」です。全国の教区・教会・伝道所を覚えて祈りをあわせましょう。
・四国教区(香川県・徳島県・愛媛県・高知県)
“私たち四国教区高知分区青年部のメンバーで、2023年10月9日に、高知県の山間部にある梼原(ゆすはら)町を訪れました。…梼原礼拝は、須崎教会と愛媛県の近永教会が協力して行っている伝道礼拝です。毎月第2と第4日曜日の夕方に長く続けられてきましたが、最近新しい会堂が与えられたので…青年部で訪問することにしました。…郵便局であった建物が新会堂として与えられた! 参加した…青年たちは、この梼原の地に働いている神さまの大きな恵みとご計画を知り、皆一様に驚きました。…訪間を通して、教会の未来を担う青年たちに、それぞれの地域にある教会の働きを覚えてもらうことを願っています。…”
祈りの課題 四国伝道のために共に祈り連帯して仕える81の教会・伝道所、関係学校、施設の働きのために/丹原教会と伊予長浜教会のために。
・九州教区〔福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・大分県・宮崎県・鹿児島県〕
“九州教区の宣教協力部門は、主に3つの働きを通して多様な出会いを続けています。1つ目は在日大韓基督教会西南地方会との宣教協約の具体化です。…2つ目は、韓国基督教長老会群山(クンサン)老会との交流です。…3つ目がフィリピン教会との関わりです。…各教会が高齢化し、若者が少ないと言われる中、若者たちが孤立せず、さまざまな関わりを通してつながっていけるよう、地区や教区が出会いや学びの場を作り出していく。そんな働きを大事にしています。”
祈りの課題 地区・教区の働きを通して若者たちがつながり、キリストに結ばれていきますように。/フィリピン合同教会の働きを覚え、支えつつ、つながることができますように。/在日大韓基督教会との宣教協約締結40年を覚え、交わりが深められますように。(No.976)
2024年 3月10日
東日本大震災から13年
日本基督教団関東教区より、「2024年3月11日を迎えるにあたって」が届きました。
“「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録にそれが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。」(詩編56・9)。
「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」(コリント二1・4)
「東北教区3・11 わたしたちの祈り2024」より
主のみ名を賛美いたします。
2024年3月11日(月)は、「東日本大震災」発生から13年を迎える日です。13年前のこの日、わたしたちは根底からくつがえされるような出来事を経験しました。わたしたちはこのことを忘れることはできませんし、今もなお震災による苦しみや悲しみを携えて生きざるをえない方々がいらっしゃることを覚えたいと思います。
また、東京電力福島第一原子力発電所の事故は、神さまから託された世界を放射能によって汚しました。そして、原子力に頼る私たちの社会のあり方に、大きな問題があることを教えました。原発周辺の方々は避難を余儀なくされ、今もなお不安の中におかれています。
私たちは、今もなお痛みと悲しみ、大きな不安の中にある方々を覚えつつ、3月11日を迎えたいと思います。私たちの内で、3月11日の出来事を風化させることのないよう、むしろ思いを新たに迎える日としましょう。・・・
2月14日(水)に「灰の水曜日」を迎え、レントへと導かれました。
主の受難を思いつつ、主が人の苦難をその身におわれたことに、深く心を動かされたいと思います。そして、私たちも、苦難の中を歩む方々と共にありたいと願います。神さまの導きとお守りが皆さまの上にありますようお祈りいたします。”(No.975)
2024年 3月 3日
能登半島地震から2ヶ月
能登半島地震から3月1日で2ヶ月となります。
日本基督教団中部教区のホームページに、2月22日付「1月19日から1ヶ月の教会等被害状況とその対応(2月22日現在)」と2月29日付「2月23日輪島教会訪問奉仕」の記事が掲載されており、読みました。
会堂と牧師館の被害が特にひどい日本基督教団輪島教会のために、中部教区三役と現地委員合同会議(オンライン)が何度も行われています。教会が被災するとはどういうことか、考えさせられました。会堂は使えなくなり、牧師も教会員も被災しているところで、教会活動をどうするのか。地区、教区の課題として、共に考え、すべきこと、できることを探っておられます。発信してくださり、ありがたいです。
中部教区ホームページの記事からです。
”・輪島教会で礼拝可能となるまで、新藤教師が富来伝道所に一時的に避難し、礼拝は輪島と富来の合同礼拝を検討してゆく。
・輪島教会の宗教法人備付書類、役員会・総会議事録、会計帳簿などを 確認し、一時的保管場所を考える。
・輪島教会の会計処理を現地委員の代行を考える
・輪島教会の宗教法人関連書類の保全、再発行、罹災証明書や会堂共済の手続きのサポート。
・牧師館の建物診断を検討し、新藤教師に、土、日、月は富来伝道所に滞在。礼拝や教務と牧会ができる環境を整えていくことを提案する。
・輪島教会の会堂片付けを石川地区の有志で行う。
・(訪問者が)2階奥の居室では、倒れた棚を直し、床に散乱していた 90年代以前の古い資料、役員会記録等を濡れ痛まないように保護をした。また礼拝堂では、会堂内に落下の危険のある二階のガラス片を外し、長椅子をまとめ、聖餐卓と共にブルーシートで覆い、ベルトで仮固定。”
祈りと支援を続けましょう。(No.974)
2024年 2月25日
『混沌への光 現代に語りかける旧約聖書』
昨年6月から、左近淑著『『混沌への光 現代に語りかける旧約聖書』〔1975年出版〕を祈祷会で少しずつ読んでいます。左近先生はこの本の序文で旧約聖書をどう読むかを書いておられます。それは、まことに読者の心を打つものでした。
“旧約聖書は昔の書物である。・・・日本とはまったく異なる風土と文化の中で生まれた書物である。ものの考え方が違うし、感じ方が違う。だから分かりにくい。誰しもそう感じる。それはきわめて当然のことだ。・・・
しかし、過去の姿を理解することと、それを今日のものとして読むこととは別である。ここで試みているのは、今日をあえぎながら生きる現代人として、過去の書物である旧約聖書をどのようにして今日のものとして読むか、である。・・・
本書はいわば4年がかりで書きためた折り折りの聖句研究であって、特定の時代とあまりに深く密着していると思われるものもある。しかし旧約聖書の読み方については一貫したものがある。それはひと言でいえば、旧約聖書を崩壊期の思想として、同じように激動と破局の時の間を生きる現代人として読む、ということができるであろう。・・・
旧約聖書は全体として崩壊期の思想である。崩壊の時代〈の中で〉、真正面からそれ〈を〉取り上げ、それ〈について〉神学的に考え、時代を生き抜いてきたのが旧約聖書である、とわたしは思う。だから、これほどに身近にそして深く現代に向かって語っているものはない。・・・”
左近先生は、旧約聖書を自分の苦悩と切り離して読むことはなかったし、今日の引き裂かれるような現実に旧約聖書はどう答えてくれるのか問い続けた、と語っておられます。左近先生の説き明かしと時代への洞察の深さに、毎回驚かされています。出版から約50年後の現代、社会の苦悩はますます増しています。混沌へ、御言葉の光が照らされることを信じて、聖書を開きます。(No.973)
2024年 2月18日
次世代のために
毎月第3主日は「日本伝道の推進を祈る日」です。全国の教区・教会・伝道所を覚えて祈りをあわせましょう。
・東中国教区(岡山県・鳥取県)
“東中国教区の特徴の一つはキリスト教学校が無い…キリスト教学校の生徒が授業の一環として礼拝に出席するということがありません。それゆえに若年層には教会の側から常にアプローチするという状況に置かれており、どのように招くか、また受け入れるかがどの教会でも課題となっています。…長期にわたって若年層と関わり続けられる教師、人材の発掘、育成が重要だと思われます。…祈りのうちに覚えていただければ幸いです。”
祈りの課題 将来的に東中国宣教の4つの骨子の働きが守られるように。特に稼働し始めたオンラインサポートチームの働きと、「教会お訪ね隊」の働きが支えられるように。/教会強化特別資金運用特設委員会の働きが支えられるように。
・西中国教区(広島県・山口県・島根県)
“…2023年、わたし〔教区総会議長〕の呼びかけに応えて、8名が原告となり、山口県知事護国神社公務参拝違憲訴訟を提起しました。それは、毎年繰り返される知事等の山口県護国神社への公務参拝が憲法20条が規定する政教分離原則違反であり、信教の自由を侵害する行為であることを明らかにするためです。…
「伝道」と言いながら、人を得ることばかりを言う状況は要注意です。成功や所有の世界に囚われている現れだからです。子どもや若者についての話がすぐに「どうやって得ようか」になるのは、自己を肥大化させようとする集団と同質なのです。もっともそれを「思う」自由は保障されています…。しかしキリストの教会はこれから生まれる人々に希望を示すものでありたいと思います。”
祈りの課題 平和と自由と正義が実現し御国が到来するように。/一人が大切にされる世界となるように。/教会が、重荷を負う人が休める場となるように。(No.972)
2024年 2月11日
ヨハネ福音書の受難週をたどる
教会では、イースター(復活日)の前、日曜日を除く40日間を受難節(レント)と呼んで、私たちを罪の支配から解放するために十字架への道を歩まれた主イエス・キリストの救いの業を思いつつ、この時を過ごします。特にその最後の一週間を受難週と呼んで、主イエスのこの地上での最後の一週間と重ね合わせて、特別な集会を持つ教会も数多くあります。
ガリラヤで神の国の福音を宣べ伝えられた主イエスは、父なる神に従い、ガリラヤを出発し、イースターの一週間前の日曜日(「棕梠(しゅろ)の主日」と呼びます)に、エルサレムの町に入られます(「エルサレム入城」と呼ばれます)。主イエスは、昼は神殿で人々を教え、夜はエルサレムの隣にあるオリーブ山で過ごす日々を送り、木曜日の夜に、過越祭の食事を弟子たちとなさいます。これがいわゆる「最後の晩餐」と呼ばれるものです。主イエスは主の食卓(聖餐)を制定されました。その後、主イエスは弟子たちと園に行かれ、イスカリオテのユダに率いられたユダヤ人たちに捕らえられ、大祭司の裁判と、ローマ総督ピラトの裁判を受けて十字架刑の判決を受け、金曜日の朝に十字架につけられて殺されます。金曜日の夕方に墓に葬られた主イエスは、三日目の日曜日の朝に復活されたのです。
レントからイースター、その後数回は、主日礼拝では、ヨハネ福音書が伝える受難週と主イエス復活の出来事をたどりたいと思います。(そのため本日は、日本基督教団信仰告白による説教としました。本日で前半部分が終わり、次からは後半の「使徒信条」の説教を始めます)。
ヨハネ福音書は、マタイ、マルコ、ルカ福音書とは異なる仕方で主イエスの生涯と言葉を語っています。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」(ヨハネ20・31)。主イエスの名による命をいただくことができますように。(No.971)
2024年 2月 4日
教会総会のために祈りを
来週の午前の礼拝の後に、今年度第2回の教会総会が開催され、役員の改選があります。コロナの前のように、総会中に2回の投票によって役員が選出されます。祈って備えましょう。
選挙によって役員を選びます。それは、主の召命によって選ばれたということです。教会の主に選ばれ、召されたのです。選挙という形をとって主の御心が示されるのです。ですから、その結果を主の選びと召しとして受けとめ、受け入れます。主がお召しになられたのです。主が必要なことは必ず与えてくださいます。
役員は仕える者です。神とその御言葉に仕えます。主の教会に仕え、牧師に仕え、教会を通して世界に仕えます。自分の考えで仕えるのではありません。日本基督教団信仰告白があり、教憲および教規に基づき、仕えます。そうして、教会の一致、純潔、平和、発展のために祈り、このために努めます。
役員だから常に正しく完全ではありません。むしろ進んで主の御前に罪を悔い改めます。自分の弱さ、至らなさ、怠惰、過ちを認めます。主の正しさを祈り求めます。そうであってこそ、御心を正しく聴き取ることができます。「自分は知識もあり地位もあり信仰の経験も豊かだから、役員に選ばれる資格がある」と思うなら、その人こそ、失格と言うほかはありません。役員は何よりも、主の御言葉を聴くのです。「主よ、お話ください。僕は聞いております」(サムエル上3・9)。
至らない者を、主は役員に選び、教会役員会という会議の一員となさいます。ご自身のご用のためにお用いになります。その御業を、自分に与えられた恵みとして受け入れます。主の器、道具として自分をささげます。地位も、教養や知識も問題ではなく、年齢や性別、国籍も関係ありません。主はお用いになります。それを信じ、受け入れて、仕える志を立てます。主に用いていただけるのは幸いです。光栄なことです。(参考「教会役員ハンドブック」)(No.970)
2024年1月28日
武蔵豊岡教会との出会いを喜ぶ
先週の1月21日に、今年度の埼玉地区講壇交換礼拝を実施しました。当教会の礼拝に武蔵豊岡教会の栗原清牧師がいらして、司式と説教のご奉仕をしてくださいました。栗原先生は、礼拝後、交励会に出席してくださいました。お互いの教会を思い、祈り合う幸いな日となりました。
私は、電車で移動し、西武池袋線入間市駅で下車、徒歩約7、8分で武蔵豊岡教会に到着しました。武蔵豊岡教会堂は、駅から近く、国道16号に面して、遠くからもすぐ分かり、入りやすい会堂です。けれども初めからそうではありませんでした。国道16号の拡幅計画、入間市駅北口の土地区画整理の計画が説明され、行政と交渉をしつつ、武蔵豊岡教会は忍耐強く教会の会議を重ねて、ヴォーリス設計の歴史ある礼拝堂を曳家し、回転し、修復し、付属棟の新築をするという決断をされました。2014年に献堂式が行われました。新会堂が献堂された頃に地区の活動で、武蔵豊岡教会に行く機会がありましたが、国道の拡幅工事が始まろうとしている頃でした。今回はずいぶん久しぶりの訪問で、すっかり様子が変わって驚き、教会の境内地が美しく整備されているのに感心しました。玄関の近くに「入間市景観50選 ⑤」の案内板があり、地元の人々に親しまれていることが分かりました。
武蔵豊岡教会の週報には、教会創立「1889年7月2日」と明記されています。今年135周年、日本のプロテスタント教会としても埼玉地区でも、歴史と伝統のある教会です。礼拝後、教会役員のお二人と会食の時に、役員のKさんに、週報に教会創立記念日が書かれていることを質問しましたら、その日は石川金右衛門が受洗した日で、Kさんはその5代目の子孫とのことで、思いがけない答えにびっくりしました。金右衛門の息子が東京・築地のメソジスト教会で救われて、故郷の家族に伝道し、父の受洗に至ったそうです。その日を武蔵豊岡教会の創立記念日として定めたとのこと。大変興味深く聴きました。(No.969)
2024年1月21日
「つながり」を大切に
毎月第3主日は「日本伝道の推進を祈る日」です。全国の教区・教会・伝道所を覚えて祈りを合わせましょう。
・大阪教区(大阪府・奈良県・和歌山県)
“大阪教区北摂地区に立つ高槻日吉台教会は、2020年10月から月に1度の夕礼拝を始めました。…せっかく集まるのであれば一緒に食事をしたい。そう祈っていたところ、教会員が食事の差し入れを申し出てくれました。夕礼拝後…黙食をし、その後マスクを着用して時間のゆるす限り語り合う時を持つことにしました。…集うことの危機の時代に、新たな集いが生み出されたことは、神さまが起こしてくださった奇跡です。…この恵みを…大切に育んでいきたいと思います。”
祈りの課題
・青年をはじめ、すべての求道者、信徒、教師の信仰生活が、主の守りの内に互いを尊重し、喜び合う歩みとなりますように。
・10年目を迎えた韓国基督教長老会京畿南老会との交流が、より豊かなものとなりますように。
・兵庫教区(兵庫県)
“兵庫教区では、教育部に属す形で「青年活動」があり、主に若手の教師と信徒が委貝を担っています。…委員以外の参加者を得るのにいつも苦労していますが、現在はZoomを併用した対面の集会を企画したり、各教会・伝道所に行って集まる機会を得られないかと計画しているところです。
地域によって若い信徒の数にばらつきがある兵庫教区ですが、だからこそ青年活動では「出会い」「つながる」ことを大切にしたいと考えています。特に、人口が集中している阪神・神戸沿線ばかりを拠点にして活動するのではなく、播州や但馬など教区内のさまざまな教会・伝道所を会場にお借りして、互いに出会いながら活動ができたらいいねと話し合っています。”
祈りの課題
・教会・伝道所、関係学校、団体、施設の「出会い」と「つながり」が豊かになり、楽しい教区になるように。
・個々の現場の困難や課題に、互いが想像力を持って支え合えるように。(No.968)
2024年1月14日
埼玉地区の交わりを感謝して
“2024年1月8日(月)10時30分より埼玉地区最寄り1区新年合同礼拝が大宮教会で行われました。
最初は子どもへの説教として安行教会の田中かおる牧師により「見失った羊」と題して、ご自身の子ども時代に迷子になった経験をもとに、迷子の羊のお話をしていただきました。
次に、大宮教会の熊江秀一牧師により、「まことのぶどうの木につながって」と題して、葡萄農家のお話を交えて説教をしていただきました。
新成人と昨年に受洗した方々のために、上尾使徒教会の武井アイ子牧師により祝祷が行われ、埼玉新生教会の平澤昇牧師により聖餐式が行われました。
参加は23教会92名でした。
礼拝後は、大宮教会員有志の方によりカレーの昼食がふるまわれ、新年に相応しく和やかな時間を過ごすことができました。
今回は、ビデオ撮影と録音の両方をとりました。ぜひご覧、またはお聞き下さい。”(埼玉地区ホームページより)
“埼玉地区では毎年1月・成人の日に埼玉地区新年合同礼拝を開催していますが、同時にこの日を「埼玉地区デー」と定め、特に地区の一致と連帯を推進する日と考えています。この「埼玉地区デー」を中心に、地区諸教会・伝道所による講壇交換礼拝も行われます。”(埼玉地区委員会より)
埼玉地区の活動とその一致と連帯を覚えて、「地区デー」献金のお願いがあります。西川口教会も「地区デー献金」をお献げしました。
今年度、西川口教会は入間市にある武蔵豊岡教会と講壇交換礼拝を実施します。栗原清牧師から武蔵豊岡教会の本日の週報のデータが送られてきました。報告と案内欄に“地区デー講壇交換は次週、西川口教会の金田佐久子牧師と行います。祈りつつ礼拝に出席下さい。埼玉地区
58 教会・伝道所の主にある交わりを行いましょう。”とありました。感謝いたします。(No.967)
2024年1月7日
能登半島地震~中部教区のホームページから
1月1日午後4時10分頃、スマホが緊急地震速報でブーブーと鳴りました。能登半島を中心に、最大震度7の地震が発生しました。多くの被害が報告されています。心が痛みます。日本基督教団関係では、中部教区のホームページから現状の報告がされています。共に祈りを合わせます。
“2024能登半島地震 教会等被害状況(1月3日10時現在)
現在、中部教区では、原則的に教区が定めた災害マニュアルに従って対応を進めています。被災地への連絡等は控えて、被災された方々への配慮をお願いします。特に輪島の被害が甚大です。輪島教会の新藤豪牧師はじめ教会の方々のためにお祈りください。また、能登半島へ向かう道路は、所々で寸断され、金沢から輪島まで、通常2時間くらいの所、10時間もかかったという情報があります。また、震度5強程度の余震も続いています。現時点で現地へ行くことは、緊急車両や災害救助に迷惑をかけることにもなるので、お控えください。
七尾、羽咋、恵泉のいずれの教会も電気は通っていますが断水が続いています。
ただ、七尾、恵泉は敷地内に井戸水があり、それをトイレなどに使っているとのことです。
被災された方々を覚えてお祈りください。
中部教区議長 加藤幹夫
*輪島教会牧師 新藤豪先生より
道路に亀裂が入り、寸断されているために、物資等が届いていません。…教会員全員の無事が確認。自宅にいる人はほとんどおらずに、それぞれの避難所に避難。…次週の礼拝は、一部破損しているが牧師館でできるように準備したい…。
*七尾教会 釜土達雄先生より
…2007年の能登半島地震の時に、七尾教会の会堂は建て直していただきました。それがため、地域の方々に奉仕をすることが出来ています。本当に感謝しております。…”(No.966)