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週報短文

バックナンバー 2022年


2022年12月25日

「マグニフィカート」

 クリスマスおめでとうございます! 救い主イエス・キリストのお誕生を心から喜びます。
 アドベントの日々、日本FEBCの番組(マルティン・ルターの『キリスト者の自由』)に導かれて、イエスの母とされたマリアの信仰を思いめぐらすひと時がありました。
 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。…」(ルカ1・47~48)。
 ルカによる福音書第1章47節以下のマリアの歌は「マグニフィカート」と呼ばれています。
 ルターは「キリスト者の自由」を書いた後すぐに、この「マグニフィカート」に関する執筆に取りかかったようですが、それは、ルターがカトリック教会から破門された1521年1月頃のことでした。中世ヨーロッパでは教会から破門されるとは、社会的にも政治的にも葬り去られることでした。ルターは福音の真理に立って発言し行動したために、ある意味ヨーロッパ全体が自分に反対し、明日をも知れぬ我が身という状況となりました。しかし、書物はそのような激動を感じさせない淡々とした文章で、そのような状況であったからこそ、自分が小さくなり、「私の魂は主を『大きくします』(「あがめる」の原意)」というマリアの歌に合わせて、ルターも歌ったのだというのです。
 “…取るに足りない小さな自分に素直になる。こんな私にも神様の愛の眼差しが止まって神様に受け入れられているのだから、私もこの私自身を受け入れて普通の私の生活をすることができる。そういう事なのだろうと思います。マリアは、革命の歌を歌ったわけではない。この世界を支配なさる神様のみ手に、確かな望みを置いて今日を生かされている、ありのままの私の小さな一日を一生懸命生きる。その私を神様が見ていてくださる。これがマリアのくれたクリスマスのメッセージだと思います。…”(月刊誌「FEBC1566」2022年12月号より) (No.912)


2022年12月18日

一人を、小さな教会を大切に

 毎月第3主日は日本基督教団の定めた「日本伝道推進を祈る日」です。全17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ紹介します。
西中国教区〔広島、島根、山口〕
 
“…「朝鮮学校を支援する山口県ネットワーク」〔山口県が山口朝鮮初中級学校への補助金を2013年度に停止して以来、毎月その復活を要請〕…は…Uさん〔下関西教会員〕を代表として今日に至っています。西中国教区も教区総会で取り組みを決議し、構成団体の1つとなりました。ネットワークには、思想・信教・党派を超えて諸団体が連なります…和解のために、人と人とをつなぐのに必要なことは、鋭敏な人権理解です。そしてその源泉としての聖書があります。…”
祈りの課題 ・平和と自由と正義が実現し御国が到来するように。
      ・一人が大切にされる世界となるように。
      ・教会が、重荷を負う人が休める場となるように。
四国教区〔香川・徳島・愛媛・高知〕
 “四国は、日本で最も早いスピードで人口減少と少子高齢化が進んでいる地域です。その中にあっても、82教会・伝道所(活動休止を除く)が、それぞれの地で伝道の歩みを進めています。「一定地域の伝道の責任は教区全体のもの」(自立連帯献金推進委員会より)との姿勢を大切にし、伝道の拠点である1つ1つの教会を教区として支えていきたいと願います。…西条教会は今年で創立138年になります。…一人ひとりの持ち味を生かし、互いに祈り合いながら、地域にある教会、幼稚園として宣教の働きを担っています。松山城北教会は…現在の礼拝出席者は7名ほどで、教区の互助に支えられ毎週の礼拝を続けています。…区画整理により、新しい会堂を建てる道が開けてきました。…希望を抱いて歩んでいます。…〟
祈りの課題 ・少子高齢化や人口減少が急激に進む四国において伝道に取り組む教区の各教会・伝道所、また関係学校・施設のために。
      ・西条教会と松山城北教会のために。
 (No.911)


2022年12月11日

人間関係の哲学と社会性
~「寄り添う」&「対話」&「共存」~

 教会の集会室をお借りして活動している川口がん哲学カフェ「いずみ」は、早いもので、来年1月14日に開所6周年記念講演会を予定しております。講師は、皆様ご存知の樋野興夫先生(新渡戸稲造記念センター長。順天堂大学名誉教授。順天堂大学医学部、病理・腫瘍学客員教授。一般社団法人がん哲学外来名誉理事長。恵泉女学園理事長)。講演題は“人間関係の哲学と社会性 ~「寄り添う」&「対話」&「共存」~”でお願いしました。講演会は礼拝堂でいたしますが、コロナ対応のため定員30人とさせていただきます。
 2022年の川口がん哲学カフェ「いずみ」の活動を振り返ってみます。毎年1月の記念講演会から始まります。近隣教会に講演会のチラシを郵送していますが、それを見て講演会やがん哲学カフェやオンラインカフェに参加してくださった方が数名おられました。近隣教会の先生方のご協力には感謝でいっぱいです。2月から月に1度、集会室での対面のカフェを7回と、オンラインカフェを4回開催しました。対面にもオンラインにも、社団法人がん哲学外来のホームページから「いずみ」を見つけて、来てくださった方もありました。参加者のお知り合いの方も来てくださいました。こうして今年もたくさんの新しい出会いがありました。2時間のがん哲学カフェでは、樋野興夫先生の言葉の処方箋を紹介し、参加者の皆様の言葉に耳を傾けます。がんを告知されたときの思い、ご家族に対するお気持ちなど語られ、時には涙ながらにお話される方もありました。その次のカフェには明るい表情になられた方もあり、言葉の癒しの力にこちらが驚き、また励まされました。
 今年の講演会と対面カフェとオンラインカフェに参加してくださった方(がんサバイバー)が、ご自分の教会でもがん哲学カフェを立ち上げたいと願いを起こされ、教会に相談し、理解を得られ、来年の開所を目指していると連絡があり、これも大きな喜びでありました。(No.910)


2022年12月 4日

私たちを解き放つ「主の祈り」


 先週の説教で紹介した、主の祈りを見つめ直す、平野克己先生の著書から引用します。
“…主の祈りは実に祈りにくい祈りです。祈りの言葉のひとつひとつがわたしたちの生き方にぶつかってくるからです。…主の祈りが次のような祈りであったら、もっとなじみやすかったでしょう(「主の祈り」の言葉と比べてみてください)。

そばにいてくださるわたしの神よ
  (天にまします我らの父よ)
わたしの名を覚えてください
  (み名をあがめさせたまえ)
わたしの縄張りが大きくなりますように
  (み国を来らせたまえ)
わたしの願いが実現しますように
  (みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ)
わたしに一生糧を与えてください
  (我らの日用の糧を、今日も与えたまえ)
わたしに罪を犯す者をあなたが罰し、わたしの正しさを認めてください
  (我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ)
わたしが誘惑にあって悪におぼれても、わたしだけは見逃してください
  (我らをこころみにあわせず悪より救い出したまえ)
国と力と栄えとは、限りなくわたしのものであるべきだからです
  (国とちからと栄えとは限りなくなんじのものなればなり)
アーメン

…主の祈りは、生まれついてのわたしたちの心の傾きに逆らいながら、わたしたちにある特別な生き方を願ってくるのです。主の祈りは、「祈り」と称して、自分のゆがんだ心の中にある思いを繰り返しながら、小さな生き方の中に籠城して出てこようとしないわたしたちを癒し、解放する祈りです。…”(「主の祈り イエスと歩む旅」より)。(No.909)

2022年11月27日

目を覚まして待つ

 今日から待降節(アドベント。12月24日まで)に入りました。数年に一度巡ってきますが、今年は降誕日の12月25日が日曜日となり、クリスマス礼拝・夕拝をこの日にささげます(いつもはアドベント第4主日がクリスマス礼拝になる)。今年のイブ礼拝は12月24日(土)の18時からです。翌日のためにイブ礼拝は開始時間を早めました。どうぞご留意ください。
 アドベントの期間、主日礼拝では、主の祈りの説教を続けることにしました。
 “いったいわたしたちは一生のあいだに、何千回、何万回、主の祈りを祈ることになるのでしょう。けれども、やがて主の祈りを祈らなくてもよくなる日が来ます。それはわたしたちの主人であるイエス・キリストが、再びはっきりと目に見える姿でこの世を訪ねてくださる日です。その日には、主の祈りを通して祈ることすべてが実現するでしょう。その日には、全世界で神の名があがめられ、神の愛の支配が行き渡り、神のご意志が地上において完全に行われるでしょう。しかし、今はまだ「その日」を待つ旅を続けなければなりません。だからわたしたちは、長い旅に疲れて眠り込むことのないように、主の祈りの最後で声を合わせて叫ぶのです。「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり!」”(平野克己著「主の祈り イエスと歩む旅」より)。 
 アドベントは、主の再臨の「その日」をいっそう深く待ち望んで生きる期間です。主の祈りを祈りながら、目を覚ましていましょう。
 もう一つ。2023年の教会の御言葉を祈り求めて、使徒言行録第18章9~10節に決めました。長いので一部ですが「恐れるな。語り続けよ。…わたしがあなたと共にいる。…この町には、わたしの民が大勢いる…」。使徒パウロに臨んだ主の言葉です。主イエスが再び来られるまで、教会は礼拝し、伝道します。私たちも恐れず大胆に「イエスは主である。イエスはキリストである」と福音を語り、キリストの証人とされますように。(No.908)

2022年11月20日

喜びと希望をもって

 毎月第3主日は日本基督教団の定めた「日本伝道推進を祈る日」です。全17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ紹介します。
西東京教区〔中野区、杉並区、多摩地域〕
 
“…コロナ禍になってから実施した、教区「礼拝宣教研究室」による2回のアンケートでは、多くの教会・伝道所がさまざまな新しい工夫をして福音伝道にまい進している姿が明らかになりました。…この激しい変化の時にも私たちは、「この町には、わたしの民が大勢いる」(使徒 18・10)との約束を新しく聞き直して、希望を持って伝道に励んでいます。また、多摩地域は「東アジア地域で最も大学が密集している地域」と言われ、70校に近い大学に、20万人を超える学生がいます。…青年伝道の働きのためにもいよいよ祈りの霊が豊かに注がれるよう祈ります。”
祈りの課題 ・西東京教区開拓伝道の前進のために。
      ・伝道・財政の厳しい状況にある諸教会・伝道所のために。
東中国教区〔岡山・鳥取県〕
 “…東中国教区の教会数は休止中の伝道所を除いて46教会。うち礼拝出席20名以下の教会が33教会。10名以下に限っても 19教会という、小規模教会が多数を占める教区となっています。…しかし、どれほど小さくともそこに教会があり、礼拝する群れが存在しているということは教区にとってかけがえのない資産です。…〔教区総会でなされた教会強化特別資金運用規程の〕改定を通して、小さな群れであっても喜びと希望をもって礼拝がささげ続けられるように願っていますし、そのために教区も資金面からサポートしたいと思っています。…東中国教区の教会が今後とも宣教の大事な拠点として活動し続けることができるようにと願っています。”
祈りの課題 ・共に祈り支え合う教会となるように。
      ・協働することによって得られる喜びや平安を地域に伝えることのできる群れとなれるように。(No.907)

2022年11月13日

第10回日光オリーブの里アシュラム

 10月27日・28日、近江八幡のアシュラムセンター主催による第10回日光オリーブの里アシュラムに参加しました。葬儀のために2日め朝食までの参加でしたが、再会と新しい出会いの喜びがあり、御言葉に聴くとき、ファミリー(小グループ)の交わりも感謝なときでした。各地から(新潟、埼玉、東京、栃木、千葉、静岡、滋賀)16人が集まり、アシュラムセンター主幹牧師の榎本恵先生のご指導で進められました。主題聖句は、「全能者である神、主よ。あなたの業は偉大で、驚くべきもの」(ヨハネの黙示録15・3)。
 オリエンテーションでは、現代の終末の様相が示されました。世界はコロナという疫病に悩まされ、ウクライナはじめ各地に戦争があり、争いがあります。豪雨や地震など天変地異に襲われ、それによる洪水や干ばつの被害もあります。政治においても経済においても混乱が続いて、なかなか打開の道もないようです。さらに安部元首相狙撃事件をきっかけに、旧統一教会が、政治の深部にまで浸透していたという恐るべきことが発覚しています。世の終わりは近いと言えるでしょう。
 ヨハネの黙示録はパトモスに幽閉されたヨハネの見た幻でした。まさに世の終わりの切迫感と、今にも主の再臨の時が近いという待望の中で語られたのがこの預言の書です。
 「私たちは、その時が来ると信じて生きるのか、その時は来ないと信じ生きるのか、それによって今日を生きる生き方が変わってくる」と榎本先生から問いかけがありました。「その時がいつ起こるかではなく、何が起こるかでもなく、その時を前にし、どう生きるのかが問われるのです」とも。全くその通りと同意しました。そのために、御言葉を素直に聞き、御言葉に立つことです。
 アシュラムセンターでは、現在、毎朝の早天祈祷会を、対面とオンラインで行っているのですが、10月28日は、私が奉仕するこのオリーブの里アシュラムでの早天祈祷会を配信してくださり、畏れ多く、光栄なことでした。(No.906)

2022年11月6日

「わたしにつながっていなさい」

 S兄が10月27日、神のみもとに召されました。48歳の若さでした。
 Sさんは生後約3ヶ月で幼児洗礼を受け、小学6年生の時に信仰告白をされました。いろいろなご事情から教会生活を送ることが難しかったと思います。そんな中でも数年前、主日礼拝に続けて来られるようになりました。そのお兄様の信仰に燃やされた姿を見て、2人の妹さんが主日礼拝に続けて来られるようになり、信仰告白をする決断ができました。お2人とも幼児洗礼を受けていたからです。お仕事もあり、小さいお子さんがおられるので、平日に教会堂に来ることも、日曜日の礼拝の前後に時間を取ることもできません。私が平日の夕方に出かけて行って準備会を持つことにしました。お兄様のご自宅に皆が集まり、秋から冬にかけて隔週で信仰告白準備会を行いました。ご家族のために時間と場所を提供し、学びをご一緒したSさんの優しさを感じました。
 10月30日の出棺の祈りでは、ヨハネ福音書第15章の主イエス・キリストの言葉を共に聴きました。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。…わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」(ヨハネ15・4~5)。私たちはどうしたらキリストとつながることができるのでしょう。私たちはどこで神とお出会いできるのでしょう。森有正先生のお言葉を紹介しました。「…人にも言えず、親にも言えず、先生にも言えず、自分だけで悩んでいる、また恥じている、そこでしか人間は神様に会うことはできない」。私たち一人ひとりの最も弱いところを神は御存じであり、弱さによって私たちはキリストとつながるのではないでしょうか。キリストと私たちのつながりは、死によっても決して断たれることはありません。死で終わらない、復活のいのちの希望があります。(No.905)

2022年10月30日

「キリスト者の自由」

 10月31日は宗教改革記念日です。
 今から約500年前の1517年10月31日、修道士マルティン・ルターは、贖宥券(免罪符)に対するルター自身の見解「95ヶ条の提題」を、当時の大学の習慣に従い、ヴイッテンベルクの城教会の扉に掲示したと言われています。このことがきっかけとなり、やがてプロテスタント教会が生まれました。
 私はキリスト教放送日本FEBCの番組をインターネットでよく聴いていますが、この10月から、新しくマルティン・ルターの「キリスト者の自由」が始まって、第1回目の放送を興味深く聞きました(1993年4月からの番組の再放送)。徳善義和先生(日本福音ルーテル教会牧師、日本ルーテル神学校名誉教授)が解説されていますが、その解説はとても情熱が溢れていて、こちらまで心が燃やされるようです。
 「キリスト者の自由」が書かれたのは1520年。出だしが「イエス」となっていること、この頃のルターの著作には、「イエス」という題字が多いことを知りました。そこにルターの祈りが込められていること、ルターがしようとしていることの中心はイエス・キリストであること、イエス・キリストの御名によって、イエスの助けをいただいて、この本を書いていくのだ、イエスの十字架と復活による救いが、今日のわたしをあらしめている、信仰者一人ひとりも教会もこのイエスの御名によって命を生かされていかなければならないという祈りである、と語られました。本文は硬い文章だけれども、ルターの祈りとして読むことができると語られ、なるほどと思いました。
 「キリスト者の自由」に冒頭にある有名な二つの命題を、宗教改革記念日を前に、かみしめたいと思います。
“キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服しない。
 キリスト者はすべてのものに仕える(ことのできる)僕であって、だれにでも服する。”(No.904)

2022年10月23日

空の上から自分を見る視点

 約1ヶ月前ですが9月23日(秋分の日)、21世紀のエステル会〔以下、エステル会〕の「第5回シンポジウム『教会でもがん哲学外来カフェを始めてみたら~ 寄り添い・つながり・ともに歩むために ~』」が、日本基督教団白鷺教会において開催されました(オンライン併用。出席者30人)。エステル会は、教会を会場にしているがん哲学カフェを運営している方々やカフェを始めたい方々のために、年に1度シンポジウムを開催して、お互いが出会う場、分かち合う場を提供しています。
 今回のシンポジウムについて、エステル会顧問の樋野興夫先生(一般社団法人がん哲学外来名誉理事長、恵泉女学園理事長、順天堂大学名誉教授、新渡戸稲造記念センター長)がご自身のブログに書いてくださいました。紹介いたします。
 “筆者〔樋野先生〕は総括の機会が与えられた。…また、筆者は、『エステル会のモットー、基本理念』をさりげなく語った。
モットー (1)「暇げな風貌」の中に、「偉大なるお節介」を有する「胆力と気概」の習得。 (2)体験を踏まえつつ、空の上から自分を見る視点を持った「当事者研究」の推進。 (3)言葉の大切さ、重み、対話のあり方を学ぶ「次世代のがん相談者」の育成
基本理念 「救済の客体から解放の主体へ」であり、「隣人(病者)を客体化」するのではなく、「暇げな風貌」と「偉大なるお節介」で、自ら「主体的に隣人となる」支え合いの精神に基づいた活動を深める。
早速、「エステル会のモットー、基本理念をありがとうございました。こちらを肝に銘じて、チャウチャウ犬のように散歩しつつ宇宙人のように、空の上から自分を見る視点を大切にしていきたいと思います」とのユーモア溢れる心温まるメールを頂いた。 大変有意義な貴重な『21世紀のエステル会 5周年記念シンポジウム』であった。”
 樋野先生のお言葉を心に留めて、地域への奉仕としてがん哲学カフェを続けていきます。(No.903)

2022年10月16日

伝道・財政が厳しい中で

 毎月第3主日は日本基督教団の定めた「日本伝道推進を祈る日」です。全17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ紹介します。
中部教区〔富山・石川・福井・愛知・岐阜・三重県〕
 “富山県にある福野伝道所、福光教会はどちらも100年ほど前、カナダメソジストのトウイーデ教育宣教師による幼稚園の働きを通して建てられた教会です。教会のある富山県西部は浄土真宗の教えや文化が今でも根強い地域です。宣教が始まった当時、キリスト教は耶蘇(やそ)教と呼ばれ、忌み嫌われていました。…そのような環境の中で礼拝を捧げ続け、人々を招く伝道の働きがどれほど厳しいものであったか。幼稚園の子どもたちを通してイエスさまの愛が広がり、教会は生み出されていきました。…
 福野伝道所、福光教会は共に小さな群れですが、皆がこの地の救いのために祈り、その身を献げています。幼稚園の卒園生や保護者がさらに教会につながることを切に祈っています。福野伝道所は現在、会堂建築を計画しています。…”
祈りの課題 ・伝道・財政が厳しい中で、御業に励んでいる教会・伝道所のために。
・中部教区の互助制度が整えられるために。
兵庫教区〔兵庫県〕
 “兵庫教区には111の教会・伝道所があります。その多くが厳しい財政状況にありますが、各地の福音宣教を担っている教会・伝道所、信徒・教師の働きを、教区全体で担っていくための様々な互助制度があります。…その財源は、負担金からの繰り入れ、教師同士が献げ合う献金、信徒の献金を中心とする協助会献金とクリスマス献金等です。…主な互助制度の年間約3500万円にも及ぶ財源のほとんどは信徒の皆さんの熱い祈りと献身のしるしとしての献金です。…”
祈りの課題 ・それぞれの地での宣教を、祈り合い、支え合い共に担っていけるように。
・社会にあって主にある平和の実現のために具体的に働くことができるように。(No.902)

2022年10月 9日

神学校日を覚えて

 10月第2主日は日本基督教団行事暦で、神学校日・伝道献身者奨励日です。日本基督教団が教師の養成を委ねている神学校は次の通りです。
①東京神学大学(東京都三鷹市) 
②関西学院大学神学部(兵庫県西宮市)
③東京聖書学校(埼玉県吉川市)
④同志社大学神学部(京都市)
⑤日本聖書神学校(東京都新宿区)
⑥農村伝道神学校(東京都町田市)
 日本基督教団教師委員会発行の神学校日のポスターが掲示されていますので、ご覧になってください。今年のポスターには「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」(イザヤ6・8)と、預言者イザヤの言葉が記されています。
 使徒パウロの言葉も思い出されます。「宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。…」(ローマ 10・14~15)。
 西川口教会と最も関わりが深い神学校は東京聖書学校です。毎月、東京聖書学校後援会に献金を献げています。
 初代牧師の横山義孝先生ご夫妻は、西川口教会を辞任し東京聖書学校の舎監として長くご奉仕されました(当時、校舎は東京都東久留米市にあった)。西川口教会出身の献身者の先生方の多くが、東京聖書学校に学び、各地に遣わされています。1990年4月に香港JCFから西川口教会に着任された島隆三先生は、東京聖書学校で教鞭をとられ、西川口教会に在任中、東京聖書学校の校長に就任し、長くご奉仕されました。現在も引き続き、神学教師として教えておられます。他に、当教会の献身者のお一人、横山基生先生も東京聖書学校の教授です。東京聖書学校吉川教会の担任教師で、現在の舎監の原田のぞみ先生も、当教会の献身者です。
教師を養成する神学校の尊い働きを支えるのは、教師を迎える教会の務めです。神学校に献身者が与えられ、主の祝福が豊かにありますように。(No.901)

2022年10月 2日

聖餐の恵みを新たに(3)

 “…教会が教会となるための二つのしるしは、「説教」と「聖礼典」〔洗礼と聖餐〕であるとさきにのべました。聖餐が正しく行われるか否かは、教会の生き死ににかかわる重要な問題です。そこまでつきつめて考える人が少なかったため、日本の教会は嵐の中で沈没せざるを得なかった、そう考えてよいと思います。…
 聖礼典とは神さまがこの鈍感な私たちに、わかりやすく、目に見えるように示してくださったありがたい恵みです。洗礼を受けて「ああ、ゆるされたんだなあ」と実感する。それは主体的体験であるとともに、代々の教会に伝えられた客観的な恩寵体験です。それは恵みの事実としてこの鈍い私たちの中にもちこまれます。
 聖餐もおなじです。パンとぶどう酒を味わう行為をとおし、かたじけなさに涙こぼるる思いをします。どうしてこのどし難い罪びとがゆるされているのだろう。なぜ恵みは、かくも豊かに注がれているのだろう。恵みの客観的事実は、一片のパンとひとしずくのぶどう酒により、鮮明に私たちにしみこみます。信仰はとかくひとりよがり、ひとり合点に陥りやすいのです。感情的高揚をもって信仰熱心と見誤る場合もあります。それがこわい。私たちは感情的高揚と信仰を区別しなければなりません。
 神の恵みは私たちの気分によって濃くあったり薄くあったりするのでなく、厳然たる〈事実〉としていまここにある。聖餐は人の感情操作をはねかえし、おしもどし、事実をもってだけ恵みを伝えてくれるのです。
 聖餐のもとにおける共同体。この認識は確かでしょうか。それがはっきりしないばかりに教会が教会とならぬ例をたくさんみてきました。ほかならぬわが静岡草深教会もかつてその一つでした。”(『教会生活の処方箋』(辻宣道著)、第4章「聖餐における共同体」より引用)
 本日は世界聖餐日・世界宣教の日です。聖餐の恵みを新たにさせていただきましょう。(No.900)

2022年 9月25日

聖餐の恵みを新たに(2)

“…では聖餐が私たちにもたらす恵みはなんでしょう。…
 第三、これは大切なことですが、聖餐によって〈真実の交わり〉を味わいます。私たちの交わりは聖餐を共にする交わり以外になく、他にその根拠を求めることはできません。
 もし交わりを人間的、人為的につくろうとすれば、それは〈教会の交わり〉でなくなります。どこまでもパンとぶどう酒をみつめつつ、「キリストにゆるされた私たち」「キリストに贖われる私たち」という認識のもとに交わりを成り立たせる。それが聖餐による教会の交わりです。
 聖餐を重んじない立場のひともいます。…しかし私たちはそこには教会はつくれまいという批判はもちます。…
 …教会は牧師が交替しても説教と聖礼典により存在します。人間を中心にして成り立つ交わりと、御言葉とみたま〔聖霊〕を中心にして成るそれとの違いがそこにあります。
 もし教会の中に聖餐によらぬ交わりが幅をきかすなら、教会は人間の感情と思惑だけで離合集散をくりかえす〈聖書研究趣味の会〉になってしまうでしょう。それは教会ではありません。
 パンとぶどう酒をまえに、「これはあなたがたのために…」と告げられることばに襟を正す私たちです。そこでおおわれる人間の罪と恥の深さを、しみじみかみしめる私たちです。
 パンとぶどう酒をまえに、ともに悔い改めることができるので、また新しい出発も可能となります。それが教会の教会たるゆえんです。そこをはずしてどこに教会がありましょう。
 教会は〈聖餐を守るひとたち〉によってつくられます。聖餐を軽んずるひとはその形成に責任をおわぬひとですから、教会を構成する主要な人員にかぞえてはなりません。現住陪餐会員という名称の重さはそこからきます。…”(続きは後日)
(『教会生活の処方箋』(辻宣道著)、第4章「聖餐における共同体」より引用)(No.899)

2022年 9月18日

共に分かち合う

 毎月第3主日は日本基督教団の定めた「日本伝道推進を祈る日」です。全17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ紹介します。
神奈川教区〔神奈川県〕
“今回は、本教区で路上生活者支援を行うセンターと教会についてご紹介します。
寿地区センターの歩みは、1983年に開始した野宿者支援の働きに始まります。1987年に寿地区センターが開設され、寿地区活動委員会が設置されました。
 センターは、炊き出し、月1回のバザー、この町を知り学ぶための「寿わーく」、ことぶき福祉作業所昼食会、地区内の複数の作業所との連携、居住者の生活支援、夜のパトロール(路上生活者支援)…など、多様な活動を生み出しています。…
 川崎市の桜本教会は、1994年より、さまざまな事情により路上生活を余儀なくされている方々に食事を用意し、共に分かち合うことを続けています。現在は…お弁当配食へ移行していますが、週2回の食事提供は続けています。…”
祈りの課題 ・寿地区センターと桜本教会の宣教の働きのために。特に財政的に支えられるように。
東海教区〔静岡県・長野県・山梨県〕
“東海教区は、2016年度から「伝道五カ年計画」として、「日本基督教団信仰告白」の教会についての項目を主題として歩んできました。…
 2022年度は、教区総会で「東海教区第二次伝道五カ年計画」を採択しました。この計画も「教団信仰告白」を基本とし、その第三段階で告白されている「神の恵みの選び」についての項目を年度ごとの主題にしています。
今年度は、「恵みにより召されたる者の集いとしての教会」という主題で歩むことになりました。これは、私たちが神により召し集められた喜びを確かなものとするためです。…”
祈りの課題 ・会堂建築を行っている勝沼教会のために。(No.898)

2022年 9月11日

目標を目指して

 「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(フィリピ3・12~14)。
 8月21日(日)、H教会の牧師のY先生が、神のみもとに召されました。3年前に血液のがんが分かり、治療しつつ、奉仕を続けておられました。牧師として26年、64歳の生涯でした。冒頭の聖書の言葉は、Y先生の愛唱聖句です。葬儀礼拝は、H教会員の皆様と関東教区・埼玉地区の執行部の方々に限定されるため、前日のお別れ会に参りました。私は地区委員会や地区一区教師会の交わりでご一緒させていただきました。Y先生の治療が始まってから、私にがん哲学カフェへの応援のメールをいただいたことがあり、たいへん励まされました。H教会も西川口教会と同様、高齢の教会員が多くおられ、自分より若くして召された牧師を送るとは、大きな痛みであろうと思います。主の慰めを祈ります。
 本日の朝の礼拝は、敬老祝福礼拝としておささげします。西川口教会では、70歳以上の教会員・関係者に、格別な主の祝福をお祈りいたします。主の許しの中に生かされている私たちです。生かされているのは、神からの使命があるからです。
 冒頭の聖書の言葉は、使徒パウロが獄中で書いた手紙の一節です。私たちもキリストに捕らえられ、キリストのものであると信じています。誰もが皆、地上の生涯を終えます。しかしキリストが再び来られ、死者の中からの復活が実現するときが来ます。希望に生かされて、目標を目指して、一日一日を生きていきます。(No.897)

2022年 9月 4日

聖餐の恵みを新たに(1)

 先月の役員会で、10月第1主日の世界聖餐日にも聖餐式を執行することを決めました。今年度より使徒言行録からの説教を始め、「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒2・42)という教会の姿が示されました。コロナの中で制約はありますが、教会の働きは変わりません。もう一度、聖餐の恵みを新たにできますように。
 役員会の学びでテキストにしていた『教会生活の処方箋』(辻宣道著)、第4章「聖餐における共同体」より引用します。
“……聖餐が正しく行われるか否かは、教会の生き死ににかかわる重要な問題です。…聖餐を単なる儀式と考えるひとが意外に多かったのです。聖餐は宗教的セレモニーの一つではありません。
 そこで私たちは生ける主イエスに出会います。そこで私たちは主キリストの〈真実〉にふれるのです。まことにおごそかな霊的実体が聖餐には隠されています。
 では聖餐が私たちにもたらす恵みはなんでしょう。
 第一、そこには「主の死」が告げられています。見ることのできるパンと手にしたぶどう酒をとおして、主イエス・キリストが〈わたし〉のために肉を裂き、血を流したことを確認させられます。…主なる神は、この見ることのできるものを媒介として、見ることのできぬ真理に私たちを導きます。聖霊の働きとはそのことです。
 第二に、そこでは「キリストのからだ」が示されます。教会を建物でとらえたり、人数でとらえたりするひとがよくいます。しかし教会は「キリストのからだ」です。キリストを中心に生命的つながりをもつところの共同体、それが教会です。
 聖餐卓を囲み、まんなかに主イエスがいましたもうことを信じ、互いに愛し、ゆるしあえる共同体こそキリストのからだと呼ばれる教会です。それ以外にキリストのからだを感得できる場所はありません。…”(続きは後日)(No.896)

2022年 8月28日

教会の責任が問われている

 先週、礼拝教育部から教会につながっている子どもたち(47人)に、次の葉書を送りました。
 “こんにちは。お元気ですか。教会では、毎年9月第1日曜日を「振起日」としてきました。振起日は、夏休みになり、教会に来られないお友だちが多くいるので、2学期になり、心新たにして教会に励んでもらうための行事です。今年もまだ新型コロナにより、このような催しはできません。主の祝福がありますように。神さまに、お祈りいたしましょう。「神さま、どんなときもわたしといっしょにいてくださることを信じます。こわがらずに、勇気をもって、困ったことにも向き合えるように助けてください。お守りください。」”
 この便りを受け取る子どもたちが、祈ることを知ってほしいと願いつつ、葉書を印刷しました。
 先週、子どもの心が病んでいるがゆえの事件が起こりました。お隣の埼玉県戸田市に住む中学3年生の少女によって、東京都渋谷区の路上で20日夜、母子が刺されてけがをする事件がありました。少女は「自分の母親と弟を殺すための予行演習だった。…」と話しているということです。
 思い起こす言葉があります。
 “「…この子が人を殺したくなるような怒りや悲しみを覚えた時に、どうして教会の門を叩いてくれなかったのだろうか。…」。それは…殺意を抱かざるを得ないほどの絶望こそ、キリストの教会がよく理解していることであるし、子供と思われるほどの者にも、そのような憎しみが深く根づいているのを知っているのはキリスト者であるということを、世間の人々が知っていてくれないことです。教会が高く掲げているキリストの十字架こそ、そのような者にとっての再生をもたらす慰めであることを教会がきちんと告げ知らせていないからです。…これは誰かを責めるという問題ではない…どこであろうがキリスト者の群れは、自分たちはいったいそこで何をしているのかという問いを避けることはできないと私は思っております…。”(加藤常昭著「子どものための説教入門」)(No.895)

2022年 8月21日

顔の見える関係を築く

 毎月第3主日は日本基督教団の定めた「日本伝道推進を祈る日」です。全17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ(東京教区は2支区ずつ)紹介します。
東京教区北支区〔新宿区・文京区・中野区の一部・豊島区・北区・板橋区・練馬区〕
“…東京教区北支区は、毎月第1金曜日の夜に、支区内の各教会を順々に会場として「連合祈祷会」を行っています。…連合祈祷会の第一の目的は祈り合うことですが、同時に信徒・教師が他教会の信徒・教師と知り合い、互いに顔の見える関係を築く重要な場ともなっています。…コロナ禍により一時期休止しましたが、2020年12月からオンラインで再開しています。…ただ…オンラインの限界も感じます。オンライン参加者を含めた対面での祈祷会の再開が待ち望まれています。”
祈りの課題 ・連合祈祷会をとおして、北支区の全教会・伝道所の交わりが深められていきますように。
東京教区千葉支区〔千葉県〕
“東京教区千葉支区には、千葉県の61教会・伝道所があります。…千葉県には東京の教会に通う信徒も多いことや、千葉県全体のキリスト者の交わりも考えて、2年に1度、1月に千葉県信徒大会を行い、千葉県内のキリスト者の交わりを深めています。…教職と信徒が協力して実行委員会を組織しています…。このほかに続けてきた働きとして、支区JSサマーキャンプとCS生徒大会があります。…双方とも教育部が主導し、…各教会の…信徒たちにより実行委員会を組織して準備します。…ここ数年、青年部の若い信徒委員の1人が教育部の委員を兼ねるようにしています。このことにより、中高生と青年部が顔の見える関係を構築できるようになりました。…”
祈りの課題 ・県北の八街(やちまた)市に2つあった伝道所が1つに。八街宣教のため。
・南東部いすみ市唯一の教団の教会である上総大原(かずさおおはら)の灯をともし続ける。(No.894)

2022年 8月14日

ウクライナ救援募金、期間延長に

 日本基督教団では、一日も早くウクライナに平和と、人々の命が守られることを祈り、教団社会委員会を通して人道的支援のための募金を行っています。先月、教団社会委員長名で、募金期間延長のお知らせが届きました。役員会では、西川口教会の募金を継続するとの社会部からの提案を受け入れ、皆様にも改めてお願いする次第です。
 信徒の友8月号に、救援募金の送金先となっている「アクトアライアンス」の活動の紹介の記事が掲載されました。記事から紹介いたします。
“アクトアライアンス(ACT Alliance)は、「諸教会がともに活動する連盟」(Action by Churches Together Alliance)という名称のとおり、プロテスタント、正教会などの諸教会・団体からなる超教派の国際援助連盟のこと。2010年に公式に設立、スイス・ジュネーブに本部が置かれている。2022年6月現在、127カ国、137教会・団体が加盟。日本からはCWSジャパンと日本キリスト教協議会(NCCJ)が加わっており、両団体によってアクトジャパンフォーラムが設置、日本基督教団はその運営委員会に参加している。
 アクトアライアンスの活動の柱は、人道支援、開発支援、政策提言の3つ。日本での活動の一例として2019年9月千葉県南房総を襲った大型台風による被害に対して、被災者支援がある。
 今回のウクライナ支援については、ヨーロッパフォーラムがアクトアライアンス本部を通じて世界全体に援助を呼びかけた。それを受けて、ウクライナ周辺の団体がウクライナ及び周辺国で実際的な支援を行っており、日本基督教団を含む遠くの団体は献金を通じて後方支援を行っている。
 支援活動の目標は①国内避難民と紛争地域住民の安全を確保し、命を守るための緊急支援。②戦争の影響を受けた人々に対する基本的なサービスを提供。③負担を抱える受入コミュニティーの回復を支え、社会的結束を強化する、の3つ。”
 明日は、太平洋戦争敗戦の記念の日です。
 平和を求める祈りを新たにします。(No.893)

2022年 8月 7日

原爆の日を思い起こし

 水曜日と木曜日の祈祷会では、ヨブ記の学びを続けています。先週、次のヨブの言葉が心に残りました。「どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ」(ヨブ21・2)。ヨブ記は、現代に生きる私たちにも問いかけます。理不尽な出来事が突如降りかかり、苦難に見舞われた人が、涙を流しており、嘆きの声をあげているのに、それを受け止めてもらえないならば、つらいことです。自分がそのような苦難に遭わないとは誰も言えません。
 8月6日は広島に、8月9日は長崎に原子爆弾が落とされた記念の日です。8月4日の朝日新聞の夕刊の1面に、あどけない笑顔で一緒に遊ぶ兄妹の可愛らしい写真が載っていました。記事には、8月6日広島に原子爆弾が落とされ、この子たちの“一家は全員被爆して亡くなった”とありました。さらに広島、長崎への原爆投下で子どもたちがどんな被害を受けたか述べられ、“被爆者で白血病が被爆2、3年後から、乳がんや胃がん、肺がんなどは10年後ごろから増加。「成長途上の子の被爆の方が、大人の被爆より、生涯にがんになるリスクが高まることが調査でわかっている」”とありました。生かされた人も、放射線被爆の影響はずっと続きます。
 この関連で紹介したいのが、西川口教会のクリスマス外部献金先の一つである「日本基督教団東北教区放射能問題支援対策室いずみ」です。「いずみ」は福島原発事故による放射能に関わる問題に特化して取り組んでいます。ニュースレターが折々に届きます。今年の春の号には、今年1月に、若い甲状腺がん患者当事者による、健康被害による損害賠償を東京電力に求める裁判が起された、との記事があり、心に留まりました。裁判の説明も同封されていました。原告は、事故当時6歳から16歳の男女6人で、当事者の言葉もありました。その言葉には、苦しみと悲しみがにじみ出ていました。この若い人々を苦しめているのは誰なのか、問われる思いでいます。(No.892)

2022年 7月31日

ペトロの手紙二を読もう

  久しぶりの教会アシュラムでは、ペトロの手紙二から静聴します。余り親しんでいない聖書かもしれません。概要をご紹介します。
 “ペトロの手紙二は、キリスト者一般に向けた挨拶のある手紙形式で書かれているが、実際には、使徒ペトロの告別説教、あるいは遺言として書かれている(1・1、2)。著者は、自分が間もなく死ぬことを予期しており、最後の助言と警告をキリスト者に与えている(1・14)。この点においてペトロの手紙二は、聖書における他の告別の言葉と共通点がある。・・・この手紙は将来にむけた助言と警告として書かれているが(1・12~15、3・1、2)、当時のキリスト者の信仰に影響を及ぼしている問題にも触れている(2・10~22、3・8、9)。…
 この手紙は、ペトロの死後しばらくしてから、偽教師に対して初代の使徒の教えを守るために、ペトロの弟子がこの手紙を書いたと考えられている。ペトロの手紙二の著者は、ユダの手紙の多くの箇所を議論の確証のために用いている。ユダの手紙は新約聖書の大半の書より後に書かれたと考えられているので、ペトロの手紙二は、更に後に書かれたことになる。…
 著者はキリスト者を真理から離れさせようとしていた偽教師や預言者たちに関して、警告している。偽教師の教えに対して、キリスト者はしっかりと信仰に立ち、正しく生きることによって他者に正しい生き方を示すべきだと著者は語る。キリスト者たちが神を喜ばせるように生き、自分たちに伝えられた真理を固く守るように著者は望んでいる(1・3、12)。主の再臨(来臨)は、一部の人々が期待したようにはすぐには起こっていないが、確実に起こることを決して忘れるべきではない(3・3~9)。それまでは忍耐して待ち、罪のない平和な生活をすることによって神に従うべきである(3・14)。…”
(日本聖書協会 スタディ聖書 ペトロの手紙二 概説より)(No.891)

2022年 7月24日

教会アシュラムを前に

 いよいよ今週の土曜日から、久しぶりの教会アシュラムが始まります。ミニアシュラムで時間が足りないと思われますが、祈りを合わせて、体調を整えて、当日を迎えましょう。「アシュラムの十の心構え」(榎本保郎師)をご紹介します。
1.だれも教師になってはいけない
 ・・・誰かが、「私はこんな事で悩んでいるのですが、どうでしょうか」という話が出た時に、「ああ、それと同じことを若い時に経験しました。それはこうしたら良いです」と言う。これは教師になっているのである。そんな事は言わない。…神さまに委ねて頂きたい。どんな事も人間から教えられないで、神さまから教えられる生活を経験して頂きたい。
2.自分の教派や自分の信仰の主張をしない
 御言葉を通し、あなたに与えられた恵みだけを語る。ここは論争する場所ではない。聞くが主(おも)、神さまから御言葉を聞くが主(おも)である。…「私はこういう御言葉を聞きました」と、謙遜に語るだけにしてください。
3.議論をしない
 たとえ間違ったようなことを言っている人があっても、それは主に委ねてください。神さまが必ず最善に導いてくださいます。…人に訊(き)かない。神さまに聴く。特に家長さんはそんな時、「それは、あなたが祈って解決を得てください」と言って上げてください。お互いもそうです。
4.静粛にする
 これは…ただ音が静かである、というだけでなく、この世の色々な事に心を騒がせない。…
5.勝手な行動をしない
6.自主的であること
7.個人の問題は絶対に口外しない
8.祈りとみ言葉にできるだけ多くの時間を費やす
9.全期間参加する
10.帰ったならば、話さないで証をしていただきたい (No.890)

2022年 7月17日

信仰のバトンをつないで

 毎月第3主日は日本基督教団の定めた「日本伝道推進を祈る日」です。全17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ(東京教区は2支区ずつ)紹介します。
東京教区西南支区〔港区の一部・世田谷区の一部・渋谷区〕
“西南支区のベテル教会を紹介します。教会は渋谷区の代々木公園近くにあり、今年70周年を迎えます。ベテルとは「神の家」の意です…現住陪餐会員は4名です。…そんなわが教会の隅石もイエス・キリスト。…主と礼拝者、教会と地域、神と人、人と人、過去と未来をつなぐ場であるようにと祈っています。…先達が祈りを込め築いてきたものを大切に守りながら、信仰のバトンをどのようにつなげばよいのか。教会は祈り、協力、知恵を必要としています。…どうぞ祈りによるお支えを心よりお願い申し上げます。”
祈りの課題 ・「新型コロナウイルス感染拡大下における教会支援金2022」を設けました。支援を必要としている教会のために。/・ベテル教会のために。
東京教区南支区〔港区の一部・品川区・目黒区・大田区・世田谷区の一部〕
“東京教区南支区は、2020年に新型コロナウイルス感染症の流行が始まって以来、支区内の諸活動や委員会活動を感染予防のために自粛、ないし中断しています。今後は感染状況を見ながら再開していきます。ただその中でも、教育委員会が主催して29歳以下に呼びかけている「U(アンダー)29南支区青年の集い」と、伝道委員会・明治学院共催の「ペンテコステの集い」はオンラインで開催、婦人委員会は対面とオンラインによる集会を続けています。…(久ヶ原教会伝道部のLINEグループ「聖書通読会」紹介あり)”
祈りの課題 ・28教会・伝道所のうち、今春7教会・伝道所で教師の退任・異動があり、3教会が代務体制となりました。それぞれの教会・伝道所に主の守りと導きがありますように。(No.889)

2022年 7月10日

「10年の記録誌」の「立証」より

 本日の礼拝では使徒言行録第3章から説教します。教会創立60年を記念した「10年の記録誌」(2011年発行)に、横山静子先生の「立証」を載せたことを思い出しました。一部紹介します。
 “…使徒言行録3章を読んでおりました。足の不自由な人が連れて来られた。そしてペトロとヨハネが見た。「何かください」。この人は物をもらわないと生活できない。ペトロとヨハネはその人を見て、「わたしたちには金銀はない。わたしにあるものをあげよう」と言いました。
 そこを読んだとき、「…わたしにあるものが、あるかな?」と示されたのですね。…キリストによって、私たちはキリストのものになっています。けれども、あるときはキリストを押しやって、「すべてイエス様にお任せします」とは言っていないのです。…そのことを示された。…主が、洗礼を受けたときから私たちの内に住んでくださる。そして私を占領してキリストのものにしていてくださるはずなのに、私はいつの間にか、自分が、自分の力が、自分のエネルギーが、奉仕をしなくては、何かをしなくてはとなっている。それはいいのですけれど、イエス様の後に付いていく奉仕なのに、自分が先になっていました。…
 使徒言行録3章では「キリストの名によって」いやしが行われているのですね。ペトロの力、ヨハネの力ではない。イエス・キリストの名。…お祈りは、最後に「イエス様のお名前によってお祈りします」と言いますが、どうも、最後の言葉のようになっている。とんでもないことです。キリストの名。そこに力があるのですね。… 
 今、試練があるなら、その問題を「イエス様、お願いします」。イエス様に全部預けるのです。自分が背負うのではないのです。お祈りした後も自分が背負っている人は、口では言っているけれど、キリストの御名によってお祈りしていないのです。私たちは信仰を持って、「イエス様、…あなたの名によってお願いしました」。そこから、喜びと感謝を持って進んでいきましょう。”(No.
888)

2022年 7月 3日

「介護する人のメンタルケア」

 先週、健康についてのラジオ番組で「介護する人のメンタルケア」を聞きました。講師の橋中今日子さん(介護者メンタルケア協会代表)の発信されている情報をネットでも調べてみました。
 橋中さんは、20代で大腸ガンのお父様を看取ったあと、認知症のおばあ様と、度重なる病で寝たきりのお母様と、知的障害の弟さんの3人を、たったひとりで21年間介護されたとのことです。それを聞いて驚き、想像できないほどのご苦労を負われたと思いました。介護疲れで、うつ状態になられました。夜中にひとりになると、自分の頭を壁にドンドン打ち付けるようになったというのです。家族のトラブルの対応に追われて、職場に連絡する心の余裕も失われていました。
 21年間の介護体験、介護うつや介護離職の危機からどうやって抜け出せたのか。ある日、上司から厳しく「「これ以上迷惑をかけるなら、辞めてもらう」と言われ、初めて、日々重くのしかかってくる介護の負担を伝えました。それをきっかけに「助けて」を言えることができるようになったそうです。その後、それまで使っていなかったショートステイなども積極的に利用し、仕事と介護の両立のメドが立ち始めました。「上司の厳しい言葉をきっかけに、家族と笑いあう時間を取り戻すことができたのです」と書いておられます。
 私が「同じだ!」と感じたのは次の文章でした。
 “試しに、ショートステイを利用して休みをとった途端に「朝起きられなくなった」「熱を出して寝込んだ」という方の多いこと多いこと! 日々の介護生活の中で張り詰めに張り詰めていた緊張の糸が、休むことによって緩み、ようやく蓄積された疲労を実感できるようになったわけなのです。介護者は、自分の疲労を感じる力すらなくなっているのです。”
 介護のプロを始め、「頼るべき人に正しく頼る」こと、「介護者自身の体と心を整える」大切さが述べられており、大いに同意しました。介護は皆が当事者になります。介護者のケアも必要です。(No.887)

2022年 6月26日

慰霊の日を覚えて

 6月23日は沖縄の慰霊の日でした。沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日から77年となりました。 今年は、沖縄の本土復帰(1972年)から50年という区切りの年であることも合わせて、報道がなされていました。
 私は2013年の秋に、沖縄説教塾セミナーに参加して、その後も数日滞在し、説教塾でご一緒している現地の教会の牧師・T先生のお世話で、沖縄本島の戦跡・基地をいくつか見学しました。平和記念公園「平和の礎」では「これが私の祖父です」とT先生がお名前を示されたことをはっきりと覚えています。嘉手納(かでな)基地と普天間(ふてんま)基地をそれぞれ高台から眺めました。国土面積の約0.6%しかない沖縄県内に、全国の約70.3%の在日米軍専用施設・区域が依然として集中している現実を垣間見ました。
 今年の「慰霊の日」を巡る報道で共感したのは、「もっと伝えないといけないのは『今』である」という沖縄在住のフリージャーナリストの方の記事でした。“・・・今ほど「戦争前夜」を感じることはありません。奄美大島(鹿児島県)から宮古島、石垣島、与那国島まで南西諸島の自衛隊基地が増強され、要塞(ようさい)化がどんどん進んでいます。・・・ウクライナ危機は人ごとではありません。沖縄も西側諸国の最前線に位置づけられているのです。・・・戦争の悲惨さをいくら報じても、それだけでは戦争を止められません。戦争はどのようにして始まるのか。なぜ人々は反対できなかったのか。地域で率先して戦争に協力したのは、どういう人たちだったか。国による住民の監視はどう行われたのか。・・・本土の人たちは「沖縄は基地があって大変ね」と言いますが、ひとたび戦争が起きれば、本土も無傷ではいられません。軍隊が住民を守らないどころか、ときには軍事作戦に邪魔だとして「始末」されてしまう。それは、沖縄戦で明らかになった事実です。あのときと、今とは違う、と誰が言えるのでしょうか。”(6月21日朝日新聞より)(No.886)

2022年 6月19日

安心と励ましの場所

 毎月第3主日は日本基督教団の定めた「日本伝道推進を祈る日」です。全17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ紹介します。
東京教区〔東京都東部・千葉県〕
“青梅にある日本基督教団隠退教職ホーム「にじのいえ信愛荘」は、2010年に日本基督教団の2つのホーム「信愛荘」と「にじのいえ」が合併して誕生しました。…入荘者は教団の隠退教師とお連れ合いです。公的助成はありません。運営資金の約6割は全国の教会、学校、諸団体と個人からの献金です。残りの4割は入荘者の荘費と2教区、全国教会婦人会連合、「隠退教師を支える運動」からの協力金です。…
 「にじのいえ信愛荘があるから、隠退するまで安心して主に仕えることができました」。伝道に生涯を献げた教職の方々の証しに、いつも勇気づけられています。私たちもにじのいえ信愛荘を覚えて祈りましょう。”
祈りの課題 ・日本基督教団隠退教職ホーム「にじのいえ信愛荘」のために。
東京教区東支区〔千代田区・中央区・台東区・墨田区・江東区・荒川区・足立区・葛飾区・江戸川区・大島町・新島村・三宅村・八丈町〕
“東支区中高生連合キャンプは例年夏に開催されています。…今年度で56回目を数えます。…東支区の特色として、下町の小規模教会の多いことが挙げられます。また伊豆諸島の教会、山谷地区もあります。少人数の教会には中高生のための集会を開くことが難しい現実があります。キャンプはそのような教会の中高生たちに信仰の友による励ましを与える場所です。…このキャンプを通して、毎年のように受洗者が与えられてきました。…このキャンプの働きと中高生のことを覚えていただければ幸いです。”
祈りの課題 ・中高生連合キャンプのために。
・伊豆諸島の教会・伝道所のために。
・山谷地区の3つの伝道所(山谷・日本堤・山谷兄弟の家)それぞれの働きのために。(No.885)

2022年 6月12日

「夜明けを共に待ちながら」

 説教塾生の先生方よりユニークな新刊の紹介がありました。『夜明けを共に待ちながら―香港への祈り』(朝岡勝・松谷曄介・森島豊編)。この本には2020年10月31日から始まった「香港を覚えての祈祷会」の記録と、祈祷会の呼びかけ人の先生方の神学エッセーが収められています。
 編者のお一人の松谷曄介先生が、香港に数年在外研究歴があり、香港の教会にも友人が多くいることから、香港のために祈りたいと思い、「香港を覚えての祈祷会」を超教派の複数の牧師たちで立ち上げました。オンラインでの祈祷会には、毎回、香港人の牧師やキリスト者の方の証し・報告があったそうです。この方々の安全のため、祈祷会の開催をアピールすることを控えざるを得ませんでした。この祈祷会で語られた日本人キリスト者の説教・祈り、香港人キリスト者の証しをまとめ(一部の香港人は仮名)、書籍を介して祈りを共有できればと願い、形になったのが本書です。
 編者のお一人、青山学院大学の森島豊先生が、序論にこう書いておられます。
“…祈りはある意味「政治的」な運動です。誰に従うのかということがはっきりしてくるからです。キリスト者はナザレのイエスこそ真の王と仰ぎます。その心はこの世の支配者を絶対化することなく、相対化します。…祈りは政治的ですが、この世の政治的争いとは一線を画します。信仰者の運動は権力争いではありません。…洗礼者ヨハネが逮捕された時、主イエスはデモ行進をされたのではありません。神の国の福音を宣べ伝えられました。「悔い改めて福音を信じ」(マルコ1・15)、神の支配が近づいたことを宣言されました。…呼びかけ人は牧師・伝道者です。手に負えない国家権力を前にして、できることは一つだけです。聖書を通して、十字架のキリストのみ前に歩み出て、神に祈ることです。香港の地で祈ることができず、真実を語ることができず、希望を失っている信仰の仲間がいることを覚え、彼らのために執り成しの祈りをするのです。…”(No.884)

2022年 6月 5日

骨の音

 先週の説教で触れた銀座教会名誉牧師渡辺善太先生(1885~1978)の言葉を紹介します。
 “「彼はまたわたしに言われた『これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。主なる神はこれらの骨にこう言われる。見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす』」〔エゼキエル37・3~5、口語訳〕。想像なすってごらんなさい。枯れた骨の間を引き回されて、これが生きるのだ。お前は生きると思うか、わかりません。でもかまわないから語れ。主…語りたもうと、この骨に言え! 「わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった」〔同37・7〕。預言をしたら音があった。この音を聞くことが伝道者を励まし、預言者を立たせ、教会の長老に力を与える。毎朝の新聞の社会面を見ると、賄賂を送った…人を殺した…と、枯れた骨が集まっている。しかしそれに預言を語り、その預言が、徹する時、音がする。教会とは、この音のするところ、静かな教会の中で、肉体の耳には聞こえないが、死んだ骨が福音を語られて相連らなるこの音が、聞こえる。…私共の目の前には、東京の町、枯れた骨の谷が横たわっています。私共には、これに福音を宣べる勇気がない。神はお互い一人一人を、東京の骨の谷をひきめぐっておいでになる。そして、「これに向かって預言せよ」と、おっしゃる。こわごわ福音を語る。骨が連らなる。教会とは、私は繰返して申し上げます、この骨の連らなる音のする所。この音を聞かなければ、伝道もいやになります。教会に尽くすこともいやになります。しかしこの音は、耳をすませば、教会に聞こえます。…伝道者も人間です。効果のない仕事に生涯を費やせません。この音を聞くから、この音が聞かされるからです。本当にこの音が響き、ご自分の骨の連らなる音だけじゃなく、ここに入ってくる人々がその音のおこるのをきくようになっていただきたいと思う。”(「愛と自由のことば」より)(No.883)

2022年 5月29日

第72回関東教区総会

 5月24日・25日、関東教区総会が開催されました。2年間書面開催でしたので、対面では2019年以来の開催でした。会場は今年4月にオープンしたばかりの市民会館おおみや(レイボックホール)の大ホールでした。今回は設営が埼玉地区が担当でしたので、その奉仕もありました。
 開会礼拝の説教は小林眞師(埼玉地区委員長・岩槻教会)でした。24日の午後に准允式があり、4人が准允を受けました。25日の午後に追悼者記念の時がありました。
 教団副議長が問安され、25日には、教団機構改定に関する協議会も開催されました。
 例年は、隔年で教団総会議員選挙と、議長・副議長・宣教部委員長・常置委員選挙を行っていますが、2年間選挙が行われませんでしたので、今年は全部の選挙が行われました。教区執行部の選挙は昨年行われるべきでしたので、今回選ばれた方々の任期は1年です。時間短縮の為、教団総会議員選挙の予備選挙は事前に書面選挙を行い、本選挙のみ24日に行いました。
 今総会で、最も時間をかけて協議されたのは「阿部洋治教師の正教師登録を行う件」でした。様々な意見が交わされましたが、採決は無記名投票で行われ、可決されました。
 2021年度議長報告・常置委員会報告・各部報告・一般会計報告他全ての報告が承認されました。2022年度関東教区活動方針・予算案・ナルドの壺献金推進の件等、全ての議案が可決されました。
 すべての議事を終え、新しい教区副議長の閉会の祈りによって、教区総会が終わりました。
 教区総会議員には、2021年度教務・教勢等諸報告が配付されます。そこには、教区内各教会の会員数、受洗者数、礼拝出席者数、求道者数、祈祷会出席者数、CS出席者数、経常収入、経常支出の数字が出ています。コロナの前から厳しい状況でしたが、コロナのため、それ以上に厳しくなっています。祈りを要します。(No.882)

2022年 5月22日

天に昇るキリスト

 使徒信条は、復活された主イエス・キリストが天に昇られたとの信仰を言い表しています。私たちがそれに「アーメン」と同意するとは、どういうことでしょうか。イエスが復活されたことだけでなく、天に昇られたことを忘れることはできません。主イエスが復活されてから40日目は「昇天日」として記念されています。
 主日礼拝で使徒言行録の説教を始めました。既に説教で聞いたとおり、使徒言行録は初めのところで、復活された主イエスが、40日間弟子たちのところに何度も現れて、神の国についてお話になったことを書いています。さらに主イエスは弟子たちに、聖霊が降るからエルサレムを離れずに待っているようにと命じられました。そして弟子たちが集まっていた時に、弟子たちの見ている前で天に上げられ、雲に覆われてその姿が見えなくなりました。教会の始まりは主イエスが天に昇られたことです。イエス・キリストによって天と私たちとの間につながりができました。それによって教会は生き続けていくのです。
 改革派教会はじめ多くのプロテスタント教会で、用いられている「ハイデルベルク信仰問答」(1563年)には、キリストの昇天について、次のように問答しています。

問四九 キリストの昇天は、われわれに、どういう益を、与えるのですか。
 第一に、主が、天において、神のみ面(かお)の前に、我々の執成しをする者、となって下さることであります。
第二に、われわれは、主が、かしらとして、そのえだであるわれわれを、ご自分のもとに引き上げて下さる、確かな担保として、われわれの肉を、天に持つことになるのであります。
第三に、主は、み霊(たま)を、これと見合う担保として与え、そのみ霊の力によって、われわれは、キリストが神の右に座しておられる、あの上にあるものを求め、地にあるものを求めないようにして下さるのであります。  (No.881)

2022年 5月15日

祈りと喜びの香りで

 毎月第3主日は日本基督教団の定めた「日本伝道推進を祈る日」です。全17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ紹介します。
東北教区〔宮城県・山形県・福島県〕
 “宮城・石巻栄光教会員で「一般社団法人シャロームいしのまき」理事長の大林健太郎さんは、2011年の東日本大震災以来、石巻で地域に仕える働きを担っています。シャロームいしのまきは、2010年より、北海道「浦河べてるの家」の理念に学びつつ、精神障害当事者と家族・支援者を中心に、石巻地域に根差した精神保健福祉活動を行っています。この世にあって、生きることに困難を強いられている人たちが、互いの弱さを強さとし、それぞれの可能性を生かすべく集っています。…「私たちの行いは大河の一滴にすぎない。でも、何もしなければ、その一滴も生まれない」(マザー・テレサ)。大林さんのモットーです。…神と人に仕える働きを継続していきます。”
祈りの課題 ・2022年度、新たに策定される東北教区長期宣教計画が主の御心にかない、用いられるように。
      ・2022年3月16日の地震で被災した人々に主の助けが与えられるように。被災した教会の復旧・復興が前進するように。
関東教区〔新潟県・群馬県・栃木県・茨城県・埼玉県〕
“ナルドの壺献金による互助に取り組んでいます。…年間1200万円(22年度)を目標に、1人1日10円を教区の伝道のために捧げます。謝儀互助を中心に、緊急互助、教団年金互助、退職金互助の4本柱で行われています。…ナルドの壺献金は教区連帯の柱です。…主に捧げられたナルドの香油のように、教区全体を祈りと喜びの香りで包み、連帯の恵みで満たしています。”
祈りの課題 ・ナルドの壺献金運動を通して、受給教会の伝道が進みますように。また、献金に参加することで、共に伝道に参与できますように。
      ・豪雪地の伝道の上に。特に雪害に遭っている妙高高原教会のために。(No.880)

2022年 5月 8日

「子供は見ぬいている」

 今日は母の日。ポール・トゥルニエの言葉を紹介します(「愛と自由のことば 一日一章」より)。
 “…子供たちに隠しおおせたと思い込んでいることが、もう全部子供たちには分かってしまっているのだということを親たちが知っていてくれたら、と思います。…どのように細かい意識的ないしは無意識的なやりとりでもって、家庭の構成員同士の力の均衡が保たれているか、また、どんなふうにして家族の一人一人が自分なりのやり方で、この共同のいわば将棋盤上での自分のポジションを守っているかといったようなことを子供たちはちゃんとわきまえています。葛藤、たくらみ、欺瞞、うそ、嫉妬、虚栄心、それから寛大な心でしばしば黙ってなされている犠牲などが、いかに一瞬一瞬作用しあってこの家庭という小宇宙の生成発展を決定しているかということもよく知っているのです。一番うっかりしているのは実は親たちの方なのです。…自分の両親の仲がしっくりいっていないのを子供の方がちゃんと見ぬいているのに、自分たち夫婦は互いにしっかりと心が結ばれている、と真面目に思い込んでいる両親が何とたくさんいることでしょう。自分の両親は幸福ではないのだ、ということを子供の方がよく知っているのに、自分たちは幸福だと思い込んでいる両親が何と多いことでしょう。・・・子供というものは、家庭内の雰囲気に非常に敏感に反応するものです。蕾(つぼみ)は感じやすく傷つきやすく、ほんのちょっと霜がおりてもしぼんでしまいます。ですから蕾は寒暖計よりも敏感に、わずかの気温の低下をもキャッチするのです。蕾は温度とおおいを必要とします。そして子供が十分な温度とおおいを与えられるか否かは、何よりもまず、その子の両親の仲がほんとうにしっくりいっているかどうか、その子の父と母が互いに愛しあい、幸福であるかどうかにかかっているのです。”
 本日の礼拝の讃美歌21―546「世界中の父や母を 支え守る親なる神。すべての家庭と親の責任を祝してください」(1節)にアーメンです。(No.879)

2022年 5月 1日

使徒言行録を読もう

 本日の主日礼拝から、使徒言行録の説教を始めます。使徒言行録について紹介します。(聖書スタディ版新約聖書各書の概説を参考に)
 主イエス・キリストについての教えはエルサレムから始まって、他の地域に広まっていきました。以下は、エルサレムからよく知られた都市を経て、帝国の首都ローマにまで、どのようにして福音が伝えられたかという視点からの使徒言行録の概要です。
・聖霊が主イエスの弟子たちに力を与えられる(使徒言行録1・1~2・47)
・エルサレムの教会(同3・1~8・3)
・ユダヤとサマリアに福音が広がる(同8・4~9・31)
・福音が異邦人世界に及ぶ(同9・32~15・35)
・福音が小アジア、ギリシア、ローマに広まる(同15・36~28・31)
 使徒言行録は、ルカによる福音書を記した同じ記者による、2部作の2巻目です。イエスは天に上げられる前に、弟子たちに「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」とお語りになり、ご自分に従うすべての人に聖霊が降り、力を受けると、約束されました(使徒1・8)。聖霊は、あらゆる民族が神の民となるためにイエスがこの世に来られたことを明らかにし、福音が、ユダヤ人にも異邦人にも届くように、初代教会の指導者たちを導いておられます。エルサレム会議で、使徒たちはそのことを認めました(使徒15章)。使徒言行録の後半部は、主に地中海沿岸諸国の東部と北部を旅するパウロの体験と宣教についての記述です。サウロ(後のパウロ)は、イエスに従う者たちを逮捕しようと出かけた旅の途上で幻の中にイエスと出会い、後には、福音宣教者になりました。パウロは、当時の世界で最も主要な都市のローマにまでイエスの教えを伝えました(使徒28・16~31)。(No.878)

2022年 4月24日

共に笑い共に泣く教会の歩み

 本日は復活日。毎月第3主日は日本基督教団の定めた「日本伝道推進を祈る日」ですが、今月の祈祷課題を本日お伝えします。全17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ紹介します。
北海教区〔北海道〕
“北海教区めぐみ市場お届け便プロジェクトは、「コロナの状況の中で教会バザーができず、財政に影響が出ているのではないか」「販売品を届け合い、交流を図れないだろうか」という立ち話から始まった、教区を上げての通販型バザーです。
 みんながわくわくする楽しい取り組みとなることを願い、話し合いを進めました。
 …行き詰まりや苦しさの中で、つながりの真価は問われるものだと思います。
 コロナによる不安な状況だからこそ、自分たちだけのことではなく、互いのことを覚え合い、支え合うことのできる機会として、この取り組みには意味があったと思います。…”
祈りの課題 ・教区内60教会・伝道所ならびに関係学校・関係団体・関係施設のために。
・コロナの状況で苦しんでいる人々のために。
奥羽教区〔青森県・岩手県・秋田県〕
“コロナ禍で一時中断を余儀なくされていますが、奥羽教区内の全教会・伝道所は、各地区ごとに行われる講壇交換礼拝に参与しています。おらほ(私たち)の牧師と同じように、隣の教会の牧師からも福音を聞きます。…
 地区によって差はありますが、牧師が他の教会に赴くだけでなく、信徒もそれに同行します。…
 礼拝において、生活において…共に笑い共に泣く教会の歩みが、信徒同士の交流においても教区の至るところでなされています。”
祈りの課題 ・教区内57教会・伝道所ならびに関係学校・関係団体・関係施設の宣教のために。
・2019年に教団離脱した木造教会(現・木造りキリスト教会)のために。
・連帯・互助のための教区の働きが伝道につながるように。(No.877)

2022年 4月17日

教会に生きる喜び

 本日は復活日。イースター礼拝の恵みに与れますこと、神に感謝いたします。
 先週、説教塾生にメールで、日本キリスト教文化協会主催のオンライン(YouTube)講演会「主の道を生きて」のお知らせが届きました。説教塾でご指導いただいている加藤常昭先生と青山学院大学宗教主任の森島豊先生との対談です。「日本キリスト教文化協会」のホームページからオンライン講演会にアクセスすると視聴できます。
 知らせを受けて、早速、父と一緒に視聴しました。加藤先生の伝道への情熱、教会に生きる喜びが伝わってきました。加藤先生は、講演で次の御言葉を紹介し、牧師として仕えた教会に生きる喜びを分かち合ってくださいました。
「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです」(ペトロ一1・8~9)。
 使徒ペトロは、地上で主イエスと宣教の旅を共にし、すぐそばで主イエスの教えを聞き、主イエスの御業も見ました。主イエスがユダヤ当局に逮捕されたときには、取り返しのつかない背きの罪も犯しましたが、復活の主イエスにお会いし、どこまでも赦され、愛されていることを確信でき、弟子として再出発できました。
 ペトロは手紙の宛先の教会の人々を思い浮かべて、「あなたがたは、主イエスに会った私と違って、キリストに実際にお会いしていないのに、キリストを信じる喜びにこんなに満ちあふれているのだね」と同じ信仰の喜びに生かされていることを驚き、感謝しています。
 復活の主イエスに救われるとは、ペトロのように本来の自分に生かされることです。神に愛され、神に造られた善きものとしての自分を受け入れて生きることができます。まことに思いがけない、一方的な神のお恵みではないでしょうか。
 イースターおめでとうございます!(No.876)

2022年 4月10日

どんな場合にも御言葉を宣べ伝える

 本日は棕梠の主日、今週は受難週。十字架へとひたすら歩まれた主イエス・キリストを思いつつ、祈りの日々を過ごします。
 世界中の多くの人々が、ウクライナでの戦争が止むことを祈り願っています。私たちも祈りの手を上げています。死と隣り合わせの日々を過ごす人々に、十字架と復活の主イエスが共にいて守り、平和を与えてくださいますように。
 人道的支援と共に、教会はどうしているのだろうかと関心がありました。先月は、キリスト教放送局日本FEBCより、ウクライナFEBCが放送を続けていると知り、週報短文に書きました。先週、日本聖書協会募金部の通信に、ウクライナ聖書協会ではウクライナ国内で避難している人々に人道支援と聖書配付をしているという報告と支援献金のお願いが載っていました。さらに日本聖書協会募金部のツイッターに、ウクライナ聖書協会の支援活動の動画がアップされていました。いくつかの動画を観ました。ウクライナ聖書協会のスタッフや地元キリスト教会の聖職者の方々が、「肉体のためのパンと、霊の糧を届けます」と語られた言葉に心を打たれました。
 使徒パウロの言葉を思い起こします。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。…あなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」(テモテへの手紙二 4・2、5)。平穏な日常のありがたさを感謝して、置かれたところでできる支援と祈りをささげます。
 お知らせです。4月17日・24日の午前8時半~9時のNHKラジオ第2放送「宗教の時間」に、神学者の加藤常昭先生が出演されます。まもなく93歳になられる加藤先生は、説教塾で後進の牧師たちのために命を注いで、ご指導してくださっています。ぜひお聴きください(ネットによる聴き逃し配信あり)。(No.
875)

2022年 4月 3日

出会いのよろこび

 2020年度下半期のNHKEテレこころの時代「それでも生きる 旧約聖書『コヘレトの言葉』」(講師は東京神学大学教授・日本基督教団中村町教会牧師の小友聡先生)の再放送が昨年秋から始まり、改めて視聴しました。
 この再放送に合わせて「すべてには時がある 旧約聖書『コヘレトの言葉』をめぐる対話」(NHK出版)が刊行され、興味深く読みました。番組で小友先生の対話相手であった批評家の若松英輔さんは、心に響く多くの言葉を紹介してくださいました。その一つです。
 “邂逅(かいこう)という言葉には、偶然に、ふと出会うということが含まれていると同時に、その偶然に出会ったものが、実は会うべくしてあったもの、運命的に出会ったものということをも含んでいる。そういう出会いのよろこびは、それを自身で味わった人でないと解しがたく、伝え難いであろう。”(批評家・唐木順三の言葉。122ページ)。
 新年度の西川口教会の最初の集会は、昨日の「月いちの祈り会」でした。使徒言行録第10章を共に読みました。ローマの百人隊長のコルネリウスと主イエスの弟子ペトロとの出会いの出来事です。まさに人生の邂逅です。ペトロは取り返しのつかない背きの罪を主イエスに対して犯しましたが、復活の主イエスにどこまでも愛されて、赦されていることを知り、主の証人とされます。それでもペトロは、主なる神が異邦人を救われるとは信じ切れませんでした。しかしペトロは聖霊の導きによって、コルネリウスと出会い、神は人を分け隔てならさないと知らされました。神が出会いを用意しておられ、不思議なように出会った者たちは、お互いの言葉に耳を傾けて神の導きを知り、共に喜びに満たされました。
 私たちは今生きている人ばかりでなく、地上の生涯を終えた人とも出会うかもしれません。神の言葉との出会いもあるでしょう。2022年度が始まりました。新年度、そのような出会いのよろこびを神が与えてくださいますように。(No.874)

2022年 3月27日

平和を求める祈り

 ロシアによるウクライナ侵攻から1ヶ月。戦闘は続き、大勢の人々が国内外へ避難しています。
 主イエスのお言葉を心に留めています。「人に惑わされないように気をつけなさい。…戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。…民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。…」(マルコ13・5~8)。何より、自分自身が惑わされないように気をつけ、「忍耐と慰めの源である神」(ローマ15・5)に祈り、今できる支援をしたいと思います。
 今日の礼拝で賛美する讃美歌21―499番「平和の道具と」は「アッシジのフランシスコによる平和を求める祈り」として知られる祈りがもとになっています。その祈りをここに記します。
“神よ、
 わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

 憎しみのあるところに愛を、
 いさかいのあるところにゆるしを、
 分裂のあるところに一致を、
 疑惑のあるところに信仰を、
 誤っているところに真理を、
 絶望のあるところに希望を、
 闇に光を、
 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

 慰められるよりは慰めることを、
 理解されるよりは理解することを、
 愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

 わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
 自分を捨てて死に、
 永遠のいのちをいただくのですから。”(聖女子パウロ修道会(女子パウロ会) 公式サイトより)
(No.873)

2022年 3月20日

ナルドの壺献金への取り組みから

 日本基督教団関東教区宣教部発行のナルド通信第128号が先日配付され、更に「宣教部委員会よりのお願い―ナルドの壺献金の推進を願って」の文書(3月7日付)が届きました。
 ナルドの壺献金は、一人1日10円を目標に、関東教区内の信徒・教職が参加して互助費を生み出すことを目的とした献金運動です。マルコ福音書第14章3節に記されている主イエスに香油を捧げた女性の事柄にちなんで「ナルドの壺献金」と名付けられました。
 今回の宣教部からの要請です。
 “…皆様のご協力によって…尊い献金が献げられています。感謝です。しかしながら、前年2020年2月末…と比較しますと、142万円ほど少ない状況にあります。
 ここで皆様に覚えていただきたいことは、2022年度の教区謝儀互助額が諸教会・伝道所からの申請が増加し、1000万円に迫ろうとしていることです。教会・伝道所が主任担任教師を迎えるにあたり、謝儀互助の必要性が増しています。この2022年度の謝儀互助のためにも、ナルドの壺献金の2021年度の目標額1200万円の達成をお願いしたいのです。…”
 1日10円ですから、1人1ヶ月300円が目安です。まだの方はぜひ、今年度のナルドの壺献金のご協力をお願いいたします。
 ナルド通信第128号の関東教区総会議長の福島純雄先生の巻頭言に、前任地の東北教区で互助とは何か、議論を重ねたこと、教師謝儀互助にとどまらず、地域にある諸教会全体としての宣教保障であり、信徒の方の礼拝保障であるという考えに至ったと書かれており、大いに共感しました。
 教会は献金で支えられ、維持されています。献金は会費でもなく、強制でもなく、神の恵みに対する献身のしるし、感謝と信仰の証です。キリストの体である教会を愛する行為です。私たちが献げるものさえ、主からいただいたものなのです。主は私たちの献金(献身)をご存知です。
(No.872)

2022年 3月13日

平和のために祈りを(2)

 日本基督教団埼玉地区四役より、3月5日付で、地区の各教会・伝道所に「平和の祈りのお願い」が届きました。
“「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書2章4節)
 主の御名を讃美します。
 レントが始まったこの週末、残念なことに勃発してしまった「ロシア・ウクライナ」の戦争、両国の間に複雑な歴史的関係や経緯があることを踏まえても、ロシア側の無謀な侵攻と言わざるを得ません。
 特に昨日、多少の被害を出した「ザポリージャ原子力発電所への攻撃」は、両国の戦争だけに終わらず、ヨーロッパ全体を滅ぼしかねない暴挙であると言わねばなりません。
 そこでお願いですが、明日の礼拝では、武力侵攻・侵略行為に反対し、かの地の平和を願って、世界の人々の命と生活の安全が守られるように、原子力発電所が攻撃されないように、大量破壊兵器や核兵器が使用されないように等の課題を覚えて、「平和の祈り」のひと時を、各教会・伝道所で何らかの形で持っていただきたいのです。… ”
 3月10日は東京大空襲から77年、都内各地で法要や追悼会が行われたと報道され、空襲体験者がウクライナの人々を思い、心を痛める言葉も聞きました。空襲は東京だけでなく、川口周辺でも、日本の各地でもありました。一方、かつての日本は今のロシアのように軍事侵攻をしました。
 3月11日は東日本大震災から11年。福島県の公式発表情報によれば、なお3万3千人余りの人が避難生活を続けて、帰還できない状況です。東京電力福島第一原発事故のためです。
 地震や津波は自然現象です。しかし、戦争や原発の建設は人間がしたことです。人が起した災いのために、命が奪われ、脅かされています。
 主よこの世界を顧みてください。(No.871)

2022年 3月 6日

平和のために祈りを

 ロシアのウクライナ軍事侵攻について、3月2日付で教団総会議長の石橋秀雄先生のメッセージが教団ホームページに掲載されました。お祈りは掲示板と教団ホームページをご覧ください。
 「去る2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻をしました。このことは、どのような理由をもってしても決して容認できるものではありません。
特に、この度、ロシアのプーチン大統領が核抑止部隊に特別態勢を取るように命じたことについて、世界で唯一の被爆国である日本にあるキリスト教会として、何としても最悪の事態となることを防がなければなりません。
 そこで私たちは、「悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。」(ペトロの手紙 一3章11節)とのみ言葉に聴き従い、ロシアの軍事侵攻を押しとどめることができなかった私たち自身の罪を深く悔い改めつつ、ウクライナからのロシア軍の即時撤退を求め、世界宣教委員会が作成した『平和を求める祈り―ウクライナとロシアを覚えて―』を共に祈りたいと思います。…」
 更に私が親しんでいる日本FEBCのホームページに「ウクライナ情勢に関する緊急祈祷のお願い」が掲載されていました。FEBCウクライナの番組に出演されている牧師からの2月24日にアップされたメッセージです。一部紹介します。
 「…今朝(2/24木曜日)、私は爆発音で目が覚めました。状況は極めて深刻で、極めて危険です。…主イエスの福音の良き音信を伝えているラジオ番組の出演者のために祈って下さい。なぜなら、この危機的状況にあって、これこそが人々が心から求めていることであり、そしてこれこそが、FEBCウクライナが最も大切にしていることだからです。私達は、この国の人々と共にあり彼らに希望を示すために、あなたのお祈りとご支援を心から必要としています。この希望は、主イエスの内にこそ示されるものだと私達は信じているからです。…」。
 平和のために、平和の主に祈ります。
(No.870)

2022年 2月27日

主イエスの道をたどり直して

 主日礼拝の説教は、ガラテヤの信徒への手紙を終え、次は使徒言行録から説教する予定ですが、今週からレント(受難節)に入りますので、4月17日のイースター礼拝までは、マルコによる福音書の後半の、受難週の記事から説教をしたいと思います。関連で、十戒による説教も3月と4月はお休みします。
 2月24日、ロシア軍がウクライナ軍事侵攻を開始しました。激しい戦闘が続き、民間人にも死傷者が出ています。平和を祈るばかりです。武力によって平和は勝ち取ることはできません。
 人間を罪から解き放ち、神との平和に生きるようにするため、主イエスは命を献げられました。
「一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。『今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。 異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。』」(マルコ10・32~34)
 “主イエスよ、先頭に立って決然とエルサレムに向かわれるお姿に弟子たちは驚き、恐れました。…あなたは、新しい神の民を造る、生きた礎石となるべき十二人に、父なる神の御意志を語られました。ご自身が何を受け入れ、耐えなければならないかを告げられました。ここに、私どもの道も定まりました。あなたの教会の苦難と祝福の道が定まりました。今また改めて、この主の道をみ言葉に従ってたどり直し、祈りを重ねます。何度でも重ねるべき十字架の主と同行する黙想と祈りの歩みです。主のお姿とお言葉がなお一層深くこころとからだに刻まれますように。み霊(たま)が同行してくださいますように。アーメン。”(『祈り』加藤常昭著「受難1」より)
(No.869)

2022年 2月20日

「教会を支える信徒たちと」

 「信徒の友」3月号に、日本基督教団総会議長の石橋秀雄先生(埼玉地区越谷教会牧師)による「『日本伝道の推進を祈る日』の3巡目が始まります」の記事がありましたので、ご紹介します。
 “…日本基督教団は「伝道推進基本方針」〔共に祈ろう、共に伝えよう、共に献げよう〕を定め、第3日曜日を「日本伝道の推進を祈る日」としました。2021年12月号までの本誌に各教区(東京は支区)の声を北から掲載し、祈り、伝え、献金を献げて、2巡目が終わりました。・・・
 4月号より、3巡目の取り組みが始まります。祈りの輪が途絶えることなく広がっていることが、日本基督教団の希望です。しかし17教区の内、沖縄教区と京都教区の協力が得られていません。教団の痛みとして受け止めています。両教区の教会・伝道所のためにも、共にお祈りください。・・・
 1970年、わたしの最初の任地は関東教区埼玉地区の鴻巣教会です。・・・斉藤安三さんは塾を経営していました。塾の生徒や親を片っ端から教会に誘いました。・・・わたしは早口です。徹夜で準備しレポート用紙11枚の説教原稿を、15分で読み上げます。この説教中心の礼拝が楽しいと言うのです。2月の寒い日曜日、ストーブのそばに座り、「足がこんなにむくんでしまったよ」とさすりながら見せてくれました。ドキッとしました。その日、5分の距離を自転車に寄り掛かり、休み休み礼拝に来ました。30分かかったそうです。礼拝には遅れませんでした。斉藤さんは、その週の水曜日に召されました。礼拝の重みを斉藤さんに教えられました。死を意識する中、とても教会まで来ることができない体で、礼拝に来たのです。礼拝が楽しいからです。このような信徒たちにわたしは育てられました。
 それぞれの教会に、教会を支え続ける信徒たちがいます。・・・消滅の危機にあっても喜びをもって礼拝を捧げ、教会を支え続ける信徒たち・・・。その方々を紹介しながら・・・祈りと献金の輪を、日本基督教団で広げていきたいのです。”(No.868)

2022年 2月13日

「日本で福音をどう伝えるか」

 先週の2月7日、日本キリスト教団全国教会婦人会連合婦人教職問題研究委員会主催の第48回婦人教職の集い(ZOOM研修会)が開催され、参加しました。テーマは「日本で福音をどう伝えるか」。講師は、金城学院大学学長の小室尚子先生(ご専門は、宣教学、歴史神学)でした。参加者は全国各地から約40人でした。昨年末にいただいたお知らせに、次のようなお招きの言葉があり、楽しみにしておりました。〝日本でキリスト教が伸びないのはなぜか。明治期にキリスト教に触れ受洗した文化人らも、のちに棄ててしまうのはなぜか。宣教師は何を考え、どう受け止められたのか。日本の精神的伝統や宗教史を理解し、その上でキリスト教の歴史観を説明できるように、相手に伝わる福音を語れるように、共に学びます。〟
午前に、講師の小室先生の講演を伺いました。まず「相手を知る(伝道対象の精神的土壌を知る)=伝道の鍵」として、日本人の世界観を形成する宗教的伝統を語ってくださいました。
 “日本の宗教は、世界宗教である(人類に普遍的に影響を与えることができる宗教)仏教が入って来ても、あるいは儒教や中国の思想が入って来ても、それらが伝来する以前=古代から民族間で行われてきた宗教の形が失われることなく現在まで来ました。世界の諸民族の例ですと、例えば仏教のように体験が整った世界宗教が入って来ますと、民族の宗教は、その大きな宗教に呑み込まれていくのが普通です。キリスト教も、ヨーロッパの様々な民族宗教を呑み込みつつ展開していきました。けれど日本は違うのです。体系も教義も何も持たない、ただ神々を祀っていただけの民族宗教が、どんな宗教が入って来ても呑み込まれること無く、存在し続けているのです。これは世界に類を見ないことです。…(講演レジメより)”
 それを踏まえて、相手がどのようにとらえるか考えて語ることです。
 午後はグループに分かれ、自己紹介と分かち合いをしました。有意義なひと時を感謝します。(No.
867)

2022年 2月 6日

「苦難の意味―『ヨブ記』を読み解く」

 祈祷会のヨブ記の学びで参考にしている「ヨブ記注解」をお書きになった並木浩一先生が、NHKラジオ「宗教の時間」に出演されていたことを知りました。タイトルは「苦難の意味―『ヨブ記』を読み解く 前編」(12月26日放送、30分間)。インターネットの聴き逃しは2月20日(日)午前9時配信終了。「後編」(1月2日放送)の聴き逃しは2月27日(日)午前9時配信終了です。
 番組の最後に、現在、災害(津波が起こるとか、疫病が流行するとか)によって不安な生活を強いらせている私たちが、ヨブ記から何を学ぶことができるか、並木先生が語ってくださいました。
 “学ぶべきことの第一は、苦難そのものに対するヨブの姿勢です。彼は苦難から逃げることがなくて、これに立ち向かうべき運命として捉えました。人が苦難の中に置かれる時、そこから逃げようとせずに、それを引き受けることによって成熟することができます。…人が成熟できるということは大きな恵みですね。そう考えますと「主は与え、主は取り去りたもう。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ1・21)の言葉が重みを持ちます。…聖書的な最終的な根拠はここにあると私は思います。今までたくさんの人たちが重い病床で、この言葉に慰められ力づけられてきました。それに対して苦難を単に人間の宿命として捉えると、人間はあきらめるしかないと思います。人生の意味は消極的になります。命が輝きませんね。…
 私が学ぶのは、柔軟に考え行動する姿勢です。ヨブは恐ろしい苦難に襲われて、なお神に服従する姿勢を示しました。しかし、しばらく考えた後、神への抗議の姿勢に転換いたしました。…もしヨブが神への服従一点張りであったとすれば、ヨブは主体性を失いかねません。また神への抗議の姿勢だけでも、ヨブは単なる反抗者になるに過ぎない。神への信頼がヨブの自由な精神の行使ですが、それが服従と反抗という一見相反する姿勢を一つに束ねています。神への信頼がヨブの柔軟な姿勢の支えになっている、と私は思います。…”(No.866)

2022年 1月30日

「人生の道を勇ましく前進」

 報告が遅くなりましたが、1月15日に川口がん哲学カフェいずみ5周年記念講演会「人生の道を勇ましく前進―より良いゴールに向かって」が開催されました。お祈りを感謝いたします。
 講師は、皆様ご存知の樋野興夫先生(新渡戸稲造記念センター長。順天堂大学名誉教授。順天堂大学医学部、病理・腫瘍学客員教授。一般社団法人がん哲学外来理事長。恵泉女学園理事長)。参加者は23人。初参加者は12人。栃木県からいらしてくださった方もおられ、驚き、うれしく思いました。樋野先生の著書をお読みになっていて「樋野先生から直接お話を伺いたかった」という方もおられました。ご自分の地域でがん哲学カフェの活動をしておられる方も数名おりました。コロナ禍でもあり、参加者の方々のお顔とお名前が一致する、ちょうどよい人数だったと思いました。
 樋野先生には、2017年1月の川口がん哲学カフェいずみ開所記念講演会から毎年いらしていただき、今回は6度目となりました。樋野先生は、講演と質疑応答の後には、個人面談(がん哲学外来)もしていただき、感謝でいっぱいです。
 講演会の前日に、樋野先生から、言葉の処方箋のカードをプリントしてくださいとの連絡をいただき、急遽作成しました。皆様にもご紹介します。樋野先生の癌研究所時代の恩師・菅野晴夫先生のお言葉です。「30代は人にいわれたことをがむしゃらにやれ、40代で自分の好きなことに専念し、50代で人の面倒をみる、60代になっても自分のことしか考えていないなら恥と思え」。高齢社会ですので、「70代、80代、90代は?」とのリクエストがフロアからありました。「100代」も含めて、宿題となりました。きっと樋野先生が示してくださると思います。
 樋野先生にはご講演と、質問とコメントに、誠実に丁寧に語られ、またお応えくださいまして、寄り添うことに気づきが与えられました。川口がん哲学カフェいずみは、空っぽの器として、必要な方のお役に立てればと願っています。
(No.865)

2022年 1月23日

ヨブ記を読もう

 祈祷会では先週からヨブ記の学びが始まりました。今回参考にしますのは、昨年の夏に刊行された並木浩一著「ヨブ記注解」(教団出版局)です。並木先生のヨブ記に対する情熱が感じられる「まえがき」です。一部紹介いたします。
 “…ヨブ記作者はアイロニー精神に富む硬派の思想家である。同調圧力には断固として抵抗する強い知力、意志力、自負心、強烈な個性を持った冷静な人物であるが、素直に語り、怒り、悲しむ激情的な人でもあり、一筋縄では捉えられない。彼自身は神への信頼と神の正義への懐疑の両者に生き、神に固着して呻吟した。神の応答に出会ってからは、想像力を羽ばたかせる喜びを味わいつつ、神が示した、被造世界に生きる野生動物の躍動を描写した。作者は読者を思索の小路へと誘導する。目的地を明示することはまったくない。また、ヨブ記の叙述には仕掛けが多い。ヨブ記に不用意に取り組むと、読み方を間違える。読者は自らの読み解きを何度も吟味し、反省させられる。それにより、人々が信仰と思想をより深く考えることを作者は期待しているであろう。ヨブ記は読者の信仰と精神を鍛えるために書かれたのだと受け止めて損は無い。ヨブ記は読む時によって印象が異なる書物である。時間を置いて読み直せば、ヨブ像もヨブ記全体も違って見えるだろう。
 ヨブ記の基本的な姿勢についてあらかじめ一言だけ記しておく。人間は被造世界の一員として神の支配に服しているが、人には自律的な領域である「内部世界」があり、神はそれを尊重する。神はヨブの内部世界には干渉しない。この内部世界の確立がなければ、人間の「自由」は存在できない。人が自由を持つがゆえの苦悩を徹底した筆致で描いた書物、それがヨブ記である。
 …(ヨブ記は)信仰者に安易な姿勢を捨てさせ、信仰を一度疑いのるつぼに投げ入れて鋳直す役割を担っている。…”
 一筋縄では捉えられないヨブ記を、主に期待して、共に学びましょう!(No.864)

2022年 1月16日

埼玉地区の交わりを喜ぶ

 先週の1月10日(月・祝)、岩槻教会を会場として、埼玉地区最寄り1区新年合同礼拝が行われました。昨年は、コロナためやむなく中止となりましたが、今年は、最寄り区ごとに行う礼拝を、各区が工夫して開催しました。最寄り1区では、各教会から3人までと出席者数を限定して、対面で行いました。出席者は、22教会、47人でした。礼拝後は、お互い久しぶりの再会を喜び、挨拶を交わして帰途につきました。
 今年度の埼玉地区の主題は「主にある交わりを深めよう」。聖句は「御言葉(言・ロゴス)を教えてもらう人(信徒)は、教えてくれる人(教師)と持ち物(良い物)をすべて分かち合い(交わり・コイノニア)なさい」(ガラテヤの信徒への手紙6章6節)です。地区総会資料「宣教活動計画に関する件」の議案の説明にこう記されています。
 “…この聖句は、多くの場合、「教師の生活を、信徒が支える」というように理解されることが多かったと思いますが、必ずしもそれだけではありません。本文に、注的な言葉を入れましたが、「御言葉」は、ヨハネによる福音書冒頭の「言(ことば)」です。これは、原語ではロゴスで「意志・心・愛」等にも訳せる言葉です。ヨハネは、明らかに、キリストのことを示す思いで書いたのでしょう。またパウロの書いた手紙の「持ち物」は、地上の宝などではなく、これは「良いもの」です。聖書に於いて「良いもの」とは、福音以外ではあり得ません。従って、この御言葉が語ることは、信徒も教師も、同じもの…キリストの福音…によって生き、生かされ、両者が正しく交わることこそ教会だと勧められているのです。
ということは、地区の諸活動は、主に召された者の活動であり、その内容・務めは様々ありますが、神の栄光を現すためのもの、キリストの体なる教会をたてることです。なお、教会は、建物なのではなく、主キリストの体であり、その教会を建てることは、「教会を信じること(使徒信条より)」なくして出来るものではありません。…”(No.863)

2022年 1月 9日

若者に何を伝えるか

 明日は成人の日。
 キリスト教放送局FEBCの12月31日の特別番組「認知症とは何か?」(第1回)を聴きました。お話は中川博道神父(カトリック・カルメル会宇治修道院司祭)です。心動かされた一部分を文章起ししたものを紹介します。
 “…私自身の恩師(ドイツ人の宣教師でフランシスコ会の司祭)。19歳に出会い、40年以上のお付き合いをしてきました。…晩年車いすになり、お見舞のとき、いろいろな話をして、別れ際に、「思い返すと感謝するばかりですね」と心から明るい表情でおっしゃった。きちんと話せた最後の会話でした。そのとき、私が洗礼を受ける前に話をした時のことを思い出しました。神父さんに「あなた、これからどういうふうにして生きいくのですか」と訊かれて、「あまり考えていません」と言ったら、「無責任ですよ。その年になって何も考えていないなんてありえません」と激励され、その話の延長線上で「あなたは老後をどう生きていくつもりですか」と訊かれました。19歳の私に。「そんなこと私には関係ありません」と答えたたら、「何を言っているのですか。人は必ず一日一日年をとっていくのですよ。晩年になってああしたい、こうしたいと言っても無理ですよ。私は修道生活だから、家族もいないし、恐らく車いすに置かれて一日過ごすことになる、そうなったときに私は感謝して生きる人間になりたいんです」。そのことをはっきりと覚えているんです。…この方は「人生とは、火葬場への待合室です。私たちはすべてを降ろしていかなければならない。心ひとつで神の前に出ていきます。神様は、何を持っていたか、何をしたかは訊かれません。『あなたはだれですか』と訊かれるはずです」。最初に私が受けた強烈なメッセージでした。今でも私は、高校生や大学生に話すチャンスがあったら、このことを紹介します。そのことを踏まえた上で、今持っているもの、していることを考える。何が残るものなのか、絶えず問いかけ続けています。…”
(No.862)

2022年 1月 3日

「主からの恵み 三六六日」

 先週、思いがけないプレゼントが届きました。小林久仁子先生のご著書「主からの恵み 三六六日」です。小林久仁子先生は、札幌市の厚別キリスト教会の牧師で、お連れ合いは西川口教会出身教職の小林悦治先生です。
 久仁子先生は、恩師の助言に従い、神学校を卒業されてから、聖書通読の中で心に響いた御言葉と、心にわいてくる言葉を書き記すようになり、60歳のときこの「主からの恵み」をまとめたいと願いが起され、10年後に着手され、このたび信仰生活50年の証としてまとめられたそうです。
 1月1日の「主からの恵み」です。

“初めに、神は天地を創造された。(創世記一・1)

 聖書は、開口一番「初めに、神は」と告げている。「初めに、神は天地を創造された」という言葉そのものの中に、神の驚くべき創造のわざを通して、神の存在を告知している。その神の語りかけを聞き、神を信じるようになった人はたくさんいる。同志社大学の創立者である新島襄もその一人である。
 この「初めに」という言葉は「終わりと対比される『初め』ということではなく、すべての根底、根源、本質としての初め、ということ」と、黒木安信先生は「創世記に聞く」で書いておられる。つまり、わたしたちの初めに何を据えているかによって、わたしたちの心の内が見えてくるというのだ。何を拠り所として生きているのかということであろう。

 新島襄にとって、創世記一章一節の言葉は、人生の拠り所を見つけることができた希望の言葉であったろう。
 わたしは、何を拠り所として生きてきただろうか。この一年、まず「神」を初めとして歩んで行こう。初めを導かれる神は、終わりをも結んでくださるお方だから。(二〇一一)”(No.861)

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