週報短文
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2023年12月31日クリスマス~暗闇の中に輝く光
先週24日は、朝のクリスマス礼拝、午後の夕拝、夜のイブ礼拝と、3回の礼拝の御用が守られました。イブ礼拝では、ヨハネ福音書第1章から説教しました。「万物は言(ことば=キリスト)によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ1・3~5)。神がこの世界をお造りになりました。私たちも神の作品です。イエス・キリストは神の命そのものです。キリストの命の光は暗闇の中で輝いています。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。… 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(ヨハネ1・12、14)。キリストは神と共にあった世界から、私たちのところに来てくださいました。「宿られた」とは、天幕(テント)を張って住む、という意味です。キリストを信じる人を、神の子とするために、キリストは来られ、私たちの間に、私たちのかたわらにおられます。
ご奉仕が守られ、クリスマスの恵みに浸っていたとき、神の大きな救いは夜になされたことを改めて思い起こしました。エジプトを脱出した神の民に紅海を前にしてエジプト軍が迫っていたときのこと。雲の柱が移動して民とエジプト軍との間に入り、真っ黒な雲がたちこめ、光が闇夜を貫き、両軍は一晩中互いに近づくことはありませんでした。神は徹夜で民の救いのため戦ってくださいました(出エジプト記第14章)。また、主イエスのゲツセマネの祈りを思い起こしました。引き渡される前の夜、主イエスは父なる神に「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られました。さらに、主イエスが十字架におかかりになったときも、昼の12時なのに全地は暗くなりました。主イエスは、十字架の苦しみを耐え忍び、救いを成し遂げられました。(No.965)
2023年12月24日「悲しみよ、ありがとう」より
先週17日は4年ぶりにゴスペル夕拝を行うことができ、感謝でした。ゴスペルクワイヤJOINのご家族・友人がいらしてくださいました。その夕拝ではゴスペルの後に、短い説教をしました。ヨハネによる福音書を読みました。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3・16~17)。
朝の礼拝にひきつづき、水野源三さんの詩を紹介しました。
「心臓」
なにげなく
胸に手をやれば
心臓が動いている
まだ動いている
いくたびも医者に
だめだといわれたのに
心臓が動いている
まだ動いている
私の意志でなく
神様の意志で
心臓が動いている
まだ動いている
「苦しまなかったら」
もしも私が苦しまなかったら
神様の愛を知らなかった
もしもおおくの兄弟姉妹が苦しまなかったら
神様の愛は伝えられなかった
もしも主なるイエス様が苦しまなかったら
神様の愛はあらわれなかった
水野源三さんの詩に感動したと、夕拝の後、声をかけてくださった方が何人もありました。(No.964)
2023年12月17日主イエスと共に生きる喜びを
毎月第3主日は「日本伝道の推進を祈る日」です。全国の教区・教会・伝道所を覚えて祈りをあわせましょう。
・東海教区(長野県・山梨県・静岡県)
“東海教区では、若者宣教の一環として年に1度、青年・中高生修養会を開催しています。…今年は7月16日、17日に…「神の恵みの選びに応える教会」で、本城仰太牧師(中渋谷教会)を講師として開催しました。…参加人数は例年30名前後、教師・委員を除く若者たちは10名前後です。続けて参加する者も多くいます。
このことからも若者のための貴重な会としての意義を感じています。…教区教会全体の協力による修養会が、若者の信仰の成長や信仰告白・洗礼の後押しとなり、教会に仕える働きであるように願っています。…”
祈りの課題 教会牧師館の移転先が決まり、新しい地でも、伝道に励み、地域に開かれた教会を目指しておられる喬木教会のために。
・中部教区(富山県・石川県・福井県・愛知県・岐阜県・三重県)
“中部教区では、中高生を対象としたバイブルキャンプ(通称You中部)を、2017年度から2022年度までに5回行いました。…このキャンプがきっかけとなって、洗礼や信仰告白の決意を与えられた中高生も少なくありません。うれしいことに、大学生になってスタッフとして参加してくれている青年もいます。新型コロナウイルス感染拡大により、1回の中止と2回のオンライン開催を経て、2022年度は4年ぶりに対面で行われ、大いに盛り上がりました。第6回は、2024年3月25日から…青山学院大学の塩谷直也先生を講師に迎え…行われます。…中高生に福音が届けられ、主イエスと共に生きる喜びが与えられますようにお祈りください。”
祈りの課題 コロナの影響を受けて困難を覚える諸教会・伝道所を覚えて。/過疎化が進む地域の伝道を覚えて。(No.963)
2023年12月10日アドベントからクリスマス・新年へ
今年のアドベントは12月3日から始まりました。今年のアドベントからクリスマスにかけては、使徒言行録の説教をお休みして、アドベントの意味である「到来」を深く味わいたく思いました。そこで、アドベント第1主日はイザヤ書の平和の王のメシア預言から説教しました。本日のアドベント第2主日はガラテヤの信徒への手紙の使徒パウロの言葉から、アドベント第3主日はルカによる福音書の主イエスとザアカイとの出会いの物語を通して、主の到来とはどのような恵みの出来事なのか、御言葉に聴きたいと祈り求めています。アドベント第4主日の12月24日のクリスマス礼拝・夕拝とイブ礼拝では、ヨハネによる福音書から説教をします。今年最後の主日の12月31日は日本基督教団信仰告白による説教をします。慣例により、2024年の元旦礼拝はありません。
アドベントの御言葉と共に、主の年2024年の教会の御言葉を祈り求めておりました。ヨハネによる福音書第3章3節の「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」に決めました。主日礼拝では、使徒言行録の説教を終えたら、ヨハネによる福音書の説教を始めます。久しぶりに福音書からの説教となります。
「新しく生まれる」と聞くと、洗礼の出来事を思い起こします。私は1981年のクリスマスに西川口教会で洗礼を受けました。洗礼を受けて42年も経ちました。ここまで教会生活を続けることができたのは、ただ神の恵みです。キリスト者であればそれぞれに、救いの原点である洗礼を経て、今があるわけですが、聖霊の働きによって、救いの喜びをいつも新たにされたいと思います。クリスマスに洗礼を受けた方も多いと思います。闇から光へ導き入れてくださった主イエスの救いを賛美することができますように。そして主に栄光を帰すことができますように。
何の支障もなく礼拝や諸集会ができ、そこに集えることも大きな恵みです。地の上に、主の平和が訪れますように。切に祈ります。(No.962)
2023年12月3日ボーマン先生との出会いを喜ぶ
11月26日、ボーマン・ベアンテ先生をお迎えして、特別礼拝とチェロコンサートが行われました。お連れ合いのルリ子先生がピアノ伴奏者としてご奉仕されました。ボーマン先生はチェロと一体となって演奏され、その響きは礼拝堂に広がり、賛美に包まれるようでした。演奏で、心開かれたところで、まっすぐに、主イエスの福音を語ってくださいました。チェロコンサートのメッセージから紹介します。
“…この方は偶然生まれたのではない。普通の人間でもない。なぜかというと、復活があるから。これは否定することができない歴史的事実です。これは起こったんです。イエス・キリストは、永遠の命を与えるために、私たちの罪を負うために十字架についてくださった。これが私たちの信仰の一番大切なこと。完璧な人間はだれもいません。正しく生きていても、必ずどこか間違いが出てきます。私たちには恵みが必要。その恵みとは、イエス・キリストが私たちのために死んでくださったこと。きよめが信仰によって得られる。働きによってではない。自分で自分をきよめられない。恵みが必要。イエス様が罪を赦してくださる。イエス様は世の救い主。一人しかおられない。ただ一人、私たちの罪を背負ってくださって、天に昇り、永遠に生きておられる方です。イエス・キリストは私たちの心の扉をたたいて、待っておられる。イエス様は入りたいのです。私たちの人生を導いて、豊かな命を与えたいのです。「私も希望が欲しい。生き方を変えたい。でも自分ではどうしようもない」という人もいると思うのです。イエス様が助けてくださる。あなたの問題も背負ってくださる。それがイエス様の素晴らしい愛です。こんな素晴らしい方があなたを愛して、救いたいのです。音楽はあなたの魂を救うことができません。本当に信仰をもって、「イエス様、私もあなたを信じたい。あなたの命が欲しい」という祈りが、あなたの人生を変えます。イエス様は立って待っておられます。…”(No.961)
2023年11月26日全て受け止める
S・H姉が、11月16日に主のみもとに召されました。11月20日に当教会で告別式を行いました。S・K兄はじめご遺族の皆様に、主の慰めを祈ります。
H姉の信仰の証しから。
“…私が受洗したのは1978年のクリスマスです。横山義孝牧師より夫婦共に洗礼を授けていただきました。43年の間にはいろいろなことがありましたが、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケ一5・16~18)の御言葉を心に留め、過ごしています。親の役目も終わりつつある今の思いはこの聖歌のとおりです。「今日まで守られ 来たりし我が身/露だに憂えじ 行く末などは/いかなる折りにも 愛なる神は/全ての事をば 良きにし給わん」(聖歌292番)”(西川口だより2022年4月号より)
“…覚悟っていうか。全て受け止める。それしかない。聖書にありましたね。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです」(ローマ14・8)。死んでいても生きていても、どちらでもいいんだと。人間は、一度は死ななきゃならない。何百年も生きる人はいないですからね。…”(西川口だより2023年6月号より)
10月22日が最後の主日礼拝の出席となりました。生も死も含めて、全てを信仰によって受け止めて、神に委ねて生き抜かれたH姉でした。
ご家族からの言葉にも真実を感じ、心を動かされました。「ふつうにやさしかった」。「ごはんがおいしかった」。「朝はみんなのごはんを準備して、夜は一番遅く寝るような母」。「我慢や忍耐強いという言葉があてはまるような母」。「いつも笑顔で迎えてくれる優しい人」。「昔ながらの母の務めを全うする人、優しく厳しい人」。「家で聖書を読みながらノートに書いていつも勉強していたのが印象に残っています」。(No.960)
2023年11月19日祝福の約束を信じて
毎月第3主日は「日本伝道の推進を祈る日」です。全国の教区・教会・伝道所を覚えて祈りをあわせましょう。
・西東京教区(東京都西部)
“西東京教区の青年会は、コロナ禍においても青年メンバーが中心となり、オンライン集会や夕礼拝を共にする機会をもっていました。…今年度からは…対面での集会を開催しています。…教区内にSCF(学生キリスト教友愛会)があるのも大きなメリットです。SCFとの連携体制が整っており、互いの集会に誘い合ったり、相談をしたりしながら、共に歩んでいけることは心強いです。…「…しかし、今日この日から、わたしは祝福を与える」(ハガイ書2・13)という御言葉を信じて、共に青年伝道に思いを傾けていきます。”
祈りの課題 青年会を企画・運営する青年メンバーがさらに与えられ、喜びをもって仕えることができますように。/ユース伝道の前進のため、各教会や諸団体とますます一致して歩むことができますように。
・神奈川教区(神奈川県)
“神奈川教区青年委員会は、年に2回程度の「青年の集い」の開催と、年に1~2回の「青年NEWS」の発行を活動の中心としています。青年の集いは教区内の教会を会場に、20~30名が集っています。…コロナ禍においてはオンライン開催となり、全国のさまざまな所から、また海外からの参加もあって、新たな活動の展開を感じることができました。…誰でも参加できるさまざまな活動を積極的に行っていくことを願っています。…委員が楽しんでいなければ参加者にも楽しさが伝わらないので、実現は難しい夢のようなアイディアも出し合い、笑いあっています。”
祈りの課題 コロナウイルス感染により制約された礼拝等から、教勢の回復に努めている106の伝道所・教会の宣教に主の導きと祝福がありますように。/青年委員会を始めとする各委員会の働きが主に祝されますように。(No.959)
2023年11月12日人の思いを超えた主の導き
使徒言行録の説教を続けて参りました。連続で説教をするならば、本日は第21章からとなりますが、第21章以降の使徒言行録の記事は、ひとつの区切りがとても大きくなります。また、繰り返しが大きくなり、丁寧な書き方をしています。今年度内には、使徒言行録の説教を終えたいと思いますので、これからは聖書箇所を少し飛ばしながら、説教をいたします。
使徒言行録第21章では、エルサレムにおける使徒パウロの逮捕が記されています。パウロはここからは囚人となり、使徒言行録はローマにおける軟禁状態の生活をもって終わります。パウロは、聖霊によってローマに行くことを示されていました。パウロ自身、ローマに行って伝道したい気持ちのあることを語っています(ローマ1・10、15)。パウロにとってローマ行きが重要ですから、自分が捕らえられたことが、自分が希望していたローマ行きにつながったとは、人の思いを超えた、主の御手の働きでした。そのことを著者ルカも信じて書いています。
使徒言行録第21章にある通り、パウロが捕らえられたのは、直接にはエルサレム神殿を汚したことが理由になっています。パウロは、同胞であるユダヤ人に逆らわず、律法と神殿を大切にしていることを示すため、神殿に入りました。しかし、パウロがこのように同胞を思ってしたことが、実際は、パウロを敵視していた人には彼を訴える口実になりました。しかし、それがローマ行きにつながったのです。
使徒言行録では、ユダヤ人たちがパウロに批判的であるのに対して、ローマの役人たちはパウロに対して無関心か同情的です。それは、初期の教会の活動が、ローマの役人たちにとってはユダヤ教のことであり、治安の問題に発展しない限りは、干渉するつもりはなかったからです。パウロが捕らえられてからの、全体の流れを見ていくと、この役人たちが、結果的にはパウロのローマ行きの道具として用いられることになります。(No.958)
2023年11月5日聖徒の日を迎えて
毎年、11月第1主日は「聖徒の日」で、西川口教会では召天者記念礼拝をささげます。地上の生涯を終えた愛する人たちは神の御手にありますから、案じることはありません。なお生かされている私たちは、どう生きていくのか。
先週、説教塾の学びで、心が躍るような説教を知りました。本日の召天者記念礼拝のために、与えられた言葉のように感じました。紹介いたします。主の慰めと励ましを祈りつつ。
“…しかしながら、彼は、滅び〔墓〕からあなたの生命をあがなった。…これこそ、このお方があなたになされたいつくしみである。…あなたはいつか死ななければならない、そして死ぬであろう、…しかし、私たちは、われらの贖い主は生きておられることを知っている。何となれば、かつて、イエス・キリストとして、私たちの罪のために死なれたその同じお方、私たちの病をになわれたその同じ方が、死人の中から甦(よみが)えられたのであるから、そこでは、私たちの死もまた殺されたのである。…あなたは死に対して不安をいだく必要はない。…あなたは、全くただ一つのこと以外に知る必要はない、それは「イエスは生きたもう、そして私もまた彼と共に生きる。死よ、お前の威嚇(いかく)はもはやどこにあるのか」である。あなたは、ただそのことにのみ信頼しつづける必要がある。…たといあなたが滅びに向かって行くとしても、そのような時にも、喜びに満ち溢(あふ)れるであろう。…
忘れてはいけない、神は、あなたにこのようないつくしみを施されたのだ。そのことを思い起こせ! あなたが死なねばならず、ちり灰とならなくてはならないことを忘れてはいけない。しかし、はるかにもっと忘れていけないことは、イエス・キリストが死人の中から甦えられたということだ。恐るな! 滅びなければならないもののために生きるな、むしろ、あなたがその滅びから数われていることを喜べ! …”(『カール・バルト 詩編一〇三・一~四による説教』より)(No.957)
2023年10月29日宗教改革記念日を前に
10月31日は宗教改革記念日です。マルティン・ルター(1483頃~1546)は、贖宥状を批判し、1517年10月31日に九五箇条の提題を契機に改革へと至り、プロテスタント教会が生まれました。 ルターは、当時の教会が福音の真理にのっとっていない点を指摘したのでした。
ルターは自分が神の真理を知っていると誇っているのではなく、貧しい信仰者であることを自覚していました。それがルターの祈りに表れています。
マルティン・ルターの祈りを紹介します。
「むなしい器」
ごらんください、 主よ、満たされる必要のあるむなしい器を。
わたしの主よ、どうかこの器を満たしてください。
わたしの信仰は弱いのです。 どうか、強くしてください。
わたしの愛は冷え切っています。
わたしをあたため、 わたしを熱し、
わたしの愛が隣人に届くようにしてください。
わたしには強く堅固な信仰が欠けています。
ときとして、わたしは疑い、
あなたをひたむきに信頼することができません。
ああ、主よ、どうか助けてください。
わたしの信仰を強め、 あなたを信頼させてください。
わたしはあなたのうちに、わたしがもつ宝のすべてを置いています。
わたしは貧しく、 あなたは富んでおられ、
貧しい者に対して恵み深くあられる方。
わたしは罪人であり、あなたは正しく、
わたしは罪にまみれ、あなたのうちには義が満ちあふれています。
ですから、わたしはあなたとともにいたいのです。
わたしはあなたからいただくばかり、
あなたに差し上げるものはなにひとつありません。アーメン
(『祈りのともしび 2000年の信仰者の祈りに学ぶ』より) (No.956)
2023年10月22日関東教区教師部研修会
10月16日(月)、対面(大宮教会礼拝堂)とリモートで、今年度の関東教区教師部研修会が開催され、久しぶりに参加しました。テーマは「御国の完成に向かって宣教する教会」、講師は、日本福音キリスト教会連合東松山福音教会牧師の岡山英雄先生でした。
講演Ⅰ「終末論概論」と、講演Ⅱ「終末論と宣教、説教の関係」と二つの講演をお聞きしました(講演は、関東教区のホームページから視聴できます)。
キリスト教終末論は、大きく分けて三つの説があります(それぞれの説にも幅があるが、キリストの再臨は共通)。
① 歴史的前千年期説・後患難期説(神の国はすでに&まだ)
② 患難期前携挙説(ディスペンセーション主義前千年王国説・教会は患難期の前に携挙)
③ 無千年王国説(神の国はすでに来ている)
岡山先生が、この終末論を歴史的に解説してくださったのが、良かったと思いました。教会は歴史の中に生きており、大きな出来事の影響を免れません。終末論も例外ではなく、歴史の出来事が背景にあることを知りました。
私たちは毎週、主日礼拝で使徒信条を告白しています。その中で「(キリストは)かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまはん」と、キリストの再臨と審判が必ず起こることを、将来の希望として信じています。復活され天に昇られた主イエス・キリストが再び来られて、神の国を完成させてくださること、私たちの体はキリストと同じ復活の体に変えられること、正しい審判がなされて、神の正義と真実と愛が貫かれること。全世界の救いの完成を信じます。終末の希望を再確認しました。
「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。…わたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです」(ペトロ二3・8、13)。 (No.955)
2023年10月15日共に歩む仲間がいる
毎月第3主日は「日本伝道の推進を祈る日」です。全国の教区・教会・伝道所を覚えて祈りをあわせましょう。
・東京教区北支区(新宿区、文京区、豊島区、北区、板橋区、練馬区、中野区の一部)
“日韓青少年合同修養会は、今年19回目を迎えた中高生の日韓交流プログラムです。…この修養会は、参加者たちに「早く寝なさい」と言わない珍しいプログラムです。夜通し一緒に遊ぶからこそ仲良くなることを、スタッフたちは経験上知っているからです。…また、ただ楽しい内容だけではなく、関東大震災の朝鮮人虐殺に関するフィールドワークや…DPRK(いわゆる北朝鮮)との国境エリアで平和について学ぶプログラムなどをこれまで行ってきました。…子どもたちが自分たちの力で平和をつくっていく、そのお手伝いをこれからも続けていきたいと願っています。”
祈りの課題 北支区と韓国基督教長老会の交わりと連帯が深められ、東アジアに和解と平和を築く宣教の業が良き実を結びますように。
・東京教区千葉支区(千葉県)
“…支区教育部は4つのイベントをもって、支区内のCS活動を支援しています。夏には「JS(ジュニア・シニア)サマーキャンプ」を通して区内の中高生年齢の子どもたちの交わりと成長を、秋には「CS教師協議会」で各教会のCSの情報交換と学びを、春には「JS春の集い」と「CS生徒大会」を通して交わりと楽しいひと時を目指しています。…支区内には子どものいない教会も多く、各教会のCSの規模も大きくありません。けれども、このような交わりを通して、一緒に歩んでいる仲間がいることを確認し、希望をもって伝道に励む時となることを願っております。”
祈りの課題 房総の小規模教会・伝道所のために(10月9日~10日開催の房総の教会に学ぶツアーⅡのために)/支区内諸教会・伝道所のこどもたちのために/困難な課題を抱える人々、とりわけ外国にルーツがある方々のために (No.954)
2023年10月 8日「イエスは主である」
本日は、今年の神学校日・伝道献身者奨励日です。日本基督教団行事暦で、10月第2主日に定められています。
日本基督教団が教師(牧師等)の養成を委ねている神学校は次の通りです。
① 東京神学大学(東京都三鷹市)
② 関西学院大学神学部(兵庫県西宮市)
③ 東京聖書学校(埼玉県吉川市)
④ 同志社大学神学部(京都市)
⑤ 日本聖書神学校(東京都新宿区・夜間)
⑥ 農村伝道神学校(東京都町田市)
日本基督教団教師委員会発行の神学校日のポスターが掲示されていますので、ご覧になり、お祈りください。
9月末、第11回日光オリーブの里アシュラムに参加しました(アシュラムセンター主催)。懐かしい方々との再会、新しい方々との出会いを喜びました。今回は、日光オリーブの里アシュラムの参加者で、神のみもとに召された方々を覚える追悼の集会も持たれました。アシュラムセンター主管牧師・榎本恵のお母様の榎本和子さん(ちいろば先生榎本保郎師のお連れ合い)も記念され「母は祈りの人であった」と語られました。地上の生涯を終えたとき、そのように思い起こされるとは、祝福された人生だと感じました。
今回のオリーブの里アシュラムの主題は「あなたはわたしを何者だと言うのか」(マタイ16・15)でした。アシュラムの挨拶にもなっている「イエスは主である」は教会の信仰告白です。この救いの言葉は、聖霊によらなければ言えないものです(コリント一12・2)。榎本恵先生の開会礼拝で「『イエスは主である』とは、『私は僕(しもべ)である』ということです」、「主よ、お話しください。僕は聞いております」(サムエル上3・9)と語られました。教師だけが献身者ではなく、「イエスは主である」と信仰告白する私たちは、主イエスの僕です。献身者です。主の僕にふさわしく生かされることを祈り求めます。(No.953)
2023年10月 1日埼玉地区教師研修会
9月25日(月)、久しぶりに対面で、埼玉地区教師委員会主催の研修会が行われました。場所はホテルヘリテイジ熊谷でした。テーマは「『聖書 聖書協会共同訳』について ―事業の概要と翻訳の特徴―」、講師は、日本聖書協会編集部主任の飯島克彦氏でした。
開会礼拝は、三芳教会の渡邊典子先生がご奉仕くださいました。
講演では、2018年12月に発行された『聖書 聖書協会共同訳』について、発行から丸4年を過ぎた近況も含めて、事業の概要と翻訳の特徴が語られました。聖書の翻訳は約30年ごとに行われています。日本聖書協会のこれまでの翻訳、改訳は、明治元訳(1887年)、大正改訳(1917年)、口語訳(1955年)、新共同訳(1987年)です。なぜ新しい聖書翻訳が必要となるのか。,聖書の新しい底本が出ています。つまり聖書の本文に変更が生じています。また時代に伴い言葉も変化をしています。聖書学や周辺諸学の進展もあります。そのため聖書の翻訳や改訳の必要がでてきます。聖書協会共同訳は、新共同訳の改訂版ではなく、新訳です。新共同訳と同様、プロテスタントとカトリックの両方から翻訳作業に携わったという点では、「共同訳」です。聖書協会共同訳発行のため、まず諮問会議を開いて、国内18教派・団体の議員から意見を聞き、翻訳方針を取りまとめました。方針前文の結論は「礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語訳を目指す」というものでした(翻訳事業の概要について、日本聖書協会から資料を数部いただきましたので、受付に置いておきます)。発行から4年を過ぎて、聖書協会共同訳を採用することに決定した教派、キリスト教主義学校も増えてきました。
研修会後半で、講演への応答がありました。新しい翻訳の必要性は理解できること、説教準備には有益であること、教会としての採用はまだ時間がかかりそうだとの声があがりました。
良き研修会でした。主に感謝。(No.952)
2023年 9月24日教会役員の選出
本日の礼拝後に、教会役員選挙規程修正案の説明会を行います。この会の趣旨説明は資料の中にあります。教会役員の選出について、改めて確認したいと思います。
日本基督教団西川口教会規則第29条に「役員は、教会総会において現住陪餐会員たる信徒の中から選挙する」と明記されています。教会の総意をもって役員を立てるということです。牧師の一存や信徒の推薦で選ぶのではありません。また実務ができる人を選ぶのでもありません。教会員の皆が祈りをもって、神の教会に仕えるにふさわしい役員が立てられるよう選出することが求められています。
日本基督教団の多くの教会で、役員の選出に苦労しています。高齢・仕事などのために引き受けることが難しく、総会で選ばれても辞退する人もあります。
役員任職式で問います。「あなたがたは今、恵みによって役員の務めに任じられようとしています。あなたがたがこの務めに任じられるのは、教会のかしらであり牧者である主イエス・キリストの召命によると確信しますか。あなたがたは、この教会が属する日本基督教団の信仰告白に基づいて教憲・教規を誠実に守り、教会の一致、純潔、平和、発展のために祈り、このために努めることを約束しますか」と問い、誓約します。
教会員も誓約します。「あなたがたが選んだ兄弟姉妹は、今、役員の務めに任じられようとしています。あなたがたはこの教会の役員として彼らを受け入れ、主による従順をもって、その務めを十分に果たさせることを約束しますか」と。教会役員の責任は大変重いものです。教会全体で祈りをもって支えなければその職務を全うすることはできません。教会員は、役員を選んで任せっきりではなく、その職務を全うできるように祈り、協力していく責任を負っています。
互いに与えられた役割を主の恵みによって担い、共に教会の使命を果たして参りましょう。(No.951)
2023年 9月17日教会の青年たちの活動
毎月第3主日は「日本伝道の推進を祈る日」です。全国17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区(東京は支区)ずつ紹介します。全国の教区教会・伝道所を覚えて祈りをあわせましょう。
・東京教区西南支区(渋谷区、港区、世田谷区)
“…現在42の教会があります。その中で、現住陪餐会員数が100名を超えている教会が15(あります)…しかし一方で、支区内の教会が全て経済的に恵まれているわけではありません。現実に、この5年で1教会が合併、1教会が解散しました。無牧となり、次の牧師を迎えることに困難を感じている教会もあります。さらにコロナウイルス感染症の影響が影を落としています。…
2023年2月、「西南支区ユースの集い」が開催され…ました。青年のための集会が支区で開催されたのは久しぶりです。青年たちの活動は支区の未来そのもの。祈りつつ今後に期待しているところです。”
祈りの課題 「使徒教会」「ベテル教会」「代官山教会」「祖師谷教会」のために/敬愛する主任牧師を神さまの御元に送った千歳丘教会のために。/…課題を抱えている西南支区内の教会のために。
・東京教区南支区(渋谷区・港区・世田谷区の一部、品川区、大田区、目黒区)
“…南支区には「U(アンダー)―29」という集いがあります。…中高生から29歳以下の青年たちをメインとし…、7教会を会場に8年間続けられ、青年の証し、対話、そして食事を共にしながら交わりを深めています。毎回スタッフも含め約50名が集まります。…昨年度は今年度の準備のため休止し、今年11月にいよいよ対面で…を開催することにしました。ここでまた新たな出会いが生まれることを願っています。”
祈りの課題 コロナ禍による礼拝諸集会の制約からの回復が力づけられるように、/支区活動が再開され、教会相互のつながりが強められるように。/教会付属施設が幼児人口減少の波を乗り越えることができるように。(No.950)
2023年 9月10日祝福の連環へ招かれて
本日は、今年の敬老祝福礼拝です。
雑誌「百万人の福音」2023年9月号の特集に昨年のこころの友伝道全国大会の特別講師の石丸昌彦先生(精神科医)が寄稿しておられました。タイトルは「老いの恵み~赦すこと、祝福すること~」。老いの現実を受け入れる道を、一般の学問からも紹介され、次いで聖書を紐解いてくださっています。祝福を受けるから祝福を与える者とされる、この恵みに目が開かれました。
“…「祝福」ということばを聞くとき、私たちはまず「自分が老いていく中で、どのような祝福を神様からいただけるか」ということを考えるでしょう。しかし私たちは祝福を受けるばかりでなく与えることができますし、祝福を与えるよう求められてもいるのです。…
順境の日にも逆境の時にも、若い時にも老いの日にも、主イエスが私たちと共にあり、私たちを担って歩いてくださること、それこそが誰も奪うことのできない私たちの祝福です。その恵みを証することによって、私たち自身もまた祝福の伝達者となるでしょう。ルカの福音書の伝えるシメオンの姿が思い浮かびます。「救い主に会うまでは決して死なない」と聖霊から告げられていたシメオンは、幼子イエスを一目見てその時が来たことを知り、イエスを腕に抱いて神を讃えます。約束通り救い主に会ったシメオンは、もはやいつ召されるかわからない、そのことも今やシメオンにとって恵みとなりました〔ルカ2・29~30〕。…
すべての人の祝福の基となる幼子イエスを、年老いたシメオンが腕に抱いて祝福する姿には、祝福する者が祝福され、祝福される者が祝福するという流れるような祝福の連環が現れています。私たちは祝福されているから、祝福することができるのです。ですから幼い者や若い人々に対する高齢者の祝福は、さぞ深く大きな励ましとなることでしょう。
ひとりひとりの老いの日々に、豊かな祝福がありますように!”(No.949)
2023年 9月 3日第69回こころの友伝道全国大会
先週の8月28日・29日に、第69回こころの友伝道全国大会が日本基督教団新宿西教会を会場に開催されました。今回は、対面のみの開催で、会場には昨年よりも多くの参加者がありました(後日動画配信あり(要申込))。
今回の大会は、コロナ禍を通っていることもあり、昨年の全国大会のテーマをもう一度掲げ、「現代における不安Ⅱ」が主題でした。特別講師は日本基督教団吉祥寺教会牧師の吉岡光人先生でした。私は、東京・池袋にありますキリスト教カウンセリングセンターで学び、吉岡先生にご指導をいただきました。その関係で、今回の講演を楽しみにしておりました。レジメとメモを参考に、吉岡先生の講演の心に残ったところを書いてみます。
現代社会に見られる不安の要素として、目に見えない恐怖に対する不安、社会に対する不安、個人の生活における不安があります。不安が社会に広がると、懐疑的になり、排他的になり、攻撃的になり、誰かのせいにしたくなり、人の心が荒れます。しかし、コロナがなかったとしても、良い方向に行っていたとは思えません。不安材料として、経済、健康、老後、死後のこと。若い世代は進路、就職、社会に適応できるか。子供たちにはいじめの問題があります。不安とは、あいまいであり、ネガティブな感情です。過去の失敗や恐怖を覚えた体験などが影響しています。よく分からないだけに、どう向き合っていくか難しい。不安がないという人は、それを覆い隠しているだけです。向き合おうとすることが大切。不安な人に寄り添うこと。不安の向こうにあるものを見せること。大丈夫と思えれば、不安は軽くなります。
教会史(近代)において、不安の中にいる人への援助に生きた証し人たちが紹介されました。
講演のまとめの言葉です。「キリスト教的援助は、問題を解決してあげるような関わりではない(それは神のなさること)。最も大切なものを見出すことによって不安は軽減される。その大切なものを伝えるのがわたしたちの使命である。」(No.948)
2023年 8月27日この出会いを感謝して
先週の8月20日の礼拝後の平和学習会はたいへん有意義なときとなりました。
平和学習会が始まる前に、ノートパソコンのスライドの設定をしながら、少しの時間、講師のボネット神父とお話をしました。名刺を交換しましたところ、肩書に「カンボジアの友と連帯する会(かんぼれん)代表」とありました。ボネット神父に「私も、カンボジアに宣教師の知人がいるんですよ。まだ行ったことはないのですが」と話しましたら、「かんぼれん」は今年20周年を迎えること、コロナの間は行けなかったけれども、毎年カンボジアを訪れていること、カンボジアの政権や最近の選挙のこと、それらの課題などを伺うことができました。平和学習会で拝見したスライドに、カンボジアの障害を負っている子供たちの写真や学校の写真がありましたが、現地で撮られたのでしょう。地に足のついた支援を長く続けておられることに感銘を受けました。
講演では、現在のローマ教皇フランシスコの言葉も数多く紹介されました。2019年秋に、フランシスコ教皇が来日した際、長崎と東京での説教は、説教塾で学びました。以後、フランシスコ教皇の(旧)ツイッター(カトリック中央協議会の邦訳版)を読むようにしました。講演に「世界では今、40以上の戦争・紛争が行われている」、人々から忘れられている地域として、「アフガニスタン、イラク、スーダン、コンゴ、シリア、ウクライナ、ミャンマー、ミンダナオ紛争」とありました。フランシスコ教皇のツイッターには、そのような地域のための祈りの呼びかけが折々にあります。講演のスライドで、教皇とイスラム教の指導者との共同宣言の内容と写真が紹介されましたが、相互理解がここまでできたのかと驚きました。講演の通り、すべての人が兄弟姉妹として生きることができたなら、平和が実現します。実現は容易ではないですが、祈り続けていきます。
「平和への道はない。平和そのものは『道』である」(マハトマ・ガンディー)。(No.947)
2023年 8月20日キリスト教学校と島嶼部の伝道を覚えて
毎月第3主日は「日本伝道の推進を祈る日」です。全国17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区(東京は支区)ずつ紹介します。全国の教区教会・伝道所を覚えて祈りをあわせましょう。
・東京教区(一部を除く東京23区、島嶼(とうしょ)部、千葉県)
“…教区内には多くのキリスト教学校があり…ます。…東京教区教育部では…「キリスト教学校をおぼえる祈り会」を開催してきました。…去る5月19日に行われた第3回…会場は日本で最も古いキリスト教学校のひとつで、ヘボン塾に起源をもつ明治学院。…教会とキリスト教学校が宣教の両輪となって祈りを合わせていくことに思いを寄せる豊かなときとなりました。
特筆すべきは、同校の生徒が1名参加したことです。一同大いに励まされ、散会しました。…”
祈りの課題…教会とキリスト教学校の協力のため。/教会学校・こどもの教会のため。/キリスト教学校の教職員と学生生徒のため。
・東京教区東支区
“東京の下町エリアと共に、伊豆諸島の諸教会・伝道所を擁するのが東京教区東支区です。…
伊豆諸島には、大島に大島元村と波浮(はぶ)の2教会、新島に1教会、三宅島に1伝道所、八丈島に1教会の4教会1伝道所があります。…いずれも小規模教会ですが、地続きではない島々には、伝道の拠点としての教会・伝道所がそれぞれに必要です。…島から島へ直接移動する手段は高価なヘリコプター便だけです。従って、それそれに伝道者を必要とするのです。…本欄に掲載された伊豆諸島伝道の祈りの課題に応えて、全国から祈りとともに支援献金がささげられたことに励ましを受けています。三宅島伝道所に受洗者が与えられたことを喜びとともに報告します。…”
祈りの課題…東京教区東支区教会・伝道所の働きを覚えて。/伊豆諸島の教会伝道所の働き、ことに三宅島伝道所支援のために。/山谷地区の伝道所の働きを覚えて。(No.946)
2023年 8月13日喜びと笑いー幼子のように
太平洋戦争の終わりから78年めの夏が来ました。今週の15日は、敗戦の記念日を迎えます。
過去の歴史に学ぶことはとても大切なことです。一方、余りにも多くの憎しみと破壊、争いの情報にさらされると、今の時を感謝して十分に生きることを損なうと思います。信仰から来る静かな喜びを日々受け取って過ごせますように。それが平和に結びついていくことと信じます。
“お金や成功は、私たちを喜びに満ちた者にすることはできません。実際、多くの金持ちや成功した人々は、心配症で、恐れに満ち、暗く沈み込んだ人々であることがしばしばです。…
喜びと笑いは、神の御前に生きることによって、また、明日のことは心配するに価しないことだと信じることによって与えられるものです。…
この世が与えるすべてのよい物を手にしている多くの人々の恐れと不安を見るとき、「金持ちが神の国に入ることは何とむずかしいことか」と言われたイエスの言葉がよく分かります。
問題は、お金や成功ではありません。それは、いまこのときに神と出会うことができ、その純粋な美しさと素晴らしさによっていのちが高揚させられる、自由でゆったりした時間を持てるかどうか、ということです。
幼い子供たちがいっしょに遊んでいるのを見ると、ただいっしょにいることの喜びが分かります。あるとき、私の尊敬する芸術家へのインタビューで忙しくしていると、彼女の五歳の女の子が私にこう言いました。「砂でバースデーケーキを作ったの。こっちにすぐ来て! それをおいしい、おいしいと食べるふりをして! おもしろいよ」…
幼子の単純で素直な喜びから気づくことは、神は微笑みと笑いがある場を求めておられるということです。微笑みと笑いは、神の国の扉を開いてくれます。だからこそイエスは私たちに、幼子のようになりなさいと言われたのです。”(ヘンリ・ナーウェン著『いま、ここに生きる』第2章「喜びと笑い」より)(No.945)
2023年 8月 6日教団「平和メッセージ」より
毎年8月、日本基督教団総会議長と、日本基督教団が宣教協約を結んでいる在日大韓基督教会総会長との連名で「平和メッセージ」が宣言されています(「教団新報」・「教団ホームページ」には全文掲載)。一部紹介いたします。平和の実現を目指し、信じて、祈りを合わせます。
“主はこう言われる。正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない。(エレミヤ書 22章3節)
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、日常の私たちの生活を揺るがし、身体に危険を及ぼしたばかりでなく、社会構造や経済構造の弱い部分に打撃を与え、矛盾や不平等を露呈させ、孤立と分断を増長させました。その不安や対立が暴力や戦争まで引き起こし、感染症が収束に向かう中でも、世界が未だに大きな混乱の中にあります。
主イエス・キリストは、ご自身の十字架によって敵意の中垣を壊し、二つのものを平和の中で一つにしてくださいました。私たちは主イエス・キリストこそ和解と平和の主であることを信じ、主が私たちに求められる隣人愛を心に刻み、この愛から生まれる平和だけが、この世界の危機を克服出来るものと信じ、ここに平和メッセージを宣言いたします。
〈関東大震災100周年について〉…緊張と不安に満ちた今日の状況の中でこそ、社会の中で弱い立場に置かれた人々が守られ、支えられなければなりません。社会の動揺に乗じたあらゆるヘイトに反対し、この社会に生きるすべての人々の人権が守られるよう願います。
〈「入管難民法」改悪について〉…
〈ウクライナにおける戦争について〉…
〈日本の原子力政策について〉…
2023年 平和聖日
日本基督教団 総会議長 雲然俊美
在日大韓基督教会総会長 中江洋一”(No.944)
2023年 7月30日アシュラムとは(アシュラム指針)
梅雨が明け、今年は酷暑の中、第46回西川口教会アシュラムが開催されました。「アシュラムとは(アシュラム指針)」をご紹介したいと思います。近江八幡市にあるアシュラムセンターの2代目の主幹牧師の田中恒夫先生が書かれたものです。
“・アシュラム運動 1毎朝、2わたしに、3活けるイエスさまからみ父の愛を福音していただく、生活習慣を願う。
・密室の祈り、デボーション、静思の時等と呼ばれる。アシュラムではレビの時とも呼ぶ。レビ族のように、どんなときにも礼拝し、毎朝み言葉を頂き祈りの火を絶やさない(レビ記6・5新共同訳。従来の訳はレビ6・12)
・アシュラム集会 1 唯一の指導者活けるイエスさまが、2 聖書を通して、3 わたしに、福音してくださる御愛を聴受し、その喜びを分かち合う。
・アシュラムの語意
…アシュラム=「全く、この世的な労働から退いて」「非常に、霊的な労働をする」。
「肉の思いを離れて」、代わりに「霊の思いを受ける」(ヨハネ6・63)。「自分の頑張りで信仰や信心することをやめて」、代わりに「イエスさまが下さる信仰や信心を受ける」。
・静聴
わたしが神に近づく、わたしの手段・努力ではなく、神さまがわたしに福音してくださる、神さまの方法・熱愛。「愛を語ってくださいます。ありがとうございます」だけ。示されなくても感謝、「示されない」と言って落ち込む資格すらなし。
・アシュラムの姿勢
1 恵みを知るだけでなく、恵みに与る方法を知る。 2 知るだけでなく、味わい体験し修練する。3 人にさせるのでなく、自分がする。…
このようにして、イエスさまが、わたしたちを、一層、イエスさまの体である教会に根差し、教会にあって育ち、教会を愛し、教会に仕える者としてくださいますように。” アーメン! (No.943)
2023年 7月23日信仰を告白すること
原則として月に1度、日本基督教団信仰告白〔以下、教団信仰告白〕に添って説教をしていきます。本日は2回目です。
先月は、教団信仰告白の最初の文章『我らは信じかつ告白す』から、信仰を告白するとはどういうことかを、確認しました。「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」(ローマ10・9~10)。「イエスは主である」との信仰を告白することによって救われるのです。それによって、私たちは、神を賛美し、神に栄光を帰することになります。私たちは信仰を教えられ、主が喜ばれる信仰へと養い育てられます。
教団信仰告白は、教会に属する者がそのもとに一緒に集い、お互いが同じ信仰を共有することによって信頼し合い、心を一つにすることができるための、教会の一致と信頼の基礎となります。
対外的には、教会の信仰を言葉で言い表したものとして、伝道と教会形成の指針となり、戦いのための旗印ともなります。
「旧新約聖書は…」から始まる4つの段落が、教団信仰告白の前半部です。この部分は教団信仰告白のために独自に作成されたものです。それに対して「我らはかく信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白す」という言葉によって「使徒信条」が導入されます。これが後半部です。私たちの「日本基督教団」という教会は、「使徒信条」を告白することによって代々の教会、すなわち、2千年来の使徒的信仰の伝統を受け継ぐ教会となっています。教団信仰告白の前半部は「使徒信条」をどのように受け止め、解釈したらよいかを述べている大事な部分です。
本日は、その教団信仰告白の前半部の第1段落に入ります。そこでは、聖書は神の言葉である、と告白しています。〔参考資料「信仰の手引き」(日本基督教団宣教研究所編集・発行)〕(No.942)
2023年 7月16日若者たちのために
毎月第3主日は「日本伝道の推進を祈る日」です。全国17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ紹介します。全国の教区教会・伝道所を覚えて祈りをあわせましょう。
・東北教区(宮城、山形、福島)
“災の影響残る2014年度、教区宣教部と教区センター「エマオ」との共催で若者のための活動が始まりました。…「東北ユース」の愛称も生まれました。…友人やきょうだいに誘われて、またキリスト教学校の勧めで、初めて教会に足を踏み入れる若者たちが毎回います。そこから教会につながったり、献身に至る者もいます。…時代ゆえか学校や社会で生きづらさを抱えるメンバーも増えました。逆に東北ユースでは安心して過ごせる、自分を出せる、と口をそろえます。全参加者が平等に活躍できる空間が生まれ、期せずして教会的な交わりが展開されつつあります…”
祈りの課題…対面での青年層の活動が、コロナ禍で停滞しました。教区全体で若者を育てる再出発となりますように。/十数年ぶりに礼拝が再開された浪江・小高両伝道所の宣教が地域の方々との交流で祝されますように。
・関東教区(新潟、群馬、栃木、茨城、埼玉)
“…今年3月20日から22日、「KKS(教会・高校生・青年)沖縄キャンプ2023」を実施しました。…参加者からは、「当初は教会につながる同年代の子と出会いたいと思っていたが、沖縄の歴史を沖縄で知りたいとの思いに変わった」「教会で沖縄の話を聞く中で、沖縄の歴史を学びたい。今の沖縄を知りたい。自分の目で知りたい、学びたいと思った」という参加動機も聞くことができました。…今後もそのような青年たちの活動をしっかりサポートしていきたいと思います。…”
祈りの課題…互助のためナルドの壺献金運動を通して、受給教会の伝道の前進を。/コロナ禍のため疲弊した教会・伝道所を支え、共に伝道に仕える/豪雪地の伝道の上に。特に雪害に遭っている妙高高原教会のために。(No.941)
2023年 7月 9日教会アシュラムへの招き
今年の教会アシュラムも開催が近づいてきました。祈りによって祈りを学ぶ集会です。島隆三先生という素晴らしい助言者を得ております。神がアシュラムのために祝福を備えてくださっていると信じます。全期間参加がよいですが、部分参加でも結構です。ぜひ参加してください。共に、祈りの生活をより良いものにいたしましょう。
平野克己著『祈りのともしび』の序文の「教会の仲間と祈るよろこび」から一部引用します。
“…主イエスはわたしたちのあいだを歩きめぐりながら、祈りによってひとつに結び合わせてくださるのです。
わたしたちにとって最も大きな問題、それは孤立することです。というのは、主イエスに従う道を歩くには、いつでも一緒に歩く仲間が必要だからです。
あるひとからこういう言葉を教えてもらいました。「早く行きたいなら、ひとりで行きなさい。遠くまで行きたいなら、仲間と行きなさい」。
主イエスとともに歩く道は、早く行く道ではなく、遠くまで行く道、神の国がこの地に訪れるまで続く道です。だから、主イエスは、弟子たちを召して、一緒に旅する弟子たちの群れ、教会をお造りになりました。そして、天に上げられてなお、教会に聖霊を注ぎ続け、わたしたちをひとつにしてくださいます。
苦しんでいる者の祈り、喜んでいる者の祈り、そして病んでいる者のために祈る祈り〔ヤコブ5・ 13~14、16参照〕、それぞれ異なる音がするでしょう。けれども、その音は、どんなにかすかな音であっても、ひとつたりとも失われず、天上でひとつにされ、オーケストラの響きを奏でます。
わたしたちは祈るとき、自分だけが人生の主人公である―それが悲劇の主人公であれ、喜劇の主人公であれ―という思い込みから解放され、罪から解き放たれます。教会に生きる者たちの傍らで、お互いのために祈る。そのとき、わたしたちは孤立した歩みからいやされます。…”(No.940)
2023年 7月 2日旧約聖書の読み方
長かったヨブ記の学びを終えて、6月21日・22日の祈祷会から新しい学びを始めました。左近淑(さこん・きよし)著『混沌への光 現代に語りかける旧約聖書』より、与えられた旧約聖書の箇所の説き明かしに耳を傾けています。旧約聖書学者であられた左近先生は、1990年、東京神学大学の学長在任中に急逝されました。多くの方に惜しまれたことは、説教塾で時々聞いておりました。昨年、いつも親しんでいるキリスト教放送局日本FEBCの番組で、この本の朗読を聞き、心打たれるものがありました。主日礼拝ではあまり旧約聖書の説教をしていませんので、せめて祈祷会では旧約聖書に取り組みたいと思って、今回も旧約の学びを続けます。毎回プリントを作りますので、祈祷会に出席が難しくても、お読みになりたい方はお声をかけてください。
この本の「序―旧約聖書の読み方」から一部引用して紹介いたします。
“…わたしは現代人としてのわたしの苦悩と切り離して旧約聖書を読もうとはしてこなかった。自分なりの仕方ではあるけれど、今日の引き裂かれるような現実をこの書物は分かってくれるのか、何といって答えてくれるのか、を問い続けた。…
根底から揺らぐような危機の中で旧約聖書を残した人々は現実から逃避せず、それを直視し、破れを身に経験しながら、そのなかに現にいまし、働きたもうお方を新しい驚きと感動をもって語り、それにより頼んだのである。…
現代人としてのわれわれの苦悩は何よりも歴史的な苦悩である。歴史の苦しみに心底からこたえてくれるのは、歴史の苦しみの炉で練りきよめられた思想であろう。旧約聖書とはそうした文書なのである。
この小さな書物に願いを託すことがあるとすれば、呪われているかに見える世界にありながら、こうした旧約聖書の読み方によって、それ以外にはえられない上なる慰めと希望を与えられ、雄々しく生き抜く魂を見出してくれることである。”(No.939)
2023年 6月25日傷ついた葦を折ることなく
先週金曜日の夕方、2023年度の「教会と聖学院との懇談会」に出席しました。コロナの間は開催されませんでしたから、数年ぶりの参加でした。近隣の教会から牧師、役員、教会学校の奉仕者が約80人集まり、大勢の教職員の方々の温かい歓迎とおもてなしをいただきました。開会礼拝と発題のときに、小学校、中学・高校、大学のチャプレンのそれぞれの先生方から、キリスト教活動の報告がなされました。2020年の春に始まったコロナ感染防止のため、オンライン礼拝、放送の礼拝、教室ごとの礼拝、だんだん制限が緩くなり、学年で集まる礼拝、やっと全校生徒の礼拝ができるようになったなど、ご苦労を伺いました。今年度になり、制限なく地域の教会への礼拝出席を勧めているそうです。そんな中でも、洗礼を受けた生徒や学生もおり、喜びを分かち合ってくださいました。
一方で、分団協議の時間では、約3年間のコロナ感染対策のために、子供たちへの影響が見られることも伺いました。マスクを外せない子もいます。精神的に不安定な子もいます。聖学院だけではなく、全国各地で傷つき、痛んでいる若い魂がいると思いました。教育の現場でその一人ひとりに寄り添う教職員の方々のご苦労に思いをはせました。願わくは、地域の教会が、そのような魂の重荷をおろせる居場所となれますように。
主の僕の歌を思い起こしました。「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。/わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ/彼は国々の裁きを導き出す。・・・傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かなものとする」(イザヤ42・1、3)。「傷ついた葦」や「暗くなってゆく灯心」とは、「ふみにじられて、このままではとてもやっていけない」存在です。世は「そんなのは折って、捨ててしまえ」と言います。しかし、主の僕はそんな弱い者を支えてくれるのです。主の僕の生き方にキリストを見ます。(No.938)
2023年 6月18日力を出し合い、共に歩む
毎月第3主日は「日本伝道の推進を祈る日」です。全国17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ紹介します。全国の教区教会・伝道所を覚えて祈りをあわせましょう。
・北海教区(北海道)
“…北海教区では、ひとつの教会に中高生や青年が複数人いることは稀です。だから教区で出会うお互いの存在が励ましになるし、再会を心待ちにして出かけていくのです。春から大学生になる一人が「中高生会でいろいろな教会に行ったことが楽しかった。いろいろな人と会えたことがうれしかった」と述べていました。…たくさんの出会いや経験を得たわかものたちには、進学や就職で北海教区を離れる人も多くいます。…新しい季節を迎え、わかものたちが新しく教会へと足を運ぶことがあるかもしれません。そのわかものがイキイキと教会生活を送ることができるように祈りをもってお支えください。…”
祈りの課題…さまざまな活動をするわかものたちの歩みのために。
新しい歩みをはじめるわかものたちを支えられるように。
・奥羽教区(青森、岩手、秋田)
“…奥羽教区の一番の特徴は、突出して規模の大きな教会が存在しないことです。…成立当初から、小さな教会の集まりであることを大事にしてきました。互いを尊重しながら支え合い、力を出し合って共に歩もうと努力してきたのです。…教区全体が一つの教会のように機能する。…教区内の教会伝道所だけでなく、関係学校・施設も含めて必要に応えて仕えていくため、また教区の責任において配慮し、助言と励ましを与えるために〔問安が〕行われ、喜びや悲しみも共有し合います。地域の教会同士の交流も緊密です。…”
祈りの課題…57教会・伝道所ならびに関係学校・関係団体・関係施設の宣教のために。
2019年に教団を離脱した木造教会(現木造キリスト教会)との交わリが回復されるように。
連帯・互助のための教区の働きが伝道につながるように。(No.937)
2023年 6月11日ヨブ記を学んで
旧約聖書のヨブ記を祈祷会でコツコツと学んで、今週で最終回となります。並木浩一著『ヨブ記注解』(日本キリスト教団出版局)に頼って、ヨブ記を少しずつ読み進めてきました。
災いによって、子どもたちや召使たちを失い、財産を略奪されたヨブは、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ1・21)と言いました。21節の注解にこうありました。
“〝積極的な神への信頼を語っている。…しかしヨブは、彼を襲った悲劇が偶然の出来事ではなく、神のみ旨によって行われたと理解している。…彼が信仰の危機に直面していなければ、神に対するこのような信仰を表白する必要はなかったであろう。とすれば、本節はこの悲劇に関わった神への疑いの念を押さえつけての神への信頼の言葉であり、疑いを知らない純一な心の表白ではない。この信頼の言葉は、神から幸いと共に災いをも受け取るというヨブ記2章10節の決意の言葉と並んで、ヨブ記における最も深い信仰の提示である。それ以降に起こる事柄は、再びこの信仰に回帰するための経験であると言うほかはない。”(太字は金田。ヨブ記第2章10節「…わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」)。
この解き明かしを読んで、ヨブが、もう一度心から改めて信仰の決意の言葉を告白するに至ると知り、それは私たちの信仰の歩みにおいても同じなのではないか、と思いました。ヨブ記全体を丁寧に読んだことがある人は少ないと思いますが(私も今回の学びが初めて)、前述の聖書の言葉を知っている人は多いですし、この言葉に心を動かされ愛誦している人も多いです。程度の差があれ、ヨブのような不条理を経験する私たちです。嘆きとうめきがあります。ヨブの長い長い訴えを、神は沈黙して聞いておられ、ついに神はヨブを訪れてくださいました。神の言葉を聞いたヨブは、信頼の告白をすることができました。(No.936)
2023年 6月 4日第73回関東教区総会
5月30日(火)・31日(水)、さいたま市民会館レイボックホールにて、関東教区総会が開催されました。第1日目の午後に准允式が執行されました。横内純師(新潟・高田教会)と平澤巴恵師(埼玉・春日部教会)が、准允を受けられました。
今総会では、教区執行部の選挙がありました。選挙の結果、熊江秀一師(埼玉・大宮教会)が関東教区総会議長(再任)に、田中かおる師(埼玉・安行教会)が教区総会副議長(再任)に選ばれました。議長と副議長より、小池正造師(新潟・東新潟教会)が教区書記に再選されました。宣教部委員長には飯塚拓也師(茨城・竜ヶ崎教会)が再選されました。常置委員選挙の結果は掲示板をご覧ください。
第2日目午前に、教団問安使の藤森勇紀師(教団副議長)より、教団議長の雲然俊美師の挨拶の朗読と教団の2022年度の活動等の説明があり、その後、「教団機構改定に関する協議会」が行われました。昨年秋の教団総会において、議案第40号「教団機構改定の目的と課題を確認する件」が可決され、その内容は「教団機構改定を推し進めるにあたって、以下の目的と課題を確認する。1 教団の機構改定の目的は各個教会の負担軽減による伝道推進である。 2 機構改定における重要な課題は、教団の全体教会についての一体性の確立である」というものです。この議案第40号に沿って、今まで積み重ねてきた教団の機構改定の検討を進め、各教区、各教会でも検討していただきたいということがよく分かりました。機構改定の要点は、教団総会議員数等の削減と、教団事務局と各委員会の改編です。
教区総会で、各教会、教団の現在と将来への危機感が共有されたと共に、ナルドの壺献金が、2022年度末、目標額1,200万円に少し届かなかったのですが、11,777,499円献げられましたことは、関東教区の一致と連帯の証しであり、感謝です。教会の使命を果たし、互いを思って祈り合い、献げていくことと思います。(No.935)
2023年 5月28日「使徒言行録」は「聖霊言行録」
本日は、聖霊降臨日。ペンテコステおめでとうございます。教会を活かす聖霊を待ち望みます。
使徒言行録の説教は2年めに入っております。
“使徒言行録はペトロとパウロが主人公のようだが、ペトロとサウロ(後のパウロ)を実際に動かしているのは聖霊であり、神ご自身である。使徒言行録は聖霊が活躍する書であり、その意味で聖霊行伝または聖霊言行録と呼ぶべきではないかと思う。”
これは、2022年6月に発行された日本キリスト教団全国婦人会連合正典研究委員会編集による「聖書を共に学ぶ27 使徒言行録」の阿久戸光晴先生(福岡女学院院長)の講演からの言葉です(講演は、2021年10月にオンラインで行われました)。さらに紹介いたします。
“使徒言行録の苦難の意義
ペトロ・パウロらの苦難は、①ユダヤ人による外患 ②ローマ帝国による外患 ③教団内の内憂にある。しかし使徒・信徒らは、迫害を宣教の好機と受け止めた。…わたしたちはどうすれば良いのか。「聖霊に導かれる意義」を覚え、聖霊の働きの本質であるイエス・キリストの復活を御言葉で弁証していくことが大切ではないか。…
結・使徒言行録をコロナ禍の中で学ぶ意義
(1)宣教しつつ礼拝に集中していく。コロナ禍の外患時、教会も打撃を受けているが、礼拝の大切さを聖霊に導かれて確認したい。
(2)復活されたイエスが、聖霊によって臨在されていることをわたしたちは確認することになる。共在の主イエス・キリストに対し、聖霊によって覚醒されるのである。パウロは、世界の全地域で教会を建てていく業に召されて行った。かつて、コンスタンチノープルでも、ローマでもペストによって人口の三分の一の命を奪われた経験を教会はしてきたが、それを乗り越えてきたことを、小さな群れである日本の教会もしっかりと受け止めて生きたい。コロナ禍が収まった暁には、前以上に力強く礼拝を捧げたい。”アーメン。(No.934)
2023年 5月21日伝道のネットワークを
「日本伝道の推進を祈る日」(毎月第3主日)の祈りを続けてきました。昨年秋に日本基督教団総会議長に選ばれた雲然俊美先生が、信徒の友5月号に「伝道のネットワークを保ち、広げて―『日本伝道の推進を祈る日』4巡目が始まります」と、呼びかけておられます。全国の諸教会・伝道所と共に、私たちも祈りを合わせましょう。
“日本基督教団は第40総会期において、教団伝道推進基本方針を制定しました (2017年制定、2019年改訂)。その具体的な展開として、 毎月第3日曜日に、日本伝道の推進のために共に祈りを合わせましょうと、教団の全教会・伝道所に呼びかけています。
その取り組みの一つとして、本誌〔信徒の友〕2019年11月号より 「共に祈るために」とのタイトルで、各教会・伝道所や各教区の活動などを紹介し、各地の教会・伝道所や教区の活動を覚えています。…
昨年9月末から始まった第4総会期においても、これらの祈りと献金の呼びかけを継続することが決まりました。 本誌来月号より早速、各教区の教会・伝道所や、教区の活動を紹介する連載が再開します。この試みは今回で4巡目です。…
祈りと献金の呼びかけを始めたきっかけには、全国の教会・伝道所における教勢の低下と、それに伴う財政危機という課題がありました。残念ながら、その状況は現在も変わっていません。
この呼びかけが目指しているのは、全国の教会・伝道所が、その立っている地域の伝道の拠点であり続けるために、互いに祈り合い、支え合うことです。そうして教団全体の伝道のネットワークを保ち、広げてゆくことを願っています。
この連載によって、各地に立てられている教会・伝道所および各教区の活動を覚えて祈り合いましょう。 そして、主イエス・キリストの「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19) とのみ言葉に従って、伝道の働きを共に担っていきましょう。”(No.933)
2023年 5月14日天に昇られたキリスト
教会はよみがえられたキリストが天に昇られたと信じています。今年のキリストの昇天を記念する昇天日は5月19日です。使徒言行録第1章3節「 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」に基づいています。
使徒言行録第1章に、復活された主イエスが天に昇って行かれるときの様子が書かれています。「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」(9節)。弟子たちがなお天を見つめていると傍らに二人の御使いがおり、弟子たちに語りかけてくれました。「ガリラヤの人たち、…あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒1・11)。この「あなたがたが見たのと同じ有様で」とは、どういう有様でしょうか。
使徒言行録の著者は、ルカによる福音書の著者と同じルカです。使徒言行録はルカによる福音書の続編とみなされています。弟子たちが見たイエスの昇天の有様を示す御言葉が、ルカ福音書の最後にあります。「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」(ルカ24・50~51)。「あなたがたが見たのと同じ有様」とは、復活の主イエスが両手(ギリシア語原文の「手」は複数形)を上げて祝福しながら天に上げられるお姿です。その手が下ろされることはありません。
昇天の出来事は、聖霊降臨と、再臨と分かちがたく結びついています。主イエスは両手を上げて祝福し続けておられます。地上で働く主イエスの霊である聖霊も、私たちを祝福するために注がれます。主イエスは、全宇宙を祝福で満たすために再び天からおいでになります。昇天、聖霊降臨、再臨は良き知らせ(福音)なのです。(No.932)
2023年 5月 7日神が造られた世界のために(2)
先週の週報短文で「神が造られた世界を、自分も隣人も環境もすべてを、大切にできますように」と書きました。その具体的な生き方をアジア学院から学べると思います。本年4月30日付の日本基督教団関東教区宣教部委員会発行の「宣教部だより」94号の巻頭言は、アジア学院校長の荒川朋子先生が執筆しておられます。荒川朋子先生の新刊『共に生きる「知」を求めて―アジア学院の窓から』(ヨベル)を読み、大変感銘を受けました。私は今まで研修でアジア学院を訪れたことがあり、見学し、お話を伺ったことがあります。
アジア学院(学校の正式名称は「アジア農村指導者養成専門学校」)は、学生数30名ほど。アジア、アフリカなど開発途上国の貧しい農村地域の指導者を招き、キリストの愛に基づいて、農村社会の人々の向上と繁栄に献身する中堅指導者を養成し、公正で平和な社会の実現に寄与することが目的です。アジア学院は栃木県那須塩原市にあり、広いキャンパスには校舎・宿舎、農場と学校林もあります。最もユニークなのは「ひとつの所で、共に食し、共に働き、共に学び、人々に仕えるために共に準備する」ことです。キリスト者ではない学生も迎えています。アジア学院では、人と人、神と人、自然と人が共に生きるために、土も人間関係も豊かになるよう、有機循環型農法で食べものを作っています。食べものを一緒に育て、収穫し、調理し、分かち合って共にいただくとき、平和の共同体が築かれていきます。一つの例を荒川先生のご本から紹介します。春に来日した学生は9ヶ月の研修後、翌年学院を去るので、その年に時間も労力もかけて育てて収穫したお米を食べることはありません。その代わりに自分たちが収穫していないお米をいただきます。自分たちが収穫したお米は翌年の学生の食べものになります。こうして感謝して食べものをいただき、まだ見ぬ人のために奉仕することで、互いを受け入れ、赦し、和解を願うようになるというのです。食べものといのちと平和はかたく結び合っています。(No.931)
2023年 4月30日神が造られた世界のために
今年のレントからイースターまで、ルカによる福音書から説教をしました。説教のために開いた注解書にユダヤのお話があり、印象に残りました。こういう短いお話です。
“ユダヤに、幸運を手に入れた勤勉な農夫の話がある。
あるとき主がこの農夫に現れて、彼に三つの願いを授けた。ただしそれには、主が農夫のために行うことは何であれ、その隣人に二倍にして与えるという条件がついていた。
農夫は、彼の幸運をほとんど信じられないまま、百頭の牛を望んだ。するとすぐに彼は百頭を手にした。彼は狂喜したが、隣人が二百頭の牛を手にしたのを見ると、喜びは消え失せた。
次に彼は、百エーカーの土地を望んだ。今度も彼は、隣人が二百エーカーの土地を手にしたのを見るまで、喜びで満たされた。農夫は、神の恵みぶかさに感謝するどころか、自分の隣人が自分よりいっそう多くのものを受けたため、妬みと屈辱の思いにかられた。
最後に彼は、片目が見えなくなるよう打ってほしいという第三の願いを神に伝えた。神は泣かれた。”(改行は金田)
すでに神から豊かに与えられているのに、隣人が自分より多く持っているのを妬む人の心を本当によく表しています。私を、妬みの心、貪欲の罪から解放してください、と祈ります。
先週の週報短文で、ヨブ記に登場する怪獣の現代的意義について書きました。聖書からの警告を聞き流すことなく、地球規模の視点を持ち、自分の生活を見直し、関心を持ち、できることから始め、続けることが大切かと思います。もし、世界中の人々が日本と同じ暮らしをしたら、地球が2.9個必要。米国と同じなら5.1個、中国なら2.4個、インドなら0.8個だそうです(本年1月の新聞の社説より)。
神が造られた世界を、自分も隣人も環境もすべてを、大切にできますように。(No.930)
2023年 4月23日ベヘモットとレビヤタン
祈祷会・昼間祈祷会のヨブ記の学びは、いよいよ終わりに近づいてきました。現代に語りかけるヨブ記の言葉を丁寧に味わっています。
第40章~41章には、ベヘモットとレビヤタンという怪獣が登場します。ベヘモットのモデルがカバ、レビヤタンのモデルはワニです。ベヘモットとレビヤタンは、世界をカオス(混沌)にする力のある怪獣です。それらを神はお示しになり、ヨブに問われます。「見よ、ベヘモットを。お前を造ったわたしはこの獣をも造った。…これこそ神の傑作…〔ベヘモットを〕まともに捕えたり/罠にかけてその鼻を貫きうるものがあろうか。お前はレビヤタンを鉤(かぎ)にかけて引き上げ/その舌を縄で捕えて/屈服させることができるか。…天の下にあるすべてのものはわたしのものだ。…この地上に、彼〔レビヤタン〕を支配する者はいない。」(ヨブ40・15、19、24~25、41・3、25)。
ヨブが怪獣に立ち向かえるはずがないことを百も承知で、神はヨブに語り続けられます。どんな生き物も人間もベヘモットとレビヤタンにはかなわないのです。しかしその怪獣も、神の被造物であり、神の支配下にあります。もう一方で、神がベヘモットとレビヤタンを、いつでも力を発動できる状態に置いていることも示しています。つまり、ベヘモットとレビヤタンの制御を解く権利は神にあります。ここに現代的意義があります。旧約聖書では、人間には神から自由が与えられており、その自由を得た人間が、世界を治める責任を負っていると考えます。ところが人間が自然を意のままに扱っていいと誤解して、支配できると思い込んで活動しているとき、実は恐れ知らずにも、ベヘモットとレビヤタンを突っついて刺激しているのかもしれない、ヨブ記はそう警告しているのです。東日本大震災から12年を経ても収束の見えない原発事故。新型コロナウイルス感染症。地球温暖化による災害の強大化などは、人が怪獣を刺激してしまったからかもしれません。(No.929)
2023年 4月16日教会総会を前に
2020年春から始まったコロナ感染症のため、年度初めに開催する教会総会は2020年度から2022年度まで、年度の始めに行う定期総会は、は書面開催となりました。2023年度は久しぶりの対面での開催となりました。まだコロナは完全には収束しておらず、食事ができませんから、礼拝後に開始して、時間を短縮して行います。皆様のご協力をお願いいたします。
教会活動の運営に責任を持つ役員会が教会総会を招集しますが、教会の活動の主体は信徒全員です。教師も信徒も神によって選ばれ、教会の一員にされたことを信じ、キリストの体の一部として奉仕し、その働きを支える献金を献げます。こうして教師と信徒一人ひとりによって、教会は構成されています。教会総会は、この神の選びに応えて奉仕した活動の報告と、会計の報告があります。次いで、年度の教会の伝道方針、計画を決め、その活動を支える予算を決めます。いつも同じ議題があげられるようですが、議案の承認可決は、神の前での約束ですから、信じて、委ねて、従って参りましょう。主の愛をいただいて、成長させていただきましょう。
「この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。」(エフェソ4・10~15)(No.928)
2023年 4月 9日今この時代になぜ神を信じるか
説教塾の大先輩の吉村和雄先生が、『聖書が教える世界とわたしたち』という素晴らしい信仰入門の本を出版されました。冒頭の問いかけに心を動かされましたので、紹介させていただきます。
“…はじめに取り上げておきたいことは、今この時代に、なぜ神を信じるか…長年にわたる科学の発達に伴って、これだけ人間の知識が増し、技術も進歩している時代に、という意味です。…
たとえば、こういうことを考えてみるのです。「江戸時代の夫婦と、今の夫婦と、どちらが幸せか。」…幸せ、という基準でものを見た時には、ほとんど変化はない。夫婦関係とか、親子の関係というような面は、時代によって殆ど変化しません。…もうひとつ…科学の発達によって、わたしたちを苦しめてきたいろいろな病気が克服されてきました。…でもそれでは…いじめがなくなるのは、いつごろでしょうか。あるいは、犯罪がなくなる、戦争がなくなるのは、いつごろでしょうか。…
本当にわたしたちにとって大切な部分、わたしたちが幸せに生きられるかどうかを決める部分は、科学の力の及ばないヒューマンな部分なのです。
…これは聖書が語っている言葉ですが、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」…それとも、「敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ」…。ヒューマンな部分、というのは、人間関係に表れます。わたしたちの周囲にある人間関係に表れているものは、どちらでしょうか。…わたしたちが、愛や喜び、平和、寛容に生きたいと願いながら、その通りに生きることができずに、かえってわたしたちが願わない、怒りなどに支配されて生きている状態を、罪と言います。…聖書の言う「罪」とは、「的はずれ」のことです。わたしたちの生き方が、的を外しているのです。だから望んだことが出来事にならず、望まない状態の中で生きることになっているのです。そして、神が、この罪からわたしたちを救ってくださる、というのが、聖書がわたしたちに語っているメッセージなのです。”(No.927)
2023年 4月 2日最初のキリストの教会
2023年度の最初の主日は、棕梠の主日となりました。本日から受難週が始まります。金曜日が受難日でキリストの十字架の出来事を記念します。来週9日が復活日でイースター礼拝です。
四つの福音書すべて、主イエスと共に二人の犯罪人が十字架につけられたことを記しています。このことを巡ってカール・バルトという神学者がこう語っています。
“「イエスと共なる犯罪人」…それは、最初のキリスト教会…最初の、確かな、解消することも打ち破ることもできないキリストの教会である”。
どういうことでしょう。この後、バルトが続けて語ったことには、きっと皆さまは同意できると思います。
“キリスト教会は、イエスが近くおり、イエスが共にいる人びとの集いのあるところ、どこにも存在する。―つまり、イエスの約束・確言・確約が直接にじかに触れられるような―イエスの全存在は自分たちのためであり、イエスの全行動は自分たちのために行なわれたということを聞くことができる、この約束によって生かされているような場所…それこそがキリストの教会…。”
教会とはその通りです。だからこそ、“この二人の犯罪人は、最初の確かなキリスト教会であったのである”とバルトは言うのです。
“この犯罪人たちは、今、イエスを一人置きざりにしては置かない、眠ってしまわない。…彼らはまた、この危機の中にある仲間から逃げて行くことはできなかった。…イエスと犯罪人たち、そして、犯罪人たちとイエス、この二つは結びあっていたし―永遠に、もういつまでも離ればなれになることはできない。…”
教会とは何か。善人の集まりでありません。キリストに無条件・無制限に罪を赦された者たちの集まりです。神に呼ばれ、招かれて、集められているばかりの私たちです。受難週、キリストの十字架と復活の出来事に、教会の、私たちの存在理由があることをかみしめます。(No.926)
2023年 3月26日2023年度地区総会報告
3月21日(火・祝)、聖学院教会礼拝堂を会場として、2019年3月以来の対面の埼玉地区総会が開催されました。コロナ対応と会場の都合により、午前中で総会を終えなければならないため開会礼拝はなく、開会祈祷で始まりました。
埼玉地区委員会から、2023年度の宣教活動計画が示されました。主題は 「主にある交わりを深めよう」、聖句は 「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」(コリントの信徒への手紙一3章11節)です。
“(埼玉地区の)健全な成長は、それぞれの各個教会伝道所等の健全さによるもの以外ではあり得ません。つまり健全な教会は、そこに集められているひとり一人が「すでに据えられている土台」…教会の信仰、具体的には、「日本基督教団信仰告白、教憲教規」に立ち、礼拝説教等を通して、み言葉に聴き・ 問われ・養われ・慰められる中で、祈りの生活に励み、各自が「キリストの体 (教会)」を自覚するところに形成されていくものです。
これらは、礼拝の充実から始まり、教会内活動の活性化となり、さらに教会外への働き・・・献身・伝道・証し・諸奉仕・・・へと拡がるのです。
そして何よりも、主日礼拝は、教会の活動と、自らの信仰生活の中心であるだけでなく、この礼拝に於いてこそ、神さまがより働いてくださり、伝道の業と教会形成が進められていくのです。
〈実際の活動について〉 今年度の諸活動は、どこまで実現できるか分かりませんが、コロナ禍以前の諸活動と、内容的には大きく変わらないでしょう。 それは、地区規則第2条を、諸委員会(常設・特設・各部ほか)が、常に思い起こしながら活動して下さることに他なりません。…なお暫くは、コロナ禍の終息が見えない現在、自粛傾向はやむを得ないことでしょうが、その中で、精一杯の活動が出来ればと願っています。
各委員会の計画・実施を主が祝して下さることを祈りつつ。”(地区総会議案報告書より)(No.925)
2023年 3月19日神の言葉に信頼すること
私が親しんでいるキリスト教ラジオ放送局日本FEBCでは、現在、第1金曜日に、改革者マルチン・ルターの書いた『キリスト者の自由』の解説の番組が放送されています。インターネット放送では繰り返し聴けます。今月の放送で、神の言葉に信頼することについて、ルターの言葉が紹介され、それに驚きました。
“さらに信仰をもって、次のことが行われる。他の人を信じる場合には、その人を義しい、真実な人と思うからこそ信じるのであって、これは、一人の人間が他の人間になしうる最大の栄誉である。・・・このように、魂も神のことばを堅く信じるならば、魂は神を真実で、義で、正しい方であると考え、そうすることによって、自分がなしうる最大の栄誉を神に帰しているのである。・・・”(『キリスト者の自由』第十一節より)
徳善義和先生がこう語られました。
“…ルターは、日本風に言うなら「地獄に落ちる」に近いことを言っている。神は「お前のような奴は地獄に落ちるべきだ」とおっしゃるだろう、罪人なのだから。ルターは「『その通りです』と言って、地獄に降りていってよいのだ」と言っている。「神の言葉によって地獄に行ったなら、地獄はもう地獄ではない、神の言葉があるのだから」。神の言葉を正しい、真実のものと認めるとは、そういうこと。神の言葉に伴って私が地獄に行くときに、地獄はもはや地獄ではない。そこにはもう神の言葉と共に救いがある。地獄から引き上げられるというのではない。ルターはそう言い切っている。壮絶なことで、言葉で表現できても、信仰的な深まりの中で体験を持たないと、実感にならない。そういう信仰の中からこういう本(「キリスト者の自由」)が生まれてくる。…”
神に栄光を帰すとか、神の言葉を聞いて従うとか、神の言葉に信頼するとか、常々口にしております。しかし、ルターの言葉に驚いている私は、神への信頼という言葉の深みを知らないのだとつくづく感じました。(No.924)
2023年 3月12日十字架に示された神の愛
滋賀県近江八幡市のアシュラムセンター(主幹牧師・榎本恵先生)から毎月、機関誌の「アシュラム」誌が届きます。本年3月号(第652号)の巻頭言に、榎本恵先生のお父様である榎本保郎師の「この人を見よ」というイエス伝が、今年、出版されるとありました。40数年前、新たにアシュラム運動に専念する大きな決断をした後に書かれた渾身の「イエス伝」。刊行が待たれます。
一つのエピソードが紹介されていました。
“ある時、一人の盲人が、わたしにこんなことを質問したことがある。「二千年も前、頼みもしないのに、勝手に十字架についておいて、あれはお前の罪のためのものであったと言われてもありがた迷惑です」
なんと鋭い言葉であろう。ふつうはここまで追い詰めないものである。質問を受けたわたしは一瞬たじろいだ。…教理の説明だけで信仰へと導こうとするものに対して、もっと実存的なかかわりがほしいと叫んでいるように思え、何か自分の弱点を突かれたような感がした。しかし、質問を受けた以上、なんとか応えなければならない。
「頼んだから十字架についてくれたというのなら当然じゃないですか。頼まんのに十字架について死んでくれたところに神の愛があるんですよ」わたしはとっさにこう答えた。すると彼は大きな声で、「わかりました」と言った。
そこに出席していた人たちは、この禅問答のようなやりとりを聞いてどっと笑った。あるいはこの笑いの中には、みんなが持っている信仰のモヤモヤが晴れた喜びが含まれていたのかもしれない。あとでよく考えてみると、なんだかよくわからない回答のようにも思えたが、このことから彼は熱心に求道し、やがて信仰を告白して信徒となり、いまもよき信仰生活を送ってくれている(「この人を見よ」より)。”
レントの日々です。主イエスの十字架への歩みを黙想しています。主の十字架によって示された神の愛に包まれていることを信じて。(No.923)
2023年 3月 5日祈り、祈られて
昨日3月4日は、日本基督教団出版局発行「信徒の友」3月号の「日毎の糧」、「この教会のために」で、西川口教会のため祈っていただいた日でした。毎日、1教会ずつ紹介されています。内容は、①教会名 ②牧師名 ③所在地 ④創立年 ⑤現住陪餐会員数 ⑥礼拝出席者数 ⑦CS(教会学校)出席者数 ⑧聖研祈祷会出席者数 ⑨予算(年間経常収入) ⑩祈祷課題です。当教会の場合、残念ながら⑦CS出席者数の項目は書けないので載っていません。コロナのため、祈祷会をお休みしていて、⑧聖研祈祷会出席者数が書かれていない教会も見受けられます。当教会の祈祷課題は「中長期的な課題である将来の宣教の器にふさわしい会堂建築が実現しますように。御言葉と祈りによって教会が一つにされますように」。「信徒の友」の祈りは、全国の日本基督教団の教会・伝道所のためなので、約4年で巡ってきます。「お祈りしました」のお葉書が届き始めています。朝のディボーションの時には執り成していても、なかなかお便りを書くまでには至りません。頭が下がります。顔も名前も知らない同士でも、キリストの体である教会、同じ信仰告白に立つ教会として祈りに覚えてくださる。祈りは、神の力によって、時も、場所も超えて働きます。
日本基督教団ホーリネスの群でも「祈りの絆」カレンダーが作られており、西川口教会は、群友教会として今年の2月12日~18日のお祈りに加えていただき、いくつかのホ群教会からのお便りが届きました。本当に感謝です。
さらに、日本基督教団関東教区宣教部では毎年「お祈りカレンダー」が作られており、こちらは祈りの栞に毎週教区内の教会を掲載しています。今年の2月18日は、西川口教会のため祈っていただきました。お便りも届きました。
「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」(ヤコブ5・16)。(No.922)
2023年2月26日KM兄召される
老人ホームに入居し、祈っていただいていたK兄が、先週2月23日に主のみもとに召されました。本日の礼拝後、小さな祈りの時を持ちます。K兄は2013年12月22日のクリスマス礼拝にて洗礼を受けました。その時の救いの証し「キリストを救い主と信じ」です。
“私が教会に来るきっかけとなったのは、約1年前の息子の自死です。…彼女も出来て…うまくいっていると思いましたが、突然彼女の方から別れたいという出来事から、一途に愛しているという彼は自死という結果を選んだわけです。私の妻は…病気で亡くなっており、息子を失って、これからの人生をどう生きていくか悩みました。
Yさんとはダンスのサークルで知り合いました。…Yさんから「今救ってくれるのはイエス・キリストである」と言われ、自分でも何かにすがる思いで西川口教会に導かれました。まず教会に行って私が驚いたことは、信仰を持っている人は、何故みんな生き生きとしているのだろうということでした。私も…キリストにお願いして早く救われるようになりたい一心でした。
「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。…」(ヨハネ14・11~14)。
この聖書の言葉を目にしたとき、…私の求める信仰はこれだったのだと確信しました。自分でもいつも主イエスに守られていると思ったとき、私の心はいつもより穏やかになりました。これまで神を信じることなどなかった私が、こんなに神を信じられることが自分でも不思議です。…毎日デボーションをして、その後、お祈りをして、日々の生活をしていきたいと思います。”(No.921)
2023年2月19日初雁教会との出会いを喜ぶ
本日は、埼玉地区講壇交換礼拝で、初雁教会の町田さとみ牧師をお迎えでき、感謝です。少し前になりますが、2012年に発行された「日本基督教団初雁教会八十年史」の町田先生の巻頭言から、初雁教会を紹介します。
“初雁教会の創立は一九三二年(昭和七年)であります。その時からの八十年間の歩みは、様々なことの連続でした。ことに、第二次世界大戦下の教会弾圧、解散、戦後の無一物からの復興などは、実に多くの試練がありました。
一九四九年(昭和二十四年)に、現在の土地〔川越市六軒町〕を与えられました。敗戦と同時に教会を復興せんと祈り、労苦し続けた兄姉たちの大変さと信仰の熱情には頭が下がります。
その後、一九六三年(昭和三十八年)一月に、山岡磐牧師幸子牧師が派遣されました。以来五十年近くの歳月を、両先生方が牧会に伝道にと全力を注いで下さいました。中でも、とりわけこの三十年間は、それまで積み重ねてきた神様の御業が大きく花開いた年月でした。特筆すべきことの一つは、坂戸集会から始まった開拓伝道が坂戸いずみ教会へと成長し、自立し、今はしっかりと坂戸の地で主の教会として活躍しています。二つ目は、多くの伝道者を世に送ったことです。…
二〇〇三年(平成十五年)四月、私は初雁教会に派遣されました。これまでの初雁教会のお恵みの伝統を受け継ぎ、すでに据えられた土台を感謝しつつ、さらに主の召しに適う教会をと願ってきましたし、これからも変わらずに願います。「主のみからだなる教会を形成すること」を常に心に覚えて、目指していきます。
この三十年間の歴史を振り返り、改めて与えられるテーマがあります。一、教会を生み出す教会になること。二、献身者を生み出す教会になること。三、信徒を生み出し、一つの心となった教会になること。これはこの三十年間変わらないテーマです。そしてこれからも求め続ける教会の目標です。…”(No.920)
2023年2月12日「あなたは、わたしに従いなさい」
主日礼拝では昨年から使徒言行録の説教を始めて第11章まで来ました。まだ半分も終わっていませんから、今年も使徒言行録の説教を続けます。
最近、ローマの百人隊長コルネリウスとその親しい者たちの救いの出来事を説教した時、この異邦人の救いのために、ペトロが変えられなければならなかった出来事でもあったと、語りました。異邦人と食事をしたことで非難されたペトロでしたが、神の導きを順序正しく証しして、教会も異邦人を受け入れる素地ができました。
しかしながら、人はなかなか変われないこと、人間の弱さを、ペトロから知らされます。同様の事柄について、使徒パウロがペトロを非難したことがあります。
「ケファ〔ペトロのこと〕は、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだした…」(ガラテヤ2・12)。
けれども、ペトロがいてくれるので、私は救われる思いがするのです。ペトロは自分の弱さを自覚することさえできず、弱さや過ちを露呈してしまう。そのとき、そのペトロ自身を覆って余りある主イエス・キリストの憐れみが示されるからです。だからこそ、ペトロに親しみを感じる人が多いのだろうと思います。
ヨハネによる福音書第21章20~22節。
「ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。…ペトロは彼を見て、『主よ、この人はどうなるのでしょうか』と言った。イエスは言われた。『わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい』」。
他の人が気になって振り向いてしまうペトロに、主イエスはきっぱりと語られました。「あなたは、わたしに従いなさい」。本日の教会総会にあたり、この御言葉が示されました。(No.919)
2023年2月5日平和が訪れますように
日本基督教団社会委員会が担当しているウクライナ救援募金が、昨年12月、再度期間延長されました。西川口教会もその要請に応えて、箱献金を続けています。2022年12月12日付の教団社会委員会からのお知らせには、「アクトアライアンス」に加えて、日本YMCA同盟が募金の送金先となっており、募金額の報告がありました。アクトアライアンスについては、昨年8月14日の週報短文に書きましたので、日本YMCA同盟のウクライナ避難者救援活動を、ウエブサイトの情報から紹介したいと思います。
“◆日本への避難者支援◆
3月初旬に日本への避難を希望された1人の方を、ポーランドYMCA・ヨーロッパYMCA同盟・日本YMCA同盟とが連携し、出国から来日まで2週間にわたってサポート。その後も相談が続き、11月までに約180人の来日を支援しました。
5月には他団体と協働で、避難者とそのご家族のための交流・学びの場“Ukraine Café HIMAWARI”をオープン。オンラインの日本語教室や生活相談も始めるなど、来日後の支援にも力を入れています。
2023年1月の段階で首都圏、そして全国のウクライナ避難者700名ほどにお会いしてきました。都内ではお家に上がり時間に制限なく話し込んで来ました。一人ひとりの悩みの深い部分に触れ、ひと言では言い表わせないものがあります。
秋以降の大規模な攻撃に、心が折れ、泣き出し、本国を想い電気も暖房もつけずに過ごす人たちが多くいました。そのような避難者の方々も、少しずつ様子が変わり、ままならぬ人生の変化を受け止め、日本での長期滞在、定住も視野に入れて立ち上がり始めています。・・・”
現地や近隣諸国のYMCAはウクライナおよび近隣諸国での避難者支援を行っています。
主の平和が訪れますように。人々の命と環境が守られますように。(No.918)
2023年1月29日『ヨブ記』から何を学ぶか
祈祷会で、並木浩一先生の注解書を手掛かりに、ヨブ記をコツコツと学んで1年が過ぎ、いよいよ第38章、神がヨブに応えてくださるところまでたどりつきました。先週と先々週の祈祷会では聖書テキストの学びを一休みして、NHKラジオ第2「宗教の時間」で2021年12月に放送された「苦難の意味―『ヨブ記』を読み解く」の前編と後編の録音を聞きました。お話は、並木浩一先生(1935年生まれ。旧約聖書学者。国際基督教大学名誉教授)です。番組の最後に、現在、災害(津波が起こるとか、疫病が流行するとか)によって不安な生活を強いられている私たちが、ヨブ記から何を学ぶことができるか、語ってくださいました(1年前の週報短文にも書いたので、そこに書ききれなかったことを書きます)。
“…共同性を作り上げていく力が、やはり、旧約聖書のヨブ記のような書物にはあると思うのですね。だから、宗教の意味ということを考えるときに、どこまで共同性を作り上げる思想たり得るのかということが問われなければならないと思います。私はね、あまり論理的な言葉を信用して満足したくないのですよ。結果的に共同性を作り上げられる考え方、思想であるかどうか、信仰のあり方か、というものを問いたいと思います。…
学ぶべき第二は、人生で起こりうる不幸なことについて、合理的な説明を求めないということです。ヨブは、友人の神を弁護する説明を拒否しまして、苦難は不条理であるという認識に徹しました。…神への服従も、神への抗議も、この認識に基づいた振る舞いです。…
もう一つ加えておきますと、ヨブが苦難によって人間の尊厳をいっそう自覚するようになったということです。…ヨブは貧しい労働者たちに目を注いで、彼らの人間の尊厳が奪われているという認識を深めていると私は思っております。ですから苦難は、他者への目を開く、自分だけの問題ではない、こういうふうに思っております。…”(No.917)
2023年1月22日助けることは助けられること
“それは一九二四年(大正十三年)のことでした。兵庫県淡路島の洲本中学校において、ある英語の先生がこんな話をしたということです。…
A君とB君とC君の三人が、雪のアルプスを一週間がかりで北から南へ越えて行った。明日はいよいよイタリアに着くという前夜、吹雪が激しくてC君はとうとう動けなくなり、雪の中にうずくまってしまった。 疲労と空腹と寒さのためだった。A君は…「私はこれから先の道の様子を見るため一足先に」。こう言って先に行ってしまった。
後に残ったB君は、何とかC君を助けたいと思って抱き起し、右手でC君を抱き、その左手を自分の肩にかけて、二人のからだをぴったり寄せ合いながら、とぼとぼと歩いて行った。かなりの時間歩いて行ったとき、行く手の雪の中に何か黒い物があるのに気がつき、近づいて見ると、それは先に行ったA君だった。彼はすでに凍死していたのだった。そのときB君の心に、稲妻のようにひらめく思いがあった。自分はC君を助けようとしたのだが、自分の方こそC君から助けられたのだ。こうして二人は無事下山することができた…
その理由は、二人が身を寄せ合い、体温を分け合ったからでした。つまり助けることは助けられることだ、とこの先生は語ったのです。この話を…聞いた…その中の一人に、中田正一という少年がいました。彼はその後…この教えを自分の生きざまの中心にすえ…真理の道を、ひたすら歩み通したのです。…中田先生…はキリストを信じて生きた人だということです。人を助けることは自分を助けること…これは聖書の思想にも通じます…「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、私のために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」(マタイ16・25)。…あのイエス様の生きざまが、彼の中に受肉している様子を知って私は驚きました…。”(『輝く明けの明星 待降と降誕の説教』 高橋三郎の説教「生と死」より)
クリスマス礼拝の準備の中で出会い、非常に心を動かされたエピソードでした。(No.916)
2023年1月15日苦難も喜びも分かち合って
毎月第3主日は日本基督教団の定めた「日本伝道推進を祈る日」です。全17教区が取り組んでいる伝道の働きを2教区ずつ紹介します。
大阪教区〔大阪、和歌山、奈良〕
“20の教会がある大阪教区南海地区には「教会学校会議」があります。在日大韓基督教会を含む12、13の教会が集まり、研修会や子ども集会を行う、40年という長い歴史のある集まりです。運営にあたる会議の委員長や書記、会計は信徒の方々が大切に担ってきました。…各教会の信徒たちが率先してそれぞれの課題に向き合い、喜びを分かち合っています。…これまで中止を余儀なくされていた教師研修会を今年度から再開することとなりました。子どもの減少など、多くの課題がある時だからこそ、各教会同士が声を掛け合い、支え合っていくことが求められます。これからも共に苦難も喜びも分かち合っていきたいと心より願っています。”
祈りの課題
・信徒お一人お一人の信仰、働き、健康が支えられますように。
・コロナ禍にあって、重荷を負っている教会・伝道所、学校、関係施設の上に、主が示される希望がありますように。
九州教区〔福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島〕
“九州教区宣教会議を2022年7月18日、3年ぶりに開催しました。…教区内10の地区に1つずつ会場をもうけ、オンラインで結んでいったのです。…この会議の本題は「教区 宣教基本方針・宣教基本方策とわたしたち」。「九州教区宣教基本方針(2017年度〜2026年度)」は次のとおりです。1、イエス・キリストのみを主と告白し、それ以外を主とすることを斥(しりぞ)けます(以下略)…協力して宣教を担う仲間たちと一緒に神のご委託を学ぶことができて、宣教への励ましが与えられました。”
祈りの課題 九州教区宣教基本方針によって主に仕え、互いを覚えあって共に歩むことができますように。(No.915)
2023年1月8日『朝の祈り 夜の祈り』
昨年秋、日光オリーブの里アシュラムに参加して「祈りを深めたい」という祈りの課題が与えられました。気をつけないとなすべきことに追われてしまう自分がいます(なすべきことがあるのは感謝なのですが)。以前、アシュラムセンターが発行している機関紙「アシュラム」に、榎本恵先生のお父様の榎本保郎先生が『朝の祈り 夜の祈り』(ジョン・ベイリー著、教団出版局)をお勧めしていた記事を思い出し、オリーブの里アシュラムの後、この本を読み始めました。この本はロングセラーなので(初版1958年、私の手元にあるのは63版2015年)、ご存知の方もあると思いますが、日々の祈りが広げられる思いがしましたので、紹介させていただきます。
訳者あとがきに〝…本書は公同礼拝や、集会のための祈祷書ではなく、個人の私生活における祈りの助けです。にもかかわらず、とかく主観に流れがちなわたしたちの祈りを正しい格調あるものにする、いわば祈りの「文法」ともいうべき現代の古典であることを疑いません。…〟とありました。大いに同意しました。
この本には、1ヶ月の31日分の朝の祈りと夜の祈り、そして主日の朝と主日の夜の祈りがあります。主日の夜の祈りから一部引用します。
“…主よ、この日、恵みによって与えられた、あらゆる機会と特権とを、感謝いたします。
日々のたえまない仕事からはなれて、休息をとることを
この日を、あなたの聖なる日として守らせてくださいますことを
あなたの祈りの家と、公同の礼拝とを
飲食するごとに、主の死と、臨在を味わう、あの聖なるサクラメント〔聖餐〕を
天国の真のすがたを、たしかにたましいにきざみつける、地上のシンボルを
わたしのよんだ書物や、心を高める音楽を
この日の、友との交わりを
キリスト者の家庭の安息日の平安を
わたしの心を支配する内なる平和を
主よ、感謝いたします。…”
これほど豊かに感謝できることを知らされます。(No.914)
2023年1月1日「計画は大きくしよう」
主の年2023年を迎えました。
新年に当たり、アメリカの公民権運動で有名なマーチン・ルーサー・キング牧師(1929~1968)の言葉を紹介します。
“ある賢明な老説教師が、ある大学の卒業式に臨席して説教をした。彼は説教が終わった後、卒業するクラスの学生たちと語り合うため構内をぶらついた。そしてロバートという才気すぐれた年若い卒業生に話しかけた。ロバートにたいする彼の最初の質問は、「君の将来に対する計画は何かね」というものであった。「ぼくはすぐ法学部の大学院へ行くつもりです」とロバートがいう。「それからどうするね、ロバート君」と説教師は尋ねた。ロバートは答えた、「はい、結婚して家庭生活を始める計画です。その上でぼくは弁護士を開業し安定した生活をたてます」。「ロバート君、それから?」と説教師は続けた。ロバートはやり返えした、「率直に申し上げねばなりませんね。ぼくは弁護士業によって莫大な金を儲け、それをもって、多少早目に引退し、多くの時間を世界各地への旅行に使いたいと思っています―そういうことが、ぼくのいつもしたいと考えていることなので」。しかし説教師は、さらにほとんどうるさいほどの追求を加えた、「それからどうなるのかね、ロバート君」。「はあ、これがぼくの計画の全部です」とロバートがいった。そこで説教師は、あわれみの気持ちと父親のような思いやりのこもった面持ちでいった、「君、君の計画はあまりにも小さすぎる。それはせいぜい七十五年か百年の範囲でしかない。君は、神を含むほど大きく、永遠を包含するほど遠大に人生の計画を立てなければいけない」。
これは賢明な忠告である。…私も、諸君の計画は、時間のくさり、空間の手かせにしばられないほど大きくて幅広く立てるようすすめたい。諸君の生命を―諸君の持つすべて、諸君自身のすべてを―そのみむねは変わり給うことのない宇宙の主にゆだねよ。”(『愛と自由のことば 一日一章』の「1月3日」より引用)(No.913)