週報短文
バックナンバー 2003年2月分
2003年2月23日
羨(うらや)むということ
「佐久子のティールーム」に見えているNさんが、羨むことと嫉妬の違いについて話された。自分はプラスのイメージで「羨ましい」と言ったのに、相手には嫉妬と同じマイナスのイメージで受け取られたという。成る程と思いながら聞いた。
聖書には「嫉妬」という言葉は少ないが、「妬み」は多い。妬みによってあやうく殺されそうになったのはヨセフやダビデである。彼らの物語は聖書の中でも最も面白いもののひとつだ。文字通り妬みによって殺されたのは私たちの主イエスである。
「ねたみは墓のように残酷だ」(雅歌8・6)という口語訳は「熱情は陰府のように酷い」と新共同訳では改まった。「ねたみ」を「熱情」に替えてしまったが、ちょっと残念な気がする。「ねたむ神」という口語訳は誤解を避けて「熱情の神」に替わった。言葉にうるさかった北森嘉蔵教授はこの改訳をなんと言われたろうか興味がある。
ところで、「羨む」を国語辞典で見ると、「望ましい相手の状態を見て自分もそうなりたいと思う(が、そうなれなくて不満に思う)」とあった。( )がなければプラスのイメージだが、( )がつくとマイナスのイメージになる。「羨む」という言葉の微妙さが伝わってくる。
私が羨ましいと感じたのはいつだったろうか。子供の頃、スポーツが苦手だった私は(それでもバスケット部に入っていたが)天才的にゴールを決める友人を羨望の眼差しで見ていたことがあった。学問でもスポーツでも、あるいは芸術でも、本人の努力はもちろんあるが、先天的な素質は否めないと思う。音楽の教師が「誰でも努力次第で人を感心させる演奏はできるが、感動させることは誰にもできるとは言えない」と語ってくれた。
さて、信仰の世界はどうか。信じる心にも素質はあるのか。どう思われますか。
注
“北森嘉蔵(きたもり・かぞう)教授”・・・(1916−1998)の主著『神の痛みの神学』(1946年)プロテスタント神学者・元東京神学大学教授。故人。
2003年2月16日
城北アシュラム
第34回城北アシュラムに参加した。80名近い参加者があったが、半数は会場の池の上教会(日本ホーリネス教団)の兄姉たちであった。若い兄姉の出席が見られなかったのが淋しかった。
初めの『開心の時』では島津牧師(池の上教会)から「求めよ、探せ、門を叩け」と、アシュラムへの積極的、主体的参加が奨められた。
『分団』では、各自がニードを出し合って、共に祈り合った。私たちの分団は姉妹たちが多かったが、殆どが家族の問題で悩み、祈っておられる。
『静聴』の時は、エフェソの手紙2、3章から各自が主の語り掛けを聴いた。
『福音の時』は原田謙師(更生教会)がエフェソ4章から力強く語られた。牧師は信徒を整える務めを、信徒は世において証の務めを果たそうとの奨めであった。
『充満の時』は私が担当して、エフェソ4章の「聖霊を悲しませるな」、5章の「聖霊に満たされよ」にアシュラムの鍵があると語り、私たちも門を叩くが、主イエスも我らの心の戸を叩き続けておられる、このお方を悲しませてはならないと語った。
参加者の恵みの証しが少なかったので、つい余計なことも話してしまった。若い人が参加しないのは、アシュラムのやり方にも問題がある。一月の小牧者コンベンションには若者たちが大勢だった。アシュラムもコンベンションも目指すところは同じはずである。すなわち、主の弟子となることである。日本のクリスチャンアシュラムも半世紀近い歴史を重ねたが、絶えず新しくされないと、やがては消え行く運命を辿る、と。
本当は充満の時にそんなことを語ってはならない。しかし、アシュラムを愛すればこそ語らざるを得ない思いだった。
日本アシュラム連盟理事のお一人であるO師がおられたのでマイクをお渡ししたが、その点にはノーコメントだった。
2003年2月9日
役員選挙に関して
今日は教会総会が開かれ、新年度の役員選挙が行われる。どういう人が役員にふさわしいか、その答えは聖書にあると思う。
ここでは、役員任職式の式文からいくつかのことを記したい。
まず、役員は牧師と共に教会を守る責任がある。間違った教えは退け、また、真理から迷い出る羊があれば、彼らを諭して真理に連れ戻さねばならない。また、人との交わりにおいては柔和であって、争いを避けねばならない。信仰と行いにおいては、会員の模範となる。よく聖書を学び、よく祈る。牧師のために、役員のために、会員のために、また、求道者、家族、親族、友人たちのためにも祈る人。「平和を作り出す人」が望ましい。
竹森満佐一先生の講演によれば、「ほんとうに謙遜になれる人、牧師と教会員に謙遜に仕えることのできる人、さらに望ましいことは、大事な教理をよく学び、体得している人」等々、理想を言えばきりがないが、「そんな人がどこにいる」ということにもなる。
年度末が近づき、東京聖書学校の卒業生の赴任先や、牧師の移動が決まる大事なときである。私も立場上、委員会に陪席するが、人事は毎年難しい。教会の側からは、こういう人を遣わしてほしいといういろいろな希望がある。しかし、そんな理想的な人物はどこにもいない。特に若い教師は教会によって育てていただく他はない。その場合に一番大切なことは、竹森師も言うように「謙遜」ということである。謙遜な人は成長する。他人から学ぼうとする姿勢があるからである。自分が偉いと思っている人は望み薄い。パウロは、「誇る者は、主を誇れ。自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです」(コリント二 10・18)と奨める。
役員は、いわゆる役職ではない。謙遜に教会に仕える主の僕である。
2003年2月2日
F姉ご召天
私たちの敬愛するF姉が召天された。何度かホームと病院を往来しておられたが、11月から最後の入院となり、この度安らかに主のみもとに召された。93歳であった。ホームでは職員の方々によくお世話していただき感謝しておられた。教会の皆さんも時折お訪ね下さったが、クラシックの音楽を聴いておられたり、最後までハイカラな姉妹であった。忘れられないのは、ホームに入る直前に、その準備をしておられた時、私は何故かどうしても姉妹を訪ねなければとの思いに迫られ、寄ってみたが応答がない。どんどんと強くドアを叩いたら、ようやく姉妹が開けてくれた。が、異臭と煙が玄関まで漂っている。慌てて飛びこんでみると、奥の部屋が煙で一杯で、アイロンがじゅうたんを焦がしている。電源を切って、バルコニーに出した。幸いじゅうたんが二枚重ねて敷いてあり、一枚目は完全に焼き切り、もう少しで二枚目もという状態。下の畳に達していたら危なかったと思う。姉妹も茫然としておられた。「神様がぼくをここに連れてきてくださったのです」と言ったら頷いておられた。お部屋はきれいに片付いて、わずかに息子さんの若い日の写真が壁に貼られていた。
「H雄さんに教会で一度バイオリンを弾いていただきたいですねぇ」というと、涙ぐんでおられた。それはF姉自身から何度も聞いたことで、誰よりもF姉が願っておられたことである。しかし、日本や海外を飛び回って演奏活動を続けておられる方に、そんな厚かましいことはお願いできなかった。その夢がこの度のご葬儀で実現したのである。F姉も天国でどんなに喜んでおられるだろう。
召された日もご遺族や私たちにとっても最善の時であったと思う。私もいろいろ大事な用が続いて、ようやく一段落と思ったら、F姉が召された。「先生、わかってますよ」というF姉の笑顔が見えるようである。