週報短文
バックナンバー 2003年5月分
2003年5月25日
レクイエム
敬愛するK兄が急逝された。水曜日の夜の訃報の衝撃から私自身も立ち直っていない感じがする。
兄弟は殆ど礼拝を休まなかったから、皆さんもよく御存知だと思う。特に、2年ほど前から始まった「聖書に聴く会」のレギュラーのひとりで、こちらも欠かさず出席された。彼の聖書の読み方は教会では独特で、我々は信仰の目をもって聖書を読むが、兄弟は我々の意見を尊重しつつも、信仰的見方というよりあくまで歴史的、文献的な見方を貫いたようだ。
聖書をどのように読むかということは大事な問題である。K兄は新約学者の田川健三氏に大いに関心をもって、よく本を読んでおられた。田川氏は日本を代表する新約学の権威には違いないが、しかし、聖書を正典として見るという教会の伝統的立場を離れた人である。その主張は、学説としては面白いだろうが、信仰を建て上げるということになるだろうか。昔のカトリック教会ならば、さしずめ禁書のリストに加えられるだろう。プロテスタントは禁書などという野暮なことは言わない。何を読もうと自由である。しかし、使徒パウロも奨めるように、私たちは「信仰の度合いに応じて慎み深く」思うことは大切だと思う。
東京聖書学校は保守的な神学校で、特に新しい神学に飛びついたりはしない。しかし、「聖書」学校だから、こと聖書に関しては、みなひとかたならぬ思いを持っている。正しい聖書解釈を追及している。渡辺善太の正典論を大切にして(それを絶対としているわけではないが)謙虚に学んでいる。
しかし、K兄も謙虚な方だった。他人の考えにもよく耳を傾けてくださった。女性が多い「聖書に聴く会」の中では貴重な存在であり、私も彼の発言を興味深く聞き、学ぶところも多かった。兄弟が欠けて、ぽっかりと大きな穴が空いてしまった。しかし、彼の死を一粒の麦の死とさせていただきたいと切に祈る。
2003年5月18日
誤 解
人間が不完全である以上、誤解は避けられないことのようだ。「とんでもない誤解です」と言われたり、自分でもどうしてこんなミスを犯したのだろうと悔やむこともある。早合点や思いこみなど、誤解の原因は様々である。
きょうは珍しく「キリスト教の誤解」という変な説教題をつけた。皆さんは、この題からどんな印象を受けるだろうか。誤解を恐れずに言えば、牧師がキリスト教の誤解を一つ一つ解いてくれるのではないかと期待する方もおられるかもしれぬ。少なくとも牧師はキリスト教を正しく理解して、大方の誤解を解いてくれると期待するだろうか。けれども、よく考えて見るとこれはなかなか難しい。
主イエスの時代に、ユダヤ人の指導者を自認していたのがファリサイ派の人々である。彼らは自分たちを無知蒙昧な大衆と区別して、一段高いところにいることを誇りにしていた。しかし、主イエスは「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」(ヨハネ9章)と言われた。主イエスの到来によって、一大逆転が起こった。つまり、今まで見えると思っていた人たちが実は見えなかったことが判明し、逆に見えないと思っていた収税人や罪人が見えるようになった。罪を悔改めて新しい人生に一歩を踏み出した。まさに、見えるようになったのだ。
さて、キリスト教を正しく理解することは大事だし、誤解したままではいけない。しかし、「自分は知っている」「自分は正しい」と思うところに落とし穴がある。「自分はまだ知るべきことをも知っていない」と謙虚に考えるのが本当ではないか。聖書を学び、教会の歴史を学ぶとき、教会はいつもキリスト教を誤解してきたといっても過言ではないだろう。
三浦綾子さんが他界される日を間近に、フト「自分は神様を誤解してきた」(という言葉ではなかったが、そのような意味の言葉)と言われたのが印象に残っている。
2003年5月11日
「赦しますか」
今回は「朝祷」5月号に載ったSさんの証しをご紹介しましょう。
「心から兄弟を赦さないなら、天の父もあなたがたにこのようになさるのです。」
今から27年前、私たち一家は太平洋のグアム島へ友人の招きで教会を設立するため引っ越しました。一番上の子が10歳、一番下が1歳になったばかりの4人の子供を連れ、主人は教師、私には日本領事館の仕事が待っていました。その年の9月のある夕方、お隣りの奥さんが飛び込んできて、「大変!あなたの子どもが・・・」。見ると、当時7歳だった長男が大きな車の下敷きになっているではありませんか。それも、我が家の玄関の前で。私は這って車の下に入り、息子を引きずり出しました。
意識もうろうとなり、足がだらんとなったまま、「ママ、ママ」と叫ぶ子を病院へ連れて行きました。南洋の島とて、医者との連絡がなかなかつきません。「イエスさま、助けてください」と祈るだけでした。
息子をひいたのは、近くに住む麻薬常習者の青年でした。やっと息子をハワイの病院に入院させましたが、息子は右足をなくし、家族から遠く離れているのと、何回も手術を受けなければならないのとで、母親の私は「主よ、私には荷が重すぎます」と祈るほかありませんでした。しかし、主からの答えは「相手を赦しなさい」でした。主は私の心をよくご存知です。私が息子の足をさすりながら「マコちゃん、相手の青年を赦しますか」と聞いた時、「もちろんだよ、ママ。ボクまだ生きているじゃないか。大きくなったら、ボクは世界一の義足師になるんだ」。そのマコトは当年34歳のクリスチャン医師です。ケンタッキー州で、整形手術を行い、義足義手を組み立てるクリニックを設立しています。あのとき私は、「イエスさま、相手の人を赦します」と祈りました。その時から、数え切れない多くの恵みと憐れみをいただき、今日もその中に生かされています。
「朝祷」・・・超教派で連帯して、全国各地で捧げられている祈りの運動「朝祷会」の機関紙です。島牧師はたまに奉仕に出かけることがあります。
2003年5月4日
草加キングスガーデン
草加キングスガーデンがいよいよ5月オープンの運びとなった。キングスガーデンとは、「主の園」の意味で、旧約聖書からその名がとられている(イザヤ51・3)。もちろんキリスト教主義の施設である。初めに、茨城県の水海道にオープンし、ついで川越、練馬と進展したが、この度、地元の強い要望と支援で草加にできた。ここに至るまで、理事長の泉田昭師をはじめ、関係者の人知れぬ.苦労があったようだ。そして、施設長は蕨福音自由教会の長老であるK兄に決まった。また、その開設に至るまで、準備段階から当教会のO姉が中心的に関ってこられた。
先日、近隣の牧師たちがキングスガーデンに集まって、「みぎわ会」の発会式が行われた。「みぎわ会」とは、施設で行われる礼拝の説教を牧師たちが手分けして担当していく、その牧師たちの会である。私も6月から月に1回、他の牧師たちと共にその礼拝のご用に当ることになる。
私たちの教会では、S兄が川越の、また、A姉が水海道の施設で天に召された。A姉をお訪ねした時、晩年をそこで過ごしておられた島村亀鶴(しまむら きかく)師に会った。師にお会いしたのはそれが最後になった。車椅子に乗られて、誰彼となくにこやかに挨拶しておられたが、もう誰ともお分かりにはなっておられなかったろう。
老人ホームを訪れると、自らの老後のことも思わざるを得ない。終のすみ家をどこにするかも課題になる。毎年クリスマスに訪ねる青梅の信愛荘も悪くないと思うし、キングスガーデンに入れたらさらに良いだろう。私の願いは、できるだけ他人に迷惑をかけず、費用も安いところで、元気な限りは多少とも誰かの役に立ちたいというのであるが、そういう所を神様が備えてくださるであろうか。草加キングスガーデンがこの地域で老人のオアシスとならんことを祈りつつ。
青梅の信愛荘・・・日本基督教団の教会が支えている、隠退教師のための老人ホーム。東京都青梅市にあります。島牧師は、東京聖書学校の神学生と共に毎年クリスマスの訪問をしています。