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週報短文

バックナンバー 2003年7月分


2003年7月27日

夏期聖会

 今年のホ群首都圏夏期聖会は、昨年に続いて秩父で開かれました。今年は通算50回の節目の年に当たり、聖会の中でも若干の回顧談がありました。最初は富士見高原教会が会場でしたが、まだ戦後の復興期で、参加者は米や毛布を持参して馳せ参じたとのことでした。私が参加するようになったのは奥多摩の古里・福音の家で35年ほど前からですが、福音の家はもともと東京都の水源の一つ、小河内ダムの飯場として使われたもので、バラックの粗末な建物でした。冷房などはもちろんなく、扇風機をフル回転させながら、夜は蚊取り線香で蚊を撃退して、布団にもぐりこむというありさまでした。しかし、私にとっては一番懐かしい聖会で、あそこで主イエスとそのみ言葉に出会って、今の自分があることをしみじみと思います。
 最近は、軽井沢とか秩父など、場所も会場もグレードアップしましたが、さて、肝心の聖会の密度はどうであろうか、どれだけの祈りが積まれているだろうか、聖会委員の一人として心もとなく感じています。
 余談ですが、ウェスレーの説教に、「キリスト教の無力の諸原因」というのがあります。晩年の説教の一つですが、彼が指導したメソジスト会が大きく成長し、貧しかった会員たちも勤勉な生活と貯蓄に努めて、生活ははるかに豊かになった。しかし、生活が豊かになるに反比例して、彼らの信仰はダウンし、その力を失ったと嘆いています。これは初代教会以来、ずっと続いてきた悪弊ではないかと思います。物質的に富むと、霊的に貧しくなるのは、人間の共通の弱点ではないでしょうか。これを打破するためには、富を私視せず、神に献げ、人に与えることに徹する他はないとウェスレーは言っています。「天に宝を積め」ということですね。
 夏期聖会やバイブルキャンプも環境が整ったことは結構なことですが、「なくてならぬものはただ一つ」と言われた主イエスの言葉を忘れてはおしまいだと思っています。初心に帰れということです。

2003年7月20日

主の祈り

 主の祈りを最初に礼拝で取り上げたのは1974年です。次は香港に行った1984年、3回目が当教会に赴任した1990年。それぞれ、六つの祈願を一つずつ語っているので、すでに18回は語っています。今回は六つの祈願の前半を私が、後半を金田牧師が語ることにしました。それも1回ずつ2回で終りというわけです。かえって難しいでしょう。
 ルターは主の祈りを“最大の殉教者”と言いました。その意味を少しも考えないで、ただお題目のように称えているだけ、ということでしょう。しかし彼は、「大教理問答」の中で、「子供たちが朝起床の時、食卓につくとき、夜寝につくとき、日毎暗誦する習慣をつけさせるべきだ」と言っています。子供たちに、これをよく理解させることはできますか?。大人だってどれほど考えながら祈っているか疑問です。私の母教会のおばあちゃん牧師は「ゆっくり祈りましょう」と何度も会衆に注意を与えました。私たちの礼拝の主の祈りを聞いたら、目を丸くするかもしれません。
 主の祈りを祈れなくなって苦しんだのは、内村鑑三に「大聖徒」と言われた笹尾鉄三郎です。主の祈りのどの一句であったか覚えていませんが、その一句の意味を真剣に考えていった時、祈れなくなったというのです。さすがに、大聖徒と言われるほどの人は違うと感心しました。私たちは分からないから平気で祈っているのかもしれません。
 「言葉が少なく考えが深いのがキリスト教的祈り、言葉数が多く考えが浅いのが異教的祈り」とルターは言いましたが、主の祈りの6つの祈願は40語です。この40語に、キリスト教のすべて、わたしたちの救いのすべてが盛りこまれているというのです。主の祈りがわかったら大神学者、これを本当に祈れたら大聖徒と言われると、ますます祈れなくなってしまいそうです。でも神様は微笑みながら、私たちの祈りを聞いていてくださるでしょう

2003年7月13日

ディボーションスクール

 5月から始まったディボーションスクールが終りました。今回もとても恵まれたスクールだったようです。「ようです」というのは、私は聖書学校に行く日で、一度も出られなかったからです。今回は先の二回のトレーナースクールとは違って、金田牧師が中心になり、同牧師を前の受講生たちやY田、k田両牧師(大宮と西川口のトレーナースクールを受講された)が助けてくださり、殆ど自前でやったということは大きな前進でした。途中二回ほど、小牧者訓練会からベテラン講師を派遣していただいて、それも良い刺激になったようです。とにかく、受講者の参加費用が低く押さえられたこともよかったでしょう。皆さんの受講された感想や、恵みの証しを読ませていただいて、お一人ひとりにとって貴重な恵みの時であったことがよくわかりました。 
 なぜだろうかと、改めて考えてみました。
 根本的に言えば、「キリスト教とは、神との交わりである」ということに合致しているからだと思います。ディボーションとは、まさに神との交わりそのものだからです。ディボーションスクールが目指していることは、いかにして神との交わりを親密にするか、また、そのことを通して自分自身が変えられて行くかということです。イエス・キリストの福音がどんなにすばらしいものであっても、それを現実に自分のものとすることができず、また、自分自身も家庭も、職場や友人との人間関係も少しも変わらないというのでは、絵に描いた餅と言われてもしかたがないでしょう。
 イエス・キリストの福音にどうしたら届くか、その努力は過去二千年の間、さまざまになされてきました。その一つの道が、今ディボーションスクールで示されていると思います。他に、もっとよい道があれば、それも試みたらよいでしょう。西川口教会でも、ベテル聖書研究やアシュラムなど、いろいろ試みてきました。それらも大いに意味がありました。そして今、神様はこの道を示しておられると思います。


2003年7月6日

夏の諸集会

 7月を迎えました。梅雨も間もなく明けて、本格的な夏が来るでしょう。
 今年も、様々な夏のプログラムが私たちを待っています。いくつかを取り上げて、その特色を簡単に記し、皆様の参考に供します。
 
○ホーリネスの群首都圏夏期聖会
 7月21〜23日、秩父にて
 聖会はホーリネスの伝統で、目的は「恵みの高嶺に」「神に近づく」ということでしょう。今年は5回の聖会と講演会(島担当)が予定され、首都圏の教師たちが説教します。

○埼玉地区全体修養会
 8月5〜7日、軽井沢にて
 講師はキスト岡崎宣教師夫妻。新しい礼拝の捧げ方、賛美などを学ぶ楽しい集会になるでしょう。講師についてさらに詳しく知りたい人は、静江牧師にお尋ねください。

○こころの友伝道全国大会
 8月26〜28日、熱海にて
 これは「こころの友伝道」の奉仕者、またはその奉仕を志す人のために開かれる集会で、今年は工藤信夫先生を迎えます。部分参加も許されるでしょう。

 以上は泊りがけでないと参加が難しいですが、自宅から通える集会としては、

○日本伝道の幻を語る会
 8月18〜20日、市川にて
 講師はエバンジェリストの中野雄一郎師と、
 教団議長の山北宣久師。ともに説教者として定評のある方々で、今年は熱気ある集会になるでしょう。
今一つ、
○日韓親善教会宣教大会
 8月20〜22日、東京 ホテル浦島にて
 講師は日韓の著名な牧師が次々と講演します。これも恵まれた集会になるでしょう。

 どこか一つでも参加できたら感謝ですね。
 中高生のバイブルキャンプのために祈ろう!

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