週報短文
バックナンバー 2003年8月分
2003年8月31日
インスピレーション
インスピレーションは、ひらめきとか直感くらいの意味で用いられている。手許の辞書では「神から教えられでもしたように、突然飛躍的に名案などを思いつく心の働き。霊感」とある。語源的には、創世記2章に、人間が土から造られ、神の息吹によって生きたとあるが、その「息吹」から来ている。ここから「霊」という言葉が生れた。だから、霊感は語源に近い。「聖書は神の霊感によってなり」という信仰告白の「霊感」もインスピレーションである。
私も最近、一つのインスピレーションを与えられた。湯川秀樹博士は、夜インスピレーションが湧くので、枕元に紙と鉛筆を置いて寝まれたそうだが、私も熱海での夜にインスピレーションを与えられた。しかし、問題は、それが本当に聖霊の導きか、単なる自分の思いつきか、それをどこで見分けるかである。
かつて香港へ赴任する一年ほど前に、「香港に行け」というインスピレーションを与えられた。その後、アシュラムの集会で「百日の祈り」を教えられ、自分も祈ってみようと決心した。しかし祈っても、主のみ旨か否かは分からなかった。夏が来て香港に行って見ることにした。旅行社に問い合わせたら、ツアーのキャンセルがあって一組だけ空いていた。そこで初めて静江と香港へ行った。とにかく暑かった。
9月の役員会は大変だった。私が、香港行きを持ち出したからである。しかし、お許しを頂いて教団に応募した。わたしたちの他に若い牧師が二人応募しているという。静江はほっとしたらしい。ところが、ディボーションで静江がみ言葉を示された。「御名のために旅立った者」というヨハネの第三の手紙のお言葉であった。その日、教団から電話があり、私たちが内定したという。今振り返ってみて、「香港に行け」というインスピレーションは確かに聖霊の導きであったと確信する。
ウェスレーは「聖霊はガイドであり、聖書はルールである」と言った。聖書に聴きつつ、聖霊の導きを求めたいと思う。
2003年8月24日
本物のキリスト者
福音教会連合の関東夏期聖会にお招きをいただきました。県南四市の牧師会でいつも御指導とお交わりをいただいている聖泉キリスト教会の三浦清重先生のグループですが、どのような方がお集まりになるのか知らないままに参りました。ところが行って見ると、まるで家族か親族のような親しい交わりで、全部で二十数名という小規模な聖会でした。しかし、大きな聖会とは違った良さが随所に感じられて、こういう小さな聖会を全国各地で開けないものかと思いました。
今年はジョン・ウェスレー生誕三百年の記念の年で、あちこちで記念集会が開かれてまいりましたが、私もウェスレーの信仰について3回に亘って話させて頂きました。「自分の教会でも話したことがない」ことを他所でするというのはおかしな話ですが、他所だから思いきって話せるということもあります。かつて母教会の伊藤馨師が、他から来た講師に、自分が言えないことを君に語って欲しかったと言っておられたことをふと思い出しました。牧師は説教で何でも語っているようですが、案外言えないことも多いのです。それは教会員の現実がわかるからです。そこを誰かがズバリと言ってくれることはありがたいでしょう。他から講師を招くということは、そういう意味もあります。
ウェスレーの何を語ったのか。中心は「きよめ」です。ウェスレー主義の中心はそこにあるのですから。最後の聖会ではズバリ「キリスト者の完全」と題して語りました(ウェスレーの主著)。これは今日まで反対論も多いのですが、「完全」は聖書の言葉ですからウェスレーはそれに固執して最後まで引っ込めませんでした。しかし、話しながらふと思ったのですが、「完全なキリスト者」と言ったら、さほどの反対もなかったかなと。事実、ウェスレーの説教に「ほとんどキリスト者」(新訳では「あと一歩でキリスト者」)というのがあり、ウェスレーは本物のキリスト者であれと主張したのです。「主の弟子となれ」と言ってもよいでしょう。
2003年8月17日
石浜みかるさんの講演
8・15集会で作家の石浜みかるさんのお話を聞いた。日本が中国を侵略して太平洋戦争にのめりこんで行く時代に、教会はどのような態度をとったか、また、宗教に対する国家の弾圧はどのように行われたか、という重い主題を資料を基に軽妙な語り口で説き明かしていく聞きごたえのある講演だった。ホーリネス教会への国家の弾圧は、かつて何度も聞き、本でも読んだが、石浜さんの口を通して語られると、また違った面にも気づかされる。特に共感を覚えたのは、人間の弱さの故に、信仰を貫くことができず、心ならずも妥協して保身をはかることもあったろう(石浜さんのお父様も、そういう点がなかったとは言えない)。しかし、それを言い表すことによって、後世の人間は「失敗を繰り返してはならない」という大きな教訓を得る。失敗を隠さないでペトロのように告白して欲しい、だれも個人を責めようとは思っていないのだから、というところであった。
二十年ほど前に、ホ群の文書部から「その時わたしは」という本を出版したことがある。あの弾圧の時にあなたはどう生きたかという証を書いていただいたのである。牧師たちの獄中記はすでにいくつかある。しかし、牧師の家族や信者はどうだったのか、その記録が乏しい。それを少しでも知りたいというのが出版の目的であった。その中で今も忘れられないのは、立派に信仰を貫いたという証より、当局の厳しい追求にとうとう負けて、言ってはならないことを言ってしまったというつらい正直な告白であった。その原稿を読みながら、思わず胸が熱くなったことを思い起こす。
ホーリネスは信仰に命を懸けたから偉いと時々言われる。韓国の教会にはもっと多くの命がけの信者があった。それは尊いことだ。しかし、それができない場合もあったはずだ。それを隠して良いことばかりを言うのが証であろうか。罪と失敗を告白して悔い改めることこそ祝福を受ける秘訣である。日本の教会がもっと正直であったらどんなに良かったろうと思う。
2003年8月10日
「万事が益に」
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ロマ8・28)
「万事が益となる」と御言葉は告げるが、はたしてそんなことが言えるだろうか。思いがけない病気や怪我も益になると言えるだろうか。もしそうならば、その理由を聞きたい。
まず、「御計画」という一句に注目したい。神の御計画に従って、万事は益となるということである。神の御計画ならば、一年、二年というような短期間で考えるのではなく、もっと大きなスケールで考えねばならない。「ああ、失敗だった」と思えることも、三十年も経ってみると、かえってあの失敗があったからこそと言える事が少なくない。辛い病気も、パウロの「肉体のとげ」のように、神の恵みを深く体験する機会となる。人間の計画がストップしたところから、ヨーロッパ伝道の扉が開いたのだ。
しかし、一生の間ついにそのなぞが解けなかったということもある。
わく涙の意味誰かは知る
世にある間は、知ることやなからん
されども知るを得ん、すべてをさやかに
み国にのぼりて、主を見まつる朝
という聖歌がある。(聖歌636)
私たちが見るところ、今はおぼろであるが、その時(主の再臨の朝、復活の朝)には、顔と顔を合わせて見ることになる。その時が待ち遠しい。私たちばかりでなく、全被造物が、その朝を待ちわびている(ロマ書8章)。
笹田一成師の、この度のご召天もわたしたちには思いがけなかった。御遺族にも、「どうして」という思いがないわけではなかろう。しかし、ここにも神のみ手が働いているのなら、「今は分からないが、後でわかるようになる」という主の約束が実現する時が来ると信じる。御遺族、御教会のために主の慰めを祈りつつ、すべてのことを通して「御名が崇められますように」と祈るばかりである。
笹田一成師(しのだ いっせい)・・・お隣の日本基督教団川口教会の牧師先生です。8月6日召天されました。
2003年8月3日
キャラバン伝道
東京聖書学校の学生たちと山陰へキャラバン伝道に行きました。学生4名と行く予定でしたが、出発日の朝、リーダーのM兄が急病で緊急入院しました。祈りつつ出発しました。
松江まで高速道路をひた走って11時間以上かかりました。松江教会では特別礼拝と愛餐会と若干のチラシ配布。礼拝には、教会の隣りの奥さんや近隣の方が3、4名出席され、教会の方々も大喜びでした。日曜の夕方、昨年訪れた秋鹿(あいか)教会に寄りました。米山香織師が私たちを待っていてくださいました。田んぼには白鷺が舞い、宍道湖がきれいでした。
月曜日は松江教会と宋盛興先生御夫妻にお別れして、美作落合教会に向かいました。宮本武蔵ゆかりの地で、その町役場の真前に築百年という木造の古い会堂が建っています。文化財に指定されてもおかしくないでしょう。教会は110年を超える歴史があります。現在は津山城西教会の千木良克巳牧師が兼牧しておられます。牧師が町にいないので、元高校教師であったK兄姉が中心的に教会を守っておられます。若い姉妹たちも加えられて、活気ある教会との印象を受けました。翌日の子供会には13名ほどの子供たちと保護者も加わり、礼拝、工作、楽しいゲーム、最後は小雨の中で花火までして子供たちも大喜びでした。これからも教会学校につながるでしょう。畑でとり立てのトマトやかぼちゃ、とうもろこしなどが食卓を賑わし、自然の恵み溢れる子供会でした。
水曜日は津山城西教会の祈祷会。普段は木曜の祈祷会を我々のスケジュールに合わせて一日繰り上げ。ここでも主にある幸いな交わりを与えられ、午後は由緒あるキリスト教図書館と博物館を見学し、私たちを二晩お宿してお世話下さったO姉と共に93歳の老姉を訪問して祈り、そこで私はキャラバン隊と別れて千木良師に津山駅まで送っていただき、一足先に帰りました。キャラバン隊は横山師を迎えてきょうまで用瀬(もちがせ)教会で奉仕して、明日帰ってくる予定です。無事を祈りましょう。