週報短文
バックナンバー 2003年10月分
2003年10月26日
西川口教会のめざすもの
「西川口教会はどんな教会ですか」と問われたら、皆さんはどう答えるでしょうか。「日本基督教団に属し、関東教区、埼玉地区の教会の一つです」というのは基本的な答えですが、これだけではおもしろくないですね。
「50年以上の歴史があって、幼児から高齢者まで百人余りが毎週日曜日に集まっている教会です」と言えば、少し顔が見えてきます。「皆生き生きと奉仕して、楽しいけれど忙しい教会です」というのは、やや主観的答えですが、当たっている感じです。
なぜ、こんなことを書くのかと言いますと、先日の礼拝後の牧師の発言で、みなさんが少し動揺したように感じます。確かに、誰が牧師かということは、教会にとって大事なことです。しかし、それ以前に大事なことがあります。それは、教会は信仰告白にもあるとおり「恵みにより召されたる者の集い」であって、ただ牧師に依存するのではなく、信徒の一人一人がしっかりしたものを持っていなければなりません。そこで皆さんにお願いしたいことは、「西川口教会はこういう教会です」あるいは「こういう教会を目指しています」というものを作っていただきたいということです。それがはっきりしていれば、極端に言って誰を牧師に迎えても大丈夫、牧師に左右されない教会になることができるでしょう。
また、そういうものがはっきりしていないと、誰を牧師に迎えるかというときも、判断に困るのではありませんか。少なくとも、教会が大事にし、また教会が目指しているものに共感しない牧師は迎えないということです。これは大事なことです。ある教会では、創立以来半世紀以上、教会が大切にしてきた伝統を覆すような牧師を迎えたたために、がたがたになってしまった例があります。私たちの教団は合同教会ですから、それぞれの伝統を持っています。それを大切にすることは、牧師を迎える時のみならず大事なことです。今こそ、教会は足元を見つめなおして地固めをする大切な時と思います。
2003年10月19日
交 わ り 会
交励会主催の一泊交わり会は、20名の参加者が与えられて、充実した楽しい時を持つことができました。金田正一兄の周到な準備と、多くの兄姉の祈りの支えがあったことを感謝します。
宿に着いてすぐ開会礼拝とオリエンテーション、一風呂浴びて夕食、夜は3人の兄弟たちの発題を受けて3つの分団に分かれて一時間ほど話し合い、もう一度全体で一時間半も話し合ったでしょうか、10時頃まで熱心な話し合いが続きました。
教会の直面している課題や、将来の進むべき方向等、自由に話し合うことができて幸いでした。強いて不満を言えば、参加者の中、40歳未満は佐久子先生お一人で、青年の声があまり聞けなかったことです。年寄りが将来を憂えるというのは、どこにでもあるパターンです。今、教会フェスティバル、クリスマス委員会では若い力が大いに用いられているのに、今回の交わり会はやや偏った構成になったかと思います。できれば、青年会が主催して交わり会を持てたらよいのではないでしょうか。
一晩の休みが与えられて、翌朝は佐久子先生により創世記から年老いたヤコブがヨセフのふたりの子供たちを祝福するところを学び、信仰の継承の大切さを改めて思いました。
出発まで多摩川の川原に下りて見ると、緑と清流がマッチして心まで洗われる思いがしました。以前はもう少し上流の古里にある「福音の家」で毎年聖会が開かれ、また子供たちや東京聖書学校の学生たちと何度もこの川に来たことが思い出されました。
鱒吊り場での昼食をはさんで川合玉堂美術館と吉川英治記念館を見ましたが印象に残るものでした。絵にしても小説にしても、最後は技術や才能よりも、その人自身が問題ではないかと思いました。帰りは思いがけない豪雨になりましたが、運転者を別にして我々は車中で夢心地でした。一同健康守られ、無事予定通りに教会に戻ることができて感謝でした。
2003年10月12日
危 機 管 理
先週の礼拝は、思いがけずY兄が倒れて救急車が呼ばれ、皆心配して祈らされた。が、看護婦の姉妹たちの適切な対応で大事に至らず守られたことは感謝であった。
使徒言行録20章にパウロの最後の伝道旅行中、トロアスでのエピソードがある。パウロの話がながながと続いて深夜に及び、一人の青年が居眠りして三階の窓から落ちた。大騒ぎになったが、パウロは下に降りて彼を抱きかかえ、「騒ぐな。まだ生きている」と言って、また夜明けまで話し続けて出発したという。パウロの熱情、信徒達の熱心、今日の韓国教会も及ばない。
ところで、青年が落ちた時、パウロはすぐに青年のところに降りて行った。私も、Yさんが倒れた時、説教を止めて降りて行こうかと一瞬思った。しかし、看護婦さん達や静江牧師が取り囲んでいたので、説教を続けることにした。しかし心配で心ここにあらず、聞いている皆さんも上の空であったろう。さて、あの場合どうするのが最善だったか。これは危機管理の問題でもある。
老牧師のことを思い出すが、誰かが高い階段から転がり落ちた。老牧師はさっと駆けつけて、救急箱その他の手配をてきぱきとやった。ところが、師のライバルであったO師は怪我をした兄弟に手を置いて、ひたすら祈っていたという。「O先生はそう言う人だった」と。私がそこにいたらどうだったか。O師のように祈りも出来ず、といって老牧師のように気も利かず、ぼうっとして突っ立っていたのではないか。
さて、上の空で話した説教の大事なポイントをここに。「向こう岸へ渡る」とは何か。
一、今の立場に安住しない。
二、新しいチャレンジ。
三、自分を出て、神の側に立つ。
四、新しい人へ向かう。
この最後は、大江健三郎さんの最近の本で、9・11のテロ以来の世界の混乱を見ると、このままでは地球に未来はない、「新しい人になる他はない」と聖書から語っておられる。
2003年10月5日
牧師の仕事
比較的最近、表題の本が二冊出版された。一冊は日本人牧師の、もう一冊は英国人牧師の筆になる。後者の本の中に、「悪いことは言いませんから、牧師になろうなどという望みはきっぱり捨てて、道路清掃員になってください。」「教会の状況を見ると、牧師職を志す人の比較的わずかな人だけが真実に神から召されていると確信しています。」と、なかなか厳しい言葉がある。著者自身も牧師として、その困難な仕事を十分承知の上で、あえてこのような苦言を呈している。
しかし同時に、「この世において人がなし得る、これほど素晴らしい仕事はありません。すなわち、困窮した人々の魂に透徹した神の言葉を解き放つために、人が用いられるのです。これは最も驚くべきことです。しかし、そうなっているのです。神が働かれます。神の言葉が働きます。祈りが働きます。聖霊が働かれます。」と記している。
復活の主イエスは、三度もペトロに「わたしを愛するか」と問われて、「わたしの羊を飼え」と命ぜられた。神の言葉をもって羊を養うのが牧師の務めであると著者は何度も繰り返し強調しているが、私も牧師になって三十年、いよいよその奥行きの深さを思わされて、恐れとおののきを感じると共に、「これほど素晴らしい仕事はありません」という著者の言葉にも共感を感じている。
さて、現実に牧師になろうとする人は少ない。東京聖書学校でも、現在一六名が学んでいるが、何人が無事に牧師になるだろう。一方、老齢で引退する牧師は、当分増え続ける傾向にある。穴が埋まらないという状況だ。これからは無牧や兼牧の教会が増えるのではないかと言われている。昔のメソジスト教会には勧士の制度があり、信徒から勧士が選ばれて、牧師のような務めを担ったのである。それもひとつの方法かもしれない。しかし、やはり牧師は必要だ。もっと献身者が起されるように祈ってください。来週は教団の「神学校日」にあたる。