週報短文
バックナンバー 2003年11月分
2003年11月30日
クリスマス近づく
今年もアドベントを迎えて、一ヶ月を残すのみとなりました。アドベントの礼拝、クリスマスの諸集会の祝福を祈りましょう。
西海静雄先生の「み言葉アンサンブル」は好評で、クリスマス物語から始まりますが、こんな書き出しです。
“クリスマスカードを眺めていて、「あれ、変だな」と思った絵がありました。それは羊飼いたちが中天にひときわ輝く星に導かれて、ベツレヘムを目指している絵です。・・・”
どうして先生が「変だな」と思ったかお分かりですか。それは、星に導かれたのは、東の国の占星術の学者たちであって、羊飼いではないからです。聖書学校の学生たちにどう思うか尋ねると、皆変ではないというのです。「学者たちに見えた星は、羊飼いにも見えたはずだ」とは彼らの言い分です。そういえばページェント(聖誕劇)でも、「不思議な星だなあ」と羊飼いたちにも言わせているのがありました。西海先生に言わせれば、それは聖書を大雑把に読んでいるからで、注意深く読めば、聖書にはそんなことは書いていないというのです。この話の続きはぜひ本を読んでください。
わたしは聖書学校の昼食時に、「みどりごの主イエスを拝みにきた東の国の学者たちは何人でしたか」と尋ねました。O兄が「三人」と答えましたが、皆さんはどう思われますか。実は、聖書には何人とは書かれていません。ただ、「黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」とあるので、三人ではなかったろうかと後世の人が勝手に想像しているのです。
さらにその想像は膨らんで、「四人目の博士」が主役となる聖誕劇が生れました。しかも、その学者の名前はアルタバンというのです。今年の聖書学校の学生クリスマスの劇はこれをするそうです。学校だけではなく、青梅の信愛荘や平生園(地域の老人ホーム)でも、その劇をしてお年寄りを喜ばせたいと言っています。想像もここまで膨らめば、西海先生も笑ってお許しになるでしょう。
2003年11月23日
有益な話し合いを
きょうは礼拝後次年度のことで全体協議会(懇談会)が開かれる。端的にいえば、誰を牧師に迎えるかということである。一体、牧師とは何だろうか。英語でもそうだが、羊飼いのイメージが一番ピッタリするだろう。皆さんは、どんな羊飼いを求めているのか。
私たちはこの教会の3代目の牧師として迎えていただいた。初代は横山義孝師と静子夫人、2代目は三枝道也・育代両牧師であった。初代は全くのゼロからの開拓伝道だから、なにもかも牧師が世話をするという世話焼き牧師になるのが普通である。しかも、横山師は聖霊の火に燃えてどこまでも突き進むタイプである。信徒の皆さんも静子夫人も先生についていくのは容易ではなかったと思う。
三枝両牧師は絶妙のカップルで、横山師とは全くタイプは違うが、実に配慮の行き届いた方々である。その点では、やはり信徒の世話をよくされたと思う。
我々はというと、静江牧師はともかく私は全くの放任主義で、信徒の皆さんのお世話をすることができなかった。真に申し訳ない。逆に、私がお世話をされた方かもしれない。
羊飼いが羊の世話をするのは当然であるが、人間は羊とは違うのだから、いつまでも羊飼いの世話にならず、羊飼いから独立して、むしろ羊が羊飼いとなって他の羊の世話をするというのが本当ではなかろうか。(高齢になって、世話をされるのは別の話)
西川口教会は三代の違ったタイプの牧師を経験して、今は、どんな牧師でも迎えられるところまで来たのではないか。これからは、牧師に頼るのではなく、むしろ牧師を支えて、一人ひとりが積極的に伝道と奉仕に向かう時を迎えているのではないか。牧師の交代は教会がもうひとつ脱皮し成長して行く貴重な機会である。そのように積極的にこの時を捉えていただきたい。そして西川口教会の教会像、信徒像を明確にしていただきたいと願っている。きょうの話し合いがその一助となりますように。
2003年11月16日
三坂幸英師を迎えて
今日は三坂幸英先生をお迎えして「心の傷・心の友」の主題でメッセージを伺い、懇談会を持つことができますことを感謝します。
三坂先生は鵜方(うがた)教会の牧師でありつつ、心病める方やその家族のためにいつも心を用い、労苦を惜しまず、同志と共に三重地区にCMCC(キリスト教メンタルケアセンター)を建ち上げて、地域に奉仕して来られました。
心病む人は私たちの身近にも多くいますし、私たち自身もその可能性を秘めています。今日は社会全体が病んでいるといって過言ではない状況です。Hさんご夫妻がおられたときには、長い間カウンセリングを学ぶ会を開いてくださり、また、心病む方やその家族のために多大の労苦を負っていただきました。Hさんがいつも言っておられたことは、教会全体がカウンセラーの心を持って、人々の言葉に耳を傾けなければならないということでした。
私たちはこの教会に迎えられて14年目を迎えていますが、果たしてどこまで教会の皆さんの言葉(心)を聴くことができたか、また地域の、特に心病める方々の友となり得たかを思うと、まことに申し訳ない思いがいたします。
先週の初心者会で、教会の使命について共に学びました。それは聖書から四つのこと、すなわち、@交わり、A宣教、B教育、C奉仕であると。その中のどのひとつも欠くことはできません。それらがバランスよく行われて、健全な教会であるということができるでしょう。その中で「奉仕」は、教会内の奉仕もたくさんありますが、主イエスによって癒しの業が行なわれたように、教会は今日も地域の人々に仕えるものでありたいと願っています。
聞くところによると、「いのちの電話」のボランティアも最近は少なくなっているとのことです。教会はそれらの奉仕者を送り出すところでありたいと思います。
きょう、三坂先生のお話をしっかり聞いて、私たちに何ができるか、また、何を求められているかを共に考えましょう。
2003年11月9日
教会フェスティバル
11月3日朝、小雨模様の中、フェスティバルの準備が早朝から始まりました。特に食べ物コーナーは、朝の最後の準備が肝心です。客を迎える11時前にはすべての準備が整いました。聖書学校からは、特別に2名の兄弟たちがギター等楽器持参でさんびの応援に駆けつけてくれました。
今年は早くからフェスティバル委員会ができて、従来のバザーではなく、お遊びコーナーや趣味・特技・賜物を活かすコーナーなど、皆で楽しみつつ参加するフェスティバルを、という呼びかけでした。ふたをあけてみると、確かに従来のバザーにはなかった新しい試みも随所に見られました。同時に、従来のバザーを継承している部分も多く、バザーとフェスティバルという二つの顔を持った催しになったのではないでしょうか。
教会員でもフェスティバルの意味がよくわからなかったと聞きましたので、外部の方は全く分からなかったでしょう。それで、誘われても来るのを躊躇した方もあったと思います。結局、客は今までの半分以下ではなかったでしょうか。普段ならば昼前にはあらかた売れてしまうのに、今年は食堂なども売れ行きが今ひとつでした。
人気があったのは、絵手紙や金魚・めだかすくい、遊びのコーナー等で、子供たちが大喜びして帰りました。ヤングの歌声喫茶も賑やかで楽しそうでした。
地域の方がほとんど来なかったのは残念でしたが、あまり多くても受け入れ態勢ができなかったでしょう。この程度でよかったのかもしれません。
今後はどうするか。バザーを止めて大人も子供も共に楽しむフェスティバルにするのか、それとも、バザーはやり続けるのか、よく話し合って決めていただきたいと思います。今回は、奉仕者や献品も限られていたし、どっちつかずという感なきにしもあらずでしたが、奉仕された方々には本当にご苦労様でした。
2003年11月2日
二冊の本の出版
今週は待望の二冊の本が出版される予定です。一冊は西海静雄著「み言葉アンサンブル」という本で、先生はこれをベッドの上で書き上げられたのです。アンサンブルは普通「重奏」の意で用いられますが、み言葉に適用すれば、クリスマス物語や主の十字架・復活も、4つの福音書に違った角度から記されています。その違いこそ大事であり、楽器が同じ音を奏でないように、各福音書の音色の違いを聴き分けることによって、全体としての聖書の響きが伝わってきます。そこから、豊かなメッセージを聴き取ろうとするのです。このような本自体が珍しいことに加えて、正に危機的な病状の中で書かれたという意味でも、私たちに二重の意味を持つ貴重な本です。ぜひ皆様にも一冊お求め頂きたいと思います。
二冊目は「ホーリネス 牧師一五人のメッセージ」という説教集がウェスレー生誕三百年を記念して出版されることになり、ホ群を代表して私が選ばれて、拙い説教を書かせていただきました。日本を代表するホーリネス説教者の末席に加えられたことは大変光栄です。これはまだ手にしていませんが、目次を見ますと十以上の教団の牧師たち(若手からベテランまで)の名が並んでいます。ウェスレーが生涯主張して止まなかった聖化の教えを今日の日本のホーリネス教会がどのように受けとめているのか、大いに興味があります。同時に、ウェスレーの運動が英国の教会に大きな変革を与えて、歴史形成的な出来事になったように、今日の日本の教会にも何事かが起こらねばならないと痛感する者のひとりです。
今週出版される二冊の本は特に見栄えのしない小さなものではありますが、共にリバイバルの祈りを込めて送り出される本である事を覚えていただきたいと思います。
また、骨髄ミニ移植をされた西海先生のために、なお篤き祈りを願います。
(二冊の定価は合わせて2700円ですが、しばらく特価で2000円です。島牧師まで。)