週報短文
バックナンバー 2005年1月分
2005年1月30日
今日は、榎本栄次牧師の著書「川は曲がりながらも」より、「持っていないこと」と題するエッセイを紹介します。次のような内容です。
「持っていないこと」
ある日、女性が教会(札幌市)を訪ねてきた。話をきくと、彼女は埼玉で小学校教師をしているが、行き詰まって教師を辞めようと、家出をしてきたという。ちょうど、自分のまずさにどうしようもない悩みを抱えていたので、彼女の気持ちが良くわかった。
「自分のしていることに自信が持てないんでしょう」、「はい」。 「子どもが先生の弱点を遠慮なく責めるんでしょう」、「はい」。 「それをもっともだと思って、また動揺するんでしょう」、「はい」。「子どもはますます騒ぐでしょう」、「はい」。 「しまいには、何もしゃべれなくなって、ただ立っているんでしょう」、「はい」。 「子どもが怖いでしょう」、「はい」。 彼女は大粒の涙を流しながら、オイオイ泣く。泣きながら、「どうして、牧師さんはわたしのことがそんなによくわかるんですか」。「それはね、わたしもあなたと同じように悩んでいるからですよ。あなたは立派な教師だ。もう少しだ。投げ出さないでやってごらん」と励ました。彼女は明るい顔を取り戻し、家に帰ると言ってくれた。数日後お礼の手紙が届いた。
榎本先生はこう書いています。「『持っていないこと』『できないこと』が時として、『持っていること』『できること』より大きな役割を果たすことがある。・・・わたしの『持っていないこと』が彼女に奉仕できたのである。」
わたしもいつも悩んでいます。榎本先生の言葉が身に沁みます。先週スタッフミーティングをしました。現在、子どもたちのためのスタッフ数がぎりぎりの状況です。スタッフの方々は皆よくなさっています。一方、子どもたちに誠実にきめ細かく仕えたく願っています。新年度に向けて奉仕者を募ります。祈り、また共に仕えてくださいますよう、お願いいたします。例えば、9時からの子供礼拝に集い、共に礼拝をささげることからでも、始められることと思います。持っていない者・できない者を用いる神がおられます。
2005年1月23日
お祈りに支えられ、先週の17日から20日まで、富士箱根ランドにて「第12回全国小牧者コンベンション」に出かけました。テーマは「愛と聖霊によって実を結ぶ―信徒が建て上げる教会」で、聖会・主題講義・テーマ別分科会・小グループ体験など、それぞれの目的に適って、充実したプログラムがありました。韓国からの講師もいらっしゃいました。玉 漢欽(オク・ハンフム)師の説教もすばらしかったですが、その後任者、韓国サラン教会の主任牧師、呉 正賢(オー・ジョンヒョン)師の力強い説教に心を燃やされました。
小牧者コンベンションの恵み
夜の聖会では、ヨハネ7・37〜39より、「生ける川が流れる」と題して、聖霊の働きを解き明かされました。第一に、使徒言行録6章1節以下の、「霊と知恵に満ちた」信徒リーダーの選出のように、人格(内面)に働きかけ長期に渡って聖化してくださる満たし。第二に、使徒言行録4章31節のように、神の働きのため、即座に、力を受ける満たし。聖霊の働きは満ち溢れ流れ出るもの。どちらも求めて、バランスを整えられた、聖霊の力にあふれた働き人になるようにと。
信徒数約4万のサラン教会です。その主任牧師職の重さは想像を越えて余りありますが、ひたすら聖霊を求め、限界を超えて働かれる聖霊の満ち溢れる働きを証しされました。呉師が着任され、そのワーシップリードによってサラン教会の早天礼拝が新たにされ、平日の朝から、数千人の会衆が集い、主を賛美しているそうです。それだけ多くの人が福音に生かされているのです。
閉会礼拝では、呉師が、ルカ4・14〜15より「聖霊の力を帯びて帰ろう」と題して語られました。聖霊は求める者に与えられる、最も善きもの。求める者にのみ与えられる。赤ちゃんのように全面的信頼を持って慕い求めなさい、と語られました。
参加者は約210人。今回は西川口教会から念願の同行者が与えられました。また、実行委員の奉仕を許し、送り出してくださった役員会初め、教会の皆さまの心を、神に感謝申し上げます。
2005年1月16日
今日は浦和東教会との講壇交換礼拝です。本日の説教者・最上光宏牧師は、埼玉地区委員長としても、尊いお働きを担っておられます。最上先生と浦和東教会の方々を覚えて祈りましょう。
最上先生を迎えて
日本最大のプロテスタント合同教会である日本基督教団の教会は全国各地にあります。所在地別に17の教区があり、教区はいくつかの地区(分区)から成り立っています。西川口教会は、関東教区(新潟・群馬・栃木・茨城・埼玉)の埼玉地区に属しています。
昨年3月の埼玉地区総会で「埼玉地区規則」が制定されました。第2条「目的」にはこうあります。「この地区は、日本基督教団の教憲・教規および同教団の規則、関東教区の規則の定めるところに従って、地区内諸教会・伝道所の一致と連帯の強化に努め、福音の前進に仕えることを目的とする。」第5条「活動」には、こうあります。「地区は第2条の目的を達するために以下の活動を行う。 1.1月第2日曜日を「地区デー」とし、その近日中に地区内諸教会・伝道所による合同礼拝および諸教会・伝道所間の講壇交換礼拝を実施する。 (以下略)」
本日の講壇交換は以上のような趣旨に基づいて実現されました。各個教会では困難な働きが、地区においては実現できることがあります。一教会の働きと、地域の教会が協力し合う働きを、バランスよく担っていきたいものです。
昨年4月に発行された「地区ハンドブック」に最上先生の序文があります。
「・・・埼玉地区は、59の教会・伝道所から成り立っており、日本基督教団の中でも、最も大きな地区です。それだけに「地区」としてのまとまりと、血の通った交わりを持つことは簡単なことではありません。教会は孤立して、自分の教会のことだけを考えていては、正しい意味で成長しません。各個教会は、絶えず全体教会のことを考え、地域の教会との連帯と協力の中で共に成長する必要があります。・・・」
2005年1月9日
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。・・・友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。・・・わたしはあなたがたを友と呼ぶ。
まことの友 イエス・キリスト
(ヨハネによる福音書15・12〜15)
明日は成人の日。本日の一般礼拝に、成人式を祝う方々をお迎えでき、心からうれしく思います。今日はおいでになれなかった、当教会関係の成人の方々にも祝福を祈ります。
さて、今日、どのような言葉を送るべきか思い巡らしていましたが、昨年秋の懇談会にお迎えした、三坂幸英(みさか・ゆきひで)牧師のお話から書きたいと思います。「心の傷・心の友」というテーマでした。
三坂先生の講演の終わり頃、このような話が紹介されました。ある教会関係の若い人たちの集会で、「本当の友だち」とはどんな人か、参加者が互いに語り合ったそうです。その声をまとめると次の三つに要約されました。
@愛をもって、自分を受け入れてくれる人
A本気になって自分を叱ってくれる人
B一緒にいて楽しい人
次に、集会のリーダーが参加者に、「そんな友だちを持っているか」「そんな友だちになっているか」と問いかけたところ、ほとんど手が上がらなかったということです。
三坂先生は「本当の友となるのは、イエス・キリストしかいない」と言われました。冒頭の聖句は、キリストが弟子たちに語られた言葉です。
キリストは、そのままの「わたし」を友と呼ばれます。この友は、何があっても―死でさえも―決して離れることはなく、愛し、導き、喜びで満たしてくださいます。キリストを友として、わたしの人生は変えられていきました。成人となられたお二人も、またすべての人が、まことの友イエス・キリストを同伴者として、かけがえのない人生を歩んでいただきたいと切に願います。
2005年1月2日
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。(コロサイ3・16)
「とりわけ霊的に歌いなさい」
主の年2005年を迎えました。この年も新しい歌を高らかに主にささげたい。
ところで、現在、賛美礼拝・一般礼拝の讃美歌は、説教担当の牧師がその日の聖書箇所から、また特定の主日の場合はそのことも考慮して選曲しています。普段歌っていない讃美歌を採用する場合は前の週に練習するとか、会衆が心を込めて力強く賛美できるよう、工夫していきたいと思います。いろいろな要望・助言をくださった方に感謝いたします。
さて、前掲の御言葉には、礼拝生活の基本が示されています。前半は、キリストの言葉、すなわち聖書の御言葉が心に根を下ろすほどになるように。それが「宿る」。常に宿ること。後半は、原語に即していうと、「詩編」「賛歌」「霊的な歌」という手段を用いて互いに教え、信仰を鍛え、教会形成をせよ、との呼びかけです。御言葉に答えて、真実な賛美がささげられるとき、礼拝は一新し、信仰が強くされ、教会が建て上げられます。「証しがない」という方も、賛美で神を証ししましょう。
ジョン・ウエスレーが指導した「会衆の歌い方」を紹介します。
一、だれも歌え。気の弱さや物憂さに邪魔されてはならない。
一、いっしょうけんめい元気よく歌え。ひとにきかれることを恥ずかしがるな。
一、謙遜に歌え。図抜けて吠えるような歌い方をするな。声を一致させよ。
一、拍子にあわせて歌え。行きすぎるな。遅れるな。正確に歌え。
一、以上にまさり霊的な歌い方をせよ。ひとことば歌うごとに神を見上げよ。
(参考「教会生活の処方箋」「礼拝と音楽」)