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週報短文

バックナンバー 2005年4月分


2005年4月24日

横山基生・好江師をお迎えして

 先週20日の祈祷会に、在欧日本人宣教会宣教師(イギリス・ケンブリッジ)の横山基生師・好江師ご夫妻をお迎えし、使徒言行録17章16節以下より、パウロのアテネ伝道に学びながら、奨励と証しをいただきました。
 使徒パウロは、アテネの町の偶像に憤慨していましたが、人々に憤慨することなく、かえって肯定的見解から切り出します。「あなたがたが信仰のあつい方であることを・・・認めます」(22節)。パウロの柔軟な姿勢を見出します。
 横山先生の家庭集会には、主に留学生の若い方々が、日本食の夕食に惹かれて、口コミで集っておられるとのこと。大半が、創造主である神を聞いたことがないと言います。その現実から始め、恐れず自由に語り合いながら、聖書を通して、まことの神を知ることができるよう、仕えておられます。
 「キリスト教は宗教ではなく、神との関係です」。男女の関係に例えれば、名前を知る、挨拶する、付き合う、デートをする、毎日会う、結婚する。関わりが深くなるほど親しさが増していきます。横山先生ご夫妻は結婚20年だそうですが、今でも思いがけない違いや驚きを感じ、互いの理解を深めているそうです。アテネには、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえありました(23節)。パウロは、創造主なる神を伝え悔い改めへ招きます。横山先生も、「聖書の示す神は、『あなたの神』になることを願っておられる。神を人格的に知り続けるところに恵みがある」と語られました。
 奨励のあと、家庭集会のことを具体的に紹介されました。決して信仰を強要しない、聖書には何が書いてあるかに心を向ける。何を質問してもどんな質問をしてもよいそうです。ここから救われる人が何人も起こされました。そして、《クリスチャンでなくても、教会でなくても、神を知り続けていける場所を提供したい》という先生方の願いがあり、日本に帰国後もそのような働きができるよう祈っているとのことです。わたしもチャレンジを受けました。感謝。

2005年4月17日

主の愛が主の弟子を造る

 
 お許しをいただいて、4月11日〜14日の3泊4日「弟子訓練体験スクール」(第2期)に参加させていただきました。このスクールの目的は、「サラン教会(韓国・ソウル)の弟子訓練指導者セミナー」を修了した教職者が、実際的な弟子訓練の導きの体験をし、人が変わる弟子訓練の帰納的な導き方を身につけることです。関東近県の牧師たち17人が集まり、弟子訓練スタッフ7人(うち、サラン教会より講師一人)で行われました。
 参加の動機は、サラン教会で学んだことをどのようにして西川口教会に適用し実践できるか、との問いであり、聖書研究が知識の習得にとどまらず、一人ひとりの生き方が変えられるようになりたいが、なかなかできない、自分の中に何かが足りないという渇きでした。
 この研修では、参加者が実際に小グループの聖書研究(バイブルスタディ)を導きます。その間、外側から弟子訓練のスタッフが観察しています。振り返りのときに、まず自己評価し、次いでスタッフが導き手の良かった点や改めるべき点(効果的な質問の仕方、変化と決断をどのように導くかなど)を指摘します。助言を次回のバイブルスタディに生かします。三度導きを体験しました。
 学びと交わりが進むに従い、互いに変えられていくのがはっきりと見てとれました。わたし自身「どうすれば」との問いから解き放たれ、聖霊の導きに従うこと、指導者自身が、主の愛を知り、主の使命をしっかりと握っているかにかかっていることがわかりました。その上で、実際的な導き方も大いに用いられるのです。
 最後の学びは「新しい戒め―互いに愛し合いなさい」でした。十字架の主イエス・キリストを仰ぎ、愛に押し出されて、それぞれの持ち場に出発しました。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネ13・34〜35)。

2005年4月10日

「福音不変・時代在変・伝道応変」

 右の言葉は、昨年11月に開かれたホ群信徒・教師共同セミナーで主講師の小林眞師(遠州教会牧師、日本基督教団副議長)が紹介されたものです。この言葉は台湾長老教会事務局の壁掛けとして掲げられていたものだそうです(わたしはこのセミナーには不参加でしたが、後日、柏神学生より教えていただきました)。「福音不変」は、伝えるべき神の福音は決して変らないこと。「時代在変」は、時代とは常に変り続けるということ。「伝道応変」は、常に変り続ける時代に合わせて伝道すること。こうして四字熟語にすると分かりやすく、なるほどと思わせる言葉です。しかし、そのようにできるかというと、それはいつも教会のチャレンジだと思います。
 使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一の第9章でこのように語ります。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。・・・律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。・・・すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです」パウロは、救いのためにはどこまでも譲っていく姿勢を、身を持って示しました。一方でパウロは、「あなたがたは世に倣ってはなりません」(ローマ12・1)と言い、キリスト者は世にあって世に流されることなく、信仰を保って生きるよう常に励ましました。伝道は、「信仰において譲らず、愛において譲る。」(宗教改革者ルター)、という緊張関係の中でなされるものでしょう。
 そのことを覚えながら、本日の一般礼拝でスタッフ任職式を迎えたい。子どもたち・中高生のための奉仕者が、愛と信仰によって仕えることができるよう、また、教会につながる子どもたち、若い人たちと、そのご家庭のために祈りましょう。そして、教会全体でこの働きを支えましょう。

2005年4月3日

強さは弱さのために

 役員任職式次第の序詞には、「役員は牧師と共に役員会を組織して、キリストのからだである教会の聖なるご事業・・・礼拝、伝道、牧会、教育、奉仕、交わり、訓練など、いにしえの使徒たちが教えたような働きにおいて、重い責任を負う者」とあります。役員は召命職であって、神がお一人お一人を、教会の使命を果たす務めに任じられました。わたしたちは、役員の兄姉がこの務めを果たすことができるよう、常に祈りましょう。役員の兄姉のご家庭に、主の祝福を祈りましょう。
 昨年度は、教職二人の新体制となり、永本牧師を迎えての共同牧会を進めてきました。永本先生は体にハンディがあります。それは、わたしの想像力を超える状況でした。今はある程度理解できるようになりましたが、年度初め頃は、「ああ、自分を基準にしてはいけないんだ」、と思わされることが多々ありました。
 使徒パウロは語りました。
「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません」(ローマ15・1)

 御言葉は、「強さは弱さのためにある」と語ります。永本先生との関わりの中で理解を深めました。本当の強さは、自由で、自発的に仕えることができ、隣り人にも自由と平和を与えます。心の中で、がっかりしたり、イラついていた自分は、強そうだけれど、実は自分の満足を求めていたのです。無意識のうちに当然としていた見方を少しずつ手放して、お互いを活かせるようになったと思います。力には限りがありますから、昨年度は特に教務会の一致に集中して、御言葉の分かち合いを通してともに歩むことができました。
 そして、今年度は役員会の一致に集中して教会の働きを進めさせていただきたく願っています。性別も仕事も世代も多様なメンバーです。強いところや弱いところ、意見の相違があり、教会の働きへの理解の程度も異なります。それは当然なことです。役員会のただ中に主はおられ、わたしたちを一つにしてくださることを信じています。


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