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週報短文


バックナンバー 2005年12月分


2005年12月25日

「わたしのためにも祈ってください」

 本日は降誕日のクリスマス礼拝になりましたが、本年最後の主日でもあります。2005年はどのような一年であったでしょうか。今年は戦後60年の節目の年でした。教会にとっては創立55周年の記念の年でした。
 自分自身の教会生活を振り返ってみますと、日常の中に戦いと葛藤がありました(今でもありますが)。わたしの未熟さゆえに起こる出来事の数々。適切な言葉の足りなさ。不適切な言葉の多さ。傾聴の少なさ。説教の未熟さ。これらのご指摘に、頭を下げるばかりでした。御言葉の御用の準備、学びも奉仕も、「主の許しがある間はできる」と信じて取り組みました。
 戦いと葛藤。最たるものの一つは土曜の早天祈祷会でした(水曜は永本先生が担当)。わたしにとって礼拝も祈祷会も、出ることにはためらいも障害もないのですが、早天祈祷会だけは朝寝坊のわたしにはきつかった。今日も一人だとわかっている集会に行き続けること(時々はいらしてくださる方がありますが)。わがままに打ち勝って起き上がること。「もっと寝ていたいの!」と本当に情けないくらい抵抗するわたしがいました。誰も知らなくても主はご存知です。けれどもある土曜の朝、「もしかすると、礼拝や諸集会への出席に困難を感じる方の思いと、わたしが早天祈祷会に行く時に感じる思いとは、同じような苦労かもしれない」と示されたのです。予期しなかった思いに導かれ、不思議なのですが、抵抗するわたしが消えたのでした。
 こんな者ですが、今年も愛と忍耐で支えてくださった神と教会に感謝いたします。永本先生ともども、祈りと御言葉に専念することができますように、特に主日礼拝の説教のために祈ってください。使徒パウロの祈りを皆様にもお願いします。「わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください」。(エフェソ6・19)

2005年12月18日

ヨセフの信仰を思う

 賛美礼拝と一般礼拝は同じ聖書テキストが開かれていますが、現在子供礼拝の聖書テキストは、教案誌「成長」に従っています。11日はマタイによる福音書1章18節以下から学びました。説教準備をしながら、新たに示されたことを分かち合いたいと思います。
 「夫ヨセフは正しい人であったので」とあります。聖書に書かれる程ですから、ヨセフは神の律法を重んじ、忠実に従っていた人に違いありません。その婚約者マリアが、結婚前に身重になりました。自分の子ではないことがヨセフにはわかっています。ではマリアは不貞を働いたのか。そうとしか考えられない。ヨセフの立場からすればその通りでしょう。マリアの懐妊は聖霊によることでしたが、彼はそのことを知る由もありません。律法に従い、ヨセフはマリアを離縁しようと決心します。わたしはここに、人間の限界、律法の限界を感じました。ヨセフのように正しく生きている人でも見えないことがある。人には100パーセント「そうとしか考えられない」事態であっても、出来事の一側面かもしれない。人の判断にも認識にも限りがあると示されました。
 しかし、その限りある人間を神が導きます。御存知のとおり、ヨセフの夢に天使が現れ、「ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい・・・」と告げました。聖霊によってマリアは子を宿していること(つまり不貞はない。恥ずべきことはない)、その子は救い主となる、インマヌエルと呼ばれる、と伝えました。神がヨセフに期待する役目は、妻マリアを迎え入れることでした。それは、ヨセフの初めの決心とは反対のことでした。彼には「ただの夢さ・・・」と無視することも可能でした。しかしヨセフは心を翻し、妻マリアを迎え入れました。その行為は、彼の信仰による決断と言えるでしょう。神の導きと信仰による決断。自分の思いや決心からも自由にされる生き方。ヨセフが正式に結婚したので、マリアと幼子イエスは守られて生きることができたのです。

2005年12月11日

暦いろいろ

 先週のIさん家庭集会で、たまたまA教会のクリスマス集会の案内を目にしました。下のほうに「日曜日がクリスマスになるのは、11年ぶりです」と書いてありました。「へえ、そうなのか」と思い、インターネットで調べてみましたら、確かに11年ぶりでした。前回は1994年でした。25日が日曜だと翌年の元旦も日曜になります。
 1994年は、西川口教会に一体どんな出来事があったのでしょう。そう思い、「創立50周年誌」を取り出しました。永本慶子先生が東京聖書学校に入学された年でした。木村理子伝道師を招聘しました。島隆三牧師の教会成長研修所第2年の年で、春から三つのプロジェクトチーム(ビジョンチーム、ヤング伝道チーム、会堂建設チーム)がスタートしました。教会の目標に「信仰の継承」が加わって、現在の六つになりました。以上は、稲穂美保兄がこの時代のまとめを担当された記録によります。そういえば、当時稲穂兄は教会学校校長で、子どもたちの「元旦でも教会学校はありますか」との質問に、「日曜日だからありますよ」と答えていたことを思い出します。このたび記念誌を開いて、教会の取り組みが変化しつつも継続していることを改めて感謝しました。
 ところで、次に、12月25日が日曜日になるのはいつか。11年後ではなくて、6年後の2011年になります。おもしろいものですね。
 わたしたちの暮らしは、日付や曜日に制約を受けていますが、教会活動もそうですね。今年は大掃除を早めましたが、こんなに寒くなる前で、かえって良かったと個人的に思っています。
 さて、今年は教会創立55周年。年初にはゴールデンウィークに聖書全巻リレー通読再挑戦を願っていました。しかし4月は日曜日は4回で、第4週までは午後の活動があるから無理でした。創立50周年の時(2000年)はなぜできたか。4月に5回日曜日があり都合がよかったのです。50周年記念には、聖書全巻リレー通読ができるよう暦も整えられていたのですね。ハレルヤ。


2005年12月 4日

「この方こそ、あなたの賛美」

 先週の12月2日、川口リリア音楽ホールにて、「クリスマスの夕べ」がもたれました。
 今回は、賛美に満ち満ちた集い、という印象を受けました。子供聖歌隊の賛美は、よく練習に励んだことが伝わり、また、一生懸命歌う姿に心が和みました。次いで、メインゲストの東川口福音自由教会ゴスペルクワイヤは応援の人たちも加わって、リーダーの指揮に導かれ、力強く、リズムに乗って、にぎやかな賛美でした。会衆も手拍子で参加しました。会衆も讃美歌2曲とゴスペルを1曲賛美しました。最後は連合聖歌隊の賛美です。わたしは聖歌隊員でしたのでどのように響いたかわかりませんが、心を合わせて主の御名をほめたたえて歌いました。
 そして、メッセージは蕨キリストの教会の戸村甚栄先生でした。今回のテーマ「この光を、あなたから―まことの光をたずさえて」に添って語ってくださいました。戸村先生のメッセージを通して、「賛美の中に主の臨在があること、わたしたちが賛美を放っていくと主がご自身を満たしてくださる、わたしたちは主を賛美して主に包まれる」と示され、うれしく興奮しました。
 さて、ディボーションの後にはできる限り聖書通読をするようにしていますが、今朝(3日)は申命記10章を開きました。そうしたら21節の御言葉が目に飛び込んできました。「この方こそ、あなたの賛美、あなたの神であり、あなたの目撃したこれらの大いなる恐るべきことをあなたのために行われた方である」。このモーセの言葉に驚きました。「主はわたしの賛美」。昨日いただいた恵みを、もう一度新たに受け取りなおしました。賛美の本質は、音楽や詞ではなくて、主との交わりから生まれてくるものです。たとえ耳が聞こえなくても、声が出せなくても、賛美は生まれてくるのですね。
 「クリスマスの夕べ」から各教会に帰ったわたしたちを主が賛美で満たしてくださるように。

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