週報短文
バックナンバー 2007年 5月分
2007年 5月 27日
K兄召天
本日はペンテコステ礼拝をささげます。目に見えませんが確かに生きて働かれる聖霊がわたしたち(教会)を、一人ひとりの歩みを導いてくださいます。使徒パウロが語っています。聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです(コリント 一 12・3)。キリスト者はだれもが聖霊によってこの信仰の告白をし、洗礼を受けて教会の一員になるのです。
18日夜午後9時40分、K兄は天に召されました。71歳でした。K兄は54歳の時、洗礼を受けられました。先に信仰を持たれたお嬢さんの、教会での結婚式に非常に感動して、求道を始められたと伺っています。
その後、蕨市塚越に転居されて、自宅に近い教会をと願い、西川口教会に通うようになりました。しばらくして転入の志願が承認され、1995年2月に西川口教会の一員になりました。よく話し、よく動き、特に、草木花の御手入れは教会ばかりでなく、多くの人が御世話になりました。玄関のぶどうの木はK兄が移植したもので、葉っぱについていたたくさんの毛虫も、手や割り箸で取り除いて、「無農薬栽培だ」と笑っておっしゃっていました。お仕事が新聞印刷でしたので、「西川口だより」の編集発行、50周年誌の編集にもその賜物を発揮してくださいました。また社会活動・平和のための活動に心を注がれました。
今年2月に体調を崩されて検査の結果、胃ガンがわかり、肝臓にも転移しているとのことでした。御見舞いに行きましたら「葬儀執行について書いた」と言われ、「まだ早いわよ」と返事をしましたが、このたびの葬儀でその希望に沿うことになりました。その書式の中に「式辞の中で語ってほしいこと(家族・親族・教会員・参列者に)」という項目があるのですが、「私のことは飾りなくありのまま、長短所も(みんなありがとう)」。と書いてありました。奥様の篤い看護を受けられながら、「感謝、感謝、感謝」で、神の愛の御手に全てを委ねて、天に旅立たれました。(No.158)
2007年 5月 20日
春日部墓苑改築に向けて
本日午後は、春日部墓苑にて墓前礼拝をささげます。礼拝の中で納骨も予定されています。今年は、今の墓苑での最後の墓前礼拝になることと思います。祈りの栞にも載せている春日部墓苑改築に向けての経過報告をいたします。
今年2月の第1回教会総会において、春日部墓苑の地上式への改築に向け、予算を700万円として地境が決定しだい設計を依頼すること、改築に必要な諸経費の募金方法等については役員会に一任することで、春日部墓苑改築の件が承認されました。教会の総意として春日部墓苑の改築に踏み出すということです。第1回教会総会の翌週に責任役員全員で、春日部聖地霊園にて、春日部教会・白石牧師とS役員さんと、設計のMさん(O教会員)と共に、割当地の地境を確認できました。(余談ですが、Mさんとは、2001年春、大宮教会のディボーショントレーナースクール第1期の学びでご一緒し、また、2005年初夏、アメリカ・サドルバック教会の研修会でもご一緒しました。会う度に「ディボーションはいかがですか」と互いに励まし合う信仰の友です。Mさんは、地区壮年部、新潟県中越地震被災教会支援の働きや、最近では能登半島地震で被災された教会の建物の診断のため派遣され、地区・教区・教団の働きに用いられている方です。)
4月29日午後に、Mさんを迎えて責任役員会を開きました。わたしたちの希望は、秩父に墓地があったときからの墓石を生かしたい、扉をつけて開閉を容易にしたい、遠い先になるけれども納めきれなくなったときには遺骨を土にかえすことができるようにしたい、というものでした。また現実には、春日部聖地霊園内の教会墓地のスペースにありますから、全体と調和が取れるデザインであることも求められます。わたしたちの要望を取り入れて、来月9日の責任役員会には、Mさんに、二、三の案を持ってきていただくことになりました。主の導きを祈ります。(No.157)
2007年 5月 13日
家族のために祈ること
月刊「アシュラム」誌(アシュラムセンター発行)の本年5月号(第463号)の6ページに、藤原三千代姉が書かれた「第31回西川口教会アシュラム」の恵みの報告が載りました。掲示板にありますので、ごらんください。今年のアシュラムでいただいた恵みを、「ファミリーの祈り」を新たにさせていただきましょう。
教会アシュラムの指導をしてくださった村瀬俊夫先生の勧めで「アシュラム」誌の購読を始めました。各地のアシュラムの恵みの報告のほかに、榎本保郎先生の「旧約聖書講解」と田中恒夫先生の「新約聖書講解」の要約が載っており、これを楽しみにしています。というのは、自分の祈りのあり方を深く探られるからです。自分の狭さを知らされ、恵みの深さに気づかされるからです。
本日はファミリー礼拝ですので、家族のための祈りについて、今月号の田中先生の新約聖書講解から一部を要約して紹介いたします。
“ある姉妹から聞いた話です。「高齢の姉が弟さんの救いのために祈り、手紙を書いていたが、らちがあかずにいた。F牧師が姉のところに泊まった時、『どうしたら弟を救えるでしょうか』と尋ねた。牧師は『方法ではなくて、まず、あなた自身が、弟が救われるという確信を持つこと。そしてすでにかなえられたと信じることです』と答え、『はい、信じます』と彼女は言った。二人は信じて祈った。それからしばらくして便りが来た。『いま、救いの方へわたしの心は向き始めました』と。」
これが本当の愛であると思います。皆さんに愛する人がいるなら神様を信じて祈っていただきたいのです。イエス様はここで、そのことを勧めていらっしゃるのです。本当に愛するならば、神様を信じて祈らずにはおれない。これが本当の愛による祈りでしょう。
神様を確信しないような愛というものは、愛ではありません。確信して祈ればいいのだと、イエス様は言っていらっしゃいます。・・・”
疑い、不信仰と闘って、信じて、祈ります。(No.156)
2007年 5月 6日
第35回 関東こころの友伝道講習会
先週の4月30日(月・休日)には、西川口教会を会場として、第35回関東こころの友伝道講習会が開催されました(主催・こころの友伝道全国連合会関東支部)。遠くから、また近くから、約80名(17教会)の教職・信徒の参加者があり、有益な学びと交わりの時を持ちました。最後の「献身の時」には、M姉のよき証もありました。会場設営や、接待、食事準備・配膳、写真など数々のご奉仕へ皆様のご協力を感謝します。
講師は、こころの友伝道全国連合会沖縄支部より、比嘉幹房(ひが・もとふさ)先生(フォースクエア沖縄新生教会牧師)をお迎えしました。主題聖句は「よろこびの福音」(詩編126・5)でした。こころの友伝道の心得として、「三つの基本」と「五つの実際」があります。比嘉先生から、午前、午後と、多くの事例や例話をとおして、こころの友伝道の基本と実際について丁寧なわかりやすい二度の講演をいただきました。
こころの友伝道は、信徒が福音を求める人々のこころの友となり、責任を持って導く伝道なのですが、こころの友となるとはどういうことでしょうか。比嘉先生は、「本物の友情のテストは、『相手の人と何もしないことで共にいることができるか』ということ」(「心の時代の友情」より)という言葉を紹介くださいました。何か教えようとか、何か話さなくてはいけないとかというのではない。相手の人と何もしないでも共にいることができるなら、友である、ということです。
講演を伺いながら、比嘉先生の福音宣教への熱い情熱と、主にあって変えられていこうとする前向きな姿勢と、求道者や伝道したい相手に共感し、友にならせていただくという謙遜さと温かさを感じ、励まされました。比嘉先生は、使徒パウロの言葉「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」(コリント一15・10)を、心から告白しますと語られましたが、そのとおり、言葉と存在が一つになっていることが伝わりました。(No.155)