週報短文
バックナンバー 2007年12月分
2007年 12月 30日
出会いに導かれて
9月のある日、日本キリスト教団出版局の職員の方から電話がありました。雑誌「信徒の友」の「日毎の糧」(主日聖書日課・家庭礼拝暦講解)を書いてほしいとの依頼でした。寝耳に水とはこのことで、「なぜわたしに依頼するのですか」、とお尋ねしましたら、「編集長のY先生から紹介です」とお答えになりました。
Y先生は、今もわたしが学び御世話になっている、キリスト教カウンセリングセンター(CCC)の講師でもいらっしゃいます。西川口教会にはCCC受講生が多いですから、わたしばかりではなく、教会員もお世話になっています。
Y先生にはもう一つ恩があります。先生はN教区・K教会の牧師ですが、わたしがY先生のクラスで学んでいたころ、N教区総会議長になられました。その年のクリスマスにN兄が病床洗礼を受けられ、共に喜びにあずかりましたが、N兄は余命いくばくもないこともわかっていました。ですから葬儀の心配をしていました。西川口教会で葬儀をするには無理がありすぎるからです。わたしも関東教区の教会しか知らないものですから、Y先生にこういう教会員がいると事情を話して紹介していただいたのがK教会でした。後日K教会をお借りして、無事にN兄の葬儀を執り行うことができました。出会いから導かれたことでした。
そういうわけで、Y編集長からの紹介ということで、「日毎の糧」執筆の依頼を引き受けたわけです。そして執筆は自分の訓練になりました。
「日毎の糧」によって祈っている人々が全国各地におられます。近くでは大宮教会が教会全体でディボーションにこれを使っています。マリア会で訪問した、千葉県館山の「にじのいえ」の朝の礼拝でも用いられていました。皆様にも御覧頂きたく、分かち合いとして印刷したものを配布しました。教団の一員として連帯したいものです。
新年も、朝ごとに、御言葉によって養われ、主の導きの中を歩みましょう。(No.189)
2007年 12月 23日
洗 礼
クリスマスおめでとうございます。わたしたちの救い主イエス・キリストの御降誕を喜び祝うクリスマスです。
本日のクリスマス礼拝において、悔い改め、キリストを主と信じて洗礼を受ける方々がおられます。教会の喜びです。何よりも天には大きな喜びがあります。「このように、悔い改める一人の罪人については・・・大きな喜びが天にある。」(ルカ15・7)と主イエスが語られましたから。
教会員のなかにも、クリスマスに洗礼を受けた方が数多くおられます。洗礼式を執行する日に関しては特に決まりはないのですが、教会として記念すべき日に洗礼の日を合わせることがよくあります。クリスマス主日もその一つです。
わたしも1981年のクリスマス礼拝で洗礼を受けました。中学3年生の時参加した夏のキャンプにおいて、キリストの十字架が自分のためであった、ということがはっきりとわかりました。そしてクリスマスに向けて洗礼準備を始めました。なぜわたしが、あの時にそのような思いに至ったか、わかりません。不思議なことです。信じる心が与えられたのです。キリストを信じることができる、それこそが奇跡であると思います。
クリスマスはキリストの御降誕の出来事、キリストは天から聖霊として降り、母マリアに宿り、時満ちてお生まれになりました。十字架で死なれ、三日目に復活し、その後昇天されたキリストは、今度は一人ひとりの心に住むために聖霊として降ってくださいました。。キリストはわたしの内にも住まわれ、信じる心を創造されました。
洗礼の意味を使徒パウロが語っています。本日洗礼を受ける人も、既に受けた人も、これからの人も、どうぞ味わってください。
「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」(ローマ6・4)(No.188)
2007年 12月 16日
イエスの降誕の物語
先週は仕事の合間をぬって、未信者の友と映画「マリア」(原題は”The Nativity Story”訳すと「降誕物語」)を観に行きました。
聖書でイエスの誕生の出来事が記されているのは、マタイによる福音書とルカによる福音書のみで、共通する内容と、マタイにしか、あるいはルカにしか書かれていない出来事とがあります。
この映画は聖書に書かれていることにおいては忠実でした。そして、イエスの母とされたマリアやマリアの夫ヨセフの葛藤、マリアの家族の戸惑いなど、聖書に書かれていないことは想像ですが、二つの福音書の内容をスムーズに結び合わせた展開になっていました。もう一つ良かったのは自然の風景でした。映画館ならではの迫力がありました。ナザレの村里は美しかったですし、占星術の博士たちやマリアとヨセフのベツレヘムに向う旅路における険しい山、流れの速い川、どこまでも続く砂漠が旅の困難さを感じさせ、導かれていく彼らの姿を強調させました。
マタイとルカで、イエスの誕生の出来事を巡って共通しているのは、天使によってマリアが聖霊によって男の子を宿し産むことが告げられ、そして、「その子の名をイエスと名付けよ」と命じられたこと、さらにそのとおりに実現したことです。違うところは、ルカではそのことがマリアに告げられ、マタイでは、夢の中で夫ヨセフに告げられたことです。他には登場人物なども違います。
映画で印象に残った場面の一つが(聖書には書いてないのですが)、ヨセフがマリアの言葉を信じる、と告げたところです。鍵になったのは「その子の名はイエス」ということです。ヨセフがマリアに天使が現れたと打ち明け、生まれてくる男の子の名前を告げたとき、マリアは自分にも告げられていた名であることを知り、二人は共に神の出来事が始まったことを悟るのでした。愛し合い助け合う二人の姿が美しく描かれていました。
観終えてから友と語り合いました。できれば、未信者の友や家族と行くと良い映画です。(No.187)
2007年 12月 9日
賛美が満ちるとき
先週4日の夜には「県南四市クリスマスの夕べ」が川口リリア音楽ホールで開かれました。9回目にして初めて音楽ホールのパイプオルガン演奏を聴くことができました。このパイプオルガンにはパイプが3千本余りあるそうです(正確な本数を言ってくださいましたが失念しました)。それだけの音色を持っている楽器なのです。ゲストのオルガニストは「この集いもパイプオルガンのようです。多くの方々が集まり一つとなって主を賛美します」とお話され、そのとおり、いろいろな賛美に満ちたクリスマスの集いとなりました。この夜の賛美は、すべての時代や文化や人々を越えて、すべての賛美と共に、ただひとりの方にささげられるのだ、と思いました。
キリストがこの世にお生まれになるときにも、賛美が満ちました。
後の洗礼者ヨハネを宿したエリサベトは、「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」(ルカ1・25 )と告白しました。イエスの誕生を告げられたマリアは、エリサベトを訪問した時、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。・・・」(ルカ 1・47)とほめ歌いました。洗礼者ヨハネが誕生した時、父ザカリヤは「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。・・・」(ルカ1・68)と預言しました。
イエスが御生まれになった夜、野原で羊飼いたちに現れた天使は告げました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。・・・」(ルカ2・10)と。そして、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2・14 )と賛美しました。
神殿でささげられた幼子イエスと出会い、シメオンは歌いました。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。・・・」(ルカ2・29)
この世界に、教会に、わたしに成し遂げられた主の御業を仰ぐ時、賛美が溢れます。(No.186)
2007年 12月 2日
わたしの魂を鍛えます
以前にもここで紹介したことがありますが、「詩編と共に祈る365日」という黙想と祈りの本を(「幸いな人」のディボーションを終えてから)用いてさらに祈っています。自分で発見するディボーションの喜びもありますが、また別の視点から説き明かしてくれる言葉も必要としていますので、喜んで読んでいます。この本は一年かけて詩編を通読するようになっています。
詩編は全編が賛美で、喜びも悲しみも嘆きも呪いも、すべて神への歌としてささげられています。そして終わりのほうはひたすら神をたたえる歌で占められていきます。この本の11月27日のところに賛美の効用が示されていましたので、皆様にも分かち合いたく思い、ご紹介いたします。
@御言葉 「呼び求めるわたしに答え あなたは魂に力を与え 解き放ってくださいました。」(詩編138・3)
A黙想 「神を賛美している魂は成長し、力がついてきます。賛美をせずにいると、わたしたちの魂は、貧血状態となって気力も萎えてしまいます。賛美は、力の限りに神に応えるようわたしたちを促し、誠心誠意、信仰へと向わせます。」
B祈り 「力強い神さま、美容体操や試合で体を鍛えるように、礼拝と賛美によってわたしの魂を鍛えます。わたしは自分の人生のどの部分をも、弱弱しいあきらめにはしたくありません。わたしは人生のすべてをあなたの恵みによってしっかりと肯定したいのです。イエス・キリストにおいてわたしを肯定してくださったあなたの恵みを肯定することによって。アーメン」
今日からアドベント(待降節、12月24日まで)に入り、一般礼拝では特別の賛美があります。また16日のゴスペル夕拝のため、わたしもメンバーになっているゴスペルクワイヤJOINの練習も最後の仕上げのところです。また、今週4日の県南四市クリスマスの夕べでも連合聖歌隊に加わり、賛美します。アドベントの期間を賛美で満たし、わたしの魂を鍛えます。(No.185)