週報短文
バックナンバー 2008年2月分
2008年 2月 24日
教会総会を終えて
イースター(復活日)は、私たちの主イエス・キリストの復活を喜び祝う日です。今年のイースターは3月23日と、例年になく早く訪れます。祈り待ち望む備えの期間としてレントは2月6日から始まっています。受難週は3月16日から始まります。この週の祈祷会は、パン裂きの聖餐を祝いますので、普段いらしている方も、そうでない方も覚えてお集いください。
主日礼拝の聖餐では、いろいろな都合から、あらかじめパンと杯を一人分ずつ備えていますが、聖餐の起源となった主の晩餐においては、一つのパンと一つの杯が用いられたと考えられます。制定の御言葉には、“主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、・・・(コリント一11・23、24)”とあり、杯については、“そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。(ルカ22・17)”とあるとおりです。
年に一度の受難週の祈祷会・昼間祈祷会では、一つのパン、一つの杯を用いての聖餐を祝います(回し飲みはしないのでご心配なく)。主が弟子たちのために(後の教会のために)定められた主の晩餐を思い起こし、体をもって主の恵みを体験したいのです。
十字架で死ぬために引き渡される夜、主イエスは主の晩餐を定められました。主が弟子たちに裏切られる夜であり、弟子たちが主イエスを見捨ててしまう夜でもありました。そのように主イエスにつまずいた弟子たちを、主は使徒としてお立てになるのです。それは、人の誇りや力によって主の弟子になるのではなく、ただ一方的な神の招きによって、恵みによって弟子とされることが示されるためでした。
教会総会を終えた先週、新しい年度の体制が示されました。役員10人と牧師2人で構成される役員会です。12人、主の弟子(使徒)の数です。新年度の役員会も、神の招きと恵みに応答して仕えることができますよう、お祈りください。(No.197)
2008年 2月 17日
わたしたちの心は燃えていたではないか
<アシュラムの案内に掲載予定であった、講師の村瀬俊夫先生の文章が届きましたので、ここに転載します。来月の月報にも掲載します>
今年(2008年)も西川口教会アシュラムで奉仕をさせていただくことになりました。今年の教会の「みことば」であるルカ福音書24章32節の後半が、このアシュラムの主題です。
「わたしたちの心は燃えていたではないか」と、過去のことを想起する確認的な問いかけとなっています。これを「わたしの心は燃えているではないか」と、現に自分自身が体験していることの確証的な問いかけとしたいものです。そうすることができる絶好の機会が、アシュラムの集会であります。
「わたしの心は燃えている」という経験を味わいたい方は、アシュラムに参加するのが一番です。できたら、途中からではなく、オリエンテーションが始まる最初(八日・土曜日の午後一時半)から参加しましょう。オリエンテーションでは、アシュラムで何をするのかを話しながら、聖書からイエス様のことばをどのように聴くのか、その方法(それは単なる技法ではなく霊的な技法)を語らせていただきます。これを聴いていただくことが、続くプログラムで各自が御言葉を静聴し、そのことによって心を燃やされるために、一番役立つと思います。それで許される方は、オリエンテーションから参加するようにお勧めする次第です。
「静聴の時」は、全体のプログラムの中で二回あり、それぞれルカ福音書の二三章と二四章から静聴する時を一時間ずつ持ちます。私たちの信仰の中心であり根幹に関わる、主イエス様の十字架と復活の出来事が記されている箇所です。その各章を一時間かけて、心に刻みながら静聴します。
そのことによって、必ず「わたしの心は燃えているではないか」という、驚くばかりの経験をさせていただけるでしょう。そのことを期待して、このアシュラムに一人でも多くの方が参加してくださればうれしいです。(No.196)
2008年 2月 10日
教会総会・全体懇談会を前に
来週の一般礼拝後には、役員改選のための教会総会が開かれます。現住陪餐会員は教会総会議員です。できるだけ多くの教会員が総会に出席し、神の前に委ねられている義務と責任を共に果たすことができますように。出席したくても諸事情のため出席できない人も、祈りにおいて共に一つ思いになれますように。出席できるのに出席しない人がありませんように。主の憐れみを、なお一週間祈り続けていきます。
教会総会後は、教会全体懇談会を開きます。協議したい事柄は二つあり、一つは春日部墓苑改築について経過報告と今後のことを取り上げます。墓地は改築が具体的になるに従って、どんどん事が進んでいくという感じがします。既に週報で呼びかけておりますが、設計図が提出され、正面のデザインをどうするかを決定する必要に迫られています。デザインを募集しています。次いで、ご遺骨の移動作業も無事に終えることができました。工事がいつでも始められる準備が整ったわけです。その他、課題となっていることをお伝えして意見をいただきたいと思います。
全体懇談会で取り上げる、もう一つの事柄は、教会規則についてです。月報には役員会のごく簡単な報告がなされていてお気づきの方もあると思います。今年度に入って定例役員会で教会規則について少しずつ協議を深めてきました。役員会記録を見ますと、ずいぶん前のことですが、1990年度から91年度にかけて、定例役員会で教会規則について検討がなされていました。しかし、教会総会の議題として取り上げられず、作業は中断されました。ですから、このたび新しく始めたというよりも、長年の課題への取り組みを再開したといってもよいと思います。今月の役員会では、全体懇談会の前に、教会員に教会規則案を配布してあらかじめ読んでいただくことにしました。すぐに制定するというのではなく、教会全体に時間をかけて周知していきたいと思います。(No.195)
2008年 2月 3日
教会の礼拝の体験
本日はファミリー礼拝。子どもも大人も一つになって共に礼拝をささげます。
最近、このようなスタイルの礼拝を、大人と子どもの「合同礼拝」と呼ぶことが多いのですが、先月26日の埼玉地区教育委員会主催のCS教師研修会の語らいの中で、地区内教会のいくつかで実施されていることを知りました。
さて、その研修会のテーマは「わたしのCS説教」でした。講師を立てず、各教会からの発題を聞きました。わたしも発題の奉仕を引き受けました。わたしが子供の頃には、ファミリー礼拝はなかったのですが、自分が体験した礼拝や説教を思い起こして準備しました。
こんなことを話しました。まず自己紹介です。「1966年生まれ、川口育ち。母親がクリスチャン。4歳頃西川口教会の教会学校に行き始める。月2回くらい教会学校の礼拝・分級へ出席。聖書物語など読むのが好きだった。福音書や創世記など、断片的に聖書のお話を記憶していた。」
続いて、説教聴聞体験を分かち合いました。「現在、思い出せる説教は二つ。小学3、4年ころの記憶。@夏のキャンプ(合同キャンプ)の説教。罪を示され、悔い改めの祈りをした。盗みの罪に責められていたから。A西川口教会の教会学校礼拝の説教で、天国と死後の命を信じることができた。当時死の恐怖に脅えていたから。今、説教者も、聖書箇所も覚えていない。しかし、福音が届き、回心できた体験として、心に刻まれ、忘れることはない。子どもであっても、罪や死に苦しみ傷つき悩み脅えているし、そこに福音を必要としている。すべての説教が記憶されることはありえない。けれども、一回一回が、かけがえのない説教である。一生懸命に関わってくれる奉仕者を、子どもは喜んでいる。」
「福音は毛穴からも入る」とは、故辻宣道師の著者で見つけた言葉です。本日の礼拝でもそうです。そして、礼拝の中に身を置くことがどんなに大きなことか。後になってわかるときが来ます。(No.194)