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週報短文

バックナンバー 2009年5月分


2009年 5月 31日

ペンテコステを迎えて

 本日は聖霊降臨日、ペンテコステです。
 主イエスは十字架で死なれ、葬られ、三日目に、死者の中から神によって復活させられました。復活された主イエスは弟子たちに現れて、食事も共にしてこれから起こることを告げてくださいました。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 ・・・あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられる」(使徒1・4〜5)。さらに、主イエスは天に上げられる前に弟子たちに語られました。 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(同1・8)
 主イエスの言葉を信じ、弟子たちは集まり、祈りながら、日々を過ごしました。主イエスが天に挙げられてから10日後、それは五旬祭の日、一同が一つになって集まっていると、彼らの上に聖霊が降り、「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(同2・4)のでした。
 この使徒言行録第2章に記されている聖霊降臨の出来事、使徒ペトロによる力強い説教、それを聞いて三千人もの人が信じて洗礼を受け仲間に加わったとは、驚くべき出来事です。これは、約2千年前、この国から見ればはるかに遠い、アジアの西の果ての都で起こった出来事です。しかしこのとき、すでに神は、前もってわたしたちのことを考え、恵みを備えてくださっていました。この神の恵みにより、今日の西川口教会もあるのです。ペトロの説教にこうあります。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」(同2・38〜39)。(No.263)

2009年 5月 24日

あなたがわたしの手を取ってくださる

 本日午後は春日部墓苑にて、墓前礼拝をささげます。
 西川口教会では、日本基督教団春日部教会が所有し運営・管理する春日部聖地霊園内に教会墓地を持っています。昨年は春日部墓苑の改築工事が完成し、9月に完成感謝墓前礼拝を執り行いました。なお、改築のために引き続き祈りと労苦と献金がささげられています。教会の兄姉、ご遺族の方々に、主がささげる思いを与え続けてくださっています。御名を賛美します。
 昨日の朝の祈りで詩編73編を開きました。墓前礼拝を前にして、御言葉に力づけられました。主なる神への祈りの賛美です。
  あなたがわたしの右の手を取ってくださるので
  常にわたしは御もとにとどまることができる。
  あなたは御計らいに従ってわたしを導き
  後には栄光のうちにわたしを取られるであろう。
  地上であなたを愛していなければ
  天で誰がわたしを助けてくれようか。
  わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが
  神はとこしえにわたしの心の岩
  わたしに与えられた分。  (23〜26節)

 人の死が、体の自然の死だけであるならば、恐れることはないのかもしれませんが、人は死への恐れを持っています。わたしも小学生のころ、夜が来ると、死の恐怖にさいなまれた記憶があります。「わたしの肉もわたしの心も朽ちる」と詩編の信仰者は告白していますが、「わたし」という存在そのものが朽ち果てていくことを、自然のままの自分は、恐ろしくて、認めることも、見据えることもできないと思います。しかし、人は自分の意見や意思で生きているのではなく、神によって生かされている。神はわたしの手をとってくださるほど近づいて、天において助けてくださる。だからわたしたちは神にとどまれる。主を愛する。よみがえられた主イエスにおいて、いっそう確かになった神の顧みを、今日も告げ知らせます。(No.262)

2009年 5月 17日

説教塾で学んで(2)

 教職の研修報告として、引き続き、説教塾で学んで得たことを分かち合います。今回は、説教を批評・批判・分析することについて。
 2006年秋の説教塾主催のシンポジウムの記念講演で、加藤常昭先生が、コリントの信徒への手紙一第13章4節以下の愛について語る使徒パウロの言葉の中の「愛」という言葉を、「説教批評」という言葉に置き換えて、こう語りました。
 “説教批評は忍耐強い。説教批評は情け深い。ねたまない。説教批評は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。” 会場からはクスクスと笑い声があがりました。
 説教塾では、説教批評・批判・分析に取り組みます。常に「説教するとはどういうことか」と問い続け、さらに、「何を語るか。いかに語るか。」と問い続けています。説教の内容と形式は深く関わっているからです。そのように自分の説教の吟味や、同労の説教者たちの説教の吟味をします。
 考えてみると、日本の社会においても、批評とか批判することが身についていない現実があります。批判とか批評が、欠けを指摘したり、相手をやり込めたりするものだと考えている誤解もあります。批判の内容がある事柄に限定しているのに、自分自身が非難されたように受け止めて、批判を拒絶してしまうこともあります。
 前述の記念講演で、使徒パウロの言葉を置き換えて語られたとき、わたしも思わず苦笑した者の一人でした。説教批評はそのとおりであるべきだと分かっているのに、実際にはそうはいかない。説教批評の言葉は、真実な愛の言葉であること、すなわち、相手を建て上げ、造り上げ、慰め、励ます言葉であるはずなのです。しかし、自らの愛の欠けを認めざるを得ないことが多々あります。聞くほうも相手を信頼し、真実な批評の言葉を受け入れる心がなければなりません。お互いにへりくだって、励まし合い、造り上げる言葉を届けられるように、願っています。(No.261)

2009年 5月 10日

主は命の神

 本日は、母の日ファミリー礼拝によくおいでくださいました。今日は、子供も大人も一緒になって礼拝をささげるファミリー礼拝です。
 今月の月報「西川口だより」に書きましたが、わたしは小さいころに、この西川口教会に導かれました。幼心にも、教会は神様を礼拝するところ、聖書のお話を聞くところと理解していたと思います。お友達もいたし、楽しいプログラムも準備されていましたが、まず礼拝をささげること、祈ることからすべて始めるのが教会なのだと、体で感じていました。聖書のお話を聞くうちに、神様がいらっしゃること。神様が世界をお造りになったこと。神様は人間をお造りになったこと。創造の神を知ることができました。信仰を言い表すには至りませんでしたけれども、人間よりもはるかに大きい神様の存在を認めていたと思います。
 今日は母の日。詩編にはこのような信仰の歌があります。
あなたは、わたしの内臓を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。・・・
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。 (詩編139・13、16)

 遠い昔の信仰者が、神が自分を目に留めてくださったこと、しかも、母親のお腹にいたころからそうであった、という驚きをこめて、また畏れつつ賛美をささげました。そしてこの賛美はイスラエルの人々によって歌い継がれていきました。
 けれども、もっと大きな驚きが、キリストを通してわたしたちに啓示されました。
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。(エフェソ1・4)
 わたしたち一人ひとりの存在は、なんと天地創造の前から定められていたというのです。主は命の神、愛の神。主を心からほめたたえます!(No.260)

2009年 5月 3日

キリスト教カウンセリングセンター(CCC)で学んで(2)

 再びCCCでの学びから得たものを分かち合わせていただきます。
 前回、自分のことを理解しなければならないということ、「過去と他人は変えられない。変えられるのは『今・ここ』にある自分だけ。自分が変われば相手も変わるかもしれない」という言葉が基本姿勢として心に刻まれたと書きました。
 もう一つ基本的なこととして、自分によく言い聞かせていることがあります。それは、その人の思い、行動、感情の持ち主はその人自身であるということです。それはきわめて当然のことです。けれども人はいろいろな状況に置かれていく中で互いに影響し合い、当たり前のことを見失うことがあります。カウンセリングの現場であれば、カウンセラーはクライアント(相談者)の感情と自分の感情をきちんと区別し認識することが求められます。たとえばクライアントが不安にさいなまれてそのことをカウンセラーに訴えたときに、カウンセラーがその言葉を聞いてうろたえたり、不安を感じたりしたら、カウンセラーは自ら「今、わたしはうろたえている、不安を感じている」と気づかなければならないのです。また、そのときに、「クライアントがわたしを不安にさせた」と言ってはならないのです。他のカウンセラーであれば、同じ言葉を聞いても不安にならないかもしれません。他の人の反応や対応は多様でありうる。聞くことと同時に、カウンセラーは、自分自身の反応や対応を、外から眺めるように見極めなければならないのです。
 この学びは、自分自身が学びの素材になることを受け入れなければ進みません。今、そのことをある面では楽しんで、ある面ではいささかびくつきながら、学び続けています。その過程の中で、わたしはいろいろなことを親のせいにし、母にも父にも責任転嫁して、言い逃れをしてきた自分であったと気づきました。同時にそれは責任転嫁の生き方からの解放への一歩でもありました。(No.259)