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週報短文

バックナンバー 2011年 7月分


2011年 7月 31日

「10年の記録誌」発行を喜ぶ

 皆様に祈っていただいた「10年の記録誌」を発行できました。主に感謝いたします。
 教会創立60周年を記念しての刊行です。西川口教会が、教会内外の多くの方々の祈りに支えられ、神の憐れみを受けてここまで歩めたことを心から主に感謝です。50年誌が既に発行されていましたから、最近の約10年間に限定して、その歩みをまとめることにしました。教会の記録のためと同時に、他の諸教会・信徒の方々に資するようにとの願いもありました。どれだけのものができたか、その評価は受け取られた方々の声に耳を傾けなければなりませんが、編集委員の兄姉は、力を尽くして、心を合わせて編集作業に取り組んでくれました。
 目次を見ますと、写真集、歴代教職からのお言葉、関係教職からのお言葉、昨年11月の教会創立60周年記念礼拝の説教と立証、教会の活動、証と寄稿、愛誦聖句・愛唱讃美歌、資料、です。
 写真のページを眺めるだけでもいろいろな思いが湧いてきます。クリスマス礼拝やファミリーキャンプの写真を見れば、子供たちの成長の早さに驚いたり、この方はなかなか礼拝に来られなくなったとか、この方は天に召されたと思ったりします。西川口教会を会場にした、こころの友伝道関東講習会も懐かしい。写真には写っておりませんが、当日マリア会の姉妹方が食事関係など裏方の奉仕に徹し、大いに助けられたことも合わせて思い起こします。完成感謝墓前礼拝の記念写真を見れば、例年の墓前礼拝よりも多くのご遺族の方々が参列してくださって、まことに得がたい機会であったと思います。
 わたしにとっては、昨年の教会創立60周年記念礼拝の横山義孝先生の説教と横山静子先生の立証の全文を掲載できたことを、とてもうれしく思っています。ぜひお読みください。神の言葉に奮い立たせていただけますように。
 ただ主に栄光あれ。(No.373)


2011年 7月 24日

関東教区宣教綜合協議会報告

 7月18日、大宮教会にて関東教区宣教綜合協議会が開かれました。主題は、「被災地と共に歩む教会・私たちにできることを考えよう」、講師に野田 沢(のだ・たく)牧師(SCF 学生キリスト教友愛会主事)を迎えました。
 講師の野田先生は、東日本大震災直後から仙台入りして東北教区センター「エマオ」に滞在し、被災地(仙台市荒浜地区)支援のボランティア活動をコーディネイトしてこられた出来事・体験から語ってくださいました。被災者に寄り添い、出会いに仕えること。一人の人として仕えること、出会いに導かれていくこと。
 講演で印象に残ったのは、自転車で行くのに意味があるというお話でした。エマオから約14キロ、海岸方面に向かっていくとき、津波が及んだところと及ばないところの鮮明な違いをボランティアワーカーが目の当たりにし、心備えが出来るということでした。初期のころは道路に瓦礫があり、自転車でしか行けなかったそうです。道路が少しずつ通れるようになりましたが、駐車をしては車が邪魔になってしまいます。「自転車の人たち」と呼ばれたり、時には自転車のかごに差し入れを入れてもらったりと、地域の人との温かい交流がうまれたそうです。効率を求めず、ニーズを先取りせず、今ここで出会う人と人との関わりを大切にして、活動してこられました。共に苦しみ、共に喜ぶという聖書の言葉に根ざしてのことでした。現在もボランティアは募集しています。
 講演の後は、関東教区総会副議長で東日本大震災支援委員会統括主任の飯塚拓也牧師(竜ヶ崎教会)から、関東教区の被災状況についての報告、新潟・茨城・埼玉地区の取り組みの報告がなされました。また、隣の東北教区ではありますが、関東教区に隣接しているいわき地域への支援について、いわきの教会と協力して始まっている報告もありました。こうして、被災地と共に歩み、できることを続けられますように。(No.372)


2011年 7月 17日

共に祈り、支えよう!

 “「日本基督教団東日本大震災救援募金」のお願い”が届きました。ポスター、趣意書は掲示します。内容の一部をここに引用いたします。
 “2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は、私たちがこれまで経験したことのない大規模な災害となりました。地震による建物の崩壊や津波による家屋の流失と言った被害に合わせて、福島第一原子力発電所の事故により、大気中および海中に大量の放射性物質が放出され、放射線による汚染が進むという事態となっております。
 日本基督教団では、震災発生直後からその対策を進め、現在のところ、会堂再建・大規模改修等が必要な教会の数は、おおむね30教会以上になるものと見込んでおります。また、教会関係の働きを通した地域の救援のためにも、多額の資金が必要とされます。
 そのために、教団としては震災発生後ただちに「東日本大震災緊急救援募金」(取扱い・教団社会委員会)を開始し、その募金総額は、6月30日現在で1億9千万円(国内から約9千万円、海外から約1億円)に達しております。
 震災から4ヶ月が過ぎようとしているこの時、いよいよ教会の再建・補修、地域の復興に向けての具体的な取り組みが進められようとしている中で、日本基督教団としては全教団的にその取り組みを支援するため、新たに「日本基督教団東日本大震災救援募金」を開始いたします。
 どうぞ、日本全国の各地において、祈りと共にこの救援募金にご協力くださいますようお願いいたします。
   2011年7月1日              日本基督教団 救援対策本部長    総会議長 石橋 秀雄”
 教団としての取り組みの基本方針について、主題は「地域の人々の救いに仕える教会の再建を目指して」、聖句は詩編124編8節、方針は(1)礼拝共同体の支援、(2)教会を通しての被災地域への支援、となっています。(No.371)


2011年 7月 10日

教会と聖学院との懇談会に出かけて

 先月の29日、聖学院大学大で開催された「2011年度教会と聖学院との懇談会」に伝道牧会部の豊崎隆吉兄と共に参加しました。
 今回の主題は「3・11以降をどう生きるか―教会と学校との連携の中で―」と掲げられました。東日本大震災は、大震災「前」と「以降」と、時を分けてしまうほどの大きな出来事となりました。若い魂を育てる学校にとって、これからどう生きるかという真剣な問いが与えられたことでした。
 大学チャプレンの左近豊先生からは「3・11以降をどう生きるか―聖書の語りかけに聴く―」という講演を、日本基督教団議長で越谷教会牧師の石橋秀雄先生からは「戦後最大の危機の中で―日本の教会に与えられた使命―」と題して講演を聴くことができました。また、福島県の被災教会の牧師方の声を聴きました。まことに、厳しく、生々しく、重く、偽りのない言葉でした。
 今回は懇談の時間が短く、帰宅後資料を読みました。その資料に、2010年度のキリスト教活動報告のほかに、聖学院キリスト教センターによる「キリスト教と諸学」26号があり、興味深く読みました。この本に納められた聖学院大学学長の阿久戸光晴先生の2010年年頭教書の論文の、特にこの一文が心に留まりました。
 「本学の使命とは何でしょうか。それは人々の痛みが分かる大学であり、そこに社会的使命を見出す大学であることです。自らの利益だけを追求していこうとする競争社会に対して、周りの人々と共に協力して、共有する理想を目指していく協力社会でありうることを示していく教育・研究共同体であることです。この協力社会こそ、真の意味での成熟した社会ではないでしょうか。」
 聖学院大学がその使命を果たせますようにと、祈るものです。キリスト教主義学校だからこそ出来ること、教会ができること、おのおのが分に応じ使命を果たし、協力して、主のご委託に答えたいと願わされた懇談会でした。(No.370)


2011年 7月 3日

惜しまずにいられるだろうか

 祈祷会・昼間祈祷会では先週ヨナ書を読み終えました。今週からはサムエル記を学びます。祈祷会・昼間祈祷会に参加してください。また祈祷会の時間に都合がつかない方も、その時間を覚えて集会の祝福を祈ってください。
 ヨナ書の前にはルツ記を学びましたが、二つの聖書を学び終えて、どちらも小作品ながら、旧約聖書の豊かさを感じました。ルツ記では、神は出来事の背後におられて導かれるお方でした。
 ヨナ書は対照的で、初めから神は全面に登場されます。神は大風を起こし、大きな魚を備えられます。主なる神はヨナに絶えず目を留めて共におられます。神はヨナにニネベに向かって預言するよう使命を与えられます。ヨナは、始めは逃げますが立ち帰り、務めを果たします。滅びの預言を受け入れ悔い改めたニネベの人々を見て、神は裁きを取り消されます。ヨナは神が思い直されたことを受け入れられず、死を願うほどに怒りに身を任せます。そのヨナに主は言われました。
 「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」(ヨナ4・10〜11)
 とうごまを惜しむヨナに、「わたしはニネベを惜しまずにいられるだろうか」と問いかける神がおられます。神は、問うヨナと同じ方向を向いて、「惜しまずにいられるだろうか」と、共に問われます。わたしたちが神に問わずにはおれないとき、神は、わたしたちと共にいて、同じ方を向いて問うておられることを、心に刻みました。
 ニネベの人々と家畜を惜しまれる神は、今、大きな苦難にあるこの国の人々と、この国の家畜を惜しまれる御方であられる。独り子をお与えになったほどに、世を愛された御方です。(No.369)