週報短文
バックナンバー 2012年 4月分
2012年 4月 29日
交わりの共同体・教会
先週22日の教会総会も無事終わり、2012年度の歩みを確かに踏み出しました。今年度の教会活動方針の前半部分を引用いたします。
“教会の目標
1.主日礼拝を重んじる教会へ
2.聖書に親しみ常に祈る教会へ(祈祷会を大切に)
3.各自の賜物がよく活かされる教会へ
4.次世代への信仰の継承
5.受けるより与える教会へ
6.地域に奉仕する教会へ
今年の御言葉は、「わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです」(ヨハネの手紙 一 第1章3節)。
今年度の主題は「御父と御子との交わりに生きる神の家族」。目標の「2.聖書に親しみ常に祈る教会へ(祈祷会を大切に)」を覚えます。
教会の5つの使命(目的)は、礼拝・交わり・教育(弟子訓練)・奉仕・伝道です。教会の目標は、教会の使命に基づいています。教会の使命を果たす主体は、教会を構成する教職・信徒一人ひとりです。ですから教会の目標を、信徒としての姿として言い換えてみますと次のようになります。
@ 主日礼拝を重んじ、説教と聖礼典を大切にする。
A 聖書に親しみ常に祈り、祈祷会に出席し、とりなし祈る。
B 自分自身の賜物を知り、開発し、全体の益となるために活かす。
C 自分より信仰の若い世代の人々、未信者のために、仕え、伝道する。
D 献身のしるしとして、また教会活動が前進するように、献金に励む。
E 地域の中に立つ教会であることを覚え、地域に仕える働きの一端を担う。
教会活動の目的は、目標に向かい、教会の使命を果たすためであることを今一度確認し、主の助けをひたすら祈り求め、共に前進しましょう。
その上で、今、このとき与えられている教会の課題へ取り組んでまいりましょう。・・・”
主の恵みによって祈りつつ共に歩みましょう。(No.411)
2012年 4月 22日
朝ごとに新たな主の慈しみと憐れみ
先週の4月15日に配布された、教会総会議案書を読みました。
2011年度の報告からは、西川口教会が日々守られ、主日礼拝を中心にした日常の集会が継続でき、毎週の特記される活動をなすことができたことがわかります。大きな喜びは、今年度も受洗者が与えられたことです。天に送った兄姉もおりました。2011年度の歩みも、こうして主に導かれたのだとの感謝がわいてきました。
そして、哀歌の御言葉を思い起こしました。
主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。
「あなたの真実はそれほど深い。・・・ (哀歌 3・22、23)
この御言葉の背景には、二千数百年前、バビロニアの侵略によって、エルサレムの町が廃墟となり、人々は追い払われた出来事があります。国が滅び、民が散らされていき、信仰を掲げて生きてきた人々の嘆きは非常に深いものでした。
この国でも、昨年の3月11日の大地震と大津波、連動して引き起こされた原発の事故により、多くの人々が命を落とし、家族を失い、住むところも、故郷も追われた人も少なくありません。今なお大震災は終わっていないことです。わたしたちの教会も及ばずながら、一所懸命支援を続けてきました。生きることは労苦に満ちていることです。悲しみ嘆きがつきまといます。
けれども、この哀歌の信仰者は、朝が来ると生かされていることを知りました。一日一日を生き延びていました。朝のこない夜はありませんでした。一日ごとに新しくされていくことを知った信仰者は、そこに、深い神の憐れみを見出しました。神は人々を捨て置かれていないことを。
朝ごとに新しく、決して尽きることなく、絶えることのない神の慈しみと憐れみが、わたしたちのためにも豊かに注がれています。(No.410)
2012年 4月 15日
新来者へこころを配る
礼拝の受付を若干変えました。伝道部のアンデレ会(こころの友伝道奉仕者の会)の発案によります。新来者のためにアンデレ会員が毎週受付に立つことは、もう長く続けています。少し前に、受付の机のところに「新来者受付」と大きく掲示しました。それから、新来者用専用の聖書と讃美歌を購入し、受付に5冊ずつ用意しました。そして、礼拝出席者名簿の位置を変えました。新来者、再来会者の名簿が一番手前です。次いで、中学生・高校生・子供たち。一番奥、机に向かって右側に現住陪餐会員です。この順で置くようにしましたので、丸印をつけるとき心に留めてください。
もう一つは、新来者の方のために、聖餐式の説明のプリントを用意しました。聖餐を祝う礼拝の時にお渡しします。こう書かれています。「本日は礼拝の中で聖餐式があります。聖餐は、主イエスが十字架につけられる前夜、弟子たちと食事をされた時に主イエスが定められた礼典です。パンとぶどう酒を配りますが、これは、信仰を告白した人(洗礼を受けた人)だけが受けとります。どうぞこのことをご理解くださり、まだ洗礼を受けておられない方は、パンとぶどう酒を取ることをご遠慮ください。信仰を告白し、洗礼を受け、ご一緒に聖餐のパンとぶどう酒を受ける日が一日も早く来ますことを、祈りつつお待ちしています。神の愛と祝福はすべての人に注がれています。主の導きと祝福をお祈りいたします」。
今後は、献金の趣旨説明つき封筒の作成、主日礼拝順序についての簡単な案内、教会案内を順次整えたいと考えています。礼拝に連なる皆様には名札をつけていただききたいです。お互いに名前を知り、呼ぶことができますように。礼拝で新しい方が近くに座っていたらさりげなく配慮してくださいますようお願いします。よい方法がありましたら、伝道部まで教えてください。
教会に生きるわたしたちが、主日礼拝にいらした方に、神の恵みが届きますようにと祈り、こころを配り、お迎えするのは、神からの務めです(No.409)
2012年 4月 8日
「三日目に死人のうちよりよみがえり」
イースターおめでとうございます。主イエスは甦られ、今も生きておられます。教会は、罪と死に打ち勝ってくださった主イエス・キリストの命の勝利にあずかっています。
「三日目に死人のうちよりよみがえり」、使徒信条が語る主イエスの復活信仰です。十字架に架けられて死なれ、葬られた主イエスでした。「三日目に」とは、主イエスが死んだことは確実であることを示しています。ですから「死人のうちより」と改めて告白しているのです。
キリストの復活と死者の復活の信仰が力強く語られているのは、コリントの信徒への手紙一第15章です。読むたびに、「キリストは復活された。わたしも復活するのだ」との復活信仰が確かにされます。「身体のよみがえりを信ず」、使徒信条が語る復活信仰です。主の復活によってもたらされた希望、祝福です。
「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」(コリント一15・20〜22)
昨年からの冬の寒さは厳しいものでした。川口もずいぶん冷え込みました。それだけ春が待ち遠しく感じました。だんだん日が長くなり、暖かい日もあり、木々の芽が膨らみはじめ、春を告げる様々な花が咲き始めました。やはり、桜が咲き始めると確かに春が来た、と感じます。今年は東京では桜の開花が平年より5日遅く、満開は3日遅かったそうです。花が咲き、木々も芽吹き、生き生きとした命を感ずるこの春の季節に、主イエスのお甦りをお祝いするイースターが巡ってくることをうれしく思っています。死に定められているはずの体が、死で終わらない、永遠の命に結ばれていることを、心から感謝し喜びます。(No.408)
2012年 4月 1日
「イエスをじっと見つめなさい」
今年も受難週が巡ってきました。本日は、棕梠の主日。来週はイースター礼拝です。主イエスが苦しみを受けられ、十字架にかけられ、死んで葬られ、そして、父なる神によって復活させられたこと。特に今週、このただ一度の救いの出来事を黙想し、神を仰ぎ、賛美できますように。
本日から新年度が始まります。教会の歩みも、この主イエス・キリストの救いの出来事に根差し、支えられています。
棕梠の主日のための黙想を紹介します。メソジスト運動の始まりとなったジョン・ウェスレー(1703〜1791)の言葉です。
“「しかし、私は十分なほどに深く罪を悔いていない。私は十分なほどに私の罪を感じていない」、と言うな。私はそれを知っている。もちろん私は、あなたが自分の罪を、現在の千倍も感じ、千倍も深く悔いてくれればよいがと思う。しかし、これが理由でとどまっていてはならない。信じる前ではなく、信じることによって、神はあなたを、そのようにしてくださるのかも知れない。多く赦されたがゆえに、多く愛するようになるまでは、あなたは多く泣くことはないのかも知れない。とにかくイエスを見なさい。見よ、なんと彼はあなたを愛していることか。何をこれ以上、彼はあなたのためにすることができたのか。彼はすべてをなしたのである。
ああ神の小羊よ。
あなたがいだいたような苦痛が、
愛が、
一体存在しただろうか。
イエスがあなたを認め、あなたの堅い心を打ち破るまで、イエスをじっと見つめなさい。あなたの堅い心が打ち破られる時には、あなたの「頭」が「水」となり、「あなたの目が涙の泉」となるだろう。(エレミヤ書9・1 口語訳)”(「愛と自由の言葉 一日一章」より)”(No.407)