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週報短文

バックナンバー 2012年10月


2012年 10月 28日

被災地でのボランティアに参加して その2

 10月10日から12日まで、東日本大震災被災者支援のボランティアとしてワークをしてきました。夏の間は研修に出ることが多いので、最近は、秋に休暇をいただいています。休暇を使って、仙台の日本基督教団東北教区被災者支援センター・エマオの活動に参加しました。
 行く前には知らなかったのですが、この日程ならではの出来事が待っていました。それは、10月11日の午後2時46分に海岸で祈りをささげるというものでした。毎月11日には、祈りをささげてきたそうです。ワークはいつも午後3時に終えますが、11日には午後2時にワークを終えるよう指示がありました。そして、皆が集まり、自転車の人と車の人とそれぞれに海岸(仙台市若林区荒浜)に向かいました。
 約30人が一つの輪になるよう手をつなぎ、代表者がとりなしの祈りをささげました。天気は良かったのですが、風がとても強かったです。この浜に立ち、お話を伺って、改めて被災の痛ましさをひしひしと感じました。ここは仙台市で唯一、海水浴ができる砂浜でした。海岸には、葉の色がくすんだ松の木がまばらに生えていました。近くまで来ると倒れている木もたくさんありました。震災前には、美しく青々と茂っていた松林でした。松の木を見上げ、津波がこの松の木を超えていったと聞かされた時、津波の大きさが身近に知らされ、愕然としました。この海岸の近くにあった約800世帯の家並みが、土台だけを残して、流されました。すべてが大量のがれきとなりました。海岸のすぐそばに、4階建ての荒浜小学校が建っています。津波は、この校舎の3階までがれきと共に達しました。校舎の隣の体育館はへしゃげて、まだそのままになっていました。校庭には大量のバイクが置かれていました。被災された人々の暮らしが戻るまで、なお時間がかかることを実感しました。あの海岸での祈りを思いながら、更に執り成しの祈りをささげていきます。(No.436)

2012年 10月 21日

被災地でのボランティアに参加して

 先日は休暇を頂き、普段できないいろいろなことを体験して、無事に戻りました。10日から12日までは、東日本大震災被災者支援のボランティアとしてワークをしてきました。
 9日の夜に仙台に移動して、翌10日早朝に、日本基督教団東北教区被災者支援センター・エマオに行きました。エマオは、仙台青葉荘教会の隣にある、東北教区センターです。その建物の一室に、被災者支援センターがあります。わたしは、津波の被害を受けた若林区でのワークに加わりました。20人程の方々が集まっていました。20代、30代の若い人が多く、西日本から来られたボランティアもおり、驚き、素晴らしいことだと思いました。
 さて、エマオから若林区の現地まで、片道約14キロを自転車で移動します。体力に自信のないわたしも電動自転車で一日目だけは往復できました。ワークは作業内容に応じて、希望人数ごと数名のグループに分かれて、それぞれのお宅や畑など作業する場所に向かいます。ワークの主な内容は、秋や冬の野菜を畑に植えるため、収穫の終わったトマトやキュウリやナスを片づけたり、雑草をとったり、堆肥を運んだりという軽作業でした。とはいえ、普段はデスクワークと家事しかしないものですから、作業に不慣れで、もたもたしましたが、エマオのボランティアは効率ではなく、「寄り添い」「スローワーク」を大切にしているということで、安心して作業しました。そして、交流している時を大切に過ごしました。。お話を伺いながら、一人ひとりそれぞれの「あの日」の体験があり、お気持ちがありました。これまでの日々の労苦がありました。
 被災地に立って、被災された方から直接お話を伺い、ほんの少しでも支援できたらと、ずっと願って時を待っていました。この度エマオのボランティアに参加でき、祈りが聞かれたことを感謝です。(続く)(No.435)



休暇を頂きましたので、10月14日の短文も、お休みしました。


2012年 10月 7日

世界宣教の日を覚えて

 去る9月30日の午後、全体懇談会が終わってすぐに、長野県小布施町に向かって車で出かけました。台風が本州に接近しており、途中から雨も強くなりましたが、無事到着しました。宿に泊まり、翌日10月1日、この町にある新生病院に入院中のK兄をお見舞いすることができました。新生病院には、K兄とY姉のご子息で小児科医の森脇弘隆先生が勤務しておられます。1日の午後には、以前西川口教会の平和学習会にいらしてくださったT先生(まもなく97歳、現役医師)と再会できました。短いひと時でしたが、目的を果たし帰ってきました。
 森脇弘隆先生から、「医学と福音」9月号を頂きました。日本キリスト者医科連盟発行の月刊誌です。9月号の特集「医療と伝道」に、森脇先生の文章「大海に架かった小さな橋:新生病院」が掲載されていました。少し紹介します。
 “…新生病院は、今から80年前の1932年(昭和7年)に、結核療養所としてカナダ聖公会の責任のもとに誕生した。当時、日本では結核が大流行し、若者を中心に多くの人々が結核に苦しみ、命を落としていた。…その頃カナダ聖公会から長野県に派遣されていたウォーラー牧師らは、この結核の猛威に心を痛め…母国カナダミッションへ訴えたのであった。やがてその熱意は実り、全カナダ聖公会を中心に、建設資金の募金運動が始まった。…1932年、結核療養所は誕生した。そして、結核に罹り希望のなかった患者さんたちが、喜びと希望に満ちた新しい命に生かされるようにとの願いを込めて、「ニュー・ライフ・サナトリウム=新生療養所」と名付けられた。…当時、希望もなく、世間からは見放されたような結核患者さんたちの隣人となり、キリストに在る愛を実践し、主にある光を放たれた医療宣教師らの礎のもとに今日の新生病院はあるのだ…”
 今日は日本基督教団の行事暦で「世界聖餐日・世界宣教の日」です。今も、海を越えていく世界宣教の働きを覚えて祈りましょう。(No.434)