髙橋 綾子 | R6.10 | |
神保 直樹 | R6.10 | |
大友 友季 | R6.7 | |
木暮 朱美 | R6.7 | |
阿久沢 知代枝 | R6.4 | |
山田 修平 | R6.4 | |
岩﨑 有記 | R5.7 | |
新野 栞理 | R5.7 | |
北爪 咲季 | R5.4 | |
前島 尚 | R4.10 | |
堀内 暢子 | R4.10 | |
須田 志子 | R4.10 | |
横堀 健弥 | R4.7 | |
和田 直也 | R4.4 | |
和田 壮平 | R3.10 | |
泉 昂志 | R3.7 | |
野林 阿弥 | R3.4 | |
岡田 淳子 | R2.10 | |
神保 直樹 | R2.10 | |
野村 哲郎 | R2.7 | |
田中 純子 | R2.7 | |
糸井 祐介 | R2.4 | |
髙嶋 美希 | R2.4 | |
藤野 歩 | R2.1 | |
黛 泉 | R1.10 |
朝、家族を起こしみんなで朝食を取る。夫は仕事へ、中学生の長男は部活に出掛ける。小学生の長女と二女を義母に預け、私は三女を保育園に送ってから出勤。勤務を終えて三女を保育園に迎えに行く。三女が、保育園のテラスで拾ったダンゴ虫を持って帰りたいと言う。園庭に逃がすことを提案するが娘に拒否されたため、仕方なく持って帰る事に決める。プリンの空き容器にダンゴ虫が9匹。車内での紛失は避けたい。自宅に到着。ダンゴム虫は無事に庭に放たれた。家事の合間に長女と二女の宿題を確認する。長女は漢字の練習を、二女はタブレットの課題をするように言い家事に戻る。少し経って様子を見に行く。長女は回転イスに腹ばいに乗りくるくる回っていた。何をしているんだ。漢字のノートを覗いてみると、1行しか書いていない。いつになったら終わるのか。となりの机をチラリと見る。二女はすでに課題を終えてゲームをしていた。夕飯の支度をしていると、何やら子供たちが騒いでいる。静かにするように注意するが、秒で元に戻る。また注意する、が、戻る。これを繰り返すこと数回…
諦めた。
夕食後、順番に入浴して寝る準備をする。娘たちが寝た頃、夫が帰宅する。寝たはずの娘たちが覚醒。 なぜか夫の夕飯を一緒に食べている。歯磨きしたのになぜ?のん気に「おいしいよ」などと言っている。 寝る準備のやり直しにショックを受ける私。私の一時間を返してほしい。再度娘たちの歯磨きを行い、今度こそ本当に寝かしつけ完了。長男の部屋から明かりが漏れている。こっそり覗いてみれば、どうやら勉強している様子。頑張れ。ほっと落ち着き、テレビを付ければオリンピックで盛り上がっている。見始めたら最後、寝不足は必至。見る?やめておく?
あぁ、今日も夜は更けていく。
皆さん休日はどのように過ごしていますか?
家族と過ごしたり、自学に励んだり、旅行にいったりと、コロナも以前よりは落ち着いて外出する機会も増えているとおもいます。
私は休日といえばお昼に美味しい物を食べに行くのが定番化しています。幸い食事の好き嫌いはないので除外する料理や食材もありません。ラーメンや蕎麦、定食等ジャンルを問わず、新規開拓をしています。
いつからこんなことを始めたかは覚えていませんが、そのお店の味が自分の好みに合うか合わないかでいつも一喜一憂しています。ちなみに最近は理想のチャーハンと餃子を探しておりました。というのも今まで自分の中でチャーハンと餃子一位のお店がオーナーの高齢により引退されたからです。いつも美味しいものを食べられるのが当たり前じゃない。諸行無常とはこういうことかと、世の中の厳しさを感じます。
色んなお店に行く中で美味しい食事も魅力的ですが、その店での一期一会の出会いも魅力的です。ある蕎麦屋では、「このそばはうちしか作ってないんだよ!」と店主の方に見守られながら、その場で感想を求められたり、ある割烹料理屋では、店主の方のマシンガントークを聞きながら、最終的に横並びになって一緒に食事を食べたりするなんてこともありました。チェーン店ではなかなかないアドリブ感が個人店の新規開拓にはあります。
職業柄なのか食には少なからず拘りがありますが皆さんはどうでしょうか。いつもの定番のお店に行くか、新たに開拓するか、リスクもありますが、開拓を選んで新たな定番を見つけるのもいいのではないでしょうか。
ここ数年、私は推し活を楽しんでいます。
私が小学生だった頃は「ザ・ベストテン」など音楽番組の全盛期で、小さい頃から音楽を聴くのは大好きでした。
好きなアイドルのCDを購入したり、高校に通っているあたりから友人とコンサートに行き始めたり音楽を楽しんでいましたが誰かのファンクラブに入会したことは一度もありませんでした。
なのでこの年齢になって誰かのファンクラブに入るとは思っていなかったので自分でも驚いています。
きっかけはたまたま観ていた朝の情報番組でやっていたボーイズグループオーディションでした。
年齢的に朝になっても疲れが取れず気分が沈みがちで辛かったのですが、そのオーディションの模様やパフォーマンスを観ると不思議と力が湧いてきました。
何度も映像を見ていくうちに沼にハマりデビューと同時にファンクラブに入会しました。
今は最新情報を得るのにSNSを使いますが、他のファンの人たちと繋がれたりします。
まずはSNSを駆使するのに四苦八苦して大変でしたが、おかげで今まで知らなかった楽しみを知りました。
そしてなによりも一番楽しいのがライブのツアーに参戦するために色々な場所に娘(小6)と行く事です。
毎日パワーチャージのために車の中で音楽を流していたら一緒に乗っていた娘もいつの間にかファンになりライブに一緒に付き合ってくれます。
ライブに参戦する事で、生のパフォーマンス、生の歌声が聞けるのもより一層パワーがもらえて最高なのですが、ライブ当日の前後の日に娘と美味しい食べ物を食べたり観光をしたりするのがとても楽しいです。
娘がいつまで私に付き合ってくれるか分かりませんが、これからも各地のライブに参戦して楽しく観光してたくさんの楽しい思い出を作っていきたいと思っています。
私は、あと数年で退職になる歳ですが、今まで着物にさほど興味を持つことはありませんでした。無いというよりは着物は高価で自分にはとても買えるものではないと思っていましたし、呉服店に行く機会もありませんでした。
そんな私が着物に興味を持ったきっかけをお話したいと思います。
数年前、引っ越しをして和風の家に住むことになりました。記念に家族でお正月に着物でも着て写真撮れたらいいね。と娘達と話していました。引っ越した家の側に着物のリサイクルショップがあったので、ちょっと覗いてみようかと興味本位で立ち寄りました。リサイクルショップなので雑然と着物がおいてあるのかと思っていたら普通の呉服屋さんと同じようにとても綺麗に着物が並んでいました。着物の知識もなくうろうろしていると、お店の方が豪華なものではなく普段着になる着物を選んで、帯、帯揚げ、帯締めと、あっという間にコーディネートしたものを見せてくれました。この時初めてわくわくした楽しい気持ちになりました。あまりにもセンスが抜群で、それもそのはず京都の老舗の呉服屋で数十年働いていた大ベテランでした。しかし、どうせ高いだろうと思っていたら、うそでしょ!と思うようなお値段で私にも買える!と衝動買いしてしまいました。
今はこの着物を綺麗に着られるように頑張って練習しています。習う度に益々着物の奥深さに魅せられいつの間にか夢中になっていました。不思議ですね。箪笥の肥やしにならないように、着物で出掛けるところを作らないといけないですね!
これからの季節は浴衣ですね。花火大会やお祭りなどで孫と一緒に出掛けてみたいと思います。着物より気軽に着られますので、浴衣を着て暑い夏を楽しく涼しく過ごしたいですね。
2011年3月11日東日本大震災から13年目となる今年2024年1月1日元旦に能登半島地震が発生し、遠く離れた群馬でも大きな揺れを感じました。群馬は地盤が固く自然災害へのリスクが低い県のため、危機感を感じず防災グッズを備えている方々が少ないと言われています。準備されていても当初のまま定期的な物品確認を怠りいざ必要になった時に使えないケースもあるようです。
ここで最低限災害時に必要な物を紹介します。
ご自身が必要な物を確認しましょう。
非常用持ち出し袋は1人10~15Kg程度までとし両手が使えるようリュックかショルダーバックがお勧めです。
災害にあった時の家族との連絡方法や避難場所も大切です。避難場所は広いため、具体的に例えば体育館のステージ側とか、道具部屋の辺りとか捜せる範囲が少しでも少なくなるよう話し合っておくようにしましょう。
皆さんは何かを選択する時どんな気持ちになりますか?ワクワクしますか?それとも憂鬱になりますか?家を買うなどの大きな選択だけでなく、旅行の行き先や次の週末の予定など、毎日の生活の中で私達は常に選択をし続けています。しかし、正解はなく、うまくいったりいかなかったりを繰り返しながら生活しています。
私の仕事は【食べる】ことにかかわることが多いです。毎日の食事もまた選択のひとつとなります。例えば、長期入院中の患者さんで徐々に食事量が減ってきてしまう方もいます。理由は様々だと思いますが、私が考える理由のひとつに選択が出来ないことではないかと思います。「今日の夕食は何を食べようか?」と想像し、私達であれば実際に食べることができます。しかし、入院中の方は自分の食べたいものの気分に関係なく配膳された食事を食べます。勿論入院中だから仕方ないと理解はしていても、入院が長期化すると食に対するモチベーションが下がってしまうのではないかと思います。対応策は様々ですが、家族の協力が得られる場合は主治医の許可の元で御本人の好きな食べ物を持ってきて頂くことが多いかと思います。他病院や施設などでは2種類の食事から選択できる場所もあるようですが、病院や施設の規模、用意する食事の数等で予算に違いがあるため、当院では上記の家族に協力を得る対応をとっています。
各家庭で毎日の献立に頭を悩ませているお母さん達からしてみたら毎日の献立を考えずに食事が出てきたら凄く助かるのでしょうが、選択できることの幸せも感じながら何事も楽しく選択できるように心掛けていきたいです。
最近、私は趣味で集めている鉱石や宝石を飾るためのガラス棚を買いました。
私は子供の頃から石やキラキラしたものが好きで、道端に落ちている小石や金属片、ガラスなどを拾ってきては家の中に持込み、よく母親を困らせていました。
歳をとるにつれて道端から物を拾ってくることは無くなりましたが、代わりにミネラルショーに行くようになりました。ミネラルショーは鉱石や宝石、化石などを販売するイベントです。規模の大きいイベントでは数百社が集まり、会場の机いっぱいに品物が並べられます。私は年に数回ミネラルショーへ行き、何年もかけて少しずつコレクションを増やしてきました。ミネラルショーではメジャーなものから見慣れないものまで様々な鉱石と出会うことが出来ます。色とりどりのフローライト、独特な模様のボルダーオパール、メタリックなスティブナイト、力強い輝きのスフェーン、銀河のようなアイオライトサンストーン……どの鉱石も美しく、魅力的です。
これらの鉱石をバランス良く飾るために、ああでもないこうでもないと考えながらガラス棚に並べるのは難しいパズルに挑戦しているようで楽しいです。鉱石以外にもチェコガラスの香水瓶やガラスボタン、アレキサンドライトガラスのショットグラス、ガリレオ温度計などを飾りました。
今までに集めたものを目一杯飾りましたが、ガラス棚にはまだ半分以上も空きがあります。今後も少しずつコレクションを増やし、この棚を大好きなものでいっぱいにしたいと思います。
私には1歳半の子どもがいます。子どもの1年半の成長は凄まじく、昨日出来なかったことが今日出来るようになるということも多く、とても驚かされます。
そんなこともあり、「凄いね」「上手だね」「偉いね」などの言葉をよく口にしていましたが、1歳半ともなると行動も活発になり、イヤイヤも増え「ダメだよ」「危ないよ」などの言葉も多くなってきました。こちらの言っていることも完璧ではないものの理解してきて、言葉や行動のまねごともするようになってきました。例えば、商業施設に行くとアルコールスプレーが設置されていますが、大人がやっているのを見ていて、その場まで行き自分もやっているつもりで手をスリスリするのです。自分の言動をいつも見られているものと、意識して生活をしていかなければと思っています。
食事面でも今まで食べていた物も突然「プイ」っと食べてくれなくなったりします。年齢により好みや好き嫌いの意思表示が出てきたのだと成長が喜ばしいですが、どうしたら食べてくれるのかと悩み落ち込んだりもします。
仕事の休みの日も休めるはずはなく、試行錯誤しながらクタクタな毎日です。ですが、子どもと過ごす日々はとても新鮮で、成長を近くで感じることが出来ることは嬉しくもあります。そして、子どもの成長は私の成長でもあり、育てているようで育てられている、そんな風に感じます。
一人の人間を育てていくことへの責任感はとても大きくありますが、これから日々変化していく悩みも今しか感じられない瞬間と思い、子どもと一緒に成長していけたらと思っています。
皆さんはどんな趣味をお持ちですか。
コロナ禍に入って早3年が経ちましたが、新たな趣味が出来た方も多いのではないでしょうか。
私は最近、「かぎ針編み」を始めました。「かぎ針編み」とは、かぎ針と呼ばれる道具を用いる編み物のことを言い、帽子やバッグ、カーディガンなどを編むことができます。
SNSで「編み物」「かぎ針」などと検索すると、綺麗な色の配色で、様々なデザインのバッグや帽子、ブランケットなどが投稿されています。毛糸の淡い色味や温かさのある質感に魅力を感じ、以前からとても興味がありました。
編み物を始めたきっかけは幼い頃、祖母にベストやマフラーを編んでもらったのをふと思い出し、自分でも編んでみたいと思ったからです。
簡単には作れないことは覚悟していましたが、いざ初めてみると、とても頭を使う作業で、次は何番目の編み目に糸を通せば良いのか、本や動画を何回も確認しながら、編んでは出来栄えに納得がいかず、糸を解いての繰り返しです。見本通りに編んでも、形が不格好だったり、糸が緩くなってしまった箇所があったりと、まだ綺麗に編むことが出来ませんが、作りたいものが形になった時はとても達成感があります。
編み物は非常に手先と頭を使うため認知症予防や無心になり同じ作業を繰り返しする事がリラックス効果やストレス解消にもなると言われており、欧米では編み物は心を落ち着かせる効果があるとして「ニットセラピー」という言葉もあるようです。
今は「かぎ針編み」を楽しんでいるというよりは難しくて四苦八苦していますが、生涯の趣味として続けていきたいと思っています。
かれこれ介護や医療の「相談員」として働くようになって30年近くの経験になりますが、その相談される内容に変化が起きてきました。医療費や介護費用の自己負担分が支払えない方が増えてきたのです。要因は様々ですが、国民の低所得化やインフレによる物価高など、ギリギリで生活されている方に直撃しているニュースが毎日流れています。
老後の医療費介護費用について、「では、いったい幾らくらい準備したらよいのか?」という質問をよく受けます。60歳から天寿を全うするまでの医療費介護費用の自己負担総額は一人当たり約700万円という目安があります。夫婦なら1400万円。「その時」に自力で対応するためには、これくらいの金額を準備しなくてはならないということです。なかなか高額な数字でビックリする方もおられるかもしれませんが、医療も介護もサービスを受けるにはタダではないということを今一度理解しておく必要があります。
特に若い方に伝えたいのは、老後の医療費介護費用を準備する際には、現役世代のうちから貯蓄や資産運用で準備していくのが賢明です。一案ですが国主導の制度である「iDeCo」や「積み立てNISA」の節税メリットを活用しながら準備する方法はご存じでしょうか。準備したお金は医療費や介護費用以外にも使えるため、いざというときの出費に備えるという観点においても早いうちからの取り組みが有利です(投資は自己責任ということをお忘れなく)。
最後に大切なことをお伝えします。要介護にならないようできるだけ普段から健康管理に気をつけること。ずっと元気なら医療費や介護費用はゼロなのです。
「新型コロナウイルス発生」の報道があった時、SARSのように1年も経たずに流行の終息宣言が出されるのかな……と安易に考えていましたが、希望的観測は見事に裏切られ、今や世界中に広まって、人々の健康だけでなく経済にも大きな影響を与えています。
経済への影響要因は諸々あるとは思いますが、昨今の医薬品の供給状況を考えた時、それまで思い出しもしなかった先輩との会話に出てきた「天災の影響」も大きいと思います。
それは、私がまだ仕事に就く前の1995年に発生した阪神淡路大震災後の話です。後に関東在住の先輩より「医薬品の供給・流通不足があって大変だったんだよ」と聞かされ、関東からずっと遠くの地震でもそんなに影響が大きかったのかと驚いた記憶が蘇りました。
昨今の医薬品流通不足は阪神淡路大震災の時以上だと思うほどで、「またですか!」と言いたくなるほど種類も品数も多く、代替や納品までの日数調整など大変です。医薬品の原料不足・製造過程での問題・コロナによる治療のための需要急増などいろいろ原因はあるようですが、以前ではこんなに長期にわたって不足が続くことはなかったと思います。
また、この頃は薬だけでなく生活用品の値上げや半導体不足による品薄なども生活に直結して大変さがみられます。こちらもコロナや天災、戦争など要因は多岐にわたるようですが、ここまで物の流通に世界が絡み合って人々の生活に影響を及ぼすとは今まで思いませんでした。「コロナ禍」は、今まで見過ごしてきた社会の仕組みを少しだけ教えてくれた出来事でした。
現在まだ多くの物品の供給に制約がありますが、それでも、以前不足していたマスクや消毒剤などは、メーカーの努力などにより入手し易くなっていますので、今の状況も少し時間はかかってもきっと改善していくでしょう。
一日も早くコロナが終息し、以前のような平穏な生活に戻れるといいですね。
初対面の人に自分の食事内容を詳細に話すのは抵抗があると思います。しかし、血糖値や中性脂肪、尿酸値が高かったりする人はその検査値によって、日常的によく食べている物がわかったりします。血糖値が高い場合は、菓子類・果物・ご飯・パン・麺などの炭水化物の過剰摂取、野菜や海藻類の摂取が少ないことなどが考えられます。中性脂肪が高い場合はエネルギーの過剰摂取、アルコールの過剰摂取、炭水化物の過剰摂取などが原因です。尿酸値が高い場合はプリン体(ビール・魚卵・肉)の過剰摂取、エネルギーの過剰摂取、アルコールの過剰摂取、水分摂取不足などが原因です。このように検査値からおおよその見当をつけて食事内容の聞き取りを行っています。
普段、意識して食事をしていないと知らず知らずのうちに自分の好きな食べ物ばかりを食べている可能性があります。甘い物が好きな人は菓子パンが朝食になっていたり、しょっぱい物が好きな人は漬物や味噌汁を毎食食べていたり、過剰に摂取しているつもりはなくても食事内容が偏ってしまっている場合があります。また、食事というのは小さい時からの習慣もあります。子供の時から朝食を食べる習慣がない人は、大人になっても朝食を食べる習慣がない場合が多いです。若いときは暴飲暴食をしていても健診では問題なかったのに、年を重ねてくると血糖値や中性脂肪が高くて健診で引っかかってしまう人もいます。
栄養指導の対象となる疾患はさまざまで食事内容も人それぞれ違いますが、患者さんにとって有益で実現可能な栄養指導が行えるよう、研鑽するとともに、指導する自分自身の健康にも気を付けたいと思います。
沖縄にはパワースポットが数多くあり、遥か昔から聖地として地域に根付いてきた場所も存在します。沖縄本島を代表する聖地としては、世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)として登録されている「斎場御嶽(せーふぁうたき)」があり、琉球王国にとって最も重要な祈りの場として大切に守られている有名なパワースポットとなっています。実際に、この場所に足を踏み入れた際には、特別な空気を感じたのを覚えています。さらに、最も神聖な「三庫理(さんぐーい:三角形の岩)」という場所からは久高島(くだかじま:神の島)を望むことができ、美しい景色を眺めることができました。
ここからが本題になりますが、「備瀬のワルミ(びせのわるみ)」と呼ばれているパワースポットを聞いたことがありますか。フクギ並木が観光スポットとして有名な沖縄本島北部の備瀬という地域にあり、地図にも載っていないパワースポットです。沖縄旅行のプランを計画する際の情報収集時に偶然その存在を知り、2016年10月に行ってきました。観光ガイドにも載っていない場所であり、その場所にたどり着けない人もいるそうで、無事に行くことができるのか心配しながらの旅行だったのを覚えています。その場所までの交通手段として自転車が良いという情報を得ていたので、備瀬のフクギ並木の観光を目的としているレンタルサイクル屋に行くと、親切に備瀬のワルミまでの行き方を示した手書きの地図をくれました。その地図を頼りに行ったのですが、途中道に迷い、家族からのブーイングを受けながらも無事にたどり着くことが出来ました。入口が分かりづらく、本当にここなのかと思うぐらいの場所でしたが、奥に進むと下に降る階段があり、その先に目的の場所がありました。真っ白な砂浜、巨大な岩の割れ目、割れ目からみえる真っ青な海の景色が目に飛び込み、感動する程の場所でした。しかし、備瀬のワルミへの侵入ルートは私有地だったこともあり、観光客によるごみの不法投棄や騒音などのマナーの悪さが原因で、非常に残念ですが2017年7月に閉鎖されてしまいました。現在は海からアプローチするツアーがあるそうですが、地元住民に迷惑とならないようにルール化して、陸地からまたこの絶景を楽しめるようになることを望んでいます。
皆さんは“研究”と聞くとどのような印象を持つでしょうか。“むずかしい”“白衣を着て顕微鏡を覗いている”など、様々な印象を持つかもしれません。今回は、「人を対象とした医学系研究」についてお話したいと思います。
歴史を見返すと、19世紀、当時行われていた経験に基づいて行う医療は、実験に基づいて行う医療へと変わりました。そのとき医学研究は大幅な進歩を遂げますが、一方で非人道的な人体実験も行われるようになりました。そこで1964年に、医学研究の倫理的原則が作られました。医学系研究を行う際には、根拠に基づいて研究計画を立てた上で、その計画を倫理審査委員会に提出し承認された後、研究対象者への説明と同意を得た上で、対象者の「自由意志による参加」によって行われなければならないという内容になります。現在行われている研究も、この原則の下で成り立っています。
新型コロナウイルスが流行し始めたとき、ワクチンはまだか、治療薬はまだかと思っていた方も多いと思います。しかし、実際に私達が利用できるようになるには、実験等の基礎研究を踏まえた上で、上記のような手順を踏んで安全性が担保された後、ようやく私達が利用できるようになります。多くの研究者、研究対象者の時間と手間がかかります。しかし、それを利用できるメリットは大いにあるのではないでしょうか。
現在では標準とされている治療法も、過去の研究によって明らかにされたことで成り立っています。過去に研究に協力する人たちがいたことで、そこから得られた恩恵を私達は利用しているのです。
まだ治療法が確立されていない病気も、何年か後には研究が進み、治療法が確立されているかもしれません。しかしそこには、「自由意志による参加」をした対象者が必要です。もしも自分が対象者になったとき、未来の同じような境遇の人のために、できることはあるかもしれません。
世代なのか、土地柄なのか、ぼくだけなのか、昔から気になるどうでもいい話がある。
一度だけ、昔、某地方誌の記事で目にした事があるのだが…前橋・高崎問題。
ぼくは生まれも育ちも生粋の前橋人で、前橋以外に住んだ事が一度もない。特別「前橋大好き!」と思っている訳でもない(寝る時はいつぞやの忘年会のビンゴの景品でもらった「I♡前橋」Tシャツを着ている)が、なぜか、高崎には負けたくないと思ってしまう。
よく、茨城・栃木・群馬問題なんていうのをテレビで特集しているのを見るが、ぼくからしたら、そんな大きな問題より、前橋・高崎問題の方がよっぽど気になる。
何に負けたくないのか…って言うか、むしろ前橋が高崎に勝っているところはどこか…前橋駅VS高崎駅、県民会館VS高崎芸術劇場、ぐんまアリーナVS高崎アリーナ、アクエ○前橋VSオ○パ…どれも勝ち目がない…。新幹線は高崎止まりだから布袋寅泰は前橋に来ない。両毛線に乗り換えて前橋を通過してbacknumberは伊勢崎に行ってしまう。誰も来ない。…だるま…もはや対決させる物すら思いつかない…。
絞り出せ!赤城山VS榛名山、ころとんVSたか丸、る○ぱーくVSかっぱ○あ、学校…は、止めておこう。
あっ、グリーンドーム前橋は残ったが高崎競馬は潰れた。が、Gメッセ群馬ができた…複雑…。
なかなかの難題である。
なぜか、伊勢崎には勝っていると思いたい。
はじめまして。本題に入る前に簡単に自己紹介をさせていただきます。
昨年9月より入職しました臨床検査技師の泉です。
以前は主に健康診断を行う会社、循環器病院、整形外科病院を経験して現在に至ります。月日が経つのも早く1年が近づきつつあり、毎日が勉強の日々を過ごしています。私には同職種の妻と1歳半になる息子が1人います。今回は仕事も子育ても新人である私の子育てについてお話させていただきます。
息子が生まれた日のことはついこの前のように思えます。12月の寒い日に息子は産声を上げました。産声が聞けたのもわずか息子はそのまま保育器へと入れられてしまいました。小児科医師の話では「こういうことは良くあることで肺に水が残っている状態です。」と説明を受けました。ほかの子はベッドで泣いている後ろで声も出さず保育器でチューブを付けられた我が子を見て『なぜうちの子が・・・』と悲しくなったのを覚えています。
さて、そんな我が子も1歳半、今では元気に家の中を走り回っています。日々成長し様々なことができるようになり親として嬉しい限りです。しかし世の親御さんも経験あると思いますが、子どもを叱る場面は避けて通れません。例えば食事の遊び食べ。周りの親御さんから聞いていましたが、どこまで許容していいのか分かりません。今の時代インターネットを開けば様々な情報は手に入ります。『遊び食べはお子さんの五感を学んでいるところです。』大体こう書かれています。とはいえ、ご飯を捨てだす、飲み物をマーライオンのごとく吐き出す、見かねてコラ!ダメでしょ!と叱ってみると当然泣き出します。そうなれば泣き止むようあやす羽目になりどちらが悪いのかわかりません。このような積み重ねで私も息子も日々成長していくのでしょう。これから色々なところに出かけ、様々な経験を一緒にして行きたいと思います。そのためにも1日でも早くコロナ禍が明けることを願っております。
2020年1月、私はもうすぐ1歳になる我が子とともに、新居の引越で慌ただしく過ごしていた。荷ほどきをしていると、中国で新型感染症が流行しているという報道がされるようになった。SARS(重症呼吸器症候群)のようなことがまた起きているのか、でもいずれ収束するだろうと考えていた。
しかし、コロナ発症が日本で報告されるようになった。私は国内の感染対策が何もテレビで出ていない状況なのに…、と嫌な予感がしたのを覚えている。それからは新型コロナウイルスがどんどん拡大し、全国に対する非常事態宣言が発令され、不要不急の外出自粛、人の集まるイベントが次々に中止となり、コロナ禍という新しい日本語が一般的になってしまった。休日に我が子と近所の公園に遊びにいくと、誰もいない。風がびゅうっといつもより強く吹いていた気がした。
この時間帯なら大体親子グループが2つ、3つ遊んでいるのに…。不要不急の外出自粛ってこういうこと?パパの友人のママは絶対外で遊ばせないと言っていた。買い物以外は外に出ちゃだめって、みんな考えているってこと?ソーシャルディスタンスに気を配るってこういうこと?
こんな窮屈な空気をいつまで我慢すればいいの?飛沫を飛ばさない、触れないように心掛け、直接人と会う機会がめっきり減る生活になる、これが新しい生活様式なのか。
それでも私は看護師。患者さんのために考え、必要な援助を行う。防護服を身に着け、発熱患者さんの血管確保をする。病棟の先輩や同僚とああした方がいいと相談しながら、ちょっとだけ冗談を言って雰囲気が和んだりできる今の職場が実は気に入っている。時に、時間に追われ、こなさなければならない仕事の量にゲンナリすることが続いても、何とか頑張ろうと思えるのは、素敵な同僚が私の周りに沢山いるからなのだろう。窮屈な空気を感じさせない今の職場が居心地よく思えるのだ。
明日もまた日勤だ。楽しいことに出会えますように。
ストレス社会といわれている昨今、皆さんはどの様にストレスを解消していますか?
私のストレス解消法は、遠くへ出掛けること、ドライブすること、人と話すこと、たくさん笑うこと、お酒を飲みながら美味しい料理を食べることです。ですが、最近は新型コロナウイルスの影響で不要不急の外出を控えるということで、今まで当たり前のようにしていたことが出来なくなってしまいました。 前述のストレス解消法などは、この状況下ではなかなかできません。
さらには、手洗い、うがい、換気や人との距離など、新型コロナウイルスと共生するために新しい生活様式が求められており、日常的に気を使うことが多くなりストレスが増えていく一方です。ならば、私のストレス解消法も新しい様式を考えなくてはと思い始めました。
例えば、
遠くに出掛けること ⇒ 旅行雑誌を見て脳内旅行
人と話すこと・たくさん笑うこと ⇒ 家族との会話を楽しむ、友達と電話で話す
美味しいお酒 ⇒ 新発売の缶チューハイや普段買わないような高いお酒を買う
美味しい料理 ⇒ 美味しいお店の料理をテイクアウトする
です。
家に引き籠ってばかりだと気分も落ち込んできてしまいがちですが、今はおうち時間を大切にし、映画を見たりストレッチや筋トレなどをしてリフレッシュしたいと思います。なので、今は脳内旅行をたくさんして実際に行きたいところをピックアップし、ノートがいっぱいになる前には新型コロナウイルスが落ち着いて旅行へ行けたらいいなぁと思います。
一日も早い新型コロナウイルスの終息を願っています。
10月で私が上武呼吸器科内科病院に入職してから半年が経ちます。
一人前にならなくてはと試行錯誤していますが、まだまだ半人前だと日々、痛感させられています。
私が栄養士になってから数えると8年目、管理栄養士になってからは5年目になります。なぜこの道に進んだのか思い返せば、16歳で初めて働いたのが、飲食店のアルバイトでした。元々、料理は好きな方でしたが、そのアルバイトで有り難いことに厨房で働かせていただくことになり、ほぼ毎日のように調理をしていました。そこで食への関心が高まっていた私は18歳になり進路を決める時に、今自分にできることは少し料理ができるくらい、ただ、少し将来性も考えて栄養士の学校にしようという、半分は勢いで栄養士の専門学校に入学しました。
専門学校に入ってからは夜勤でフルタイムで働きながら、日中は専門学生の二重生活で大変でしたが、無事卒業することができました。学校で勉強していくうちに臨床に興味を持ち、就職した小児科の病院で、3年実務経験を積んだのち、猛勉強の末、管理栄養士の免許も取得することが出来ました。
小児科の病院では一番長く、合算で5年ほど働いて、そこでは数十人分のミルクを作ったり、離乳食の相談に乗ったり、経口食物負荷試験に立ち会って、対象食物を上手く隠して食べさせたりと、栄養士としては比較的ニッチな仕事をしておりました。今ではほとんど使うことのない知識や技術で、悲しいところですが、とても貴重な経験が出来たと思っております。
現在は呼吸器や高齢者の方の栄養管理に挑んでいる最中です。当たり前ですが、勉強不足だなと感じることばかりで、働きながら学んでいきたいと思っています。まだ、慣れないこともありますが、これからもよろしくお願いします。
6回目の登場です。あまり作文は得意ではありませんので、ブログか何かを書いているつもりで書いてみようと思います。この表現を入れたのも今回の題名、本を読むこと「読書」に関係しているのです。
小さいころから読書をしない私は国語が苦手、作文も勿論得意ではない。未だにそう思っています。夏休みの読書感想文は苦痛でした。そもそも小学生のころの私には感想、思いがないのです。そんな私が、息子と頻繁に図書館へ行くことをきっかけに読書をすることになったのです。
「読書」とは。当たり前ですが、本を読むこと。スマホで当たり前のことを検索してみました。そう書いてあります。当然です。
私なりに、「読書」という言葉を考えてみました。独自の解釈です。
知識、正しいこと、ものの考え方やとらえ方を教えてくれるもの。そしてその多くを教えてくれるのが小説だと思っています。小説には物語があり、そこには実在または架空の人物が登場し、本の中で行動し、考えます。読書をしてこなかった私は以前なら、どこかの作家が考えた架空の人物のことなんて、自分を納得させたり、考えさせたりできない。ただの想像の中のことと。でも今は違います。人が考えたことは私にたくさんのことを教えてくれます。自分はどう思うのか、他の人はどう思うのか、だからどう行動すべきなのか。
小学生だった私と今の私、違うことは時間の流れという経験と息子の存在。以前なら考えなかったことや想像しなかったことができるようになった。違った見方も少しできるようになりました。感想、思いがあるのです。おっさんになった自分と息子に感謝。
本を読むこと「読書」。
疑問が湧きませんか?スマホで小説を読む「読書」。これも「読書」。
ですよね。長々と書きましたが、全く同じことです。でもスマホの場合、小説は読んでいるが、本は読んでいない。本自体はそこにはない。手元にない。本とスマホの違い。
「本で小説読んでいる方が知的で頭が良さそうではないですか?」
古い考え方ですいません。以上。
早いもので九州から引っ越してきて一年半が過ぎました。よもや自分の身に「群馬に住む」エピソードが起きようとは思いもよらず。人生って本当に分からないものだなあと思ったものです。このたびは、そんな私が群馬に来て驚いたことをお話したいと思います。
まずは「風が強い!」群馬の「空っ風」といえば有名で、中学の社会の授業でも習いましたが、まさかここまで強いとは思いもしませんでした。こちらでは普通のことなのかもしれませんが、他県の人(特に九州の人間)だったら「あれ?冬なのに台風がきた?」と思うほどです。強風にあおられながら自転車通学している学生さんを目にしますが心から尊敬します。
さて次に「赤城山がかっこいい!」天気が良いときは朝日を浴びた赤城山を見ながら通勤。その雄大さに心の中で「あらまた今日もかっこよか・・」といつもつぶやいています。頻繁に見ているにも関わらず毎回感動するのですが、果たして見慣れる日が来るのでしょうか。皆さんに質問してみたい点です。
最後に「柔和な人が多い!」いろんな方と接するようになりましたが、穏やかな人が多いように感じます。それをよく表していると思ったのが「お根性」。初めて耳にしたときは「ド根性」とか「不屈の精神」をイメージしました。まさか「意地悪な人」という意味だなんてびっくりです。ネガティブな表現は避けて、しかも根性に「お」をつけるなんて、やっぱり群馬の人って優しいなあと思うのです。
他にも驚いたことはたくさんあるのですが、これからもまだまだ新しい発見があるのではないかと楽しみです。草津にも行きたいし自転車の練習もしてみたい。いま世の中は外出自粛を余儀なくされていますが(このコラムが掲載される頃には緩和されていることを願います)、これからのことを楽しみに乗り越えたいと思っています。
家族で旅行に行ったときに、神社に立ち寄るとその度にお札を購入しています。自宅にはお札をまつるような棚がなかったため、購入していたお札は換気扇の上に飾っていました。でも、ほこりや油汚れがだんだん気になりだし、とてもバチ当たりだなぁと感じるようになり神棚を作ることにしました。
家を購入して6年経つのに、壁に直接くぎ等を使うことにまだ抵抗があり、壁や床を傷つけずに棚を作れないか探すことにしました。インターネットで検索すると、2×4材を利用して賃貸でも壁や床を傷つけずに柱が立てられる商品が2つ出てきました。2つの違いとしてはバネの力だけで突っ張るか、バネとねじの力で突っ張るかということで、後者の商品の方がよりしっかりと突っ張ってくれそうだったので後者を購入することにしました。
取付け方法は、2×4材を設置する位置の高さからアジャスター分を引いた長さでカットして両端にアジャスターを取付け、最後にネジ(ジャッキ)を回して突っ張るだけなのですごく簡単でした。この柱に1×8材を棚板として取付け完成です。棚受けは専用のものを購入すると高かったので安いもので代用しました。お札立ては、産泰神社でお宮参りにもらったものが3つあったのでこれにお札を立てました。
普段DIYなどしない私ですが、一度やってみるとそれ程難しいものではなかったので、次回は玄関周りの収納にも挑戦してみたいと思いました。
私は猫を飼っています。今は猫の完全室内飼いが勧められているので屋内に3匹います。室内飼いにすることで交通事故や怪我が回避でき、ペットフードも良いものになっているので長く生きることが想定されていますが、その分老化による病気を患う可能性が高くなります。そのひとつとして老猫の宿命である腎不全という病気があり、私の猫もかかりました。
その猫の病気の進行に気がつくのが遅く、受診させた時にはもう末期の状態で毎日の点滴と服薬の治療が始まりました。動物病院からは「高齢でもあるし、どこまで治療するかは飼い主さん次第です」と伝えられ、確かにそれ以外に言いようが無いのが現実なのですが、私にはその言葉がとても辛辣なものに聞こえてしまいました。
猫は約18年生きていて人間であれば84~88歳相当です。寿命でもあり、治療をしたところで回復の見込みはない、それでも症状は緩和させてあげたい、でもそれは結局延命になり苦しい時間を延ばしているだけなのではないか…と、葛藤の日々が始まりました。迷っている間にも医療費は容赦なく嵩んでいき、自身の葛藤に答えが出るわけでもなく、気がつけば2か月半が過ぎていました。一時的に体調は回復傾向になりましたが、とうとう体重も1㎏台になり自力で立てなくなったその翌日に、猫は旅立っていきました。
飼われている動物にとっては、飼い主がその全てですから、最期の時を一緒に過ごし生ききったその姿を見送れたことは良かったと思います。お別れの時が訪れるのは自然の流れで逆らえないことですし、お互いにつらい時間が終わったということに安堵した気持ちも自分の中にありました。
今回の出来事は、猫のことだったので正確には状況が異なりますが、普段と逆の立場に立つことになり色々と考えさせられる日々でした。普段からの健康状態の変化を見逃さないことの大切さを改めて知りましたので、皆様も気をつけていただければと思います。
皆さんは疥癬(かいせん)という皮膚の感染症をご存じですか?
疥癬とはヒゼンダニという小さなダニが人の角層に寄生し、人の肌から肌へ感染・寄生していく油断できない皮膚疾患です。近年では高齢者施設を中心に、高齢者・介護スタッフ・その家族が感染するケースが増えています。当院でもときおり、疥癬が院内に持ち込まれ、複数の入院患者や職員が感染することがあり、治療と封じ込めに2~3か月要することもありました。
疥癬に感染すると強いかゆみのある赤い発疹が出てきます。かゆみは夜間に強くなり睡眠の妨げとなります。主に顔以外の腹部、胸部、掌、指の間、脇などの皮膚が柔らかい部分に出現してくるのが特徴です。
『疥癬には以下の2つのタイプがあります。』
診断は皮膚をピンセットで採取し顕微鏡で虫体や卵の存在を確認していきます。治療には飲み薬や塗り薬で殺虫していき、症状が改善されるまで4~6週間ほどかかるとされています。
豊かな食事と衛生環境の整った現代でもまだ疥癬が存在することに驚きました。再び院内での感染が起きないよう日々目を光らせていきたいと思います。とても感染力の強いダニですので、このような症状がある方は自己判断せず医療機関への受診をお勧めいたします。
私には93歳の祖母がいました。子供の頃は、夏休みや冬休みになると祖母のいる小田原に遊びに行っていました。幼い頃の私は、小田原にいる期間が長くなると退屈に感じてしまい、うんざりしてしまうことも少なくはありませんでした。私が小学4年生の時、祖母が胆石の病気になりお見舞いに行ったことがありました。普段はちょっぴり怖い印象の祖母でしたが、病室に行くとベッドの上で「痛い、痛い」と言っており、辛そうな姿を見たのは初めてでした。祖母の痛みを和らげてあげたいと思いながらもどうする事も出来ない私はもどかしさを感じ、看護師になることを決めました。その後無事試験に合格し、晴れて准看護師の免許を取った私の姿を見て祖母はとても喜んでくれました。
そんな祖母も70歳後半になり認知症を発症し、月日が流れていく中で症状が進んでいきました。最初は、最近の出来事を忘れていく中でも穏やかに過ごす事が出来ていましたが、今年に入り大腿骨頸部骨折をしてしまい手術をしました。術後食事を摂れず点滴をずっとしていると聞き、春先、久しぶりにお見舞いに行きました。久しぶりに会った祖母は綺麗だった白髪の髪が無くなり、点滴を抜いてしまう為両手にミトンを装着していました。それを差し出しながら「取って」「取って」と言う祖母を見て居たたまれない気持ちになりました。外してあげると、祖母は「ありがとう」と何度も言いながら頭を下げていました。いつまでも感謝を伝えようとする姿を見て、出来ることならずっと傍にいてあげたいと思いました。帰り際祖母に向けて手を振りましたが振り返してくれませんでした。しかし、病室を出る時に最後に1度だけ手を振ってくれて想いが届いた様でとても嬉しかったです。
その後も祖母はしばらく入院していていましたが、最期は家に帰らせてあげたいという家族の想いがあり自宅で看取ることを決めました。私の母も小田原まで行きほとんど寝ずに面倒をみていましたが、退院して3日後祖母は自宅で息を引き取りました。子供たちが最期まで傍にいられたことで安心して天国に向かうことが出来たと思います。祖母が亡くなり数か月が経ちますが、今でも祖母が「ありがとう」と何度も伝えてきてくれた姿が目に浮かびます。仕事でくじけそうになった時もその時の表情や言葉、姿を思い出すと私も頑張ろうと思うことができ、今の私の活力に繋がっていると感じます。そんな今を通して今度は私がおばあちゃんに伝えたい言葉があります。
「おばあちゃん。ありがとう、Thank You。」