三重県総合博物館の常設展とカモシカの企画展示

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 6月11日、三重県総合博物館(Miemu:みえむ。「三重の夢」をあらわすネーミングだそうです)に行ってきました。総持寺から、茨木市、淡路、日本橋、上本町で乗換、近鉄特急で津へ、そこからバスで総合文化センター前へ、近くの人に案内してもらって11時半過ぎに博物館に到着、計4時間弱かかりました(帰りは3時間半くらいで帰れました)。
 三重県総合博物館は2014年に開館した新しいミュージアムで一度行ってみたいなあと思っていたところ、第15回企画展「きて・みて・さわって カモシカ☆パラダイス」が6月25日まで開催されており、そのギャラリートークが6月11日の14時からあることを知り、それに合せて行ってみることにしました。1週間ほど前に電話で、カモシカの展示とともに常設展も見学したい、たぶん1人で行くので、できれば常設展の案内もしてほしいとお願いしたところ、なんと「もちろんしますよ」というお答え!ここの博物館はきっと対応はとてもよさそうだと思いました。
 受付に行くと、早速担当の学芸員に連絡してくださり、間もなく1週間ほど前に電話でお話したUさんが来られました。最初にこの博物館について全体的に説明してもらい、博物館の触地図に触りました。この触地図は、ふつうの平面の地図ではなく、立体になっていて、しかも上階が取り外せる構造になっている優れものです。その後、エントランスのミエゾウの展示から始め、基本展示の各コーナーを次々と案内してもらいました。途中からは、カモシカの企画展示担当のTさん、ユニバーサル・ミュージアムグループのボランティア2人(この館には、ミュージアムパートナーとして、歴史や民俗、生きもの、ユニバーサルミュージアムなどのグループがあり、またいくつか調査プロジェクトもあり、市民による協力組織が充実しているようです)。なにしろ展示は多様・豊富で、とても一度の見学では回り切れませんでしたし、また十分に記憶もできなかったので、とくに印象に残ているものを中心に以下に紹介します。
 
●ミエゾウ
 全身骨格が復元されていて、その前を歩きながら手の届く範囲でそっと触ってみました。体長7〜8mくらいあるようです。高さは4m近くもあるということで、上のほうはまったく届きませんでした。前にすうっと真っすぐ伸びる太い牙、前脚や後脚などに触りました。後脚の踵の骨が後ろに大きく突き出していたのが印象的です。展示室の中には、ミエゾウの半分くらいの大きさのアケボノゾウの全身骨格も展示されていて、その踵の小さな骨と比べると、ミエゾウの大きさが実感できました。(私は一昨年末、みなくち子どもの森と多賀町立博物館で触ったことがあります。触って体感する展示の多い「みなくち子どもの森」多賀町立博物館訪問
 ミエゾウ(学名:Stegodon miensis)は、この種の化石としては日本で初めて、1882年に現在の津市芸濃町林で臼歯のついた大きなゾウの左下顎骨が発見されたことから名付けられました。同種の化石は三重県内ばかりでなく九州から関東地方まで日本各地で見つかっており、約430万〜300万年前に生息していた巨大なゾウの仲間(現存のゾウとは違う科)です。500万年前ころ同種ないし近縁のツダンスキーゾウやコウガゾウが中国に生息していて、それらが当時陸続きだった日本列島にやって来てミエゾウになったらしいです。その後、日本海がひろがり日本列島が大陸から離れると、ミエゾウは日本列島で独自に進化して小型のアケボノゾウ(学名:Stegodon aurorae。約250万〜100万年前ころ生息)になったと考えられています。この館で復元展示されているミエゾウの全身骨格は、日本各地で発見されたミエゾウの各部のデータや近縁のコウガゾウやアケボノゾウなどのデータも参考にして製作したものだとのことです。(ちなみに、大陸近くの島の哺乳類については、大型の動物は小型化し、小型の動物は大型化するという法則めいたものがあって、ミエゾウからアケボノゾウへの進化は小型化の1例とされています。)
 
●地形模型
 基本展示室に入ってすぐ、直径1.5mくらいの立体の地形模型に触りました。円形の中に、紀伊半島を中心に三重県をはじめ近畿地方の大部分(兵庫県は南西部だけ、京都府は北部が少し欠けていた)の範囲がおさまり、熊野灘から遠州灘、三河湾や伊勢湾、大阪湾、淡路島の北西端などが入っています。20日ほど前に、西宮に行って大阪湾の環境についての講演を聞いたのですが、その時は頭の中で大阪湾の形を想い浮べていただけでした。この地形模型で、湾口を淡路島でふさがれているような大阪湾の形を確認し、また以前に行ったことのある加太海岸の位置なども確認できました。
 この地形模型、今までに触ったことのある立体地形模型の中でもとくに優れもののように思いました。北緯と東経が0.5度刻みで触って分かり、今触っている場所のだいたいの経緯度が分かるのです!この地形模型には、北緯33.5度から35.5度くらい、東経135度弱から137度くらいの範囲がおさめられているようです。そして例えば、潮岬は北緯33.5度くらいで、私が思っていたより南にありました。よく触ってみると、この地形模型は、25cm4方くらいの角材をきっちりと並べて作ってあるようで、その境目がちょうど0.5度置きになっています。私がとくに今回の見学で注目していた、中央構造線を示す露頭がよく分かるという月出付近の位置をこの地形模型で教えていただきました(だいたい北緯34度、東経136度くらいの位置)。5mmくらいはある段差(北側が高い)がしっかりあり、それが西にまっすぐ伸びて紀ノ川に続き、そのまま西に向って加太の少し南で海に出ています(この東西方向の直線は、東のほうがごくわずか北に上がっているようだった)。中央構造線の一部が触っても実感できました。また、熊野灘の海底には南に伸びる谷のような地形がいくつもあることも印象的でした。
 
●中央構造線
 私がみえむで一番楽しみにしていたのは、中央構造線関連の展示で、中央構造線についてより具体的に知ることができるのではと期待していました。
中央構造線は、鹿島灘北部から、関東、中部(諏訪湖付近から伊奈谷辺に沿って静岡県西部まで南に大きくずれている)、紀伊半島、四国、九州にいたるほぼ東西千キロにも及ぶ大断層(地質境界)です。中央構造線は、地下20数kmで低温(400℃くらい)高圧型の変成作用を受けた南側の三波川帯と、地下10数kmで高温(600℃くらい)低圧型の変成作用を受けた北側の領家帯の境界になっています。和歌山から大阪、淡路島・四国にかけては、北側の領家帯の上に和泉層群が厚く堆積しているので、中央構造線をはさんで和泉層群と三波川帯が接していることになります。その活動は中世代白亜紀中期(1億年前ころ)にさかのぼるとされ、北側の領家帯が南側の三波川帯の上に乗り上げるような衝上断層で、左または右の横ずれ断層も顕著なようです。
 ただ、中央構造線は一つの大きな断層ではなく、実際には各地域で異なる時代に活動した多くの断層が連なったもので、中央構造線を直接見ることができる露頭はそんなに多くはないようです。露頭としては、長野県大鹿村の北川露頭と安康露頭、および三重県松阪市飯高町月出の露頭などが有名なようで、月出の露頭(上下の落差は80mくらいあるようだ)も天然記念物に指定されています(月出の中央構造線 文化遺産オンライン )。なお、中央構造線のごく近くに四国電力の伊方原子力発電所があり、活断層もいくつも見つかっています(詳しくは、伊方原発を激しく揺り動かす活断層 「中央構造線について」参照。)
 さて、みえむでは、10cm四方くらいに切断された各種の岩石が壁面に展示されていて触れられるようになっています。藍閃石片岩、花崗閃緑岩、花崗岩、黒色片岩(縦に細い筋が多数並んでいた)、緑色片岩(縦の筋が目立った)、片麻岩、砂岩、頁岩(薄い層が分かった)、石灰岩、さらにトーナル岩やマイロナイトなどにも触れました。ただ残念なことに、これらの岩石が中央構造線とどのように関係しているのかはよくは分かりませんでしたし、それぞれの石についても触って特徴をとらえることはなかなか難しかったです。ちょっと調べてみると、トーナル岩は大陸地殻の基盤によく見られる岩石種らしく、石英とナトリウムに富む斜長石からできているそうです。また、マイロナイトは、地下深部における断層運動のために、花崗岩などから再結晶作用を伴う延性変形によって形成された、細粒で緻密な(長石などの大きな斑晶が残っていることもある)断層岩で、圧砕岩とも呼ばれるとか。まだまだよく分からないことだらけです。
 なお、岩石の重さを比べられる展示もありました。同じ大きさの砂岩、花崗岩、蛇紋岩が並べてあって、持ってみると砂岩がいちばん軽く、蛇紋岩のほうが花崗岩よりも少し重いようでした。
 
●イグアノドン科の足跡化石
 化石にも少し触れました。その中で興味深かったのは、イグアノドン科(鳥脚類)と思われる恐竜の足跡の化石です。足跡といっても、凹んだかたちではなく、雄型のぼこっとふくらんだほうです。40〜50cmくらいだったでしょうか、長いふくらみが2つ?あったように思います。そのうち1つのふくらみの側面が途中で切れていて、その先の続きの部分が20cm弱下にありました。化石の途中にこんなにも大きなずれ=断層があることに驚きました。化石に残された断層といえば、以前大阪市立自然史博物館のジオラボでモササウルス(海生の肉食の大型爬虫類)の顎の化石の歯の部分にあった小さな断層に触ったことがあります(大阪市立自然史博物館の触る展示)。
 この足跡化石は、トバリュウが見つかったのと同じ地層から1998年に発見され、1億3000〜4000万年前のものだとのことです。(トバリュウは、1996年、鳥羽市安楽島の海岸で白亜紀前期の松尾層群から発見された恐竜です。上腕骨や大腿骨、頭骨などかなりの骨化石が見つかり、その展示も充実しているようです。)
 
●ジオラマなど
 三重県は、大台ヶ原や鈴鹿山地から伊勢湾や熊野灘まで多様な自然に富み、またその中で山や盆地、平野部、磯などでの様々な生活が行われていて、それらを多くのジオラマなどで展示しているようです。私が案内してもらったのはその中のごく一部のようですが、いくつか紹介します。
 まず興味を持ったのは、大台ヶ原に生息しているツキノワグマ。ちょっと触ってみましたが、私がこれまでに十和田市などで触ったことのあるツキノワグマよりだいぶ小さいようです(大きめの中型犬くらいでしょうか?)。このツキノワグマは、本州の他の地域のツキノワグマからは孤立した個体群(近くの個体群と100km以上は離れているのではということです)に属していて、数はかなり少ないようです。
 岩山のようなジオラマがあって、近くには石灰岩?の洞窟らしきものがあり、中に入ってみると洞窟の中の生物の展示があるようです。その他にも、山岳部から平地までいろいろな植生も再現されていて、いろいろな木なども展示されているようです。そして各コーナーには、それぞれに特徴的な植物のパウチ標本があり、すべてに植物名が点字でも書かれていました。ミズナラやイチイ、ウチワカエデなどいくつか実際に触ったことのあるものもあり、またバクチノキなど特徴がよく分かるものもありました。でも全体としては平面に圧縮された標本をラミネートの上から触る状態ではそんなにはよく分かりません。ミュージアムの建物の外には里山などいろいろな植物が植えられているミュージアムフィールドがあるとのことですので、植物の観察はそちらのほうがずっと良さそうです。
 ひとつ、私もよく楽しめる展示がありました。セミの鳴き声の展示で、ぼたんを押すと、エゾゼミ、エゾハルゼミ、ヒグラシ、ミンミンゼミ、アブラゼミ、クマゼミなどの声を聞くことができます(エゾハルゼミやヒグラシは、小さいころ青森で聞いていたので懐しかった)。三重県の山岳地帯では北の方のエゾゼミなども生息しているということです。これに、模型の標本もあるとなお良い展示になりますね。
 触ることはできませんでしたが、伊勢参りの御師(おんし)の屋敷が1/30の大きさで再現されていました。回りを歩いてみると、縦5、6m、横2、3mくらいあったかなあ、1/30にしては大きいなあと思いました。伊勢講を組織してやってきた伊勢参りの人たちが御師の家で休み、豪華な食事をし、これからの旅の準備をし、また神楽殿で御神楽を奉納している場面などが再現されているようです。
 
●暮らしの展示
 山から海までの各地域の多様な暮らしの様子の展示も充実しているようです。そのようなものの中で、私は勧請縄と海女の道具にちょっとふれました。
 勧請縄は、上からぶら下がった太い縄に、なんだかよく分かりませんがいろいろな藁細工のようなのがくっ付いています。伊賀盆地の農村で、村の境につり下げられていて、外から入ってくる災厄を防ぎ、また村から福が出て行かないようにするものだとか。(この地方では勧請縄によくなべつかみをぶら下げるとのことですが、ちょっと触っただけでは私にはよく分かりませんでした。)「勧請」というのですから、もともとは神仏の霊をなんとかして分けてもらってそれで守ってもらいたいと思ったのでしょうか?
三重県は、全国でもっとも海女さんの人数が多いそうです。志摩地方の漁村和具の暮らしが紹介されていました。現地の人たちへのインタビューの録音が流され、海女の人たちが使う磯桶やメガネ、ノミ、カギノミ、寸棒などの道具が展示されています。磯桶は直径60cmくらいある深い桶です(私は深いハンギリのようなものを想像しました)。磯桶は1人で仕事をする海女さんのいわば基地のようなもので、海面に浮かせておいて、素潜りを繰り返す海女さんが採ってきたアワビなどを磯桶に入れたり、呼吸を整えるなどちょっと休んだりするようです。メガネで海底の獲物を見つけ、柄の付いたノミ(柄には魔除けの印のようなのがあるとか)でアワビなどを剥ぎ起こし、引っかけられるように先の曲がったカギノミで狭い岩の間からサザエやウニなどを掻き出したりするそうです。また、十分に成長したアワビだけを採るように、その場で簡単にサイズを判断できる寸棒というものを紐で腰に付けています(寸棒には触りました)。15cmほどの長さの板で、その片辺の中央部が10.6cm内側に切れ込まれています。この寸棒を、採ろうとするアワビに合わせて、この10.6cmの切れ込みに入らないものだけを採って良いことになっているそうです。大きさだけでなく、漁期を制限したりして、資源保護につとめているということです。きつい仕事なのになぜ女性がするのかについては、女性のほうが皮下脂肪のために体温低下が少ないからではないか、ということでした。なお、気の合った男女(多くは夫婦)が船に乗り、男が船頭(トマエ)となり海女を補助することも多いそうです。
 その他、場所はよく分かりませんが、伊賀街道の別れ道にあったという道標(高さ2mくらいで30cm四方くらいの石柱。正面と左右の面に深く文字が刻まれていて、奈良と伊勢参宮の方向が書いているらしい)、これも場所はよく分かりませんが、風待ち港をのぞむ日和山という小高い丘にあったという方位石(直径30cm余で20cmくらいの矢印があり、回りには十二支が刻まれているとか。浜の人たちにとっては海女漁などのために風見をすることはとても大切だった)にも触りました。
 
 次に、午後2時からの「きて・みて・さわって カモシカ☆パラダイス」のギャラリートークについてです。
 ギャラリートークはパンダの話から始まりました。日本へ初めてやってきたジャイアントパンダのカンカン(雄)とランラン(雌)の剥製が展示されているとのことです。パンダはカモシカとはまったく別の動物(パンダはクマ科)ですが、1972年の日中国交回復を記念して日本に送られたカンカンとランランの返礼としてニホンカモシカが送られたという経緯があり、展示しているとのことです。(田中角栄や周恩来、そしてあのパンダブーム、40年以上前の明るい時代を懐しく思い出しました。)
 まず、カモシカは鹿の仲間(シカ科)ではなく牛の仲間(ウシ科)です。シカ科にもウシ科にも角がありますが、シカ科の角は枝角と呼ばれ、頭骨とは別のもので毎年生え変わるのにたいして、ウシ科の角は洞角と呼ばれ、頭骨が伸びたもので一生生え変わることはありません。(またシカ科の角は雄だけですが、ウシ科では多くの場合雄雌ともに角があります。)カモシカは、ウシと同じように、蹄の付いた2本の指先で立ち、また、胃が4つに別れていて、いったん胃に送った草などの食べ物を口に戻して食べ直す反芻をします。(これらの特徴は、同じく偶蹄目に属するシカ科にも共通だと思います。)カモシカの特徴を示したワークシートがあり、点字でも書かれているワークシートを頂きました。
 次に鈴鹿山地の御在所山を中心に生息するニホンカモシカの生態について説明がありました。大部分(7割くらい)は単独で行動し、しばしば雌とその子、あるいは雄と雌が一緒にいることがあるそうです。起きている時間の大部分は反芻して過ごし、敵の近づかない高い場所でゆっくりしているとか。眼下腺が発達していて、木の枝などにマーキングしてかなり広い縄張りをつくって暮らしているそうです。目の下にあるこの眼下腺が大きくて、しばしば両目と合わせて「四つ目」に見えることがあるとか。以前は山地にはどこにでもいたらしいですが、数が減ってきたということで1934年に国の天年記念物に指定、それでも肉や毛皮目当ての密猟が続いて数が減少したため1955年には特別天然記念物に指定されて保護されます。その後一部の県ではカモシカによる植害が多くなり捕獲が行われているようですが、三重県ではよく保護されているようです。
 触れられる物として、毛皮と骨がありました。毛皮は夏毛で、10cm近くくらいある長いちょっとざらついた感じの毛の奥に、2cmくらい?のふわふわの細い毛が密集していました。(残念ながら冬毛は置いてありませんでした。)骨は、ギャラリートークの時間中は参加者が多く丁寧に触ることはできませんでしたが、トーク終了後に丁寧に触り、ちょっと組合せてみたりしてみました。上と左右に薄い板のようなのが付いた脊椎骨が何十個も連なったものがテーブルに置かれていて、すごいなあと思いました。頸椎や胸椎の数は人間と変わらないようですが、腰椎から下(とくに尾椎)はかなり多くなっているような気がしました。胸椎につながるカーブした肋骨、そして肋骨の前のほうにある肋軟骨にも触りました(胸骨はなかった)。肋軟骨は長さ10cm近くで、全面がざらざらした手触りでなんか軽そうに思えました(軟骨はあまり残りにくいとか。隣りにこういう骨の標本をつくっているボランティアの方がいて、つくり方などを少し教えてもらいました)前脚の数個の骨を組み合せてみようとしましたが、なかなか難しかったです。ニホンカモシカの剥製にもちょっと触れさせてもらって、2本の大きく広い蹄(主蹄というそうです)と、その後ろ上方にある2本の小さな蹄(副蹄)にも触りました。この硬い蹄で岩場を機敏に行動しているのですね。
 
 その後、世界のいろいろなカモシカについて紹介がありました。御在所山上にあって10年ほど前に閉演した日本カモシカセンターが所蔵していた標本やそこで飼育されていたカモシカたちの剥製が中心のようです。これらの貴重な剥製にはもちろん触れられませんでしたが、ミュージアムショップでカモシカの小さな模型が売られていて、以下の7種のうち、シャモアとチルーの模型に触り、その角などの特徴をよく知ることができました。(以下の記述は、かもしかライフカレッジ カモシカを語るや、日本大百科全書なども辞書類も参考にしました。)
 タイワンカモシカは、台湾以外ではこの日本カモシカセンターだけで飼育されていたそうです。カモシカの中では一番小型のカモシカだということです。
 ゴーラルは、インド北部から中国やネパールにかけてのヒマラヤの山岳地帯、さらに中国から朝鮮にまで分布していて、チョウセンカモシカと呼ばれているものはこの仲間のようです。他のカモシカに比べて尾が長く、眼下腺はほとんどないらしいです。
 シャモアは、ヨーロッパのアルプス山脈をはじめ、トルコやカフカス山地に生息し、カモシカの中でも岩場をとくに機敏に行動する種だとのことです。角が後方に鉤型にぎゅっと曲がっています。日本カモシカセンターで飼われていたシャモアの所に別のカモシカが入ってきた時、この鉤型の角で追い払ったとか。数十頭の群になって生活するそうです。眼下腺はないが、角の後ろに腺があって繁殖期に膨れるそうです。
 シロイワヤギは、ロッキー山脈からカナダにかけての森林限界よりも上の岩場に生息し、ヤギに似て顎ひげを持ち、角も大きいようです。シロカモシカあるいはロッキーヤギとも呼ばれるそうです。その姿が美しいのでしょう、学名のOreamnos americanus の Oreamnos は「われらの山の妖精」という意味だとか。
 ジャコウウシは、カモシカの中で一番大きくて、体長は2m以上、体高は1.5m近く(雌は雄より小さい)もあり、角もかなり大きいようです。アラスカやカナダ北部、グリーンランドや北極圏の島々のツンドラ地帯に、数十頭の群で生息しているそうです。オオカミなどが近付いてくると、頭を低くして先頭から真っすぐに1列になったり、子を中に入れて、頭を外に向けて円陣を組んだりするそうです(草食動物でも壮観な感じがします)。雄は交尾期になると顔に麝香臭を発する臭腺が発達し、この名があるようです。毛が長く、足元くらいまでマントのように垂れているそうです。(ジャコウウシとよく似たものに、ターキンというのがある。)
 チルーは、チベットを中心にカシミールや中国中・北部の高山地帯に数頭の小さな群で生息しています。角は雄にだけあり、真っすぐ上に長く伸びています。そのふわふわの毛皮が世界最高級の毛織物として珍重され、日本でも以前高値で売られていたとか。密猟で数が激減したそうです。
 サイガは、中央アジアの寒冷な草原(ステップ)に群で生息する小型のカモシカです。チューブのような大きな鼻が特徴で、オオハナカモシカなどとも呼ばれるそうです。大きな鼻孔を通る間に、冷たい乾燥した空気に湿り気と暖かさを与えるとか。
 
 4時間余の滞在中学芸員の方がずうっと付き添って案内・解説していただきました。考えてみると、このような対応はほとんど始めてだったように思います。貴重な時間のなか、感謝です。また館長の大野先生ともお会いすることができました。それでもまだまだ常設展示の中にも説明してほしい所がありますし、野外のミュージアムフィールドも見学したいです。年に数回企画展が催されていますので、面白そうな企画展に合わせてぜひもう1度行ってみようと思っています。
(2017年6月26日)