アイヌ工芸品展&東南アジアの常設展示――藤戸竹喜の作品と人に魅せられる――

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 1月11日、国立民族学博物館で開催中の開館40周年記念企画展 アイヌ工芸品展「現れよ。森羅の生命― 木彫家 藤戸竹喜の世界」の関連イベントとして午後2時から行われたアーティスト・トークに参加しました。また、その後には常設の東南アジアの展示もMMPの案内で見学しました。以下、アーティスト・トークを中心に紹介します。  この企画展の会期は1月11日から3月13日までで、この日が初日、企画展示場で行われた藤戸竹喜さんによるアーティスト・トークはかなり込み合っていました。会場に1時40分くらいにつき、トークが始まるまで、触ることのできる木彫 5点に触れました。どれも熊が遊んでいるような姿で、とてもかわいくたのしそうな作品です。大きさは十数センチから、二十数センチ、触るのに手ごろな大きさです。足と腰あたりに円い輪(タイヤ)をはめて上のタイヤを手で持っているもの。胸あたりにタイヤをはめ、両手を斜め前上にバランスを取るように上げているもの(上はゆるやかな曲面の台になっていて、全体がゆらゆら揺れるようになっている)。両足先を両手で持ち、背中をついて仰向けになっているもの(背面はゆるやかな曲面になっていて、これも揺れる)。寝ころんだ母熊のお腹の上に子熊が足をかけて乗り、親子が顔を合わせて、母熊が子熊の顔を舌を出してなめているもの。兄弟?の熊が向かい合って、中央で足を合わせ、互いに両手でタイヤを引っ張りあっているもの。どれも面白くユーモラスな作品でした。とくに、大部分がゆらゆら揺れる状態になっているのも好ましく感じました。
 アーティスト・トークは、この企画展をプロデュースしている齋藤玲子先生の案内で順に各コーナーを回りながら藤戸竹喜さんに説明してもらうという形式で行われました。藤戸さんは1934年生まれで、現在83歳、今も制作を続け、こうして展覧会を開くなど元気に活動しておられます[2018年10月16日に、84歳で亡くなられました]。12歳のころから熊彫りだった父に付いて熊彫りを習い始め、30歳ころには独立して民芸店「熊の家」を構えたそうです。(アイヌの人たちがいつごろから木で立体的に熊を彫るようになったのかはよく知りませんが、生業としての熊彫りは大正末から昭和初めころになってからと思われますので、藤戸さんの父は第1世代の熊彫りだったのではないでしょうか。)藤戸さんは、幼くして母を亡くして、明治12年生まれの父方の祖母に育てられたとのことですが、祖母の時代がアイヌにとって一番きびしい時代だった、山に入ることが許されず山からなにも取ることはできなかった、という藤戸さんの言葉がとくに心に残りました。熊彫りの技術は教を見て学び、アイヌ民族としての精神は優しかった祖母に学んだということです。(祖母の藤戸竹は、英国聖公会の宣教師でアイヌ文化にも理解のあったジョン・バチェラーより16歳の時に洗礼を受けている。)6歳上のお姉さんにもとてもかわいがってもらって、敬愛の念を持っているようでした。(藤戸さんの歩んでこられた道や思いについては、次のインタビュー藤戸竹喜さん(木彫家) 木彫りの熊でアイヌ文化を伝承でよく知ることができます。)
  藤戸さんは熊彫りの名人というだけではありません。オオカミやフクロウ、シカなど、また鮭やラッコやイルカ・クジラ、サメ、カニなど海の動物たちも、宙に躍り上がったり舞ったり、海に潜ったり泳いだり、まるで生きているかと思うほど極めてリアルに作っているようです。さらには、等身大のアイヌの人物像をはじめ、希望に応じて、レーニンや東海大学総長松前重義像などの像も彫ってきました。アイヌのフチ(媼)の像(杉村フサ像。杉村フサ(1929年生まれ)さんは、ユーカラ伝承者で花ござや編み袋などの名手としても知られる母杉村キナラブック(1888〜1973年)からアアイヌ語や多くのアイヌの風習を学び、旭川を中心にアイヌ文化保全に活躍している方)はとても見ごたえがあるようです。また、旭川で自然保護活動をしている前田一歩園の3代目園主・前田光子さんの依頼で制作したという「樹霊観音像」には目をみはっているようでした。これらの作品が企画展示場に百点近く所狭しと並んでいます。これらの作品を直接見ることができない、触ることができないというのは、やはりとても残念です。
 この企画展で一番印象に残っているのは、「狼と少年の物語」という、17のお話と作品の連作です。狼を彫ろうと思ったきっかけについて、藤戸さんは次のように話していました。17歳の時に、父に連れられて北海道大学の植物園に行って、父が大学の先生と話しているとき(有名なアイヌの知里真志保も一緒におられたとか)に、崩れかけたエゾオオカミの剥製が目にとまり、この狼を彫ってみたいと思ったそうです。父に狼を彫ってみたいと話したら、おまえ熊もまだ一人前に彫れないくせに、何を言ってるか、とひどく怒られたそうです。(藤戸さんが北大の植物園で見た剥製の狼は、調べてみると、明治14年に現在の札幌市白石区の地で火縄銃で撃ち取られたものだとのことです。藤戸さんを育ててくれたお祖母さんの幼少期はエゾオオカミが絶滅に向っていた時機で、藤戸さんはきっとお祖母さんからも狼の話をよく聞いていたのではないでしょうか。)
 エゾオオカミは、明治になって北海道の大地に和人が入り原野を切り開いて農業・畜産業をを始めるようになって住み家が狭められ、また主餌だったエゾシカが毛皮や食肉用に乱獲されたり大雪のために急減して、馬や鶏など家畜を次々と襲うようになります。これにたいして、1876年から2円から10円もの褒賞金を付け、また「北海道酪農の父」とも言われるエドウィン・ダンの発案でストリキニーネを混ぜた毒餌まで使って大掛かりな駆除が行われ、10年余の間に2000頭以上の狼が殺されたようです。結局、エゾオオカミは1900年ころまでには北海道では完全に絶滅しました。藤戸さんは、この崩れかけた狼の剥製を見て、アイヌにとっては神であるエゾオオカミ(「ホロケウカムイ」「オンルプシカムイ」: 狩りをする神)が人間の手で滅ぼされた、その狼をなんとかして作ってみたい、復活させたいという思いをずうっと持ち続け、30年以上前から彫り始め、今は色合いが灰色で狼に似ている埋もれ木を使って制作しているそうです。
 「狼と少年」のお話をちょっと書き記してみます(各場面には相応しい木彫作品がある。各場面とその作品について、MMPの方から詳しい文章を頂きましたので、それを編集して別ページに掲載します)。
 アイヌの夫婦が川で鮭の漁をしています(アイヌの人たちは、漁った鮭の一部は、神である熊や狼のために川に返すとか)。ところが、漁に夢中になっている間に子どもが見えなくなります。子どもは川に落ちて流されて行き、幸いにも岩にひっかかります。それを狼の夫婦が見つけて助け、山の巣穴に連れ帰ります。アイヌの夫婦は、子どもを探して川を下ってゆきますが、行く先には大きな滝があります。でも子どもをなんとかみつけようとその滝に向い、舟もろとも滝に落ちて夫婦は亡くなります(舟が滝に真っ逆さまに落ちそうになって、女性の手を男性がつかみ、女性はなんとかしがみつこうとしている作品)。狼の夫婦は、自分たちの子どもと同じようにアイヌの子どもに乳をあたえ食べ物をあたえて育ててゆきます。アイヌの子どもは姉狼とよく遊びます。ある日、父狼がニワトリ小屋を襲って鉄砲で撃たれます。父狼はアイヌの子どもに、おまえは人間の子だから人の世界に戻れと言いますが、少年は自分の父は父狼だと言ってことわります。父狼は少年の腕の中で亡くなり、川に葬ります。狼たちは撃たれたり毒餌を盛られたりして、絶滅に向かいます。少年が姉狼と山で狩りをしているときに、自分のお祖父さんであるエカシ(翁)に会います。エカシはコタンに戻るように言いますが、少年は自分の父も母も狼、人の世界には戻らないと言います。少年は成長して17歳になります(藤戸さんが狼の剥製に会った時と同年ですね)。母狼も年老いて亡くなってしまいます。少年は母親も川に葬ります。少年は、最後の狼となった姉狼と一緒にカムイミンタラに向かいます(「カムイミンタラ」:直訳では「神の庭」。神の化身である熊や狼が自由に活動したわむれたりできる場所を言っているのでしょう。そういう場所は、人間にとっては危険な場所で、侵入してはいけない場所だ)。その日以来、狼になった少年の姿も狼の姿も、見た者はいない(エカシと狼が並んで立っている作品)。
 また、「四季」という、熊の年間を通じた生活の様子を作品にしたシリーズも展示されていました。これには、藤戸さん自身による情景の説明文がありましたので、以下に記します。
  春:雪が消えて出てきた やわらかい木の芽や フキノトウなどを食べる。夏:川におりてサワガニなどを食べる。また木の上えハチの巣を見つけ、落とし、好んでなめ、無邪気に遊ぶ。秋:おもに木の実を食べる。こくわ[=さるなし]、山ぶどう、どんぐりなどの木の実や草の根を食べる。秋の終わり:川にのぼってきたサケをとる。また、山では鹿などを捕らえる。秋の終わりには 冬ごもりにそなえてたくさん食べ、身体に脂肪をたくわえる。冬:穴の中、木のうろなどに 入りこんでうつらうつらと寝てくらす。この冬眠中は、ほとんど食べ物をとらない。又メスの熊は、冬ごもりの間に子どもを産む。
 
 藤戸さんは、材料と作りたいものとをよく勘案して制作しているようです。木の性質、色合い、木目や年輪のあらわれ方などをよく吟味して、この材料からはこういう作品が彫り出せるだろうと頭の中でイメージして彫っているようです。また、あらかじめ設計図やデッサンをすることもなく、頭の中のイメージ図で1本の木から作品を直接彫り出しているようです。材料の木の種類としては、クルミ、オンコ(イチイ)、ニレ、エンジュ、クスノキなど様々で、埋もれ木を使うこともあります。長年の経験と職人技、そしてなんといっても素晴らしいイメージ力によって、独自の作品を生み出し続けています。
 
次に東南アジアの展示についてです。
 展示は、人々の日常の生活に合わせて、朝(生業)、昼(村の日常)、夕(都市の風景)、夜(芸能と娯楽)に別れているようです。
 最初に説明してもらったのは、最近のタイの近郊農村での朝の通勤時の様子を表した「女工と托鉢僧」です。若い女性がオートバイに乗って職場に向っていると、托鉢僧がやってきます。女性はそのまま通り過ぎることはせず、オートバイから降りて托鉢僧に敬意をはらって道を譲っているそうです(喜捨はしていない)。若い女性たちの間にも信仰心が根付いていることを示す展示のようです。これに関連して、MMPの方の解説では、修行中の托鉢僧に女性が触れるとそれまでの修業が無に帰するので、女性は托鉢僧に触れてはいけないことになっているそうです。でも私は、僧など高徳の人の衣や身体に触れるとご利益というか恩沢に少しでもあずかれるというような考えもあるし、また実際にまったく触れずにお金や物をどうやって喜捨するのだろうと疑問に思い質問してみました。そうしたらMMPの方が問い合わせてくれて、懇切なお答えをいただきました。托鉢僧は鉢のふたを少し開けてやや傾け、人々が鉢の中に入れやすいようにし、またお金や物をいったん布の上においてもらって、それを受け取ることもあり、男女とも僧に触れないでお布施できるように細心の注意がはらわれているようです。男女とも喜捨しますが、女性のほうが圧倒的に多く、それは「女性は自ら出家して僧になり、修行することが許されていないので、自らの息子を出家させることとともに、僧に寄進をすることが、もっとも大切な徳を積む方法になっているから」だとのことです。
次に「穀倉」。これはたぶん以前にも触ったことがあって、インドネシアのスラウェシ島の山岳部に住むトラジャの人たちのものだったように思います。高床の倉庫で、上のほうにはまったく届きません。木の面にはいろいろな文様や像?が彫られていますが、触ってはよく分かりませんでした(水牛、ニワトリ、太陽が素に彫られているとのこと)。穀倉には稲だけでなく、稲の精霊の像も安置されているそうです。
 その他にも、ベールを着けた女性、竹や植物繊維で編んだ籠や帽子、木のいろいろな像、多様な仮面などをたくさん触りました。いろいろあってはっきり印象に残っているものは少ないですが、マレーシアのオラン・アスリ(先住の18の少数民族の総称。「オラン」は人、「アスリ」は「元来の」の意)の像などがよかったです。NGOの支援で売り物として作っている像は、何を表しているのかはよく分かりませんが、形も手触りも心地良いものでした。また、伝統的な精霊の像と思われるものもたくさん展示されていて、その中の、右手に反円のようにぐにゃあーと曲がった蛇?のようなものを持っている像が印象に残っています。(マレーシア政府はイスラム化の政策を勧めており、オラン・アスリの人たちの伝統的なこのような精霊像などがどうなるのか、気になるところです。)
 以下、東南アジアの展示で、触ってはっきり記憶しているものを数点紹介します。
 ジープニー:フィリピンの人たちが、米軍の払い下げになったジープを改良して乗合自動車として使っているもの。とにかく飾りがたくさん付けられていて、ライトもたくさんあったし、馬の木彫まで付いていた(色も極彩色だとか)。全体としては箱型で、中に入って席にも座ってみました。10人近く乗れそうですが、実際にはぎゅうぎゅう詰めに十数人は乗って、小型バスの役割を果たしていたようだ。
 くり舟:長さ2メートルほど、幅50センチくらい、高さ30センチ弱くらいの、浅めのずんぐりした感じの木製の舟。内側の面にはちょうな?で削り出した跡が触ってよく分かる。これは山地の人たちが運搬用に使っていたもので、舟の前のほうには穴があり、ここに綱をかけて引っ張ったようだ。後ろのほうには割れ目があったが、陸で使うので問題はないでしょう。マレーシアのカリマンタン(ボルネオ)島で使われたものらしい。
銅鼓:直径50センチくらい、高さ30センチくらいの円筒形で、下は開いているようだ。上面や側面にはいろいろな文様が施されていた。ラオスのものだとか。類似のものは以前にも触ったことがあって、確かそれは中国南部のものだったように思う。
 ゴング:インドネシアのガムランなどに用いられる楽器。お椀型で、直径30センチ余、厚さ20センチくらいで、横向きに置かれ、実際に太い棒のようなものでたたいてみることができた。たたき方を工夫して、いろいろ試してみた。低音が長く響き余韻が心地良かった。(これは、太鼓、チャルメラ、ギターとともに、音楽展示の所にあったもののようです。)

 今回の民博の見学では、なんと言っても藤戸竹喜さんの作品、そしてその人に魅かれ感銘を受けました。
 
(2018年1月21日)