愛知県美術館の久しぶりの鑑賞会

上に戻る


 
 6月1日土曜日、愛知県美術館で開催された「視覚に障がいのある方を対象とした鑑賞会」に参加しました。参加者は、視覚障害の方12名で、それにアートな美のガイドの方12名。
 愛知県美術館は改修工事のため2017年11月から休館でしたが、この4月にリニューアルオープン。愛知県美の視覚障害者向けのプログラムも久しぶりの開催でした。初めに学芸員よりリニューアルオープンについて、また「愛知県美術館リニューアル・オープン記念 全館コレクション企画 アイチアートクロニクル1919-2019」について簡単な説明がありました(愛知県の洋画は、大沢鉦一郎を中心とする洋画グループ「愛美社」が1919年に行ったグループ展に始まるとか)。
 その後、4グループに別れて、アートな美の方と鑑賞です。各作品の所には学芸員の方がおられて、適宜説明してくれます。
 今回は、立体作品3点を触れて鑑賞し、絵画作品については、1点は立体コピー図、もう1点は半立体のとてもすばらしい触る絵が用意されていました。(帰りに、鑑賞した作品中3点について、その作家と作品を解説した点字の資料も頂きましたので、以下それも参考にして書きます。)
 まず最初に触ったのが、栗木義夫の「グローブのスタンド」。いまだになんだかよく分からない立体作品です。鉄板で作られた長机のようなものの上に1個、床の上に2個、同じ物が置かれています。それは、下のほうは釜を逆さにしたような形で、その上に細い棒が立っているものです。下の釜を逆さにしたようなのは、直径が30cm弱、高さが40cm弱で、いちばん下は少し外に広がって、幅4cmほどの鉄板を30枚くらいは並べて円形にし、その上は陶のようなざらついた手触りになっています(表面は陶ですが、そっと軽く指でたたいてみると金属のような音がするので、内側は鉄かもしれない)。釜の上の細い棒は、径3cm余くらい、長さ60cmくらいでしょうか、表面がざらついた鉄の棒です。さらに長机の後ろの壁には小さな四角い絵があり、5本?指のようにも見えるものが描かれているとか。栗木義夫は 1950年愛知県瀬戸市生まれ、鉄と陶を組み合せた作品を発表していて、ドイツやフランスでも作品展をしているようです。
 次は、野水信の「コの記号 65-3」。厚さ5mmほどのコの字型の鉄板を何枚も組み上げた作品です。1枚のコの字型の鉄板は、高さ60cm余、幅40cmほどで、外側の角は円くなり、内側の角は、長方形を切り取ったように、直角になっています。そして、このコの字型の外側の上下の辺と内側の上下の辺に幅5mm、深さ3cm弱の溝があって、この溝を直角にはめ合うことで何枚もの鉄板を上へ上へと組み上げて行きます。展示されている作品は3.5m以上あるとのことです。基本となるコの字型の鉄板には、この大きさのもののほかにも、高さ20cm余や30cm余のものもあり、その中の2枚を組み合せてもみました。設置する場所により、基本となるコの字型の大きさを変え、また素材も鉄ばかりでなく、木や石やステンレスなどにすることもあるそうです。とても構成的な作品で、どこまでも成長するようなイメージを持ちました。野水信(1914〜1984年)は、金沢市で建築家の家に生まれ、石川県立工業高校を卒業後、名古屋でエンジニアとして働きながら彫刻を独学したそうです。愛知県をはじめ全国各地に彼の作品が設置されているようです。
 次は、マンズーの「踊りのステップ」(1953年)。これは、ブロンズの少女のほぼ等身大の像です。小さな円い台座に右足に体重をかけて立ち、左足は右足と直角に横に向けて足先が台座からちょっとはみ出ています。胸を反らして突き出すようにし、頸部も反らして顎をしっかり引いています。後ろを触ってみると、背中が弓なりになり、両肩甲骨が内側に引かれています。両腕は下げて、右手は軽く握って腿に沿わせ、左手も軽く握って手のひら側を後ろに向け手の甲をお尻につけています。お尻はしっかり上がり、下は水平に真っすぐな、直角の窪みになっています。体には服はなにも着けていませんが、バレエシューズのような浅い靴を履き、ふくらはぎの下でリボンでとめています。また、髪も後ろに1本に長く束ねてリボンでとめています。足は踏み出そうとしているようですが、今にも踊り出すような姿勢には思えません。10代の、まだ十分成長しきっていない女性を表わしているように思いました。ジャーコモ・マンズー(giacomo Manzu: 1908〜1991年)は、ベルガモ(北イタリアの市)の貧しい靴修理工の12番目の子に生まれて 11歳で徒弟奉公に出されますが、20歳ころから彫刻家を目指していろいろな技法を独学で修得し、後にはマリーニやマルティーニと並んで、20世紀イタリアの具象彫刻の3大巨匠と呼ばれるほどになったそうです。
 
 絵画では、まずバルテュスの「白馬の上の女性曲馬師」(1941年、1945年加筆)。これは次のクリムトの「人生は戦いなり(黄金の騎士)」と並べて展示してありました。とくに立体コピー図などは用意されておらず、アートな美の方から説明してもらいました。縦80cm、横90cmほどのほぼ四角の画面。白馬が右向きに描かれ、少女が斜め前を向いて鞍もつけず横座りでちょこんと乗っているようです。少女は鞭は持っていますが、ぺらぺらの薄い服を着けているだけ、こんなかっこうで馬お操れるのかと思いました。背景は舞台裏のようで、これからサーカスの舞台にでるのを待っているのかもということです。バルテュス(Balthus, 本名 Balthasar Michel Klossowski de Rola: 1908〜2001年)はフランスの具象画家で、風景やとくに女性・少女をよく描いたそうです。
 その隣りに展示されていたクリムトの「人生は戦いなり(黄金の騎士)」(1903年)は、以前愛知県美術館で立体コピー図も使って鑑賞したことがあります(愛知県美術館の鑑賞会)。今回は半立体の触れられる絵画が用意されていて、これはとてもよかったです。
 半立体の絵は、60cm四方くらいの大きさ(実物の絵は1m四方くらい)で、中央の大きな馬は毛がふさふさした布、それに乗っている騎士の甲冑は金属、鞍は皮というように、それぞれに適した素材が使われています。騎士が左手に持つ手綱、右手に持つ長い槍(この槍は頭くらいの高さから馬の向こう側を通って馬の腹の下まで縦に伸びている)、左足の鐙?や拍車、腰に着けている短い剣などとても細かく表現されています。背景はけっこうざらついていて、油絵に触った時の感触にちょっと似ており、細かい割れのようなのもたくさんあります。一番下はちょっとつるうっとした感じで草むらなのでしょうか?、その上には小さな花々がたくさん散らばり、さらにその上にはやや大きな花々が点在していて、とても華やかな感じ。これらは以前に触った立体コピー図ではほとんど分からなかったものです。また、画面左下には、蛇の頭も見えていて、華やかさのなかにもなにか不吉なものも感じさせます。
 クリムト(Gustav Klimt: 1862〜1918年)は、ウィーン近郊に生まれ、当初は壁画や天井画を制作して高く評価されていたが、1897年に新しい造形芸術を目指して若手芸術家とともにウィーン分離派(正式名称は「オーストリア造形芸術家協会」)を結成、次々に分離派の展覧会を開催し、また専用の展示施設セセッション館も持ちます。この作品は1903年にクリムト回顧展として行われた第18回分離派展の出品作品だそうです。分離派の会長として多くの批判を受けながら意欲的に新しい芸術を模索していた当時の状況が、この絵には反映されているようです。(クリムトは、1905年にウィーン分離派を脱退。)
 次は、荻須高徳の「線路に沿った家」(1955年)。これは立体コピー図版が用意されていました。縦1.5m、横1mほどの縦長の絵。線路と道路にはさまれた狭い細長い土地に建られた5、6階はある背高のアパートが描かれています(遠近法的に描かれていて、奥のほうの建物は低くなっている)。手前の高い屋根は三角で、各屋根の上には細い煙突が立っています(煙突が並んで見えるのは、パリの集合住宅の典型的な情景のようです)。画面の下のほうには道路に沿って柵があり、通りの名を記したプレートが取り付けられています。道にはとても小さく描かれた人影も見えます。空は曇り空、荻須の風景画ではこのような曇り空が多いようです。荻須高徳(1901〜1986年)は現在の稲沢市で生まれ、1927年に東京美術学校を卒業後すぐに渡仏、サロン・ドートンヌに入選するなど活躍。1940年に帰国しますが、敗戦後間もない48年に再びパリへ。その後パリに在住、同地で亡くなっています。1956年レジオン・ド・ヌール勲章。稲沢市に荻須記念美術館がある。
 
 その他、鑑賞会の終わりの時間まで、ガイドの方に、尾沢辰夫の「鴨」と藤田嗣治の「青衣の少女」を説明してもらいました。「鴨」(1938年)は、縦1.5m余ある縦長の作品で、古代エジプトの供え物をする女性が描かれているとか。画面中央に両手に鴨を2羽を抱えている女性がいて、画面の縁は、梁と柱と床で枠取りされているようになっているそうです。女性の肌は褐色で、身に着けている衣には矩形など細かい模様があります。鴨は生きているようで、これからいけにえに捧げられるのでしょうか?尾沢辰夫(1904〜1941年)は、1930年代に名古屋で活動していた洋画家で、シュルレアリスムの影響を受けていたらしいです。若くして亡くなり、戦災などのために作品はほとんど残っていないそうです。
 藤田嗣治の「青衣の少女」(1925年)は、55cm×38cmの大きさ。白の背景に、肌が白で薄い青のドレス(袖なしのワンピース)を着た若い女性が描かれています。髪は黒で、こちらを見つめる大きな黒い瞳が目立っているようです。白の毛皮のショール(毛の1本1本が描かれているよう。先は狐?の手みたいとか)を着け、手には小さな薄い赤(ピンク)のバッグを持っています。白と黒以外、使われている色は青と赤だけ、それも淡い色合いで、清楚な女性の感じがでているようです。私は、白の背景に白の肌、どのように区別できているのだろうかと思って尋ねてみました。見た目では白の色合いはそんなに違ってはいないが、黒で細い輪郭線がありまた陰?のようなものでも背景と身体はちゃんと見分けられているとのことです。藤田嗣治(1886〜1968年)は、東京生まれ、東京美術学校卒業後、1927年渡仏、以後パリを中心に制作、独特の乳白色を用いた女性像などが高い評価を得てエコール・ド・パリなどの会員になり、また各種の展覧会の審査員にもなる。1925年レジオン・ド・ヌール勲賞、1955年フランス国籍を得、59年にはカトリックに改宗(洗礼名はレオナール・フジタ)。それにしても、今回の荻須高徳や藤田嗣治をはじめ、日本の画家たちはパリが大好きだったのですね。
 
(2019年6月9日)