滋賀県立美術館を楽しむ

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 10月31日、滋賀県立美術館に行って、いくつかの企画展を運よくスタッフの案内・解説つきで楽しませていただきました。
 まず、展示室1で開催されていた「千年の秘仏と近江の情景」。ここでは、湖南市の正福寺の秘仏とされる本尊大日如来坐像が展示されています。秘仏がどうして公開されるのかと思いますが、現在正福寺では本堂が建て替え中で、一時的にこの像を預かっている県立琵琶湖文化館との連携事業としてこの企画展が行われているとのこと(寺外で公開されるのは初めてだとのこと)。坐像は1mほどの高さで、背中側からなどどの方向からでも見られるようになっています。顔はふっくらした感じ、背中側から見ると背はすっと伸びていますが肉付きはやわらかな感じとのこと。結跏趺坐の姿勢で、法界定印(広げた両膝の間で、左手の上に右手を交差するように重ね、両親指先を合わせてその他の両手指を組み合わすようにしている)のよう。漆箔だが、一部しか残っておらず、大部分は木(カヤ?)そのままの色のようです(木像の中には自然にできたウロがあるとのこと)。また、正福寺の十一面観音3体も展示されていました。いずれもほぼ等身大で、左と右の像は左手に水瓶を持ち、中央の像は左手の親指と中指で輪をつくるような印を結んでいるようです。
 さらに、正福寺の大日如来坐像と同じ工房でつくられたと思われる善水寺(同じく湖南市)の不動明王坐像が展示されていました。像の高さは80cmほど?、髪をまとめて左側に垂らし、憤怒の形相で下唇をかみ、右手に剣、左手に羂索を持っているとのこと。この坐像の脚部の衣の襞の様子や腕輪の形などが正福寺の大日如来坐像とよく似ていて、同じ工房の仏師集団によってつくられたらしいとのことです(10世紀末に先に善水寺の不動明王がつくられ、その後11世紀初めに大日如来がつくられた)。
 これら仏像とともに、近江の風景や祭りなどを描いた室町時代から江戸時代にかけての絵画なども展示されていました。その中で私が注目したのは、朝鮮通信使の様子が描き込まれている絵です。円山応震(1790〜1838年。丸山応挙の孫で、円山派3代目)の「琵琶湖図」(1824年)です。横長の画面(1.5mくらい?)に琵琶湖岸の風景や街の様子が描かれていて、画面右下に街中を通る朝鮮通信使の大行列の様子が細かく描かれているとのこと。各人物は1cmくらいとごく小さいですが、異国風の衣を着け、馬に乗って傘?や槍などを持つ人、旗(清道旗)を持つ人など、詳細に描かれています(調べてみると、この絵は2017年にユネスコの世界記憶遺産に「朝鮮通信使に関する記録」の1つとして登録されたとのこと)。
 
 「小倉遊亀コーナー」もありました。小倉遊亀(1895〜2000年)は大津市出身の日本画家で、105歳で亡くなるまで画業を続けたことで知られており、滋賀県立美術館の開館時に22作品を寄贈して、彼女の作品が同館の重要なコレクションになっているとのこと。静物画15点と下絵1点が展示されているということでしたが、次の企画展へ向かいました。それは、企画展「“みかた”の多い美術館展」の関連企画「さわる SMoA コレクション」展です。
 「さわる SMoA コレクション」展は、滋賀県立美術館が収蔵する絵画作品をその触図版とともに展示するものです。触図は、見えない人たちにも、視覚で鑑賞する作品を触角で感じ理解してもらおうとするツールです。ただ、触図(立体コピー図版)を触って分かるのは、輪郭線など形が主で、色の違いや、光の加減による見え方の違い、筆使いなどは触図では直接理解するのは難しいです。いずれにしても、触図を触ることで原作に少しはお近づきになれるような気がして、次々触りました。なお、各触図版には、作家や作品について詳しく点字でも解説が用意されていてよかったです。
 アレクサンダー・コールダー(1898〜1976年)の「水平」。やや横長の画面に、いろんな大きさの円や三角などが多数点在するような抽象作品。使われている4色(赤、青、緑、黄だったか?)を触図では4種の異なった手触りで示しているが、色の凡例は併記されているものの、凡例と照らし合わせながら図をみるのはけっこうたいへんだった。(コールダーは、モーターや風で動く彫刻・モビールの考案者として有名なようだ。)
 小幡正雄(1943〜2010年)の「無題」(6点)。いずれも横長の画面。なんだか漫画を触っているような感じがした(漫画も本当はどんなものなのか知らないが)。とくに、両手を大きく上にあげた2人(結婚式の番面)や、同じポーズの2人の間に子どもが同じく手をあげている(家族の図?)などよかった。また、橋とその下の船を直覚の方向から見て断面を描いたものは、頭の中で理解しやすかったし絵として独創的だと思った。その他、ヘリコプターのや植物の図など。これらはすべて、段ボールにっ主に赤の色鉛筆で描いたものだとのことで、生活していた施設内で大量に描いていたとか。(小幡はアウトサイダー・アーティストとして有名な方のようだ。)
 ジョナサン・ボロフスキー(1942年〜)の「飛ぶ夢を見た」。やや縦長の画面。触ってすぐ、なにか浮いているような感じがして好ましかった。画面の上部に、脚両脚をやや広げて下?を向いて飛んでいる人(お尻の所がすっととがっていた)が大きく描かれ、その下に大きな雲のかたまり、その下、画面中央から下部いっぱいに連なる山並みが描かれている。
 沢 宏靱(こうじん)(1905〜1982年。滋賀県生まれの日本画家)の「朱の山」。ほぼ正方形に近い画面だったように思う。画面の大部分はごつごつ、ぼこぼこしたような感じで、何が描かれているのか初めはよく分からなかった。切り立った大きな岩山を描いたものだということで、ごつごつ、ぼこぼこは岩肌をあらわしている筆のタッチのようだ。画面いっぱいに大きな1つの山が描かれていたので、初めは全体の形がとらえにくかったようだ(大きな山の下には、ぼこぼこした感じで林が描かれていた)。
 フランク・ステラ(1936年〜)の「イスファハーン」。縦3m、横6mもある大きな横長の作品。立体コピー図版は横40cm余ほどで、画面上部の両側が半円形になっており、その間はくぼんでいて、ほぼ左右対称の形になっている。私はくぼんだ部分を湾?なのかも知れないと思い、海岸を連想したりしたが、イスファハーンはイランの高地にある古都。この絵の大きさを体感してほしいということで、横は実物と同じ6mで、縦は人の手が届く1.8mほど(画面の下部が省略)の模型?が用意されていた。(このような形とイスファハーンがどのように結びつくのかは、私には分からない。)
 トム・ウェッセルマン(1931〜2004年)の「グレート・アメリカン・ヌード#6」。1m以上もある大きなほぼ正方形の画面で、コラージュ(貼り絵)のようなものだとのこと。部屋のような枠があり、その中央に横になっている裸婦(肌はピンク?)が中央に描かれ、その回りに子猫、布地のようなもの、絵(モディリアーニの複製画だとか)などが配されているようだが、子猫以外触ってはよく分からなかった。触図では、コラージュの各部分を、手前から順に4枚に分け、それらを合わせることで全体をイメージしてもらおうとする方法がとられていたが、4枚の横に並んでいる図版を1つに重ね合わせて想像するのは難しかった(触図4枚を片側で閉じてノートのようなかたちにすれば、重ねてイメージするのが少し楽だったように思う。あるいは、全体の触図としては、それぞれの部分ごとに紙や布など材質を変えて貼り絵のようにすれば、分かりやすかったのではと思う)。
 田中敦子(1932〜2005年。大阪出身で、具体美術協会で活動)の「黒い三ツ玉」。縦長のかなり大きな作品のようだ。いろいろな大きさの円が多数並び、その間には何本もの線が走っている。幾何学的なのかもと思ったが、円や線の配置には規則性のようなのはないようだ。この作品は、田中の代表作「電気服」(多くの電球や電気コードのついた服)を絵にあらわしたもののようだ。
 伊庭靖子(1967年〜。京都出身)の「Work 2011-5」と「Work 2011-6」。いずれも横長のかなり大きな作品のようだ。触図を触っても何が何だか分からなかったが、これは陶器(江戸時代に彦根でつくられていた湖東焼)の表面をあらわしたもので、光の反射や材質感や空気感といったものが表現されているとか。そう思って触ると、陶器の表面の細かな模様、取手のようなふくらみとツルツルした感じなどが分かってきた。また、陶器のツルツルした表面で光が反射していることをあらわすためだと思うが、大理石のよく磨かれた曲面も用意されていた。この触図制作に当たっては、立体コピー図制作者の小川真美子さん、作家の伊庭さん、全盲のアーティストの光島さんが協力したとのこと、その影像も流されていた。
 滋賀県立美術館のコレクション作品を触図版にして触って鑑賞してもらおうとする今回の試み、とても挑戦的だと思いました。輪郭や形だけでなく、色の違い、光の加減、絵筆のタッチや質感などまでなんとか触って感じとれないものかと、いろいろ工夫がうかがえます。もちろん限界はありますが、さらに工夫すればまだまだ可能性はひろがるように思いました。
 
 続いて、今回の見学のメイン「“みかた”の多い美術館展です。副題は「さわる知る 読む聞くあそぶ はなしあう 「うーん」と悩む 自分でつくる!」となっていて、アート作品との多様なかかわり方、みかたを示そうとするものです。とくにこれまで美術館とは縁遠かった人たち(いろいろな障害のある人たち、施設入居者、在住外国人の子どもたちなど)が、作品とどのようにかかわり合っているのか、かかわり得るのかが紹介されています。
 導入として、今井祝雄の「ヴォワイヤン」という立体作品。椅子が8個あり、7個には黄色に塗装された人物が同じかっこうで座っています(左膝に右膝を乗せ、その上に両手を組んで乗せて、やや前かがみの姿勢で正面を見ている。表面の黄色の色合いは各人により異なっているようだ)。1個は空席で、その椅子に私も、作品になったつもりで、他のヴォワイヤンと同様の姿勢で座ってみます。そうすると、作品が、来館者に見られるだけでなく、来館者を見つめているようにもなります。ちょっと面白い経験でした。
 初めは、「おはなしして、みる」のセクション。作品のとなりに、おはなしが進むキーワード「おはなしのたね」を掲示し、それを手掛かりにあれこれ話しながら鑑賞するというもの(美術館で静かに鑑賞しなければならないという原則はないようだ)。山口晃の「厩圖2004」は、時代を越えた構成が面白いようです(おはなしのたねは分からない)。厩図は室町時代から江戸時代初めにかけて名馬を見せるために描かれていたそうですが、この図で厩にいる馬をよく見ると胴や脚はバイクになっており、厩も室外機?のようにも見え、また武士のほかにもTシャツをつけた女性も描かれているとか。現代版の厩図といったところでしょうか。滋賀県甲賀市の福祉施設やまなみ工房の鵜飼結一朗の「妖怪」シリーズは、見る者に驚きをあたえているようです(これもおはなしのたねが何かは分からない)。まるで百鬼夜行といった感じで、いろいろな動物や恐竜?の骨のようなもの、さらにはアニメのキャラクタのようなものまで見えているとか。
 また、似たようなことですが、「好きなことをいってみる」のコーナーもありました。作品について来館者が思ったことをひとことメモに書き、それを作品の下に貼ると、それが作品説明のようになるというもの。野口謙蔵の「蓮と少女」やピカソの「ふたつの裸体」(1909年、ドライポイント)など展示されていたと思いますが、よくはわかりません。
 一昨年の秋に国立民族学博物館で開催された「ユニバーサル・ミュージアム ―― さわる!“触”の大博覧会」で展示されていた作品も一部ですが展示されていました。岡本高幸の「とろける身体―古墳をひっくり返す」(前方後円墳をひっくり返したようなものの中に寝転がってみる)や渡辺泰幸の「土の音」(陶器製の切れ目の入った器を金属の棒でたたいてみる)、前川紘士の立体コピーによる線のドローイングのようなもの、歯車や磁石をつかった玩具のようなものなど、実際に手を動かしたりして体感する作品が展示されていました。
 藤岡祐機の作品は、紙にはさみでびっくりするほど細かく切れ込みを入れたものでした。(櫛の歯のようとか言っていましたが、それよりも細かったです。)
 車椅子使用者の希望に応じて見やすい位置に展示している作品もありました。具体美術協会で活動した有名な白髪一雄(1924〜2008年)の作品が2点、ほとんど床置きのようになっていたようです(白髪一雄は、床に広げたカンバスの上に盛られた絵の具の塊を、ロープにぶら下がりながら裸足で塗り広げて描いたとか)。
 最後に、映像作品「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」を聴きました。アーティストの百瀬文さんと全ろうの木下さんの対談です。木下さんの発音はちょっと聴き取りにくいですが慣れてくるとおおむね意味は理解できます。また木下さんは、相手が話したことはその人の口のかたちを読んでほぼ理解できているようです。ただし、例えば「たまご」と「たばこ」など、口のかたちだけではほとんど同じ単語が多数あり(一般的に言えば母音が同じ音は口のかたちでは判別しにくいと思う)、その時はその場の状況や文脈で区別しているようです。お2人の対話の内容は字幕や点字のテキストでも提供されていて、私は点字のテキストを使いました。途中からは百瀬さんの話しまで、もしかして木下さんが口のかたちで読み取っているかも知れない言い方(例えば「ことば」が「とこば」など)に置き換わっていて、こちらのほうが違和感があり聴き取りにくいくらいでした。全ろうの方の対話をちょっと体験したような面白い体験でした。
 実は、自分でつくってみるコーナーもあり、できたら私も試みてみたいと思っていましたが、これは時間がなくてできませんでした。
 
 今回の滋賀県立美術館の見学、お2人のスタッフの解説付きで、多方面にわたる展示を楽しむことができました。
 
(2023年11月18日)